僕の修行
周りの田んぼでは、田植え前の田起こしが始まった。そして今日から社会人としての一歩が始まる若者たちも多い。かく言う我が末の息子も、神奈川で今日から会社勤めが始まった。
昨年度は僕の塾にとっても、家庭にとってもいろんな意味で激動の1年だった。窮地にに追いやられたと言えばそういうことなのだろうけれど、仕事のこと、息子のこと、年老いた母のこと、次から次へと押し寄せて来る波に、何度となくめげそうになったけれど、どうにか対処し通した自分の運の強さに感謝したい気持ちだ。
不謹慎な言い方かもしれないけれど、昨年もそうだけれど、運だけで生きてきたような気がする。なるようになるしかならないという諦観と言えばいいのだろうか、いい意味での神頼みみたいなところがあって、変な願望や欲望は持たないほうが上手くいくような僕の人生だ。
ピンチはチャンスという言葉を絵に描いたような僕の人生だけれど、ピンチが来ないと何かが発動しない我が精神というのか、魂と言ったらいいのか、ある意味厄介な存在だとつくづく思う。
さて1年前の入会者ほぼ0人という最悪のスタートだった4月に比べ、今年は10年ぶりの入会ラッシュで、すでに定員になりつつある曜日もいくつかある。まことにもって感謝にたえない。
一昨年も今回も受験合格者の実績にはそれほどの変化がないというか、かえって一昨年のほうが、大学受験者の合格率等が近年になく特出していたにも関わらず、まったく入会者の流れに反映されなかった。
合格実績と入会者の流れがリンクしない我が塾の日常はいかがなものかとういう、自問自答があるのだけれど、それも我が塾の個性と思い、あきらめるしかないのかもしれない。
相変わらず花粉症は大変だけれど、それ以外の体調は申し分ない状態になってきた。母が倒れて以来、ご無沙汰していた中学校の卓球の指導も先週から半年ぶりに再開した。
今年から田んぼの水稲耕作をやめた。いつもなら育苗の準備に奔走する日常が始まるのだけれど、今年の春は、まったりとした家での時間が過ぎている。こんな春を過ごすのは何十年ぶりだろうか。
昨日は教室の大掃除をやった。新年度が始まるこの時期、教室の大掃除をやれるのも、稲作農家から離脱したゆえの時間の恩恵だ。これから休耕田の草刈り作業という僕の修行は続くけれど、別次元の新年度の発展にわくわくドキドキのかねごんである。
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