公立高校入試まであと10日
本日の日曜日講座は、理社特訓だった。受験10日前、最後に点数を伸ばせるのは社会と理科の暗記項目だ。
ところで今日は朝までかなりのどか雪だったが、昼は気温がぐんぐん上がり、塾に行くと、教室はストーブもエアコンもつけなくて、20度まで一気に温度が上がっていた。
指導室に置いてある観葉植物も、葉の新芽がいっぱいついて、春の装いだ。
公立高校入試まであと10日。よどみなくたんたんと過ごして行こう!
新学期のカリキュラムのご案内➡大験セミナー
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本日の日曜日講座は、理社特訓だった。受験10日前、最後に点数を伸ばせるのは社会と理科の暗記項目だ。
ところで今日は朝までかなりのどか雪だったが、昼は気温がぐんぐん上がり、塾に行くと、教室はストーブもエアコンもつけなくて、20度まで一気に温度が上がっていた。
指導室に置いてある観葉植物も、葉の新芽がいっぱいついて、春の装いだ。
公立高校入試まであと10日。よどみなくたんたんと過ごして行こう!
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世の中には間違いなく天才がいる。僕ら凡人が想像することすら不可能な領域に存在する天才がいる。
肉体的にも精神的にも超人とかした天才たちを見て、僕らは何を感じるだろうか。やれば出来るという既成の概念を超越した彼らは、僕らの追従を許すことなく、はるか彼方の地平線の向こうだ。
例えへばトップに君臨する将棋名人は、過去の戦いの全ての駒の動きを再現できるという。42.195キロを100メートル18秒台で駆け抜ける超人たちは、いったいどんな風景を眺めているのだろうか。
次元を超えた極みの中で、天才たちが見る周りの景色に、僕らは同化できても、俯瞰することはできない。どこまでもどこまでも、僕の天才たちに向かうジェラシーはとどまることを知らない。
近年、天才と呼ばれる方々の著作をむさぼり読んでみた。あることに気づいた。天才が天才である所以を、僕なりに感得した。
天才は結果に執着しない。希望や願望を持たない。確信があるだけだ。執着がないので、どうやってお金を稼ぐかなんて考えない。いかにお金を有意義に使うかを考えている。
そして天才は捨てるべきものを知っている。
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歌というものは不思議なもので、その時その時の状況に応じて、メロディーや歌詞が流れて来る。
例えば寒い夕暮に車に乗ろうとすると、寒さこらえて編んでます~♪という歌が流れてくるし、雪の朝にトイレに向かうと、津軽海峡ふゆげしき~♪という歌詞が僕の脳裏にながれて来る(笑)。
つまりそういった曲が流れなくなると春がやって来るわけだけれど、まだちょっと先のようだ。ちなみに春がやって来ると、僕の頭の中には、もうすぐは~るですね、ちょっと気取ってみませんか~♪というキャンディーズのメロディーがこだましてくる。
3月に入って降る雪を見ると、イルカのなごり雪が流れてくる。でも今年はもう雪はいいかな・・・・
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能力のある人間を登用する社会は一見ノーマルな社会に見えるけれど、本当は厳しい社会なのだと言うことを自覚する必要がある。弱者という言葉があるけれど、本来は強者も弱者も存在しない。それぞれが個体の個性として存在しているのであって、優劣をつける指標は人間の偏見であり、幻想だ。
このブログで何度か繰り返して述べてきたけれど、相対評価というものそのものが詭弁であり、利便性がもたらした人間への冒瀆だ。
頑張ればなんとかなる!という言葉を平気で使える程僕は図太い人間ではないので、ついつい本音を言ってお叱りを受けるのだけれども、頑張れという暗黙の励ましの元、どれほどの人間が心療内科や精神科に駆け込んでいるだろうか。
