寺子屋オヤジの独り言
毎年受験がやって来る。そして毎年毎年自分の受験時代を思いだす。受験に失敗した慙愧の想いがあって、僕はこの仕事を33年も続けてこれたのかもしれない。
受験なんて失敗したって大丈夫なんて僕は口が裂けても言えない。14歳や15歳で選別される悔しさを経験した人間は、決して忘れることは出来ないものだ。
過去を振り返ってもしょうがないのだけれど、過去があって今があることは間違いない。たかが高校たかが大学なのだが、その「たかが」という修飾語が呪縛になって苦しむ人は多い。
数学が解けることや、英語を理解する能力が、もしその人の学力というのなら、そんなものはちゃちゃら笑っておけばいい。学校の中のカテゴリーで人を判断する欺瞞に嫌気がさしたら、ぼちぼち本当の努力をしようぜと言いたい。
きれいごとは言うつもりはない。生きて行くにはお金が必要だ。お金を稼ぐ糧を見つけるためにみんな頑張っている。お金がないみじめさが、一番精神にはこたえる。中学時代や高校時代は恋人が出来ない悩みも大きいかも知れないが、大人になってお金がないことと比べたら、屁のようなものだな。だから夏祭りに孤独だって大丈夫だ。
世の中の仕組みというものを理解せずして金儲けなんてできやしない。そのためには計算力も必要だし、いろんな面倒くさい書類の作成も必要だ。それをしっかり学べばいい。ゆえに本を読むことは大切だ。
因数分解ができない?現在完了が分からない?だから頭が悪いのかって。そうじゃないんだよ。理解しようとするあなたがいないだけで、それ以外の何ものでもない。
発想を変えようじゃないか。大抵の人は頭がいいと思うから、しんどいんだよ。自分も含めて大抵の人間はバカだと思えば、苦しくないね。馬鹿なんだから勉強すればいいだけなんだよ。
自分が馬鹿であるという事実に逃げちゃいけないね。ちなみに僕は自分が馬鹿だという現実に心底気づかされたから、勉強をやる気になったね。中途半端なおりこうさんや、中途半端なおばかさんは、そのことに気づかないから、中途半端に人生を消費して行くんじゃないかな。
その中途半端な状況を後押ししてしまうのが、プライドという現代病だ。プライドが許さないという人に限って努力を放棄している。じっさい生きることってすごく泥臭んだな。ぷんぷん臭う社会の悪臭の中でさえ、僕らは毅然として頑張って生きて行かなくちゃならない。
受験勉強は勝つか負けるかなんかじゃない。自分という人間を知ることが出来るかどうかだと思うね。
今年もその自分を知る旅の補佐役として、僕はがんばるかな。
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