僕のブログを読んでムカついていませんか
昨日30キロの米袋を運んだら、今日は腰が少しやばい。日頃の鍛練がなされていなかったことを自覚する。
ところで神社庁から来年のカレンダーが出された。三碧木星の僕の運勢は◎。躍動の年だと書かれている。ちなみに今年はまったく沈滞気味の年だったし、継続中だ(苦笑い)。
だめな年にはだめな年なりの対処の仕方というものはある。ジタバタと動かないことだ。空回りは体力を消耗させる。そう自分に言い聞かせている。
突然だけれど今日は塾の話をしたい。本来塾ブログなのだから当然と言えば当然のことなのだけれど・・・(笑い)。
暗記力というものは、確かに個人差があるけれど、好きな分野の記憶ということに関しては、全くイーブンだ。例えばアニメのキャラの膨大な名前を暗記している生徒をみると、この暗記力を苦手な歴史の暗記に向ければ凄まじいのになと思うわけで、勉強が苦手という概念がどうも揺らいでしまう。
暗記が得意な生徒が学校での成績が良いのは当然なのかも知れないけれど、暗記が苦手な生徒が勉強が出来ないのかというと、それは違うような気がする。
僕たちは見知らぬ人に逢った時、その人がどのような人間かを知ろうとするわけだけれど、その時感知している我々の脳は、膨大な情報を処理している。服装、髪型、目つき、話のトーン、匂い、しぐさ、そして言葉の内容などなど、過去に於ける様々な体験や、知識が総動員されて、僕らは人物を認識し評価して行く。
塾には様々な個性の持ち主がやって来る。話を振っても沈黙する生徒。漫談的なトークでストレスを解消していく生徒。威圧感を与えると集中する生徒。勉強以外の関与を嫌う生徒。その真逆の生徒。僕も経験値や本から得た知識を総動員して塾生を把握しようと試みる。
学校での成績、友人間での立ち位置、家庭環境、趣味、部活等々、彼ら彼女らの生きてきた歴史を掌握する作業無くしては、個別指導は成り立たない。
受験に必要なことを教えてくれればいいという生徒や親御さんがいると思うのだけれれど、それならば受験用教科指導ソフトを買ってきて、自宅でパソコン学習をすればこと済むだろうと思う。雨の日や雪の日にわざわざ塾に通って来る必要はない。
ところが社会システムは、パソコン相手にゲームをやる感覚で受験勉強ができたとしても、それでこと足りることはない。我々は感情の生き物だ。そのことを忘却してしまうと、多面的な日常の損失が生じる。
感情をキャッチチングできる会話力が必要なのだ。いまの中高生は大人との会話が出来ない。他の世代が所有している知識や経験値を引き出す能力が劣化している。したがってムカつく日常が普通になってしまう。
受験もムカつけば、親の言葉も先生のことばもムカつく。それが子どもの世界でとどまればいいのだけれど、親世代まで拡散する。
・・・・僕のブログを読んでムカついていませんか。
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