不確定社会に生きる我々は・・・
合格発表が終って1週間が過ぎた。新高校生は、スマホを買ってもらったり、制服の寸法どりなど、何かと忙しい日々かも知れない。
塾では、合格した高校から出された宿題を持ち込んで勉強に励んでいる生徒がいるが、全体的にはのんびりした春休みの日々なのだろうと思う。
今朝の一関は雪だった。卒業シーズンが終わって雪が降るのは6年ぶりかな。冬タイヤを交換している光景をここ2,3日見かけたが、まだまだ季節は移ろいやすく、冬タイヤは必用なようだ。
昨今の入試を見て思うことがある。基本問題が姿を消し、中途半端な基礎力では問題が解けなくなった。500点満点で200点をとることが厳しい生徒が増加している。
つまり数学にしても英語にしても、理科の計算問題にしても、だいたい分かったでは解答出来ないのだ。完全に分からないと足元をすくわれる問題が増えた。学校の授業になんとなく付き合っている中学生は、蚊帳の外という感じがするのではないだろうか。
岩手県は公立高校の倍率が低下し、正直とても入りやすくなった。それほど勉強しなくてもという感じが、そこはかとなく水面下で広がっているかも知れない。おまけに国立大は別として、私立大学もある程度の通信簿の点数を維持するば、推薦で入ることが容易だ。
で・・・なにが生じているのかというと、言葉は悪いが低レベルでの安定化だ。もうすぐセンター試験テストに記述式が導入されるということで、英語教育の見直し論が巷にあふれだしているが、そもそも英検にしても大学入試のセンター試験にしても、マークシートテストだ。もうすでに昔からお気づきの方がいるかも知れないが、英語の知識を試す問題であって、実技的な問題では決してない。ゆえにこれほど長年にわたって、莫大な予算と時間を英語教育に投じてきても、日本人は英語が使えない。
受験科目に英語があるから、仕方なく英語をやっています的な状況が永遠と続いてきた。おまけに昨今は文法の授業が悪の根源のように言われ、外国人により会話授業を促進しているが、まじかよという想いがするね。
僕らの世代は、文法ありきで英語を学んできた人種だけれど、文法を学ぶことで、その言語を話す国民というか民族の性質みたいなものがよく理解できたきがする 。仮定法や知覚動詞や分詞構文などを眺めていると、なるほどこう来たかみたいな、発見があったね。
今の高校では5文型なるものも、ほとんど教えない。僕はこの分構造の理解こそが、英語の根本だと思っているがんこ爺なので、猛烈な違和感がある。
塾業界は、来年度に向けてまた忙しい時期を迎える。生徒募集だ。どんな理論をかざそうと、理屈をこねようとも、生徒が入って来なければ、ただの絵に描いた餅だ。僕の塾も同様に同じ。
どこそこに生徒が合格しましたなんて言う実績は、昨今それほど重要ではない。なぜならほとんどの生徒が受かるからだ。うちの塾のように月謝の安さも重要じゃない。格差社会の昨今、お金持ちは高い授業料の塾に向かう。
宣伝がうまい塾に生徒が集まる。これは資本主義経済の基本理念だ。スマホを買い求める生徒さんで、テレビCMの影響を受けない生徒さんはいないだろうと思う。不確定社会に生きる我々は、情報こそ唯一のサバイバルツールだと思っている。逆にその情報にうまく誘導されていることに残念ながら気づかない。
権力とお金に負けないためには、精神や心の自由度が必要だ。それを鍛えるのは、学びだろうと思う。わけのわからないテレビ番組や、このようなブログやFBに構っていないで(笑い)、本を読もう。春休みだしね。
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