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2017年8月10日 (木)

生産性を重んじるあまり、どれほどの素晴らしい原石を見捨ててしまったことか

若者が若者の状況でいられる時代というのは、実際のところ長い。結婚をして子どもが出来ても、表現は悪いがあんちゃん、ねぇちゃんのような雰囲気で闊歩している方は多い。若いね~という言葉は褒め言葉と言うよりは、ちょっと批判めいた感じがしないではない。

しかし、あんちゃん、ねぇちゃんであるがゆえに、家庭を持ち子どもを育てることは大いなる学びで、間違いなく人間として大切なコアーを身に着けて行くと僕は考えている。だから、若いのに親になってだいじょうぶかしらというのは,心配のし過ぎではないかと思う。確かに幼いがゆえに育児放棄という親もいるが、これは歴史を遡れば、いつの時代もあったことで、少なくとも現代社会に限った病理などではない。

逆によく、若いのにしっかりしているという表現があるけれども、世間が評価しているしっかりしているというのは、判断力があって、独立心があることだと思う。つまりは自分自身に対して、自己責任能力をしっかりもっている人間のことを形容する言葉のような気がする。

20年ほど前から公立の学校に於ける不登校が増えてきた。いつの頃からか定かではないが、行きたくないというのを無理に強制させても・・・という風潮が生まれ、なんとなく学校に行かない状況を容認する社会が生まれている。

いじめられるから学校に行けない。先生が暴君だから行かない。部活を強制されるから行かない。給食が食べられないから行かない。学校のトイレを使えないから行かない。宿題がやれないから行かない。学校に行けない理由に正当性を持たせるとしたら、ひょっとするとすべてが正統的な理由なのかも知れない。

一方、そりゃ違うだろうという観点から見れば、全ての理由が瓦解する。職業柄、不登校に対して意見を求められることが多いのだけれど、僕は個人的には学校に行かないという選択肢はあるのかなと思う。しかしそれは、あくまで個人的救済や、何らかの個人の目標があっての話で、全ての不登校にYESということではない。

学校に行かないというチョイスはさほど問題ではないが、深刻なのは、不登校が引き金になって、そのまま社会から孤立してしまうことだ。不登校の半数の生徒が、大人になっても引きこもり状況という現状を、我々はもっと真剣に受け止めなければならない。

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高校に行き、そして大学に入らなければ、まともな仕事がないという観念を植え付けられた若者たちは、その観念に立ち向かう前に、逃避をしてしまう。我々は若者たちに、職業の選択の自由を、もっと大胆に、そしてアグリッシブルに提供しなければならない。この社会は、生産性を重んじるあまり、どれほどの素晴らしい原石を見捨ててしまったことか。その社会的損失は計り知れない。 

先ほど述べたように、若者でいる時代は長い。その間に培われるであろう忍耐力や、協調性や社会性を軽視する教育であってはならない。人生を有意義に生きるということに於いて、ある程度の学歴や経済力が必要であることを、若者たちに知らしめることは大切だけれども、それが絶対条件であるかのような洗脳であってはならない。

彼は運動能力はいいんだけれど、勉強がね~とか、彼女は頭はいいんだけど性格がね~などという人物評を耳にする。当然のことだけれども、完璧な人間などいない。だから人間は努力をするわけだ。

中・高生は、入試勉強が大変だと言うけれど、おっとどっこい待ってくれと言う感じだ。人間死ぬまで学びの連続だ。若い頃が一番学びやすい。だからことさら勉強することを推進されるわけだけれど、実は一生涯勉強だ。

中庸であることは難しい。しかし平均的な人生を歩むことは決して青春の敗北ではないし、諦観を装う大人の仲間入りでもないのだ。30を過ぎ40になり、そして50になっても、間違いなく青春の塊はくすぶり続けている。燃えてしまえば、あとはいっきに驀進だ。ためらうことなかれ!

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