帰って行くのだなという実感が僕には訪れる
母の認知症が日々加速している。子どもに戻って行く母を見るのは、正直辛いことではあるのだけれど、夢見心地の母を見ていると、苦労の多かった人生に、ある種の安らぎが訪れているかのようにも感じられる。
かわいがっていた猫の記憶はなくなり、僕の妻を孫と認識し、亡くなった僕の祖母と会話をしている母。しかし息子である僕を、息子と認識できていることに、嬉しさと共に痛々しさを感じるのだなぜだろう。
予感とでもいうのだろうか。今年の夏ごろから、時間を作っては頻繁に母を温泉に連れていった。倒れる1週間前は母の誕生日で、軽トラックに母を乗せ初めての温泉場へ行き、二人でそばを食べてきた。元気な母との最期のランデブーだった。
日々記憶が途切れて行く母を見ていると、壊れているのではなく、帰って行くのだなという実感が僕には訪れる。オムツをはかせられよたよたと歩く姿は、幼児そのものだ。
2か月前まで、バイクにまたがり、草刈機械を振り回していた母を知る親戚が今の母の姿を見ればショックなはずだ。あまりの変わりように言葉を失い、涙ぐむのも無理はない。しかし毎日母と会話をしてきた僕は、母の姿を自然と受け入れられる。彼女は慟哭や阿修羅の世界にいるわけではなく、安らぎの中にいるのだ。
美味しそうに病院の給食を食べ、遠くを見つめる視線はきっと過去の思い出と対話をしているのだろう。懐かしそうな微笑みすら浮かべている。母のそんな笑顔をみたのは、僕の記憶にはない。
いつも眉間にしわを寄せて、何かに苦悩しているかのような顔をしていた母に、ようやく安らぎが訪れたのだと思う。あとどれくらい時間を共有できるか分からないけれど、彼女の記憶の残像の中に楽しい思い出を一つでも多く残してあげたい。
昨日から冬期講習が始まり病院に行く時間が取れなかった。家内も障害者施設での仕事があってぬけられない。彼女は元日も仕事がある。病院には息子に着替えを持って行ってもらった。明日の塾は今年の仕事納め。今年の1年は10年のごとく感じられる年だった。
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