金田庄太左衛門
土曜日に一関市立川崎中学校の文化祭にお邪魔しました。木のぬくもりが温かい素敵な校舎でしたね。
帰りに川崎図書館に寄ったのですが、ふと考えれば、震災後初めての川崎図書館という事でした。久しぶりの感じがしたのも当然でしたね。
図書館でこんなものを見つけました。
仙台人名大辞書、伊達藩の人名辞典の復刻版と言えばいいでしょうか。江戸時代に於いて伊達藩で何かしらの業績を残した人達を記した人名辞典ですね。ひょっとしたらと思い、金田姓を検索したところ、載っていました。我が家の祖先が。金田庄太左衛門です。
持ち出し禁止の辞典だったものですから、図書館司書のかたより写真撮影の許可を頂き、ここに掲載させて頂きます。
奥州平泉の藤原氏が滅亡した後、鎌倉時代から陸奥を支配したのは葛西氏です。その葛西氏も戦国の時代に歴史の表舞台から消えるわけですが、我が祖先は葛西氏に属する一派だったようで、葛西氏滅亡後農民として磐井の地で田畑を耕して暮らしてきました。400年間も。
僕の名前の本名は、庄太左衛門から漢字をもらっていますし、漢字こそ違いますが、息子長男の名前も庄太左衛門から頂いています。昔からの土地で20代近く続いてくると、家を離れることはプレッシャーなのではないかと言われますが、まさにそうで、東京に出た僕は、長男としての使命を祖先から常にインプットされてきた感じがして、気づいてみたら、磐井の地で寺子屋をやっていました(苦笑い)。
こんな僕をご先祖はどんなふうに見ているんでしょうかね。ちょっと複雑な心境ではありますね。
新学期のカリキュラムのご案内➡大験セミナー
« ふるさとの山に向かいて | トップページ | 浪分神社その古代の残像 »
コメント