最近のトラックバック

« 貧乏とは、欲が多すぎて満足できない人のことです | トップページ | 探していた中古の草刈り機械(モアー)を手に入れた »

2016年5月 7日 (土)

神社よもやま話

自他ともに認める神社オタクである。宮城県北、岩手県南の主だった神社はほとんど足を運んでいると思う。神社がそこにあるから行くというのが本音で、高尚な理念や宗教感に基づくものではない。

ところで数多い神社の中でも、毎日神殿に燈明を灯し、神主さんがしっかりと管理している神社となると、本当に数えるほどしかない。例えば毎日多くの参拝客が訪れる、塩竈神社や駒形神社のような一之宮は当然だろうけれど、結構有名な神社でも、神社の神殿を日々清めている神社はまれである。神主さんも高齢ゆえ、階段を登って高台にある神社に行くのが大変なので、自宅に拝殿を設けてそこで祈念するというパターンなのだけれど、やはり拝殿が築かれた場所というのは、それなりの理由があってのことなのだろうから、拝殿での日々の祭式は大切なのではないかと思う。

Photo


20140902_170001


一関市内では、上の2社がいつ行っても、神殿に燈明が灯され、祭式が朝夕行われている静謐感がそこはかとなく漂い、すがすがしさが伝わってくる。他の神社がご利益がないという意味での紹介ではないので、あしからず。

20140902_175409


一関市内ではないけれど、宮城県築館町のこの神社も、同じ意味で清々しい。国道4号線を通過の際には、どうぞ足を運んで見てください。今日はかねごんの神社よもやま話でした。

にほんブログ村 教育ブログ 塾・予備校教育へ ⇚ぽちっと一押しの応援お願い致します。

新学期のカリキュラムのご案内➡大験セミナー

« 貧乏とは、欲が多すぎて満足できない人のことです | トップページ | 探していた中古の草刈り機械(モアー)を手に入れた »

日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 神社よもやま話:

« 貧乏とは、欲が多すぎて満足できない人のことです | トップページ | 探していた中古の草刈り機械(モアー)を手に入れた »

2024年12月
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31        
フォト
無料ブログはココログ