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2015年11月29日 (日)

頭の使い道の相性というものはあるようだ

「どこの高校出たんですか」っていう質問をされて、自分の出た高校名を躊躇せず言える人が、若い頃は羨ましかった。挫折ってやつを味わった僕は、失恋と同じようなもので、立ち直るのには結構時間がかかったな(笑)。

例えば僕が住んでいる一関市であれば、一関高専や一関一高を出ている人は、躊躇せず母校の名を口にするようだが、俗にいう偏差値が下がるにつれて、高校名が出て来る時間がちょっとづつ長くなり(笑)、最終的には無視するする人がいたりする。

で、僕はここ10年ほど、保護者の方に聞かれれば、しっかり出身高校を告げているし、僕のFBをご覧になっている方はもうすでに知っていることだが、出身大学、学部名を明記している。自分の人生も後半になると、もう出身校なんてものはいい意味でも悪い意味でもどうでも良くなってくるって感じかな。

どこそこの予備校の先生のように、東大や京大を出たことを売りにしている塾教師が世の中には多いわけだけれど、僕のような低学歴塾教師は、実績でアピールして行くしかない(笑)。

僕の塾から東大や早慶に塾生が入っているが、四半世紀も塾を営んでいれば、まぐれあたりはある(笑)。僕の指導がいいと言うよりも、たまたま素質のある生徒が在籍してくれたおかげだと思っている。ただ東大などの志望校を塾の入会用紙に明記する生徒は、もちろん関一でもトップクラスの子なので、学校の先生と僕の指導の比較は当然ながらするはずだ。

僕の英語指導や論文指導が、理に適っているかいないかと言うよりは、この人は自分を合格に導いてくれる人なんだろうかという尺度的評価が最終的には入塾のきっかけになると思う。そこの判断は曖昧かもしれないけれど、相性じゃないかと思っている。

僕はこのブログでもなんどか述べてきたが、学歴と学力は似ている言葉だが、本質は違う。例えば僕の同級生や友人には、地元の花泉高校をでて、会社を立ち上げ、つぶすこともなく(笑)四半世紀以上にわたって社長業をしている方々がいる。電気関連の社長では一関工業出身の友人も多い。

いっちゃ失礼だが、彼らには一流高校出のような学歴はない。もちろん大学も行っていない。しかし多くの従業員を養い、地域のために貢献している立派な経営者たちだ。

さっき相性という言葉を使ったけれど、勉強に向き不向きがあるように、頭の使い道の相性というものはあるようだ。これは僕の身勝手な結論なのだけれど、都会で暮らすには学歴はかなり幅を効かすような気がするが、田舎町で暮らすには、本来の頭の良さがないと成功はしない。腰の低さ、気の利く言動、世の中の流れを察知するアンテナの性能がより求められるかもしれない。

ただし教諭や公務員を目指すには、やはり机上の論理やペーパーテストの解法力が求められるわけで、おのずと偏差値的な優秀さが求められる。そうなると進学校の生徒が俄然有利になる。

 

頭の良さはどこでどう決まるのか、十人十色の意見があると思うのだけれど、たかが高校や大学の選別で、人生が決まるほど人間は簡単じゃないってことだけはしっかり覚えておいた方がいいと思うな。人間は死ぬまで進化し続けると僕は思っている。死んでもその功績や思想は、有形無形に引き継がれて行く。だから「どうせ」などという副詞を安易に使ってはいけない。

 

そう思いませんか。

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