知性の源泉
塾生の中にも毎月20冊以上の本を読む生徒がいる。素晴らしいことだと思う。僕はと言えば、老眼が進んだせいもあるが、かなり読書のペースが落ちた。一月に7.8冊程度だろうか。
高校から大学にかけては、年間300冊ぐらいのペースで本を読んでいた。いくら読書はいいとは言え、このペースが僕を鬱状態に陥れた。理由もなく厭世観に襲われた自分がいた。著作の中の人物に同調しすぎて自分のスタンスが危うくなった感じだったのかもしれない。
学力も偏差値もなかったものだから、せめて読書量で世の中に追従しようとしたのがそもそもの誤りだった気がする。想像力こそ鍛えられた気がするが、現実逃避の温床になってしまた感がある。
塾教師という仕事を選んだのも、時間があって本が読めればいいな~という意図があった。若気の至りと言えばそういうことだろうが、どうも人生そのものが浮遊していたようだ。過去形で書いてしまったが、今もそうかもしれない。
教室の二階からは毎日磐井川の土手に沈んでいく夕日を見ることができる。生徒がやってくるまで、僕はこんな夕日を見ながら妄想する。時に本を読んだり、時に指導書を眺めながら。
山歩きの季節がやって来る。書を捨て、この磐井川の土手の散策が始まる。冬の間になまってしまった身体を覚醒させねばならない。気力は読書よりも散歩で培われる年齢になった。知性の源泉は今は散歩かな(笑い)。
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