僕らが奇跡と思う偶然はひょっとして必然?
10年以上続いてきた奇跡がとまった。例の77の奇跡である。77と言ってもパチンコの話ではない。パチンコは女房にとめられ、四半世紀前に足を洗った。
水沢の駒形神社に向かう途中に、とある交差点があるのだけれど、駒形神社に参拝するためにその交差点にさしかかると、必ずプレートナンバーに77の数字が入っている車が、対向車に停まるのである。80回以上行って79回その奇跡は続いた。それが偶然だとしたら天文学的な数字をゆうに超越する偶然の確率だ。
ところが今年に入ってからその奇跡がとまった。今年すでに合格祈願等で5回ほど駒形神社に行っているのだけれど、一度も77の車が現れなかった。
この奇跡がとまったからと言って僕は落ち込んではいない。駒形神社の神様の茶目っ気のある遊戯が終ったのだろうと思う。ポジティブな僕は、きっと新たなステージが始まるのだとわくわくしている。
それが証拠に先週、家内と金ケ崎の駒形山の登山口に出かけて行って、ブナの森林浴を楽しんできたのだが、駒形山で撮った写真がすべてパソコンに転送出来なかった。それ以外の写真はすべて転送できたのにである。言っておくが、僕は人が見えないものが見えるとか、聞こえないものが聞こえる等の種類の人間ではない(笑い)。
この駒形の奇跡をかつてこのブログで書いた時に、僕を何かしらの能力者だと勘違いして、塾に相談に来られた方がいたけれど(笑)、僕は単なる神社オタクであって、農業と塾を営み、音楽好きのさえないハゲオヤジである。間違っても、お布施を持参して霊的相談などに来塾してこないことを切にお願いしたい(爆笑)。
駒形山の神聖な写真をブログで公開するなという神様の意図なのか、まだまだお前の神社オタクとしての探求心を見守っているぞという意図なのか、それは知る由もないけれど、気持ちがよい駒形山のひと時だったので、やっぱりポジティブは僕は、吉ととらえてわくわくしている。
ところで神社オタクの僕に昨日ある意味での奇跡が起きた。一関に滝神社という瀬織律姫を祭った神社がある。本日カミングアウトするけれど、実は震災後放射能等でずたずたになった農家の一日も早い復興を願い5年前に100日参りをした。丁度100日参りを終了した日に、偶然にも滝神社の鈴を鳴らすひもが消えていた。心配して翌日行ってみると、新しいひもが付け替えられていたのである。これで放射能の影響の難がさるであろうことを、僕は確信した。
その滝神社に麻を奉納しようと言う話が、友人の佐惣珈琲豆店の御主人の提案により実現し、西島さんという方を中心に麻プロジェクトを促進している友人知人らが、滝神社に集合し、神主さんや総代さんに多忙なところをお出で頂き、祝詞を奏上して頂き、麻を奉納させて頂いた。
実はこの神社の下には、僕がかってに龍神池と命名している神域があるのだけれど、写真にとるとオーブや光の十字架や後光が入り込む不思議な現象が起きる。今まで何度も写真に写しとってきたのだけれど、ことごとくPCに転送出来なかった。ところが昨日、皆さんと神社での奉納を終えた後、その池の写真をみんなで撮らせて頂いたのだけれど、今回僕の写真がこのPCに初めて転送できたのである。ぜひ光の乱舞を体験して頂きたい。
※この記事がブログを始めて、記念すべき4500回目の記事となります。ここにこの写真を公表できることに感謝申し上げます。
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