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我が家の梅の木がようやく花をつけた。毎年この時期、受験が終り、税務署への申告が終ると、田んぼの準備が始まり、ハウスを作ったり、田植え用の土を準備をするのだけれど、今年から水稲農家を離脱するので、僕は春期勉強会だけに専念するすことが出来ている。
といいつつも、そこは田舎人間なので、野暮用やら義理人情の付き合いが多くあり、それでも忙しい。今日はこれから納税組合長の僕は、厳美の温泉で総会があり、地域の組合員の皆様を泊りがけで引率する。したがって明日の春期勉強会は午前中、臨時の休講になる。ご了承願いたい。
いよいよ明日は、我が次男が神奈川に旅立つ。5人と猫一匹の家族だった我が家も、母が施設に入り、次男がいなくなるので、3人と一匹の家族になる。なんか寂しい。
ただ今年は、例年に比べ、多くの新高校生が塾に残ってくれるので、寂しさが緩和されている。ありがたいことである。さあ、来年度も頑張るか!
新学期のカリキュラムのご案内➡大験セミナー
人間の心の闇はどこから作られて行くのかというと、妬み、嫉妬、やきもちなどの感情が媒体となって、巣食っていくように思います。
日本の教育は明治以降、西洋的な教育思想が導入され、小中高の学校教育は競うこと、比べること、争うことをベースにした勝ち負け教育を施してきました。結果として、学年やクラスの順番で生徒を評価するようになり、その相対的な評価が、個人の優劣を決めてしまう教育が構築されてきました。
確かに競争教育のおかげで、世界をけん引する経済国家になったわけですが、精神を病む若者の率、自殺率が世界有数の国になってしまったのも事実です。人間の価値は、学校での学習能力で決まるのではありません。しかし、やれば出来るという励ましが、多くの教育現場で響きわたり、多くの挫折が生まれています。
実はやっても出来ないことは多いのです。僕のようにいくら練習しても、まったく泳げない人間がいます。AKBのメンバーの名前を全部覚えられるのに、英単語をまったく暗記できない生徒がいます。
つまり興味がないことに人間は、思考や行動が向かないのです。それを単に怠惰と言い切ってきた教育に、僕は誤りがあったと思っています。
教育の話を突き詰めていけば、人間はなんのために生きるのかという哲学的命題にたどり着くのではないでしょうか。
私たちは、自己を表現するために生きているのではないかと思います。その手段は無限大だと思います。学校教育はその基礎作りであって、すべてではありません。それをすべてでもあるかのように洗脳してきた先生と呼ばれる大人、そしてそれを支持してこた我々の態度は、反省すべき点があまりにも多いように思います。
これほど不登校が蔓延し、自殺する生徒のニュースが報じられるこの日本という社会が、成熟した社会でないことは周知の事実です。競争社会でえぐり取られた、安らぎや喜びの欠如が、いま猛威を振るっているように思われて仕方がありません。
先日某中学校の校長先生が、女性の皆さんは子どもを二人は生まないといけねない的な発言をしたことで、バッシングを受けていましたが、あの報道はとてもシンボライズなものだったと思います。
子どもを産みたくても産めない人や、子どもができない夫婦の感情を考慮にいれない発言だと非難されたようですが、あの発言をどうのこうの言われたら、もう会社や組織のトップは何も言えないことになってしまいますね。
トップの人間は自分の発言に責任をもって話しているはずです。自分に非があれば責任を取ることが当然です。でもあの校長は自分の発言が間違っていなかったと言っている。僕はそれでいいのではないかと思います。
学校の先生が自信を持つことは大切なことです。その自信を是非洗脳教育の打破に向けて欲しいと切に願います。生徒のために必要とされる発言を控えることのほうが、僕は問題があるのではないかと思います。
文科省に迎合し過ぎる態度、マスコミにへつらう態度、同僚に遠慮する態度は真実を隠ぺいします。生徒の評価に対しても、独自の見解を先生方にはぜひ多くを発信して頂きたいと思います。
