神社よもやま話
自他ともに認める神社オタクである。宮城県北、岩手県南の主だった神社はほとんど足を運んでいると思う。神社がそこにあるから行くというのが本音で、高尚な理念や宗教感に基づくものではない。
ところで数多い神社の中でも、毎日神殿に燈明を灯し、神主さんがしっかりと管理している神社となると、本当に数えるほどしかない。例えば毎日多くの参拝客が訪れる、塩竈神社や駒形神社のような一之宮は当然だろうけれど、結構有名な神社でも、神社の神殿を日々清めている神社はまれである。神主さんも高齢ゆえ、階段を登って高台にある神社に行くのが大変なので、自宅に拝殿を設けてそこで祈念するというパターンなのだけれど、やはり拝殿が築かれた場所というのは、それなりの理由があってのことなのだろうから、拝殿での日々の祭式は大切なのではないかと思う。
一関市内では、上の2社がいつ行っても、神殿に燈明が灯され、祭式が朝夕行われている静謐感がそこはかとなく漂い、すがすがしさが伝わってくる。他の神社がご利益がないという意味での紹介ではないので、あしからず。
一関市内ではないけれど、宮城県築館町のこの神社も、同じ意味で清々しい。国道4号線を通過の際には、どうぞ足を運んで見てください。今日はかねごんの神社よもやま話でした。
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