4300回目のつぶやき
雑然とした都会の街を彷徨っていた僕は、きっとその雑然さに不確かな希望を模索していたのかも知れない。若者たちはきっと若さというものを実感していない。年をとって青春時代の憂鬱や輝きを振り返ることが出来るのだろうと思う。
人生のなかで自分が初登場した日のことを覚えているだろうか。初めて恋した日。初めて怒りを感じた日。初めて敗北を感じた日。その時の自分の胸の内を記憶しているだろうか。
がんじがらめの日常を脱却するために、僕は自分を信じる手段を探していた。きっと今も僕は探し続けているのかも知れない。40を過ぎ50を過ぎ、僕はやがて還暦を迎える。でもそれは物理的に年をとっただけで、本質は何も変わっていない。見事なくらいに。
こどもの頃に夢いていた世界を実現できた人間は幸福だ。しかしそうじゃないとしても、それはそれでいんじゃないだろうか。過ぎてきた時間はかけがえのない時間なはずで、嘘はないはずだ。
僕らは不自然なくらいに、自己犠牲を美徳と考えてしまう。自分のやりたいことと、周りの状況を天秤にかけて、諦観を装ってしまう。それにもかかわらずどこかで叫んでいるのだ。私を見て!と。
一杯のコーヒーに救われる時がある。それは人生の香りのようだ。嵐が吹き荒れた後も、別離の後も、いつものように口にするコーヒーが、生きる希望を与えてくれる。
それほどまでに日常というのものは、単純でそして複雑だ。だから歩み続けることに意義がある。
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