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チラシを出すこともなく、宣伝らしいこともしていないのに、今年の春は入会ラッシュだ。今日も塾生にしゃべったのだけれど、だれかが陰で必死に営業をしてくれているのだろうか。塾の開校記念日以後、入会者が途切れない。
実は昨年の春、入会者がほとんどなかったので、今年もあまり期待はしていなかった。どうせ中総体が終るまでは閑古鳥が鳴くのだろうと思っていたのだが、嬉しい誤算だ。
いったい何が起こっているのだろう。昨年の11月もいきなり二桁台の入塾者があって驚いたのだけれど、震災以後沈黙していた僕の塾が目覚めた感じだ。
思い当ることがあるとすれば、昨年の暮れから、毎日素手でトイレ掃除を始めたことだろうか。
ちなみにこの映像は少し虚飾が入っているので、真実ではありません。あしからず・・・・・
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今日から春期勉強会が始まる。
新高校1年生を含め、震災後初めて受講者が二桁台を超えた。ようやく僕の塾にも、かつての活気が訪れた気がする。
例年この時期は中学3年生がぬけると、閑古鳥が巣食う僕の塾なのだが(笑)、今年の春は順調に入会者が推移している。
多くの皆様にご紹介を頂き、感謝でいっぱいである。本当にありがたい。暖かい春がやってきて、連日高校生たちが、この磐井川の土手の坂道を駆け上るダッシュを行っている。きっと僕がやったら2回ぐらいで心臓発作を起こして倒れているだろうと思う。何十回と走り抜ける若者たちの姿に、僕はいい意味でのめまいを覚える。
青春時代は本当にあっという間に過ぎて行く。だから尊いのかも知れない。その尊い青春時代を伴走できる僕は幸せものだ。この仕事を今年も続けられることに感謝である。
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3月16日の合格発表を踏まえ、入試の結果が出そろった。
一関高専・一関工業・一関一高・一関二高・不来方高校の計5校を我が塾生が受験したのだが、1名が不合格となった。
頑張って出た結果は必ず次につながると僕は信じている。やれば出来ると言う言葉があるが、あれは世の中の努力人をないがしろにする言葉だ。やれば必ず結果はでるのであって、それを即効性の成功とすぐむすびつけるから挫折が生まれる。
15の春に流した涙は、きっときっと大きな糧になると信じている。かく言う僕も15の春の挫折があったからこそ、今の仕事があり、多くの出逢いがあるのだと思っている。
人間は平等だなんて思わない。平等じゃないから素晴らしい個性が生まれる。その個性を輝かせるのは、努力だ。結果がすべてだと思う人間がいるが、努力がすべてなのだ。やれば勝利することはないけれど、必ず技量なり精神は向上する。そのことが大切だ。
多くの同級生が歓喜するなか、ひっそりと立ち去る生徒の気持ちは痛いほど分かる。経験してみななければ分からない慟哭の感情だ。
自分の足で、あらたな道を歩まなければならない。多くのみんなが必ず支えてくれる。
There is a will, there is a way !
意志あるところに道は出来る。
今回公立高校に合格した皆さんも、そうじゃなかった皆さんも、4月から同じ高校生だ。スタートラインは同じだ。奢ることなく、そして委縮することなく、努力を続けて行って欲しい。
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最後にチラシの新聞折り込みを入れたのはいつだったろうか、記憶が定かではない。12年前だったかな。
職種にもよるし、その店の営業方針にもよるのだろうけれど、この季節、チラシは多い。もちろん塾も新年度を前にして、連日のチラシラッシュだ。市内大手の塾は、そのほかにテレビCMもバリバリ入れている。
