この日本と言う社会を客観的に眺めてみると
当たり前のことだけれど、日々生きていれば嬉しいこともあり、ムカつくこともある。そんなことに帳尻をあわせて、僕らはほっちらほっちら生きている。
新緑が芽吹き、新入生や新社会人の生活もいよいよ本格稼働が始まった。中学1年生は今日あたりが、仮入部も終わり、正式な入部ではないだろうか。新社会人は初給料を何に使うか、考え始める時期だろうと思う。
人生の難敵は何だろうかとふと考えると、それは不安だろうと思う。悲観的に人生を見ることが一番苦しいのではないだろうか。楽天的に行きましょう!と言われても、次から次へと様々な人生のノルマが押し寄せて来る日常で、どう対処すればいいのか、迷い道に入り込んでしまうことは多い。
だいたいにして悟りを開いたとされる仏教の開祖であるブッタでさえ、生きることは苦しみだと言い切っている。生まれる苦しみ、別れる苦しみ、老いの苦しみ、などなど。ましてや我々凡人は苦しみがあって当然なわけで、よはいかにしてその苦しみと折り合いをつけて行くかが、日々の人生の課題というところなのだろう。
悩んでも苦しんでも明日はやってくる。だから適当に頑張ればいいのに、なぜか自分を悲劇のヒロインに仕立て上げ、追い込んでしまう。
この日本と言う社会を客観的に眺めてみると、10年間で30万人の人間が自殺をし、学校や会社に行かない引きこもりの人数が毎年60万人。ニートと呼ばれる定職につかない若者が600万人いる。
だから何なのと言われれば、それまでだけれど、生きていれば丸儲けなのだから、自分を鼓舞する必要もなく、周りに迎合することもなく、マイペースで生きて行けばいいものの、ところがなかなかそれを許してくれない、しがらみが張り巡らされているのが実情だ。
忍耐や根性論でものを話す時代は終わったと言われる。自分の脳を味方にするイメージングのトレーニングが今はトレンドなのだそうだ。脳への自己暗示みたいなものだろうと思う。
確かに、「だめだ~」なんていう言葉を習慣にしている生徒は、成績も日常の生活も、いっちゃ悪いがダメなようだ。自分に対する自信がないと、ポジティブな発想やイメージはわかない。それをサポートするのが日々の努力なわけだけれど、努力は嫌い、他人と関わるのも嫌いと言われてしまえば、どうすりゃいいのよ仏様、神様と愚痴りたくなるのは当然で、多くの教師や親御さんたちは苦悩の中に埋没する。
そういうわけで、僕も毎年苦悩の中に埋没すること多かりきなわけだけれど、やる気のないのも個性かなと腹をくくらなければ、その先が見えてこない。今年も様々な葛藤に苛まれながら、イメージングとやらで乗り切りたいと思うのだけれど、そこは凡人ゆえの力不足もあって、こんなながたっらしいブログをねちねちと書いている。本当にドンマイだ。
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