第1クルーが終わった
今年の休耕田草刈作業の1回目が終了した。5月は例年ならば、塾生の数も少なく、余力に任せて草刈作業が出来ていたのだが、 今年は4月から多忙な日々、嬉しいことではあるが、肉体労働は正直しんどい日々である。
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今年の休耕田草刈作業の1回目が終了した。5月は例年ならば、塾生の数も少なく、余力に任せて草刈作業が出来ていたのだが、 今年は4月から多忙な日々、嬉しいことではあるが、肉体労働は正直しんどい日々である。
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7年ほど前に書いた記事である。7年前の自分と今の自分にどんな違いが出てきているだろうか。ちょっと考えることがあって再掲載させて頂きます。
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どの業界もそうであるが、この不況のあおりを受けて倒産や廃業に追いやられる事業所が増えている。塾業界とて例外ではない。多くの塾がここ10年の間に消えていった。
フランチャイズの塾は、これでもかと言うくらい加盟店を増やそうと、塾経営セミナーなるものを開催し、全国津々浦々店舗数を増やし続けている。その一方競争力を持たない個人塾が淘汰され、どこの町に言っても、似たような塾の看板を見かける。
全国どこのフランチャイズ塾に行っても、同じ教材、同じ指導のマニュアルが待ち受けている。指導レベルの均一化ということに於いては、確かに地方、地域の格差が少なくなってきたように感じるが、やはり僕に言わせれば、柔軟性のかける指導だ。
吉野家の牛丼やマックのハンバーガーだけを毎日食べ続ける人はいないだろう。指導パターンをマニュアル化することは、時に個性ある子どもを沈黙させてしまう恐れがある。
同じように塾経営者のスタンスも千差万別であるが、あるパターンの塾が儲かり始めると、どうしてもそのシステムをまねる個人塾も増えてくる。その最たるものが、分室の展開である。どんどん教室を増やしていくことで、利益を上げていく展開だが、必ずといって言うほど5年、10年で内部分裂が生じる。
陶芸をやろうとする方が、窯元で修行するのは、100パーセント独立して自分の窯を持つためである。塾教師もそういった方が多い。生涯塾勤めをする先生は稀有である。仕事を覚え、経営のノウハウを覚えると一国あるじの城を構えたがる方が多い。かく言う僕もその一人であった。
私が東京で勤めた塾は教室数5、生徒総数500名ほどの進学塾であったが、やはりその後内部分裂が起こり、離散してしまった。地元に戻り勤めた塾も、3市町村に5教室を構えていたが、25年たった今、廃業しなくなっている。当時の同僚が、僕を含め5人ほどが独立して塾を営んでいる。
小さな塾の先生が、社長と呼ばれるようになり、外車を買い、ゴルフの付き合いを始める。夜の蝶ともてはやされているうちに、内部崩壊は進んでいく。この業界で何度か目にしてきた光景である。
僕は社長になりたくて塾を始めたわけでもないし、夜な夜な美しい女性を相手に酒を飲みたくて塾を始めたわけでもない。何とか5人の家族を養い、そして勉強に悩む子どもたちをひとりでも助けてやりたいと思う気持ちがあって始めた塾である。
残念ながら僕はお金儲けは下手なようだ。しかし教える情熱は誰にも負けないつもりである。僕が塾を続けてきたのは、その一点に尽きる。それが僕の塾経営者としてのスタンスである。
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今僕が付け加えて言えることは、仕事は楽しめて最高だということかもしれない。やっぱりわくわく感がなければ継続は難しいと実感している。
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友人知人の皆様から、アラハバキ神についての質問が多くあります。今日は僕なりの考察を。
アラハバキは日本の中央政権が、八幡神を勧請する以前の土着信仰の磐座やある種の聖域の尊称であると思います。
人間の脳細胞は、その領域のわずか3パーセントも使われていないと言われますが、僕はこれは人間の退化現象なのではないかと考えています。つまりは使わなくなって退化した能力が堆積しているのが今の人間であると。
動物たちと会話する能力だとか、森の木々と語り合う能力のような、縄文時代以前の人間が持ち合わせた能力を文明の進化と共に、喪失してきたのが現在の人間の姿であると思っています。それを多方面からみれば進化と言うわけですが。
東北各地に伝承されているアラハバキ神のほとんどが、山の山頂などに鎮座するある種の巨石です。それもピラミッド型の美しい山の頂にアラハバキ神の磐座が祀られていることが多いようです。
縄文時代中期までは、東北は北上高地や奥羽山脈を除いてほとんどが海面でした。奥羽山脈は火山性の大地ですから、古代の人々が定住したのは必然的に蛇紋岩等の安定大地である、北上高地ということになります。
海に出て漁をする際に、ピラミッド型の山は目印になります。海洋の安全を期して何らかの信仰を山々に託したことは、想像に難くないですね。
これから先は全くの僕の独断と偏見ですが、古代の巫女的な存在は、岩と会話が出来たのではないかと思います。会話というと語弊がありますが、岩を利用して大地の鼓動を体感出来たのではないかと。地震や噴火などの天変地異を岩を通じて予知していたのではないかと僕は勝手に思っています。
つまりアラハバキのような信仰の対象になった巨石は、置き石ではなく、地中深くまで堆積している岩だったのではないかと思います。
大船渡の五葉山や衣川の三峰神社も舞川のうどが森もそして舞草神社がある観音山も、綺麗なピラミッド型の山です。そして古代から信仰されてきた巨石が鎮座しています。間違いなくアラハバキ神としての信仰対象の巨石だったと思います。
僕はこれらの巨石を前にするたびに、古代の巫女が舞っている姿を想像してしまいます。想像と言うより幻視に近い感じでしょうか。アラハバキの巨石が発している電磁波などを計測できれば、きっと何か面白い数値が出てくるような気がします。
白波漂う浅瀬の海洋にぽっかりとそびえ立つ観音山や月山そして欄梅山を想像すると、なんかわくわくしますね。
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