1年間に感謝申し上げます。
1年間大験セミナーわくわく日記にお付き合い頂きありがとうございました。
大験セミナーも来年度は創立26年を迎えます。多くの方々に支えられてここまでやってきました。心より感謝申し上げます。そしてまた来年も宜しくお願い致します。
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1年間大験セミナーわくわく日記にお付き合い頂きありがとうございました。
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今年の夏7月31日の早池峰神社における早池峰神楽の映像だ。この日僕と家内は、神社に泊りがけで出かけ、この舞を最後まで堪能した。
早池峰から湧き出る水で沸かした神社の御風呂まで頂戴し、早池峰の御神気を浴びた。
早池峰に魅せられて20年が過ぎ去った。早池峰神楽の太鼓のリズムは、北国の大地の鼓動だ。そして早池峰山の峰を登っていつも感じる風は、間違いなく太古から変わらない縄文の風だ。
早池峰の女神である瀬織律姫の神様が、今年ほど身近に感じたことはない。それほどしんどい年だった。困った時の神頼みではないけれど、幾たび祈っただろうか。
今年もあと二日で終わる。冬期講習を終え、病院へ向かっていると携帯が鳴った。入試直前のこの時期に塾をやめたいとの電話だった。今年を象徴する電話だなと、一人苦笑い。そう言えば、今年の苦悩は3月の一本の電話から始まった。
27日からスタートした冬期講習も今日は3日目。熱気が教室にあふれ、いい感じだ。今年の中3は満員御礼。諸君!容赦なく行くぞ!ついて来いよ!
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母の認知症が日々加速している。子どもに戻って行く母を見るのは、正直辛いことではあるのだけれど、夢見心地の母を見ていると、苦労の多かった人生に、ある種の安らぎが訪れているかのようにも感じられる。
かわいがっていた猫の記憶はなくなり、僕の妻を孫と認識し、亡くなった僕の祖母と会話をしている母。しかし息子である僕を、息子と認識できていることに、嬉しさと共に痛々しさを感じるのだなぜだろう。
予感とでもいうのだろうか。今年の夏ごろから、時間を作っては頻繁に母を温泉に連れていった。倒れる1週間前は母の誕生日で、軽トラックに母を乗せ初めての温泉場へ行き、二人でそばを食べてきた。元気な母との最期のランデブーだった。
日々記憶が途切れて行く母を見ていると、壊れているのではなく、帰って行くのだなという実感が僕には訪れる。オムツをはかせられよたよたと歩く姿は、幼児そのものだ。
2か月前まで、バイクにまたがり、草刈機械を振り回していた母を知る親戚が今の母の姿を見ればショックなはずだ。あまりの変わりように言葉を失い、涙ぐむのも無理はない。しかし毎日母と会話をしてきた僕は、母の姿を自然と受け入れられる。彼女は慟哭や阿修羅の世界にいるわけではなく、安らぎの中にいるのだ。
美味しそうに病院の給食を食べ、遠くを見つめる視線はきっと過去の思い出と対話をしているのだろう。懐かしそうな微笑みすら浮かべている。母のそんな笑顔をみたのは、僕の記憶にはない。
いつも眉間にしわを寄せて、何かに苦悩しているかのような顔をしていた母に、ようやく安らぎが訪れたのだと思う。あとどれくらい時間を共有できるか分からないけれど、彼女の記憶の残像の中に楽しい思い出を一つでも多く残してあげたい。
昨日から冬期講習が始まり病院に行く時間が取れなかった。家内も障害者施設での仕事があってぬけられない。彼女は元日も仕事がある。病院には息子に着替えを持って行ってもらった。明日の塾は今年の仕事納め。今年の1年は10年のごとく感じられる年だった。
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冬期講習会初日、ツルンツルンの凍結道路。時速20キロのそろそろ運転で塾に向かった。
一発目の講義は、数学の方程式。一次方程式から二次方程式まで一気に攻略。明日は300問弱の漢字テストと、英語の全ての時制の授業だ。さて寒さに負けず頑張るか。
塾生のおばあちゃんより、いっぱいみかんの差し入れを頂きました。ありがとうございます♡。休憩にみんなで頂きました。
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僕のこのブログを多くの卒塾生やそのご父兄の皆様が読んでいてくれて、いろんな励ましや応援メッセージを頂く。本当にありがたい。
40代に入って、腰痛やら間接痛に悩まされ、最終的には自律神経失調症を患って、救急車で搬送されたことがあった。今振り返ると、一種の更年期障害みたいな感じで、閉塞感と不安に軽度の鬱状態が重なり、生きる希望の創造が困難な状況に陥っていたような気がする。
