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2016年9月16日 (金)

姥捨て山の風習から生まれた言葉

江戸時代までの岩手県は北上市を境に伊達藩と南部藩に分かれていたわけだけれど、冷害に苦しむ農村では、口減らしのためにお年寄りを山岳地帯に連れて行って置き去りにしてくる姥捨ての時代あった。旧伊達藩や旧南部藩に鎮座する標高の高い山に行くと、姥捨て河原や姥捨て原などという地名が今も残っており、当時の過酷な農村を歴史を垣間見ることが出来る。

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上の写真は遠野のデンデラ野の写真だけれど、遠野物語によると、ここも姥捨て山としてお年寄りが捨てられた場所として語り継がれている。

ところで僕が小さい頃に、近隣のお年寄りは田んぼや畑に出かけることを、「墓立ち」、田んぼから帰ることを「墓上がり」と言っていた。うちの祖父や祖母もよくこの言葉を使っていたので、覚えていたのだが、後にこの言葉の意味を民俗学の本で知った時の衝撃と悲しみは大きかった。

姥捨て山に連れられて行ったお年寄りが、息子や嫁の田んぼや畑が気になって、命尽きるまで姥捨て山から畑や田んぼに通い詰めて作業をしたことから生まれた言葉なのだそうだ。

つまり姥捨て山を墓場と見立て、そこから田んぼに行くので墓立ち、田んぼから姥捨て山に戻るので墓上がりと言ったわけだ。この言葉の真意を知った時に、思わず涙がこぼれたのを覚えている。

これほど哀しい言葉を僕は知らない。

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コメント

こんにちは、学び舎です。

金田先生の記事を読んで、考えこんでしまいました。姥捨ての風習がこのあたりにもあったのだろうとは思っていましたが、姥捨て山から田んぼまで通いつめていたとは知りませんでした。

うちも老親を抱えておりますので、日頃あれこれ思うところはあるのですが、できる限り施設に預ける状態にせず、デイサービスに自宅から通うという現状を維持できればと考えています。

それぞれ介護する老人を抱えている家庭の事情は異なると思います。一概にこうだと決めつけることもできないと思いますが、私自身としては、できるだけ自分の身体を動かして自分でできることは本人に任せるようにしています。生きる意志みたいなものを持っていてもらいたいという気持ちからです。

高齢化が進むと、どう接していくか家族も問われることが多いように感じます。

(かねごん)
小林先生こんにちは。ご無沙汰しております。
10ヶ月ぶりに母が家に戻り、介護生活が始まったわけですが、日増しに日常が戻ってきた母を見てほっとしているこの頃です。江戸時代は60歳が姥捨ての年齢だったようですが、僕もだんだん近づいてきました(笑)。
家族と誰もがともに最後まで過ごしたいと思うのが、自然な感情だと思います。無理をせず、マイペースがいいと思っています。

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