4444回目のつぶやき
この記事が4444回目のブログ記事となる。足掛け8年を費やしてのつぶやき回数だ。昨今はFBやツイッターが全盛で、ブログを書く人が減少傾向にあるようだが、やめる決断も出来ず、日々つぶやいてきてしまった(笑)。
ブログを書き続けてきた8年間を振り返ると、まさに怒涛の日々だった。嬉しいこともたくさんあったが、大震災や友人との今生の別れくもあった。自分の感情の揺れや暴走が、随所に露呈してきてしまったブログであったが、日々お付き合い頂いてきた皆様には感謝の気持ちでいっぱいである。
僕の仕事である塾を取り巻く環境は、経営者サイドから眺めれば青息吐息の格闘の日々であるが、利用して頂く生徒さんや家庭からみれば、多様化された学習塾のレベルは、間違いなく進化をしており、ニーズにあわせた塾選びが可能となった現状は歓迎さえれる状況ではないだろうか。
通信教育も塾も、パソコンやスマホの普及により、情報のスピードが増し、学習の能率が加速度的に向上した。そんな中にあって、昔ながらの寺子屋指導を継続してきた僕の塾は、時代に取り残されてきた感があるが、まあそれも僕の身勝手な指導理念によるものなので、あしからずというところだろうか。
インターネット配信やタブレット端末による教育が主流になってきているが、僕はこどもたちとの対話を一番の主眼に置いているので、塾にはPCを置いていない。もちろん僕自身こうやって日々どうでもいいような記事を配信している人間なので、PC云々を言う資格など無いわけだけれど、PC依存によるコミニュニケー消失人間をこの国に於いて増産させたくないのである。
はっきり言ってしまえば、勉強は出来るけれど、大人との会話や異性との会話が全く成り立たない若者が顕著になっていると言うことだ。昨今の恋愛事情や結婚・離婚の統計数字を見れば一目瞭然だろう。
自分の感情を文字にすることと、自分の生の感情を相手に伝えることは、一見同じように思えるが違う。その微妙な感情の揺れを察知できないのが、PC世代でありスマホ世代だ。
情報の共有や個人間の日常のやり取りを通じて、僕らの思考は拡散する。しかしそのことによって我々が賢くなったかと言えば決してそうではないような気がする。拡散し過ぎて、理性や感性が軸を無くした感がするのは僕だけだろうか。
誰かのつぶやきに共鳴することで、自分の感性が磨かれたような錯覚に陥り、自分自身の本質的な思想をブロックしてしまってはいないだろうか。時代に迎合することを嫌い、世間との関係性を抑制したつもりが、逆に世の中の潮流に巻き込まれる結果になっていないだろうか。
教育というものは時代が作って行くものだ。潮流に乗ることはもちろん大切なことだけれども、時代に左右されない、ぶれない知性の本質をそれぞれが保つ努力は必要な気がする。
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