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2016年7月22日 (金)

今の自分が幸せだと思えない、思わせない社会になんか迎合しなくていいと僕は思います。

日本に於いて医療費で使われるお金の割合は、ダントツ精神科に於ける医療費だそうだ。

昔のように精神科に通う垣根のようなものがなくなり、眠れない、不安だ、ちょっと生きる気力がなくなった、、極端に記憶力が悪くなった等、我々は心療内科の診断を仰ぐ。

鬱とかトラウマとかいう言葉が、日常会話で使われるようになったのは、僕らが社会人になった頃だったろうか。そしてバブルが崩壊して、精神を病む人々の数が激増した。

その時期を同じくして新興宗教が雨後の竹の子のようにメディアに現れ、日本人の自殺率が先進国でダントツになって行った。

日本という国はそれほどまでに生きづらい国なのだろうか。世界では安全な国と評され、毎年1千万人以上の外国人旅行者達がやって来る。真夜中の地下鉄に女性が一人で乗れる唯一の国でもある。

水面下では貧富の差が拡大し、児童の6人に1人が貧困状態にあると言われている。嘘だろうという意見もあるようだが、実際に一月の小遣いが皆無という児童生徒は全体の40パーセントになっているという統計も出ている。

20代30代の若者たちに於いては、3割近くの人たちが国民年金を支払っていないと言う。彼らの老後は誰が面倒をみるのだろうか。

年金や介護保険を払い続けてきても、いざとなった時に老人ホームにも入れない国。生活保護家庭にでもならないかぎり、失業しようが貧困に苦しもうが、税金や年金の催促が容赦なくやってくる国。

貧困にあえぐ人々の矛先は、金銭的に安定している公務員や公立学校の先生方に向けられ、総合理解は喪失され、負のスパイラルが社会の中で濁流のごとく巻き起こっている。

負け組になりたくなかったら、勉強をして学歴を持てと言う。大学の進学率だけは軒並み増えたが、その学費の負担が、家族を崩壊させかねない状況を生み出している。

どこで歯車が狂ってきたのだろう。一見豊かで平和に見えるこの国で何が起こっているのだろうか。街中でスマホを片手に佇んでいるこの国の国民に、今何が必要で、何が希望を断絶してしまっているのだろうか。

結果には必ず原因がある。日本人の心に閉塞感を与えてしまっているのは、経済が原因だと言われている。簡単に言ってしまえば、お金が無いからつまらないということなのだが、本質はそこだろうか。

僕は34年間塾教師をやってきた。途中6年間の高校での非常勤講師の経験もあるが、塾教師ゆえの世界観の中で、教育を取り巻く潮流に気づくことは多い。明らかに子どもたちの精神力が衰えてきた。不合理に対する抗体がない。

人生に現れる様々な状況に対して傍観してしまう若者が多すぎる。つまり飛び込んで行かない。いや行けない。だから恋愛もしないし、政治や不合理に対する怒りも、飲み込んでしまう。一見平和主義者のようだが、僕に言わせれば臆病なだけのような気がする。

じゃあなぜこうなってしまったのか。偏見を覚悟で言わせてもらえば、男女平等のインチキ教育がすべての根源だと思っている。男性と女性は平等なんかじゃない。まるっきり違う生き物だ。運動能力も、思春期の訪れる時期も性欲も、そして学習能力も。

男女平等の教育という言葉を、いつの時代か誰かが勘違いしだした。そしてその勘違いが市民権を得てしまったゆえに、誰も公の場でその勘違いを指摘できなくなってしまった。そして子育てが出来ない女性をキャリアウーマンなどと横文字で括り付け、エプロンをして台所に立つ父親を、素敵なパパなどと称賛し、この国はおかしくなってきた。

女性の皆さんどんな男性が好きですか。男性の皆さんどんな女性が好きですか。価値観の多様性、ジェンダーの問題をどこかの枝に吊して、自分の足元を見れない人たちが増えているのではないですか。

平均的な価値観の中に埋もれるはよしませんか。人は平等じゃないですよね。貧乏人には貧乏人の生き方があります。頭の悪い奴には、悪いなりの生き方がちゃんとあります!だから自分を悲観してはダメなんですよ。今の自分が幸せだと思えない、思わせない社会になんか迎合しなくていいと僕は思います。

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