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2016年3月25日 (金)

~競争原理の限界~

人間の心の闇はどこから作られて行くのかというと、妬み、嫉妬、やきもちなどの感情が媒体となって、巣食っていくように思います。

日本の教育は明治以降、西洋的な教育思想が導入され、小中高の学校教育は競うこと、比べること、争うことをベースにした勝ち負け教育を施してきました。結果として、学年やクラスの順番で生徒を評価するようになり、その相対的な評価が、個人の優劣を決めてしまう教育が構築されてきました。

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確かに競争教育のおかげで、世界をけん引する経済国家になったわけですが、精神を病む若者の率、自殺率が世界有数の国になってしまったのも事実です。人間の価値は、学校での学習能力で決まるのではありません。しかし、やれば出来るという励ましが、多くの教育現場で響きわたり、多くの挫折が生まれています。

実はやっても出来ないことは多いのです。僕のようにいくら練習しても、まったく泳げない人間がいます。AKBのメンバーの名前を全部覚えられるのに、英単語をまったく暗記できない生徒がいます。

つまり興味がないことに人間は、思考や行動が向かないのです。それを単に怠惰と言い切ってきた教育に、僕は誤りがあったと思っています。

教育の話を突き詰めていけば、人間はなんのために生きるのかという哲学的命題にたどり着くのではないでしょうか。

私たちは、自己を表現するために生きているのではないかと思います。その手段は無限大だと思います。学校教育はその基礎作りであって、すべてではありません。それをすべてでもあるかのように洗脳してきた先生と呼ばれる大人、そしてそれを支持してこた我々の態度は、反省すべき点があまりにも多いように思います。

これほど不登校が蔓延し、自殺する生徒のニュースが報じられるこの日本という社会が、成熟した社会でないことは周知の事実です。競争社会でえぐり取られた、安らぎや喜びの欠如が、いま猛威を振るっているように思われて仕方がありません。

先日某中学校の校長先生が、女性の皆さんは子どもを二人は生まないといけねない的な発言をしたことで、バッシングを受けていましたが、あの報道はとてもシンボライズなものだったと思います。

子どもを産みたくても産めない人や、子どもができない夫婦の感情を考慮にいれない発言だと非難されたようですが、あの発言をどうのこうの言われたら、もう会社や組織のトップは何も言えないことになってしまいますね。

トップの人間は自分の発言に責任をもって話しているはずです。自分に非があれば責任を取ることが当然です。でもあの校長は自分の発言が間違っていなかったと言っている。僕はそれでいいのではないかと思います。

学校の先生が自信を持つことは大切なことです。その自信を是非洗脳教育の打破に向けて欲しいと切に願います。生徒のために必要とされる発言を控えることのほうが、僕は問題があるのではないかと思います。

文科省に迎合し過ぎる態度、マスコミにへつらう態度、同僚に遠慮する態度は真実を隠ぺいします。生徒の評価に対しても、独自の見解を先生方にはぜひ多くを発信して頂きたいと思います。

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