諦めも人生の美学だと思う。最後まで頑張ってダメだったら、それが自分の指向性なのだと、自分の能力や運に、妥協することは本当は必要なことなんじゃないだろうか。
情報社会がもたらす様々な幸せや喜びの種は、実は土壌があって初めて花開くもの。まるで情報がそのまま富や成功をもたらすかのような錯覚をインプットされてしまった現代人は、希望過多の幻想人になってしまったかのようだ。
努力は尊い行為であり、人間を成長させる大切なツールだ。階段は登らなければ、その高みに到達することは出来ない。しかし登り続けることは決して出来ないし、長い階段であれば休息も必要だ。目標点があって初めて人間は安心して歩みを運ぶことができる。
僕らには目標点があるのだろうか。受験の合格や希望した会社への就職や、好きな人との結婚、それらによって幸福感に満ちることはあっても、それが最終目標点ではない。
生きるということは、自分を表現することだと思う。表現者である僕らが演じる舞台は、日々の暮らしだ。その暮らしをどうするのか、シナリオを描く力量は人それぞれだ。喜びに満ちた人生でありたいと誰もが望む。誰も不幸など背負いたくはないだろう。
人生のシナリオはいつでも書き換えられる。明日からでも今からでも全然大丈夫だ。自分に出来ることから始めればいいのだ。何も難しいことはない。やれないことはやらなくていい。自分が出来ることから始めれば、間違いなく道は現れる。その道を一歩一歩歩めばいい。
そしてちょっと違うなと思ったら、休息して空を見上げてみればいい。また違う風景が見えてくかも知れない。ひょっとすると自分の前をダッシュして進んで行く人間がいるかも知れないけれど、それはそれだ。風景を楽しむこともいんじゃないかな。
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これから僕がやらなければならないことは山積みだ。3月の9日の公立高校の入試まで、休みが一日もないのは当然であるし、その間に税務所に提出する申告書を書かなければならないし、地域の納税組長をやっているので、泊りがけの移動総会の準備もしなければならない。
そして母の施設へ行って母を病院に連れて行ったり、なにかと必要なものの補充等をしなければならない。幸いにして認知症は少しづつ改善してきて、だいぶ日常の様子が安定してきた。施設の職員の皆様には感謝いっぱいである。
毎年この時期から稲作の準備が始まるのだけれど、今年から田んぼの完全休耕を我が家は決意した。400年続いてきた稲作農家の終焉ということになるわけだけれど、赤字の農業を続けていくほど余裕があるわけではないし、実際買って食べた方がお米は作るより安い。今後は休耕田の草刈り作業が大変なわけだけれど、マイペースで頑張りたい。
実は昨年の11月に母が倒れてから、一度も中学校の卓球の指導に出向いていない。申しわけなく思っていいるが、やんごとなき事情なため、顧問の先生にまかせっきりである。
今日は一関高専の入試である。我が塾の生徒も狭き難関に臨んでいる。前日までの指導が続いたが、調子はいいようだ。朗報を期待したい。
一関高専もそして一関工業も、近年就職の求人が好調で、志願者が急増している。理系・工業系の企業は景気が上向き順調なようだ。相変わらず文系学科の就職が苦戦しているようだが、我が息子の頃のリーマンショックの頃とくらべると、就職戦線はだいぶ緩和した感がある。
さて今日もこれから直前日曜ゼミだ。それでは。
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岩手日報の記事を張らせて頂いた。一関市内は昨年の低倍率とは打って変わって、今年度は旧市内及び花泉地区の公立高校はすべての高校が定員を超えた。
特に就職の求人が順調な一関工業は狭き門となった。この発表を受けて本日より調整の時期に入るわけだけれど、一関市内今回は2次募集をする公立高校はほとんど見当たらない状況になるわけで、中3生たちは厳しい受験競争の最後の戦いに挑むこととなる。
僭越ながら今日ここに僕の作った受験応援ソングを張らせて頂く。受験生諸君頑張れ!