あれから13年ほどが経過し、13歳年をとった自分がいる。父が死んだ後29歳の時に実家に戻り家督を相続し、農業と塾を営み始めた。今思うと、よくやってこれたなと思う。もちろん若かったということもあったけれど、常に将来の希望を見据えることが出来る自分がいたということが、頑張れた原動力だった気がする。
毎年入塾してくる子どもたちを見て思うことだけれど、この仕事をやっていなければ絶対出逢えない子どもたちだ。小学生・中学生、そして高校生と接する日々のなかで、僕はいつも自分自身の過去と対峙する。いや対峙せざるを得ない。
この子のように頑張ることが出来たら、僕の人生も変わったものになっていたんだろうなとか、この子のような才能があったならな~とか、自分が持っていないものを持っている教え子たちに感心し、羨望する日々だ。
ゆえにせっかくの才能があるのにやらない生徒をみかけると本当に残念だ。僕の子どもの頃にはIQ検査というのがあった。僕は中の下ぐらいのIQだった記憶がある。言ってみれば頭が悪い部類にはいる子どもだったろうと思う。
ひとより優れていることなんてほとんどなかった気がする。小学校時代の僕の特徴と言えば、足が速かったことと、卓球がめちゃうまかったことぐらだろうか。それ以外に特出すべきことは皆無だった(笑)。
何も取り柄が無い僕が始めたが読書だった。高校入試を失敗した僕は、なんかやけくそになって本を読み漁ったような気がする。人より優れた点とは言えないけれど、読んだ本の数だけは半端じゃなっかた。
頭が悪い僕は、読んだ内容どころか著作者の名前すら覚えていないことが多いのだけれど、心の奥底に、なにがしかの堆肥となって、僕の精神の栄養源になっていることを希求する自分がいる。
僕が塾教師として誇れるものは、以上のようなことで、何もない。才能もない。ずば抜けた発想力もない。お金もない。おまけに髪もない(笑)。ただ無造作に積まれた本の堆積が、僕の魂に精神になにがしかの安心と、暇つぶし的な楽しみを与えてくれている。
僕が本好きじゃなかったなら、大学に行くこともなかっただろうし、塾教師をやっていることもなかったはずだ。そして塾を通じて多くの方々と出逢うこともなかっただろうと思う。もちろんこんなブログを書くこともなかったはずだ。
僕は人生の困難にぶつかると読む本が増える。今年はそういう意味で、久しぶりに300冊を超える本が僕の中に堆積した。来年はあんまり本を読まなくてもいい年であって欲しいと思う今日この頃である。
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今夜はクリスマスイブ。サンタクロースが我が家に来なくなって10年になる。10年前までは市内のデパートからクリスマスプレゼントを買ってきたサンタさんがいたのだけれど、自然消滅してしまった(笑)。
これから岩手は、厳しい季節に突入する。とにかく寒い。本州での気温の最低記録はいつも岩手県が記録する。北海道のように完璧な寒さ対策をしている地域はいいのだけれど、その点では岩手は家も道路も施設も寒さ対策は中途半端。ゆえに寒い。
今年の唯一の救いは、灯油代が安いことだ。市内では1リッターあたり50円台に突入したお店もある。
今年も地元の小学校でサンタライブをやった僕は、サンタとしての出番は終了だ。ただかわいい塾生たちが、何かしらのプレゼントを期待しているようなので、今日はちょっくら買い出しに行ってこようかと思っている。
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先日今年の事は振り返ることはしないと宣言したけれど、僕なりに諦観すべきこと反省すべきことは多々あるわけで、宣言を翻し、今日は2015年を総括してみたい。
まず今年の僕の塾は四半世紀の歴史の中でも特異なことが多かった。悲しいことや残念なんことがこれでもかと言うくらいに身辺に生じた1年だった。
4月に入塾生がほぼ皆無だった。25年間塾をやってきて初めてのことだった。皆無どころか退会する生徒が数名いて正直存続の危機を感じた。高校3年生が今年は0人。すべて高2の塾生が修学旅行を境に消滅した。悪夢の前触れのようだった(笑)。前年の高3生が岩手医大をはじめ全員が第一志望大学に合格したにも関わらずである。頭を抱えた。
昼の講師の仕事も終了し、職安通いもやってみたが、この年で雇ってくれるところはなく途方に暮れていた。僕の困窮を見かねて20年ぶりに家内が仕事に復帰。それと時を同じくして、一関相撲場所の事務局の仕事を友人より頂いた。とりあえず生活の糧は確保できたことに安堵の日々だった。
