宮澤賢治・羅須地人協会
前から行ってみたいと思いつつなかなか訪れることが出来ないでいた、花巻農業高校内にある宮澤賢治の羅須地人協会に先日足を運んできた。
あまりにも有名な賢治の黒板の文字である。これをパクッて、塾の前に黒板を置いて、「塾ノ中ニ居リマス」 かねごん などと昔考えたこともあるのだが、どうも宮澤賢治を冒瀆する感じがしてやめた。
秋の日差しの中で、宮澤賢治の羅須地人協会は、イーハトーブの風にそよそよと佇んでいた。
花巻農業学校の教職をもし宮澤賢治が辞することがなかったならば、賢治の人生はもっと穏やかなものになっていたのだろうか、などと物思いにふけるかねごんだったわけだけれど、やはり詩人である賢治は、人生に妥協することは出来なかったのだろうと思う。
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かねごん様
先日、所用あって埼玉県秩父地方を訪問したところ、紅葉も美しい長瀞渓谷の公園内に、宮沢賢治の歌碑を発見。
彼は盛岡高等農林学校の在学中に、研修旅行にてこの地を訪問。地質的にも珍しい自然現象を観察し、その奇観に感嘆して詠み、山梨県に在住する友人宛の書簡に書き込んだ一首だそうです。
【つくづくと「粋なもやうの博多帯」荒川ぎしの片岩のいろ】
歌碑の写真は以下のサイトに在ります。検索要素のみ紹介いたします。御関心あれば、どうぞ。
「秩父ジオパーク、ジオサイトの紹介、宮沢賢治の歌碑」
これは、脆雲母片岩の褶曲を観察した賢治が感嘆して詠んだのだそうですが、肝腎の褶曲現象は明瞭には見えませんでした。当時とは、環境も変化した所為でしょうか?御参考までに。
(かねごん)
宮澤賢治の足跡はいたるところにあるんですね。
ご教示頂きありがとうございます。感謝です。
投稿: Yozakura | 2015年12月 5日 (土) 19時58分
かねごん様
返信を拝見しました。
その歌碑に刻まれた宮澤賢治の短歌ですが、まぁ、率直に云えば「習作とも呼べない程の水準」です。彼の独自の世界観や感性が発露した後年の作品----例えば「銀河鉄道の夜」や「風の又三郎」----と比べれば、「駄作」と言いたくなるレベルです。
しかし、こうした水準の作品でも、「自身と宮澤賢治との関係性を強調しておきたい人々」に取っては、重要な手掛かりなのでしょう。今世紀に入った頃からでしょうか、宮澤賢治の暮らしぶりが人々の関心を呼び、彼の作品が其処かしこで愛読され、引用され、変換・脚色され、静かなブームを呼んだ時期もありました。それだけに、観光産業振興の為に、賢治の「作品」を引用したい気持ちは分かります。
が、却って、こうした「駄作まで歌碑に彫り込まれ、広く顕彰されている現象」は、早世した本人には意外であり、苦笑させられる現実かもしれません。
「ブームとなるのも善し悪しだ」と再考させられました。
この一年、このブログを読むのが楽しみでした。どうぞ、佳い年をお迎え下さい。
(かねごん)
Yozakura様ありがとうございます。
いっぱい元気を頂きました。来年も宜しくお願い致します。
投稿: Yozakura | 2015年12月31日 (木) 16時19分