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この記事が4444回目のブログ記事となる。足掛け8年を費やしてのつぶやき回数だ。昨今はFBやツイッターが全盛で、ブログを書く人が減少傾向にあるようだが、やめる決断も出来ず、日々つぶやいてきてしまった(笑)。
ブログを書き続けてきた8年間を振り返ると、まさに怒涛の日々だった。嬉しいこともたくさんあったが、大震災や友人との今生の別れくもあった。自分の感情の揺れや暴走が、随所に露呈してきてしまったブログであったが、日々お付き合い頂いてきた皆様には感謝の気持ちでいっぱいである。
僕の仕事である塾を取り巻く環境は、経営者サイドから眺めれば青息吐息の格闘の日々であるが、利用して頂く生徒さんや家庭からみれば、多様化された学習塾のレベルは、間違いなく進化をしており、ニーズにあわせた塾選びが可能となった現状は歓迎さえれる状況ではないだろうか。
通信教育も塾も、パソコンやスマホの普及により、情報のスピードが増し、学習の能率が加速度的に向上した。そんな中にあって、昔ながらの寺子屋指導を継続してきた僕の塾は、時代に取り残されてきた感があるが、まあそれも僕の身勝手な指導理念によるものなので、あしからずというところだろうか。
インターネット配信やタブレット端末による教育が主流になってきているが、僕はこどもたちとの対話を一番の主眼に置いているので、塾にはPCを置いていない。もちろん僕自身こうやって日々どうでもいいような記事を配信している人間なので、PC云々を言う資格など無いわけだけれど、PC依存によるコミニュニケー消失人間をこの国に於いて増産させたくないのである。
はっきり言ってしまえば、勉強は出来るけれど、大人との会話や異性との会話が全く成り立たない若者が顕著になっていると言うことだ。昨今の恋愛事情や結婚・離婚の統計数字を見れば一目瞭然だろう。
自分の感情を文字にすることと、自分の生の感情を相手に伝えることは、一見同じように思えるが違う。その微妙な感情の揺れを察知できないのが、PC世代でありスマホ世代だ。
情報の共有や個人間の日常のやり取りを通じて、僕らの思考は拡散する。しかしそのことによって我々が賢くなったかと言えば決してそうではないような気がする。拡散し過ぎて、理性や感性が軸を無くした感がするのは僕だけだろうか。
誰かのつぶやきに共鳴することで、自分の感性が磨かれたような錯覚に陥り、自分自身の本質的な思想をブロックしてしまってはいないだろうか。時代に迎合することを嫌い、世間との関係性を抑制したつもりが、逆に世の中の潮流に巻き込まれる結果になっていないだろうか。
教育というものは時代が作って行くものだ。潮流に乗ることはもちろん大切なことだけれども、時代に左右されない、ぶれない知性の本質をそれぞれが保つ努力は必要な気がする。
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このSunset を聴きながら、塾の2階から須川岳に沈んで行く夕日を見ることが幾たびかある。
毎年受験が近づいてくるこの時期、突然のアンニュイに襲われることがある。受験指導を完遂するという充実感とは裏腹に、もうすぐやって来る塾生との別れが寂しい。
この感覚から逃れることは、何十年塾をやってきても難しいようだ。あとちょっとだけ伴走せてもらおうか・・・・
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ジム・ホール(Jim Hall、本名ジェームズ・スタンリー・ホール (James Stanley Hall) 、1930年12月4日- 2013年12月10日は、アメリカ合衆国のジャズ・ミュージシャン、ギタリスト。ソニー・ロリンズ、アート・ファーマー、ビル・エヴァンスなど著名なミュージシャンと長年共演しており、多くのミュージシャンがホールからの影響を受けている。
このジムホールのギター演奏は、彼が亡くなる4年前、79歳の演奏だ。ジャズギターリストとしての彼の業績は、きら星のごとくだ。
このギターの音色が、皆さんの一夜に癒しとなりますことを。
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今年になって読み漁った小説は小路幸也さんの東京バンドワゴンだ。例によって今回ハマった作家も同年代。