ほっとしたのもつかの間。22歳になる教え子が亡くなった。僕が塾を開いた時に、チラシのレイアウトやら看板の発注やら右も左も分からない20代の僕を助けてくれた印刷会社の御子息が短い生涯を駆け抜けてしまった。ご両親の哀しみを思うと胸が張り裂けそうだった。本人の無念もいかほどだったろうか。こころよりご冥福を祈りたい。
そして9月、ここには書けないけれど、さらなるハプニングが勃発。幸いにも事なきを得たが、親戚のことだけに本当に心配した。
そして11月に入り、突然母がくも膜下出血で自宅で倒れた。それ以降ほぼ毎日病院に通い続ける僕の日常が始まるのだけれども、それと時を同じくして、奇跡の入会ダッシュが始まった。
1週間で12名が入会するという塾始まって以来の最高記録が樹立された。塾は一気に忙しくなった。お陰様で冬期講習の中3コースもすでに定員になった。
母は認知症が出てきてはいるけれど、自力で歩けるまでに回復した。僕や家族をしっかり認識できるので、とりあえず良しとしたい(苦笑い)。これから介護の日々が始まるわけだけれど、まあ気長に頑張りたい。
星占い等を全く信じない人には関係ない話かも知れないけれど、今年の僕の運勢はあくだしの年で、今まで溜まってきた人生のもろもろが一気に噴出する年だと言われてきた。まあそんな感じかなと思っている。
そして来年は本厄の55歳。数えの56歳となるわけだけれど、今ままでの努力が一気に花開く強運の年なのだそうだ。先日もつぶやいたのだけれど、今ままでの僕の努力ってなんだろう?とふと考えてしまう。
塾講師を33年間やって来た集大成がやってくるのだろうか。集大成でハイ終了とならないことを祈りたい(爆笑)。それとも、今ままでやってきた音楽活動が日の目を見るのだろうか。いやないな。
ちなみに来年度からは母の介護もあって、農業を断念することにしたし、断捨離の日々となりそうだ。
昨夜家内が、『恒例の元日の駒形参り、来年は2日にしない」と言ってきた。聞くと元日は仕事が入ったとのこと。彼女は障害者施設で働いている。入居している方々のケアーに正月も盆もない。僕の母がお世話になっている病院もそうだ。看護師さん介護士さん食事を作る方々、そして休日当番のドクターには大晦日も正月もない。
それぞれが家庭やプライベートを犠牲にして頑張っている。当たり前のことだけれど、本当に心から感謝をしたい。
今年も10日ほどで終了する。生かされることに感謝。食事が出来ることに感謝。そして支えてくれる人がいることに感謝だ。
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毎年、年の瀬になると振り込まなければならない様々の請求書を前にしてため息をつく僕だが、来年からは赤字になる農業はやめることにした。400年近く続いてきた稲作農家との決別ということだが、これも時代の流れで仕方がないと思う。
震災前までは、ササニシキ米を無農薬・天日干しで作っていたので、それなりの値段で買って頂くことが多く、農業の経費代くらいは賄うことが出来た。
しかし放射能が拡散してからは、無農薬の意味合いが薄れ、あえて岩手のお米を高いお金を出して買う人もいなくなり、必然的に農協にすべて売るようになったのだが、ご存じのように米価が下落し、赤字が嵩むだけの稲作経営になってしまった。
来年度からは休耕田の草刈り仕事が、僕の百姓としての仕事となる。気づいてみると僕も年をとった。中学時代の同級生で教師になったものは、副校長や校長になっている。管理職というやつだ。またサラリーマンの同級生たちは、還暦退社後の人生設計を考え始めている。
さて自分はどうしようかと思うわけだけれど、体力気力が続く限り、塾での受験指導が続いていくんだろうなと思う。今年のように歯車がかみ合わず、青息吐息の年というのはある。そんな最悪の年でもなんとか、こうやって生きている訳だけから、まあどうにか今後も頑張っていけるんじゃないかと楽観している。
神社オタクでジャズ好き、そして日々わけのわからない歌をがなりてている僕は、どうしようもなく趣味的な人間だろうと思う。そんな趣味的な人間の僕には、もう一つ高校時代目標とした生涯読書冊数10000冊という数字があるのだが、この目標を死ぬ前にクリアーしたいと希望している。
冊数を数えてきたわけではないので、具体的な数字はわからないけれど、毎年200冊くらいは読んできた感じなので、おそらく7000冊ぐらいになるのではないかと思う。あと3000冊。
今のペースで読み続けて行けばあと15年で達成というところだろうか。ということは少なくても本を読むことが出来る身体を70歳までは保たなければならないことになる。家族にも言われるし、塾生からも言われることなのだけれども、「そんなに本を読んでどうするの」という質問を頂戴する。
