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2017年9月14日 (木)

生きて行く理由

人生50年と言われた100年前。そして今は人生90年の時代に突入した。競争原理が人間の生きる活力になっているかのような社会に於いて、自分らしさを表現することがとても難しい時代になってきたように思う。
自分が社会にどう貢献できるのかという前に、生活する基盤さえも脆くなってしまう日常性の中で、生きる希望を渇望する多くの世代が今、人生の意味を問うている。
宗教や信仰に救いを求める人たち。学歴や社会的地位に安住を求める人たち。
震災以後自殺者の数が減ってきていると言われるが、それでも毎年3万人弱の方が、日本で自らの命を絶っている。自殺未遂は、この数の10倍に達するという。
運命に翻弄される人生を、いかに自分でコントロールできるかということに視点を置くことはとても危険なような気がする。とかく根性とか努力ということを、教育の中でインプットされてきた僕らは、人生の敗北を努力不足とみなす傾向がある。
スポーツ競技を見て欲しい、いくら頑張っても最後の勝者は一人しかいない。その他のプレーヤーは全員が敗北者となる。どの時点までの自分を良しとするかが、各人の目標であり価値観だ。その価値観を他人の価値観に委ねてしまう傾向がある。
情報化社会というより、情報過多社会だ。世の中に迎合しようとするあまり、自分の本来のスタンスを喪失し、コントロール不能に陥ってしまっているのが、今の僕らじゃないだろうか。
その象徴が、お店で外食している家族や友人や恋人たちの姿だ。会話をするわけでもなく、黙々とスマホをそれぞれが見つめている。自然と心と身体が整うわけがない。
僕は4年半前までは、携帯電話を所有していなかった。現在ガラケーと言うやつは持っているが、スマホは持っていない。ゆえにSNSを自宅外の場所や仕事場で閲覧することはない。ラインもやらない。テレビもほとんど見ない。
生きるということは、活動することだろう思う。身体を動かし、頭を動かし、時に汗を流し、時に笑い、時に泣き、時に怒る。これらの身体および感情の動きが、全てその人の運命や躍動感に間違いなく連動していくものだと思う。
中学校や高校は、あまりにも宿題を出し過ぎる。夏休みなど本を読む時間も自然の中に出かけて行く時間もない。彼らはゆえにちょっとしたスキを見つけてはゲームや架空のバーチャルな世界にはまり込む。鬱の若者が増えて当然の原因を、間違いなく経済優先の社会が作っている。
勝利者にならなくていい。若者たちには楽しみを構築できる人間になって欲しい。生きる楽しみをいっぱい作って欲しい。

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