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2015年10月 8日 (木)

格差・格差・格差

宮城県内の小・中学校に通う児童生徒のうち、16・5%にあたる32000人の家庭が、給食費や学級費が払えず、特別支援を受けている。このうち東日本大震災で被災した家庭の児童・生徒数は10512人となっている。

震災から来年の3月が来て、もうすぐ5年になる。被災地である沿岸の街では、復興できる方々はすでに住居を構え、日常の生活が始まっているが、いまだ仮設住宅に住んでいる方々は、引っ越しをするお金さえ無く、食料を確保することもままならない状況の日々が続いている。

震災後世間は、アベノミクスがどうのこうのと、マスコミ媒体の策略に翻弄されているが、豊かになったのは株の投資家や、一部の上流階級で、一般家庭に及ぼされた恩恵はない。

消費税の値上げに付け加え、TPP交渉が本決まりになり、農業・畜産の収入で地盤を築いてきた東北は、これで沈没しかねない状況に追いやられる。平均年収が200万円を超えない生活環境は、人々の生きる希望を希薄にしてしまっている。

3人に1人が年金や介護保険を支払わない、いや支払えない実情は、この国の格差社会を象徴している現象だ。

先日自営業を営んできた老人の方が言っていた。わしら夫婦は1ヶ月12万円の年金で、かつかつの生活をしている。一方年金をかけてこなかったご夫婦が、お金がないということで、生活保護を受けて、わしらより多くのお金を支給されているのは理不尽だと。

日本だけの事ではない、アメリカの格差社会はもっとひどい。全国民の34パーセントが銀行に通帳を作れず、カードを所持できない貧困層なのだという。

富めるものとそうじゃない人間の境界線は、最終的に老後の暮らしを不自由なく過ごせるかどうかだろうと思う。反対の意見もあるかと思うが、経済優先の核家族化が逆に日本やアメリカの経済格差を生んだ一番の要因だと僕は考えている。

仕事を求めて都会に流失していく若者たちを停める手段はもはやない。しかしそのことで疲弊していく地方の実情が、日本人の根本の生活力を弱体化してきたのではないかと思う。

東京に暮らす方々の2代、3代を遡れば、そのほとんどが地方の農村地帯にルーツを持つ人たちだ。我が家のように400年近く辺鄙な山里に縋りつき農業を営んできた家など、日本ではもはや稀人だ。

かつてこんな話を聞いた。都内の小学校で、お米を育てるということで種まきをしようと言うことになったらしいのだけれど、親御さんと一緒に若い担任の先生が、児童たちと家から持ち寄った白米を土に撒いていたということだ。

笑い話としてやり過ごせない切ない感覚が、押し寄せてくるのは僕だけだろうか。工業国として成功したこの国は、次に第3次産業に労働力が怒涛の如く流失してきた。ものを作る感覚は、今の現代人には稀薄だ。

人間が生きて行く中で一番重要なのは、パソコンでもなければ、自動車でもない。食料だ。その食料を得る手段として教育がある。その教育の格差が経済格差を作ってしまっているこの社会の構造には、ゆがみと言ってしまうにはあまりにも深い溝が横たわっている。

物事を理解する力は生きる力に直結する。だからみんな歯を食いしばって頑張って勉強しているのだ。そのことで格差が生じる社会なら、肝を据えて頑張るしかないだろうと思う。一度逃げてしまうと逃げ癖がついてしまう。負けてもいいからぶつかってみればいい。かならず得るものはある。

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