来世のための下準備だな。決して今生の暮らしを諦めたわけではないけれど(笑)、次回の人生は物書きというのもいいかも知れない。そんな幻想を抱いている昨今のかねごんオヤジである・・・・・
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今年22歳で旅立ってしまった教え子がいる。僕が塾を作った時に、広告や看板など本当に大変お世話になった印刷所の御子息だ。
今年は喪に服したい。塾生への年賀状は控えさせていただく。ごめんなさい。
脈絡もなくキング・クリムゾンのエピタフが僕の頭の中で反響し始めた。学生の頃に聴いた後、僕はどこかで聞いたのかどうかは定かではないが、突然メロディーとギターが蘇ってきた。
まるで音楽のマヨイガにさまよい出てしまった感覚だ。歌の歌詞が乾ききった砂漠にしみいる雫のように心に吸収されて行く。
そう言えば明日は父の命日だ。25年前も、雪がなくて過ごしやすい年末だったな。
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12月も半ばを過ぎたけれど、一関市内は一度も雪が降らず、雪かきもすることもなく、雪道に難儀することもなく、穏やかな師走が過ぎている。
今週中学3年生は学校での三者面談。最終的な志望校の決定を迫られる時期だ。どこの高校に行くかで、将来の進むべき大雑把な道は決まる。しかしあくまでも大雑把なだけで、高校の進路がすべてではない。
私立高校・公立高校の推薦願書も提出の時期だ。大学も含め推薦制度に関しては様々な意見や批判もあるようだけれど、どんな形であれ、合格には変わりないわけで、自分の学力が足りないなと思うならば、安心せず受験生と同じく頑張ればよいわけで、春までの期間で巻き返しは出来ると思う。
受験指導をしてきて毎年思うことだけれど、波に乗るか乗らないかというのは大きい。勉強のコツと言うのは各人各様で、一概に受験雑誌に記載されているような王道が成功をもたらすとは限らない。
何気なく手にした問題集が、苦手な教科の攻略にバッチリなったり、勉強の時間帯を替えることによって、成績が一気に向上することもある。恋愛ゆえに勉強に集中できなくなる生徒がいるかと思うと、好きな人が出来て張り切る生徒もいる。
勉強に与える影響は多種多様で計り知れない。家庭での両親の不和、家族関係の不調、学校での友人関係、さらには先生との相性など、受験生を取り巻く環境は、一喜一憂だ。
受験勉強は人生の修行だと思えばいんじゃないだろうか。修行だから困難や辛いことは当たり前。逃げれば逃げるほどつけはあとで回って来ると腹を決めて、今立ち向かって行くしかないと思う。
どうでもいいようなことを暗記しなければならないジレンマは、多くの人たちが通過してきた道だ。勉強なんて楽しくない。それは重々承知しているのだ。しかし、それを避けて他の道に進んでも、やはりどこかで勉強はついてくる。ラベルは変わっても、ベースは変わらないのだ。
他人は他人、自分のやれることを、コツコツとやることが、成功への一歩だと思うし、運を開いていく言わば王道だと思う。
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奥州市水沢の駒形神社は全国駒形神社の総本山。もともとは金ヶ崎の駒形山に鎮座していたものを、明治天皇が参拝するのを期に、今の場所にご神霊を降ろしてきて駒形神社を創建したとのこと。
息子たちの七五三も塾の合格祈願ももちろん駒形神社。我が家にとっては、絶対欠かせない精神のよりどころと言っていいだろうと思います。
今日も正月飾りを頂きに行って来ました。そしてまたいつもの奇跡が起こったのであります。
このブログを長年読んで頂いている方にはもう周知の事実だと思いますが、駒形神社の手前の交差点にさしかかると、必ず正面か左右の1台目の車のプレート番号が77の数字なのです。それに気づいたのはほぼ8年前、このブログを書き始めたころですかね。
その後50回ほど駒形神社に参拝に行っていると思うのですが、77の車が交差点に存在しなかったのはたった2度だけ。確率から言うと天文学的な数字になるのではないでしょうか。
ちなみに今日は行きだけではなく、帰りも7788のプレートナンバーのクラウンがしかっり交差点に停まっていました。
駒形の大神様は、最初僕に悪ふざけをしているのかと思いました。後々思ったことですが、この珍事を僕に書かせることで、神様は何かわかる人にメッセージを送っているのではないかと考えたんですね。
僕のこの奇跡の話を読んで、駒形ファンになった方はいっぱいおられますし、神様の存在を信じるようになった友人も多くいます。そういう意味では、駒形神社の神様が演出する77の奇跡は、多大な影響を与えたことになるんではないでしょうか。
