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2015年10月15日 (木)

嫌なことを嫌だと言えない社会

かつて、人は本当のことを言うと怒るという記事を書いたのだが、数年経った今でも、アクセスが結構入って来る。

僕もそうだけれど、自分の欠点や醜さは、本当は自分が一番知っているのだ。そのことに向き合うことが嫌なものだから、ごまかして逃げまくっている。完璧であることなど所詮無理なのに、まともなふりをして疲れてしまうのだ。

そもそも正常であることの定義とか、幸せの定義とか、愛だとか、抽象的な価値観や定義に僕らは頼りすぎる傾向がある。社会を生きて行くために必要なバランス感覚を、行動で培うのではなく、理論ありきで保とうとするがゆえに、考えすぎるのだ。

嫌なことを嫌だと言えない社会。本当は自分が一番なのに、それを鼓舞できない社会。権力に身をゆだねて、日常の糧を得なければならないジレンマにじくじくたる思いの人間は多い。

学校を終えてから、ずっと塾業界に身を置いてきた。ぼちぼち33年ほどになる。一応先生などと呼ばれているけれど、自分のアイデンティティは先生などと呼ばれるものじゃないことは重々承知だ。

例えば先生だからという括り、生徒だからという括り、対等であるはずのスタンスが捻じ曲げられ、信頼関係が欠如している教育が見えて来る。従順と素直さは違うはずなのに、従順であることを強制される社会は、支配者階級の具弁をそのまま近世から受け継いできた悪しき習慣であり、そのことによる個性の喪失は減少することは決してない。

僕らの頃には100点満点のテストで20点以下などと言う生徒はゴロゴロいた。勉強が出来ないことに恥じらいもなく、快活にそして大胆に生きていた。それぞれが曲がりになりにも家庭を持ち、いっぱしの顔をしている。

ところが今はどうだろうか。10点台の点数を連発するものならば、すぐに何らかの障害を疑われ、カウンセリングと称する精神的鎮静剤を処方される。たかがテストの結果で自信を失わされ、希望をはく奪される。

高校ぐらいは出ないと職がないと脅かされ、大学をでないといい給料がもらえないと脅かされる。脅迫観念で強制される努力だから、子どもたちは努力を嫌うのだ。

自由を得るために僕らは努力が必要なのではないだろうか。何ものにもとらわれない自由な思考や希望を実現するためのに、僕らは努力が必要なんじゃないだろうか。権力や組織に低頭してお金を得ることは悪いことではない。しかし、そのとを強制する社会であってはいけない気がする。

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