古本屋を舞台とした悲喜こもごもの人生模様。ドラマ仕立てのストーリ-だけれど、面白かった。音楽と文学を愛する登場人物の奇想天外なキャラクターは、日常のうっぷんを晴らしてくれる娯楽小説と言えるかもしれない。
さて・・・・、日々堆積していく本棚の書籍を眺めてふと思うことがある。なんで僕はこんなにも本が好きになってしまったのだろうかと。自他ともに認める読書依存症の僕にとって、本はきっと自分を防御する鎧なのだろうと思う。
小さい頃からそうだった。本を読む行為は、現実逃避の読書体験であって、妄想癖のある僕の思考を肯定し安心させてくれるものだった。
二十歳頃の僕の夢は、ジャズ喫茶のマスターか、古本屋のオヤジになることだった。なんのことはない本を読む時間が自由にとれる職業だと思っていたからだ。
塾屋をずっとやってきて思うことだけれど、この仕事も本を読む時間は捻出することは出来てきたが、残念ながら代償として、経済的な困難は避けることは出来なかった(苦笑い)。
今まで何度か塾生に言われた。
「なんでそんなに本を読むの」
う~んやっぱり病気だからかな・・・・・。読書依存症というこのやまいは、処方箋がないので、きっと死ぬまで付き合って行くしかないのだろうと思う・・・・・。
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高2の女子生徒たちから「遅まきながら誕生日プレゼントです!」とお菓子を頂いた。
中学生からは、バレンタインデーのチョコレートを頂いた。
ありがとうございます。m(_ _"m)
やっぱりいくつになっても嬉しいな・・・・。
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親類の方の告別式のため、明日2月13日の塾は臨時休業します。申しわけございません。また本日12日の塾は4時30分スタートになります。
高校生はテスト期間ですが、ご不便をおかけします。
普通の暮らしを送りたい。そんな言葉をよく聞く。普通の反意語は特別?異常?まあとにかく、普通であることは普通なわけで、日常が予定通りに進行している状態なのだろうと思う。
身体機能や頭脳が普通っていう場合は、何かしらのチェックテストがあって、数字に表れたりするわけだけれど、精神性や感情や個性などという抽象概念となると、とたんに普通という基準は分からなくなる。
例えばトイレに入ってトイレットぺーパーが無ければ大変で、普通の状況ではない。しかし、トイレットペーパーのはじっこが折りたたまれていなくて使いづらいのは、どうだろう。とるに足らないことだと笑う人と、この状況が好ましくないと言って、会社の朝礼で清掃係りのものに、苦情を述べる人がいるかも知れない。
人とちょっと違うことをしたり、考え方がちょっと違うだけで普通じゃないと判断される社会になってきた。その価値基準が差別を生んでいる。肥っているから普通じゃない。頭が悪いから普通じゃない。声がおかしいから普通じゃない。ハゲているから普通じゃない。
これって、実はトイレットペーパーのはじっこが折りたたまれているのかそうじゃないかぐらいの違いなのではないだろうか。お尻を拭こうが、鼻をかもうが、そんなことは知っちゃこっちゃない。紙にはかわりがない。
ちょっと行動が怪しいと、すぐに病院に連れていかれて、病名がつけられる。そして病名がつくとそれで納得する。まるでその病名がその人の人格でもあるかのように独り歩きをしてしまう。
現在僕の母親は外傷性くも膜下出血の後遺症によって、多くの記憶が喪失した。認知症という病名が付いた。しかし彼女の魂の本質はなんら変わっていない。四半世紀前に他界した自分の夫の存在があやふやになっても、たとえ息子である僕の顔を認識できなくなったとしても、彼女の本質は変わらない。
それが普通なことなのだと僕は思っている。
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今度の日曜日はバレンタインデー。塾内もその話題で持ちきりだ。夏祭り前とバレンタインデー直前はカップルが一番誕生しやすい時期かもしれない。ただし期間限定のカップルも多いようで、流行に後れじと焦る中高生も多いのだろう。