僕が岩手に戻って一番最初に登ったのが駒形山です。夏油温泉に入るのがどちらかというと目的だったような気がするのですが、ひょっとすると、あの当時から僕は駒形の神様に導かれていたのかもしれません。
77の真相は、きっと僕があっちの世界に行った時に明らかになるのかなと思っています。陸中一之宮・駒形神社に正月参拝してみてはどうでしょうか。交差点の信号待ちで77の車が現れるかもしれませんよ。
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昨日は家族四人で1日大掃除。夕方皆で病院におばあちゃんを見舞った。岩手病院の玄関前はクリスマスイルミネーションが鮮やかだ。いつもほっとする光景だ。
その後外食とあいなった。市内の焼肉屋に入ったのだけれど、家族で焼肉屋に入ったのは10年ぶりぐらいだったかな~てなくらい記憶にない。
成人を過ぎた息子二人は生ビール。僕と家内はソフトドリンク。生まれて初めて韓国冷麺を食べた次男はうまさに興奮。
家族で忘年会なんて、ひょっとすると子どもが生まれて以来初めてかもしれない。世間の方はまさかとお思いでしょうが、田舎で零細塾を営む家計的状況などというものはこんなもんですね。
ところでブログのタイトルを『冬の珍事』としたのは、まだ珍事があってのこと。実は塾教育のブログランキングが、先週2日間だけ、『大験セミナーわくわく日記』がベスト10入りしていた。実に3年ぶりのことである。ぽちっと押していただいた皆様に感謝申し上げます。
今年は雪が降らなくてホッとしています。これも珍事かもしれませんが、スキー場は雪がなくて大変なようです。世の中なかなかうまくいかないようですね。
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まず「ヤッピー」(若い都会派プロフェッショナル)が現れ、続いて「ディンクス」(子どものいない共働き夫婦)」が出現した。そして今度は、経済的にゆとりがある1980年から2000年までに生まれたミレニアル世代の「ヘンリー」(Henry:high earning not rich yet=まだ富裕層とはいえない高所得者)の登場だ。
アメリカ合衆国国勢調査局によると、ミレニアル世代は1982~2000年に生まれた若年層で8310万人。このうち44.2%が非白人の少数派となり、ヒスパニック系がこの少数派の半数にあたる50.2%を占める。
(東洋経済オンライン)
塾で教える仕事をしていると、何が大変かというと、新しい造語に対応する条件反射みたいなものを鍛える努力である。時代によって、刻々と変わって行く風潮や経済の流れが、教科書にも様々な変革をもたらし、受験に登場する言語も多様化する。
ミレニアル世代という言葉は知っていたけれど、ヘンリーなんていう単語は、固有名詞であること以外まったく僕のボキャブラリーにはなかった。
理科を教えていてもそうだな。突然太陽系の惑星から星の名前が削除されたり、大腸の働きの表記が変わったり、教科書が改訂されるたびに問題集や回答集を訂正しなければならない。
それが仕事なのだからしょうがないけれど、どうも記憶力のペースが落ちてきた気がする。いや気がするどころではないな。
ところでうちの息子たちもヘンリー世代ということなのだが、僕ら夫婦の老後を見てくれる余裕なんてあるのかな。日本は厳しいか・・・
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子どもと言うのは怖い話が大好きだ。ゆえに僕のような人生経験豊かなおじさんに(笑)、怖い経験話を聞いてくる。
生徒たちが期待するのはお化けを見たとか、そういった類の話なのは重々こちらもわかっている。しかしあまり怖すぎてもいけない。塾が終るのが夜なので、怖くて帰れないと言うのでも困るわけで、サービス精神旺盛な僕は、ほどほどの怖い話をしてあげる。
神社オタクの僕は、不思議な経験はいっぱいあるが、怖い話というと持ち札はそれほどない。しかしあるにはあるので、今日は季節外れのちょっと怖い話を一つ。
僕は今の塾を開いて25年になるのだけれど、その前は、家庭教師派遣をメインとする個別指導塾に勤務していた。一関高専の学生さんの英語指導の家庭教師に行っていた時のこと。
土曜日の午後の指導ということで、自宅におじゃましたのだけれど、本人も家族もなかなか玄関に現れない。帰ろうとしたところ、80ぐらいのおばあさんが現れた。
「すいませんね、急用ができて家族はみんな病院に行っているんですよ」とのこと。
僕は仕方がないと諦め、事務所にキャンセルの連絡を入れた。
その夜生徒のお母さんから、祖母が亡くなり病院に行っていたので、連絡をしないで申し訳なかったですという電話を頂いた。告別式が終って、落ち着いてからまた家庭教師が再開した。僕は座敷に置かれた祭壇に線香をあげさせて頂いた。
遺影の写真を見て?