塾生からは、チラシを撒かないのとか、学校前で鉛筆とか消しゴムを配らないの等の、ご心配の声を頂くのだけれど、やらない(笑)。
まあ経済的な余裕があればやりたいのだけれど、26年間ギリギリの綱渡り経営ゆえ、皆様の口コミに頼りっぱなしの寺子屋金さんである。
宣伝費がかからない分、どうにか市内有数の低料金を維持してきたけれども、消費税10パーセントが実施されれば、ちと考えなければならないかもしれない。
昨年の春は、市内の高校入試の倍率が低かったため、入塾の人数が開校以来最低を記録してしまい、てんやわんやの台所事情だったが、今回の厳しい倍率を背景に、今年は問い合わせや入会予約が例年通りの推移で来ている。感謝である。
昨日は合格発表だった。塾を始めて以来、初めて合格発表会場に行かなかった。なぜかと言うと、指導すべき生徒さんがいたし、入会者の訪問が結構あったからだ。個人経営故、仕方がない。例年だと家内に代わりに行ってもらっていたのだが、昨年からの厳しい台所事情故、家内には別の仕事で家計を助けてもらっている。
そういうわけで、塾生たちの合否の結果はこれから確認に行く。他の塾のブログやホームページ上では「全員合格」の文字が輝きを放っているが、まあドンマイだ。
静かに結果と向き合ってくる。もうすでに大半の塾生からは連絡をもらっているが、連絡が入っていない生徒もいる。心して会場に行ってきたい。それでは。
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1991年3月15日に僕の塾は開校した。本日より26年目に突入する。
長男が生まれた年に、勤めていた学習塾を退社し独立した故、長男も26歳を過ぎた。当時29歳だった僕の決断は、ひょっとすると無謀だったのかも知れなかったのだが、ここまでこれたのは多くの皆様の支援の賜物だと思っている。感謝以外の何ものでもない。
1991年3月というと東京都の新庁舎が完成した年だ。
東京世田谷で始まった塾教師のキャリアも、今年で33年を数える。長かった33年間だったような気もするのだけれど、生かされたきたな~ということを実感する。
今日は一関市内の多くの中学校が卒業式だ。青空に恵まれた一日になりそうだ。これから就職が決まった次男と、宮城県の施設にいる母を見舞いに行く。息子が無事に就職が決まったことの報告だ。
例年だとこの時期から、水稲の種もみの準備やら、田起こしの準備等が始まるのだけれども、本年度から水稲稲作をやめることにした。農作業とすれば、休耕田の草刈り作業くらいになる。
26年目にして、本業の塾屋稼業一本でこれから生きて行くことになるわけだけれども、農業からの離脱は、自分ながら必然的な流なのかと思う。あとどれくらい残された時間があるのか分からないけれど、最後まで全力投球をしていきたいと思うかねごんであった。
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毎年申告の時期になると思うこと。
毎日領収書はしっかり整理しておけば良かったとか、月謝のお金をこまめに帳簿につけておけばよかったと思いつつ、毎年毎年申告の時期になると憂鬱になる僕。困った人間だ。進歩がない。
本日午前中一関税務署に行って平成27年度の申告を済ましてきた。反省した僕は、それから教室で4時間ほど、今年1月からの領収書と月謝の帳簿を完璧に仕上げた。もう財布の中に領収書を貯めるのはやめる。
そこで、ちょっと破損した財布を破棄し、新しい財布を買った。バレンチノのマークがついていたけれど、1000円のバレンチノなんて怪しいなと思いつつ、まあ1000円だからいいやと、妥協。
さてそんなことで、今日は痛風の薬をもらいに行く予定が、領収書の整理で終わってしまった。今度の日曜日は農家組合の総会があり、翌日はコルザ卓球同好会の総会。今月末には組合長をやっている納税組合の移動総会がある。
あ!忘れてた。今月の21日からは春期講習が始まる。
いつもこの年度末の多忙さの中で、僕の事務能力はアバウトになり、崩壊して行くのだけれど、今年はなんとか踏みとどまりたい。
う~ん頑張れ俺!