さて世の中はそのバレンタインデーで浮かれているようだが、受験生にとってはチョコレートどころではない。僕の塾も2月14日から入試直前ゼミが始まる。
ところで・・・・14日が日曜日なので、チョコレートをいつ渡すかで生徒たちがざわついていた。市立図書館が最高の隠れ蓑になりそうだが、テスト前真剣に勉強している生徒の邪魔にならないようないちゃつきであって欲しいと願う塾オヤジである。
それにしても、この国民行事、まったくチョコレートに縁がない人にとっては寂しいイベントではある。毎年義理チョコを前に、複雑な心境でチョコレートにかじりついている姿は哀愁そのものであるわけで、鬼は外の延長線上に、チョコレートがまかれている気分に陥っている殿方も多いのではないだろうか。
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2016年2月8日、北京青年報によると、中国・北京市の西南部地区では、旧正月前夜の7日午後11時、微小粒子状物質「PM2.5」の濃度が1立方メートル当たり427マイクログラムとなり、午後4時時点の10倍に上昇した。新年を祝う花火や爆竹の影響とみられる。
市内の観測ステーションのうち、午後11時時点のPM2.5濃度が最も高かったのは西南部にある房山区の良郷地区で、1立方メートル当たり623マイクログラムに達した。(翻訳・編集/柳川)
北朝鮮の弾道ミサイル発射も、非常に気になるところだけれど、お隣り中国の大気汚染は尋常じゃない。今後生じるであろう健康被害を考えると、日本にきて爆買をやっている場合じゃないような気がするのだけれど、中国の深刻さはどうなのだろう。
かつて日本も四日市ぜんそくなどの大気汚染が深刻な時があった。僕らがこどもの頃は、光化学スモッグに汚染された東京の空には青空がないとまで言われた。しかし現在の中国北京の様子を写真で見る限り、かつての日本どころの騒ぎではない。もはや人間が住む場所ではないんじゃないだろうか。
この中国の大気汚染は、もちろん季節風に乗って日本にもやって来る。近年の花粉症はこのPM2.5濃度の増加により、春の花粉症にとどまらず、半年ほど続くアレルギー患者が増加しているとの報告もある。
大国を自称する中国。国民の豊かさが増し、華やぎが見えるのはいいのだけれど、この空気を汚したつけは必ず回って来る。対策が急務なのに、この歯止めの効かない産業進展はいったいどういうことだろう・・・。
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息子から誕生日のプレゼントをもらった。
持ち運びが簡単に出来る電動マッサージ機だ。なんかとても嬉しい。
今日は地区の卓球大会があって、我が刈生沢チームは10年連続の優勝を果たした。
それから心温まるバースデーメッセージを多くの方々から頂いた。めちゃくちゃ嬉しい。
昨年は耐え忍ぶ年だった。今年は果敢に攻める年だと自分自身思っている。2月7日の本日の誕生日。息子・家族そして多くの友人・知人の皆様に感謝申し上げます。本当にありがとうございます。
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泣いても笑っても言う表現があるが、まさに受験シーズンも佳境に突入だ。夏過ぎまで閑古鳥が鳴いていた塾の自習室も、近頃は毎日満員御礼だ。
僕の営む寺子屋は、1階が自習室、2階が指導教室になっている。同時に入室できる物理的なキャパシティーは1階2階合わせて18名ほど。講師の先生が同時に3名ほど入って頂いた時もあったけれど、震災後はほぼ僕一人で指導が可能な状況だ。
鳴かずとばずの僕の塾ではあるが、どうにか四半世紀地域の皆様にご利用いただいてきたことに感謝でいっぱいである。25年前は大学受験の英語専門塾としてスタートした塾だったけれど、25年経った今は、中学生に全教科を教える個別指導がメインの塾になっている。これも世の中のニーズなんだろうと思う。
指導云々よりも、月謝が一関で一番安い塾という評価が定着してしまった僕の塾ではあるが、その評価には僕なりの自負があり、今後もその位置は奪われたくないと思っている(笑)。
さて困った時の神頼みではないけれど、昨日僕は宮城県の小牛田に鎮座する山の神神社に参拝してきた。山の神の御祭神は、木花佐久夜姫(このはなのさくやひめ)。安産と子育ての神様として知られている。言ってみれば子どもを見守ってくださる女神である。