土曜日に玄関に現れたおばあさんにそっくり。
「土曜日の日に、玄関におばあさんが出てきたんだけれど、亡くなったおばあさんのお姉さんか妹さんが留守番していたのかな」と僕。
「祖母には兄と弟がいますけれど、姉妹はいません」と生徒。
教え子も、頭をひねって不思議がっている。
仮に玄関に現れたのが本人だとしても、その時間は病院ですでに危篤状態なわけだから、玄関に出てくるわけがない。
30年前のことだけれど、いまだに気になっていることである。
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いよいよ今年もだいぶ押し迫ってきた。毎年1年を振り返ってなんていう記事をこの時期に書いてきたけれど、今年は振り返らない。過ぎ去ったことは仕方がない。来年を見据えて粘り腰で頑張ろうと思う。
須川岳は完璧な雪景色になった。一関の市街にはまだ雪らしい雪は降っていない。ただ朝晩の冷え込みは猛烈だ。昨日は我が家の2階の水道が凍った。あわてて凍結防止ヒーターのコンセントを差し込んだ。なんとか事なきを得た。
ところで、半月前から体調が悪かったので、自律神経を整える音楽というのを車の中で聴いている。170ぐらいあった血圧が、薬のおかげで120台まで下がったのはいいのだけれど、急に低くなったものだから、頭に血流が行き届かず、クラクラすることがあって、難儀していた。そこで音楽療法を試みたわけだけれど、成果がでてきたのか、昨日からようやく調子が整ってきた。
タバコは30歳でやめた。酒も最近は口にしていない。僕の身体は蕎麦で出来ているんじゃないかと思うくらい日々蕎麦を食べている。それとレタスとトマトとそして自分でドリップして飲むコーヒーが僕の身体を支えてくれている。まあそんなところだ。
体重は4年間変動なし。夏も冬もずっと70キロをキープしている。軽肥満という数値だ。お医者さんに言わせるとあと5キロ減が望ましいようなのだが、ちょっと厳しい。受験指導も佳境に入り、エネルギーを消耗するのだけれど、それ以上に美味しいご飯を食べてしまうので、結局やせない。困ったものだ。
そう言えば母が倒れて入院して以来、日曜日の卓球の指導に1度も行っていない。やんごとなき理由がためしょうがないのだけれど、運動不足も体調不良の原因だったのだろうと思う。
明日からちょっと歩くか。・・・・でも寒いしな、意志薄弱の僕はこうやってまた一つ年を取って行く。
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葬式から帰ってくると、塩を振りかける。神社の神様には塩が供えられている。前者は穢れをとる意味だろうし、後者の場合は、海の幸としての供えものとしての塩だろうか。
塩と言うものは不思議なパワーを持っている。腰痛やちょっと体調が悪い時など、風呂に塩をいれて入ると体調が改善される。塩水でうがいをすると風邪も防いでくれる。まさに塩様様である。
赤ちゃんは母親の胎内で育って行くわけだけれど、羊水の塩分濃度は0.85%で、この濃度は海に住む魚の塩分濃度と同じである。ちなみにこの塩分濃度はぴったり海水の塩分濃度の3分の1に相当する。
我が家には産土神様を祀っている神棚と、かまど神の神棚と、そして自宅の土地の鬼門にはお明神様が祀られている。ゆえに3ヶ所に塩をお供えしている。教室は1階と2階にそれぞれ神棚があるので、必然的に2ヶ所にお塩をお供えしている。
ところでお店の玄関前に盛塩を置く風習が日本にはあるけれど、由来をご存じだろうか。古代中国の王様は多くの愛すべき女性を城内に住まわせて居たのだけれど、その中の女性が、王様に寄ってもらいたくて、王様の乗った牛車を曳く牛が、塩をなめるために停まってくれるようにと、塩を玄関前に置いたのがそもそもの始まりだとか言われている。恋のキューピット役としての塩パワーというところだろうか。
そして塩以上に欠かせないのがお水だ。毎日仏壇と神棚の水は取り換える。本当は起きてからの一番水がいいのだろうけれど、そこはちょっとルーズをしてしまい、神様仏様ごめんなさいという感じである。
ところで僕ら人間の身体は70パーセント近くが水である。この水の成分パーセントは地球の表面の水分パーセントとリンクする。実に不思議な数字の符号だ。
さて朝からブログを書いていて、まだ神棚や仏壇にお水やお茶を差し上げていなかった。これで失礼します。
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一番怖いのはあなたとすれ違うこと。一番切ないのはあなたに会えないこと。一番悔しいのはあなたに伝わらないこと。一番楽しいのはあなたと一緒にいること。一番辛いのはあなたと別れてしまうこと。一番幸せなのはあなたと出会えたこと。そうやっていとも簡単に、そしてドラマチックに人生は過ぎて行く。
先月FBでこんなことをつぶやいてみた。僕らは偶然に生れてそして偶然に去って行くわけではない。きっと多くの人が気づいているのだろうけれど、ただ実感できないだけのことだと思う。
