宇宙森羅万象の中で
心の安らぎを求めてとか、安定のある暮らし、なんてフレーズが巷に溢れているけれど、僕はそれって単なる執着じゃないかと思うんですね。健康にしてもお金にしても、いつまでもあるものじゃないし、命と共に流転して行くものですよね。
結局この宇宙森羅万象の動きを見ていればわかるように、安定なんてものはそもそもないんですよ。太陽系の惑星が銀河系のはじっこを金魚のフンのようにどうにかくっついて回っているのも、地球が23.4度の傾きをかろうじて保っているのも、安定などでなく、変遷や流転の過程なんですね。
人は生まれて死んでゆく。形あるものは壊れる。全く自然なことなんですよね。この自然なことを何とかしようともがき苦しむのは、自然の摂理に反しているような気がするんですよ。
努力→成功→安定なんていう図式を追いかけていると、そのバランスが壊れた時にどうしたらいいのか、てことに苦悩するわけだけれど、とりあえず毎日を明日に向かって生きて行くことでいんじゃないでしょうか。
僕もようやくオヤジが生きぬいた年齢になります。この年でオヤジは死んだんだな~と思うと、ちょと残念な気もするけれど、それも宇宙森羅万象の変遷の中での宿命だったんだろうなと思っています。
僕のブログのタイトルではないですが、わくわく生きて行くことが、人生の本質のような気がするんですね。とにかく人生何かで迷ったらわくわく感を感じる方へ舵取りをすればいんじゃないでしょうか。わくわく感があれば、少々大変でも頑張れますもんね。
お金を稼ぐことにわくわくするならば、とことんお金を稼げばいいし、恋することにわくわくするならば、死ぬまで恋をすればいいと思うんですよ。ギャンブラーであることにわくわくする人は、世界一のギャンブラーを目指せばいい。僕はそう思うんですよね。
物事は常に流転している。だから価値観なんてものも、一瞬に崩壊するんです。恋愛だってそうじゃないですか、死ぬほど愛しているなんて言って、結婚したカップルのうち30パーセントが別れてしまう。いいとか悪いとかじゃなくて、こういった社会で、絶対的な基準を作ろうとすること自体が無理なんですよ。
競争社会だから頑張れって言うけれど、競争社会って必ず敗者が出るじゃないですか。敗者は敗者なりの生き方があっていんですよ。100メートルを10秒で走る人は、なんとかオリンピックに出たいと思うかもしれないけれど、13秒でしか走れない人は、そんなこと考えもしないですよ。なのに勉強や学歴の世界では、そんなことは微塵も態度にあらわさず、みんなおいこまれていく。おかしいですよね。
どんな人だって、他人が経験できない経験を持っているんです。そのこと自体がすごく素晴らしいことなのに、お金や実益に絡まないと無視されちゃうんですね。もし神様がいるとしたなら、神様は本当に実益に絡むことだけを推進しているんでしょうか。僕は違うと思うな。やっぱり神様もわくわくしたいんじゃないかな。
生きてきた間に、捨てきれず背負い続けてきたものを一度投げ出してみれば、自分の本来の軽さが実感できると思うよ。こだわりを捨ててわくわくしてみませんか。
震災後年収15万まで落っこちて、でもこうやって結構わくわく生きている僕がいうのだから、間違いないと思います。ハイ。
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