今日は家内の名誉のためにもちょっと、話させてくださいませ。
昨年よりこのブログでも何度か書かせて頂きましたが、御年80歳になる母が、昨年倒れまして、3ヶ月の入院そしてリハビリを兼ねての施設への入居とあいなり、その間わたくしが弁当や朝食の準備をしているとの話を書きましたら、「先生独身なの」とか「奥さんに逃げられたの」等のご質問を生徒諸君より頂きました(笑い)。
実はわたくし、本業の塾教師のみでは重々生活が大変なわけで、ここ25年間稲作農業を営むかたわら、園芸のバイトをやったり、高校の非常勤教師をやらせて頂いたり、短大の講師をやらせて頂いたりしてきましたが、昨年より昼の仕事がなくなり、母のこと等でお金がかかる中、家内が障がい者施設で常勤で働くようになりました。早出があったり、夜中に帰ってきたり大変な仕事であります。
そこで昼の時間が確保できるわたしめが、家内の多忙な時間、家事の仕事そして母の食事の世話等をやらせて頂いておるわけです。このブログはわたしの親戚の方々も読んでいるようなので、そういうことなわけで、あしからずであります。
そして今年より母の介護の件もありまして、祖先伝来400年間営んでまいりました稲作農家を離脱いたしました。毎年我が家の新米を楽しみにして頂いている、ご親戚の皆様、そういうことであしからずであります。
先日も同世代の友人と話をしましたが、ようやくこどもたちが学校を終え社会人となり、お金がかからなくなったと思ったのもつかの間、今度は親の介護という生活に突入です。しかしであります。息子たちにお金がかからなくなって、母がこうなったというのは、ある意味ラッキーなことで、これが大学の入学金を納める等の時期と重なっていたらと思うと、ちょっと冷汗であります。
いつまでもあると思うな親と金。人間生きて行くことは実は思っている以上に大変なことなのかも知れません。かく言うわたくしも、早く父が他界し、29歳で一家のあるじとなりました。そして同時に塾経営に乗り出したわけですが、お金には本当に苦労してきました。しかし、ここまで続けてこれたのは、家内の支えがあってのことです。楽天的な彼女には本当に救われてきました。
岩手生まれの暗いわたしの性格を、横浜生まれの都会的な彼女の感性が中和してくれた気がします。都会から、狐さんや狸さんが闊歩する岩手の里山に嫁いで30年になります。こんな里山でシュタイナー教育をベースにこども教室をやるなんて発想も、わたしには浮かばなかったでしょうね。彼女ゆえの発想力ですね。
午後からわたしの本業が始まります。帰宅するのは夜の10時頃。家内が美味しいご飯を作って待ってくれています。もう30年こんな暮らしが続いています。ともに助け合いですね。
今日はいつにもまして私的な内容になってしまいました。まあ~ご勘弁のほどを。
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