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明日は岩手県公立高校入試。
誰もが経験する15の春だ。もちろん受かるためにみんな頑張ってきたわけだけれど、残念ながら全員が合格するわけではない。
合格した生徒が優秀だとか、不合格の生徒が頭が悪いなんて決して思わないことだ。ちょっと運があったか、運がなかっただけのこと。
人生はむちゃくちゃ長い。いろんなことがある。暗記力がすべてじゃないし、テスト解法能力が幸福を保証するものでもない。
だから謙虚に淡々と生きていかなければならない。どこの高校に入るかが重要なのことではなくて、どれだけ自分が輝けるかが重要なのだ。
周りの環境におぼれることなく、自分がやりたいことを、楽しめることを、常に追求して行くスタンスを失わないで生きて行って欲しいな。
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子どもは叱っては伸びません。おだててもだめです。
なぜ勉強しなければならないかという哲学を親御さんが先生がしっかり教えなければなりません。
人に勝つためとか、負け犬にならないようになんていう話ではなくて、生きる意味を教えなければなりません。
生きる意味ってなんじゃらほい、なんてふざけてはいけません。真剣に考えれば必ず生きる意味がそれぞれの心から湧き上がってきます。
成績なんてどうでもいんです。入る高校や大学も、ましてや会社もどうでもいんです。問題は本人が納得しているかどうかなんです。自分の生き方に納得していればそれは立派な人生です。そう思いませんか。
楽しく生きている人間を見て、お前はそれでいいのかなんて、失礼な話です。淡々とこだわらない生き方こそ素敵な人生だと思います。
それが僕の哲学です。
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母が外傷性くも膜下出血で県立病院に入院した時は、すぐ近くに加茂神社があり、命が助かり自力で歩けるようになったことに感謝させて頂いた。今年になってまだ参拝に訪れていなかったので、昨日神様にありがとうの言葉を述べさせて頂いてきた。
そして今入居させて頂いている宮城県の施設のすぐ前には、秋葉神社が鎮座している。
認知症がここ1ヶ月でだいぶ緩和されてきた。感謝して先日ありがとうの言葉を申し上げてきた。
神社オタク歴半世紀の僕の人生の中で、僕は現実離れした多くの奇跡を目にしてきた。神様に祈願する方は多いけれど、神様の本質を知る人は少ないんじゃないかと思う。そこで今日は僕の神社開運法を伝授したい(笑)。
と言っても僕は神様の言葉が聞こえる人間でもないし、尋常じゃないものが見える人間のたぐいでもない。ただ、自分の進みたい方向性があっさりと実現した時の共通点というのを、この年になってようやく知るようになった。
神社仏閣に行って、お金のことや病気のことを必死にお願いしても、感情に訴えかけても、なんら改善はされないということをまず申し上げたい。欲望や祈願なるものは一切はねつけられると思った方がよさそうだ。ゆえに一生懸命絵馬にお願い事を書いても叶わぬ夢である。
それではどうすればいいか。イメージングと心からの感謝である。
例えば、見知らぬ人が突然家にやってきて、お金をくださいとか、病気を治してくださいと言われた皆さんはどうだろうか。同じことを神社仏閣に行ってやってはいないだろうか。
神社を維持するためには多くのお金がかかる。神社を守る地域の人たちの奉仕もさることながら、神社を運営する神主さんの生活もあるし、神社が古くなれば傷んだ箇所の修繕も必要だ。5円玉や10円玉で、自分の開運を求める人がいるけれども、だったら最初から神社仏閣など行かないほうがいい。
逆に神社に救いを求めてやってくる魑魅魍魎の波動にやられ、返り討ちに逢うのが関の山だ。冷やかし半分で聖域に足を運んではいけない。
神主さんがいる神社ならば正式参拝をお勧めする。5千~1万円ほどの玉ぐしを奉納し、神社の神様の繁栄を祈願し、神社に縁を持たせて頂いたことに感謝の気持ちを表そう。そして万が一のことが生じた時は、その神社に行ってこう神様に伝えよう。
今起きていることに感謝します。このことが大きな学びになり、人生の糧になりますことに感謝します。これが本心から言えたら、神様のパワーは間違いなく発動される。
塾屋のはげオヤジがわけのわからない妄言を言っているなと思う方もおられるだろうけれど、50年間の神社オタクがたどり着いたこれが真髄である。
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桃の節句だというのに、わが家の茶の間から眺める今朝の外の風景は、完全な冬景色。また津軽海峡冬景色~♪を歌いたくなる気分だ。
ところで先日一関高専の合格発表があり、推薦で不合格だった生徒たちが全員合格し、リベンジを果たした。一関高専は推薦入試も2倍を超える狭き門。毎年推薦が決まると受かったような気分になってしまう生徒が多いわけだが、高専に限っては推薦を当てにしてはいけない。来年度希望する生徒は心して欲しい。
ところで、写真に写っている建物は、わが家の名物外風呂なのだけれど、雪の日は風呂に行くのがつらい・・・・・・
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