僕の人生は僕の人生のようであって、実はかかわるすべての人たちの人生なのだ。愛する人もそうじゃない人も、ひとつとして欠けていいピースはない。この世界を構築しているのは、すべての人が生きようとするエネルギーだ。そしてそのエネルギーは間違いなく感謝と慈しみで出来ている。
僕らは彷徨える子羊ではない。あまねく多くの愛によって生かされている存在だ。その本質は肉体と精神とそして気の遠くなるような愛のエネルギーで出来ている。
だから途中で投げ出してはいけないのだ。倒れても倒れても、自分の意志で道を歩まなければならない。心配はいらない、誰かが支えてくれる。誰かが抱き留めてくれる。それが人生なのだから。
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マリナーズからフリーエージェント(FA)となっている岩隈久志投手(34)がドジャースと契約に合意したと、6日、ESPNジム・ボーデン記者など米メディアが報じた。
契約は3年4500万ドル(約54億円)前後とみられる。
岩隈はメジャー4年目の今季、4月に右広背筋を痛めて故障者リスト入りしたが、20試合に先発して9勝5敗、防御率3・54。8月にはメジャー日本人投手2人目のノーヒットノーランを達成した。
オフにFAとなり、マリナーズが提示した1年1580万ドル(約19億円)でのクオリファイングオファーを拒否。古巣マ軍を含む複数球団からオファーを受けていた。日刊スポーツ
3年間で54億円!思わずフリーズしてしまった。まあスポーツでこんなにお金を稼げるのは、世界でもほんの少しの人間なわけだけれど、途方もない金額だな。
前世の因果か、働けど働けど、雀の涙ほどのお金しか手にすることが出来ない僕のような人間からみると、年間10億以上稼ぐ人間の次元が、想像だに及ばない。
特出した能力と才能がお金になる人間と、そうじゃない人間がいるわけだけれど、その分岐点は意外と単純なのかも知れない。お金に愛される人間とそうじゃない人間の違いというものを真剣に考えたことがあって、僕が出した結論は、イメージ能力の差なんだろうなという結論だ。
つまり莫大なお金を手に入れる人間は、すでに自分のそういった姿が構築されていて、疑っていないということなんだろうなと思う。だめだとか、無理だとか、そういったネガティブな思考の入る余地がないほど、想像力や努力が行動力にリンクしていくんだろうね。
例えば、昨夜僕の家内は、元旦に伊勢神宮に参拝に行きたいね、とのたもうた。僕は冬期講習や母の介護のことや、お金のことや、ありとあらゆるネガティブ思考が駆け巡り、無理だろうなと決め付けてしまう。つまりとことん凡人であり俗人なわけで、やはり想像力が枯野を駆け巡ってしまうタイプなんだろうと思う。
せいぜい当たらない宝くじを買って、毎年ため息をついている僕は、毎日コツコツと受験指導をして、質素にそして謙虚に生きていくしかないのだろうと思う。
まあそういうことだな・・・・
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一関の中心街から東の方向、舞川方面に円錐形の美しい山を見ることができる。烏兎ヶ森(うどが もり)である。この写真は狐禅寺に鎮座する加茂神社の境内から写した風景だ。
この烏兎ヶ森の8合目には、巨石が祀られている岩倉神社がある。偶然見つけた時は、その荘厳さに思わず身震いしたかねごんであった。残念ながら今回の東日本大震災で、苔むしてきれいに佇んでいた石段が崩れてしまったが、古代からの祈りの場であったであろう痕跡がひしひしと感じる磐座である。
自宅から塾に向かう途中、いつの頃からか烏兎ヶ森に向かって手を合わせている自分がいた。それほど心をとらえる山である。
数字的には海抜350メートルのこんもりした山だけれど、存在感はかなりでかい。一関駅から新幹線で東京に向かう時、新幹線ホームからいつもこの烏兎ヶ森が見える。若い頃、頑張って来いと山が声をかけてくれている気がした。
故郷の山はいいものだ。
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塾教師が不健康なのは、夜中に飯を食べるからだと言われている。確かに僕も、塾の仕事がない日曜日以外は、夕食は毎晩10時以降になる。そしてそんな生活が30年以上続いている。
痛風に高血圧、そしてコレステロール値の異常と気管支ぜんそくの持病がある。おまけにスギ花粉の猛烈なアレルギー持ちだ。満身創痍だ。しかし、だからと言って塾の仕事を休んだことはほとんどない。
比較的運動することが多いことと、百姓仕事がギリギリ僕の体調を支えているのだろうと思っている。
はっきり言って塾教師はストレスとの戦いだ。夜中の晩飯もさることながら、受験指導のストレスと、お金の心配が、健康のダメージの最たるものではないだろうか。
確かに塾教師をやってきた友人たちの中で、50前に亡くなった友人が二人もいる。僕の少ない友好関係を考えると、驚異的な数字だ。ある意味命がけの仕事と言ってもいいだろう。
なんでこんなしんどい仕事を始めてしまったんだろうと思うことも多々あるわけだけれども、自分で選んだ仕事に愚痴を言ってもしょうがない。もうここまで来てしまったら前進あるのみだ。