指導室に合格祈願の絵馬と、そして神社の御札を祭らせて頂いた。褌を締め直して、最後の最後まで驀進だ。
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実は僕はカラオケが嫌いだ。付き合いで何度か行ったが、自分の意志でカラオケに行ったのは、卒塾生がカラオケをやりたいと言われて3度行っただけだ。
一応趣味として曲を作ったり、頼まれればギターを抱えてライブにも出かける人間なので、歌うことが嫌いなわけではない。嫌いではないがカラオケは生理的に受け付けない。
そこでただ嫌いと言うのもカラオケ屋さんに失礼なので、ちょっと弁解を・・・・・・
そもそもあの暗室が陰湿な感じで嫌である。極端に言ってしまえば卑猥である。それから歌のキーを勝手に変えてしまうあの機械が許せない(笑)。
歌というものはその音律や速さがあるからこそ、作り手の魂がインプットされているはずなのに、それを歌い手の都合で勝手に変えるのは失礼な話である。
もうひとつ言わせて頂ければ、歌の内容と全くかけ離れた映像が出て来るあの歌詞画面にも問題がある。時にアダルト映像なのか、なんて言うのまであって、完全に歌をなめている。
最後に聴く側の態度だ。次に何を歌うのかを探しあぐね、イラついて、人の歌など聞いていない。
だから僕はカラオケは行かない。
※ちなみにスナックやバーのカラオケは、自分が歌わされるわけでじゃない限りOKですけどね。ウーロン茶を飲んでいればいいわけで・・・・(笑)
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作家のエッセイを読んでいて、ここ10年来一番共鳴するのが田口ランディさんの著作だ。世代がほぼ同じということもあるのかも知れないが、スピリチュアルな事象に対するスタンスが、読んでいてとてもホットする距離感なのだ。
田口ランディさんが小説を書くきっかけになったのが、お兄さんの死だった。精神状態が不安定になり餓死したことが、彼女がものを書き始める動機となったらしい。
作家になる前は、銀座でホステスを経験したり、編集関連の事務所を立ち上げたりと、物書きとしての肥やしとなるべき人生経験が豊富だ。
実は以前も書いたけれど、震災後早池峰神社の神楽を見に行った時に、田口ランディさんもいらしゃっていて、遭遇したことがあった。さらには昨年の早池峰の夏祭りで、その田口ランディさんが先生と師事する、気功師の先生にたまたまお会いし、食事をともにする機会を得ることができた。
神様はいますか?このエッセイはぜひ読んでいただきたい。魂のこと障害者のこと、そして信じることの意義を、彼女の飾らない文体が、淡々と読者に語りかけてくる。
ちなみに僕は神様はいると思う。あったこともないし、見たこともないけれど、神様はいると思う。そして行動と意志ある願いは叶うと信じている。だから僕はいろんな壁を乗り越えてこれた気がする。まあ~たいした壁じゃなかったけれどね。
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さて、今日はこれから病院を二つ掛け持ち。そして母の特別老人ホームの施設の申し込みに、奔走してくる。
市内の特別老人ホームはどこも平均150人待ち。空きがなく、現在母は、宮城県の有料施設にお世話になっている。先日の記事でも書いたが、今の塾の仕事をやめるわけにもいかず、苦渋の選択だ。
それにしても5年待ちの入所というのは、頭を抱えてしまう。認知症のグループホームはほとんど新設されず、現在宮城・岩手両県で建設中の特別老人ホームは、そのほとんどが個室の施設だ。
プライバシーの保護ということなのだそうだが、施設費用がグループホームの2倍以上かかり、年金内での出費が不可能な状況になっている。国の方針だとしたら、いかがなものだろうか。
僕らのような自営業者は将来もらえる年金が月6万円だ。冗談のような金額だ。子どもに面倒を見てもらうか、なんとか死ぬまで働き通さなければならない。
きっと選択は後者だろうな。さて病院に行って薬をもらってこよう・・・・・。
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