世の中は冬期講習の募集が始まった。僕の塾も例外ではない。先月に中学3年生が倍増したがために、今回は内部生だけで冬期講習の定員が埋まりそうなので、チラシもまかないし、ウエーブ上でも一切広告は出していない。
しかし外部生をお断りしているわけではないので、受講を希望する方は電話かメールにてお問い合わせ頂ければ幸いです。
今現在夜中の12時半になったのだけれど、雨が雪に変わった。積もらなければいいな。
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市内を見回して見ると、25年間も同じところで塾をやってきた僕の塾は、稀人のようだ。転居もせず、教室を増やすこともなく、ひたすら小さな塾にへばりついて必死に生きてきたような気がする。
下の子が無事学校を卒業し仕事に就いてくれれば、来年のはるから実質的な子育ての時代は終わる。そして今度は母の介護というルーティンが僕の生活に加わって行く。
大変ですねという言葉をかけて頂くが、25年前父が亡くなり、年老いた祖母がいたのだけれど、その時もソフト介護の時代が10年ほど続いたので、介護慣れしているわけではないが、サラーリマン生活じゃないので何とかなるはずだと思っている。
もともと出不精の人間なので、ソフト介護時代もそれほどのストレスは感じなかった。近くの神社や磐座に行くのが趣味の人間なので、マイペースで頑張って行きたいと思っている。
ところで明日は12年続いてきた一関市立金沢小学校でのクリスマスミニライブが、お話しポケットさんとのコラボである。いろいろバタバタしていて練習のれの字もやっていない。ぶっつけ本番てな感じである。
昨年はこんな感じだったけれど、今回はサンタという概念を放逐したコスチュームで臨もうかと思っている。
さてと、これから病院によって、塾に向かうとするか。それではまた。
追伸
先ほどインフルエンザの予防接種を行ってきました。受験生でまだな方は、早めにしてくださいね。注射だいきっらいというそこのあなた、せめて今年だけは受験生なのでやったほうがいいですよ。ハイ
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塾業界も氷河期を迎え、捨て身の策を弄する塾が増えてきて、夏期講習や冬期講習を無料で行うところが増えてきた。はっきり言って、お互いの首を絞め合う結果になるだけなので、無料は経営者としてやるべきじゃないな。
隣接する地域で、お隣さんが無料でやるとなれば、お客さんを取られるので、うちも無料でということなのだろうけれど、そもそも塾はボランティア活動じゃないし、NPOじゃないかぎり何らかの公的支援はないのだし、どう見てもな長い目でみれば、いいことはないように思えるのである。
お金を支払うという行為に対して、サービスを提供するという普遍性が崩壊すれば、この業界は崩壊する。
震災直後、無料で有志の先生方が放課後指導をするニュースをご覧になった方も多いかと思うのだが、あのおかげで多くの塾がつぶれた。そしてあの放課後指導が続いているかと言えば、とっくに終焉し、沿岸部で学びたい生徒は大変な思いをして遠くの町の塾に通っている。
震災後大船渡市から往復3時間をかけて、僕の塾の冬期講習会を受講しにきた生徒がいた。どう考えても無料の指導なんて続くわけがないのだし、じっさい無料という甘い餌の陰には、それぞれの営業戦略があるわけで、だまされてはいけないのである。
断言しよう。指導に自信があるのなら無料の講習会はやらないはずだ。僕はしっかりお金を頂いて、そしてしっかり指導するという塾のあり方が、当然の塾の姿であると思っている。
無料という字をチラシや広告の中に見るたびに、朝三暮四という四字熟語が浮かんでしまうのは、僕だけだろうか。
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昨日の夜血圧を計ったら、上が126下が66だった。血圧の薬を飲んでいるとは言え、120台の数字を見たのは20年ぶりぐらいだ。学生の頃までは低血圧で悩んでいたのにと思うと、隔世の感がある。
今年は高血圧と悪玉コレステロール値、そして50肩に悩まされた1年だったが、持病の喘息や痛風の発作が起きなかったことは幸いだった。
いよいよ今年も12月に突入した。忘年会シーズンの季節だが、僕には全く関係ない。これから3月の高校入試まで、いよいよノンストップの猛ダッシュだ。
受験シーズンたけなわということだけれど、昨夜卒塾生が推薦による大学合格の報告に来てくれた。推薦で進路が決まった高3生はほっと一息というところだろうか。逆に入学金やらアパート探しやら、親御さんは出費が大変だが、これも親の務め。頑張って頂きたい。
本日、市内の県立病院に入院していた母が、リハビリのために国立病院に転院した。いよいよ社会復帰に向けて79歳の挑戦が始まる。病院と自宅と塾を行ったりきたりの僕の軽トラックが今日、こんな数字を僕にプレゼントしてくれた。
12月1日大安。それも母が転院した日にこの数字は縁起がいい。
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