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2015年9月

2015年9月30日 (水)

今年の僕の心情にぴったりくる歌詞とメロディーなんだね

秋はバラードが心に沁みる。実は今年僕はこの曲を100回以上は聞いている。なんか今年の僕の心情にぴったりくる歌詞とメロディーなんだね。

自分の想いとは裏腹の年がある。生きていれば当然のことだけど、そんな年は沈黙せざるを得ないよね。

稲刈りが終った田んぼの風景を見ながら、この歌を聴いているあと片手で還暦を迎えるおじさんがいる。若くはないけど、どうにか感性だけは、保ってきた気がするな。

自分が成長してきたと思っているのは、実は勘違いで、うまく誤魔化すすべを身につけてきただけかもしれない。

温度差でちょっと体調を崩したせいか、今日はブルーモーションの一日だ。こんな日もあるな。

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2015年9月29日 (火)

秋の1日

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朝食を終え、家内と息子が仕事に出かけた後、植木の剪定をし、庭先のベンチに腰掛け、ぼ~と自宅前の風景を眺めていた。今日は風が強いが、雲一つない晴天だ。

いつもの時期だと、この風景の中に、わが家の田んぼのほんぎょが飛び込んでくるのだけれど、コンバインで刈られた田んぼは、秋の風が爽やかに流れ、時々シラサギが舞い降り、餌を探している。

生まれ育った山里の風景は半世紀の間変わりはない。かやぶき屋根が点在した風景が、今風の新しい家になり、道路が舗装されたくらいで、全く時間がとまったままだ。

最近久しぶりにディケンズのクリスマスキャロルを英文で読んだ。お金の亡者が、ゴーストに自分の過去や未来を見せられ、心を変えるといういたって単純なストーリーなのだけれど、人が苦しんでいる人を助けない理由というものをちょっと考えてみた。

自分で稼いだお金は自分のものだから、恵んでやる必要はないということなのだろうけれど、お金持ちからしたら貧乏であることは、自己責任なのだと考えているんだろうなと思う。

先日こんなことを言っていた老人の方がおられた。年金をかけてこなかったから、生活保護を申請する方がいるけれど、国民年金をずっとかけてきた自分が、生活保護者より少ないお金で生活しなければならないって変ですよね、って。

結局国民年金をかけていても、僕の父のように50代で死んでしまえば、何も出ない。役所から葬儀代の名目かなんだかわからなかったけれど、2万円ほどのお金を支給されただけだ。年金は言ってみれば生活税みたいなもんだと諦めるしかないんだろうな。

僕も自営業なので国民年金だ。支払いがアップアップの状況が幾度もあったけれど、何とか支払ってきた。でも65歳からもらうにしても夫婦で1ヶ月12万円しかもらえない。もちろんそんな金額では生活が出来ないので、死ぬまで働くしかない。

昨日からオータムジャンボ宝くじが販売になった。財布を見たら4785円しかない。カレンダーを眺めればまさに月末だ。当たらないものを買っても仕方がない。今回はやめておこう・・・。

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2015年9月28日 (月)

巨石信仰~古代から現代への架け橋

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この写真は、昨年遠野の南部曲がり家である千葉家を訪れた時に撮影した磐座である。磐座と言う表現が適切かどうかわからないが、裏庭にあった巨石だ。 

昨日は震災復興のボランティア活動をしているターヘルさんの招待で一関千厩の小梨に行ってきた。場所は、震災支援の拠点のために篤志家が古民家を買い取りリホームした会場だった。大きな蔵が建っていた。三つも。

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僕はふと昨年訪れた遠野の豪農千葉家の曲がり家の空気感を思いだしていた。ひょっとしたら家の裏に磐座があるのではないだろうかと自宅裏にまわると・・・

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あった。かなりの巨岩だ。僕のブログを読まれている方はご承知かと思うが、震災後僕は、東北(東日本)で、古代に信仰されてきた磐座(アラハバキ神)に猛烈な興味を持ち探索してきた巨石オタクだ。

実は、数々の信仰されてきた巨石を眺めてきて思うことなのだが、ある種の巨岩が、土地の浄化や土地に生きる人間の波動を高める働きをしているのではないかと考えるようになってきた。

古代、自然と共に生きてきた我々の祖先は、大地のエネルーギーを感知し、ある種の巨岩に生命の波動をつかさどる力を感じ取ってきたにちがいない。世界各地にみられるストンサークルも、そういった古代人の祈りの場だったかも知れない。

一関市近辺には、巨石を中心に据えて栄えた村や古代の集落が多い。一関真柴の鹿島神社の前に鎮座する巨石も、かつての鬼死骸村の精神的シンボルだった。

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地元の歴史家の方々は僕のような考察はしないかも知れないが、阿弖流為(アテルイ)の同朋であったモレの住居があったとされる奥州市束稲山の北東部にもやはりこれに似た磐座が存在する

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いつの頃からは自宅を建てた庭に、石の祠を祀る習慣が日本で定着してきたが、これも古代に巨石や磐座を信仰してきた名残ではないかと僕は考えている。

アラハバキ神の巨石に興味がある方はぜひ、検索してみて頂きたい。ちなみに一関で圧倒的パワーを有する磐座は、一関藤沢町に鎮座する立石神社の磐座じゃないかと思っている。北上高地を眺めれば、もちろん早池峰山そのものが磐座のご神体だと思う。縁ある方は導かれるんじゃないだろうか。

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皆様に大地の恵みが幸運をもたらしますように。合掌。

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2015年9月27日 (日)

神社オタクの遍歴

神社オタクの僕は、暇さえあれば軽トラックに乗って、近隣の神社に出かける。最初は龍神探しの旅で、竜神が祭られている神社を探し出すことに生きがいを感じていたのだが、震災後は磐座やアラハバキ神に夢中になり、巨石をご神体として祭っている神社に赴く日々である。

まあ費用がかるのは軽トラックのガソリン代ぐらいで、非常に金のかからない趣味なのだが、きっと全く興味がない人から見たら単なる変人だろうと思う。

神社というのは不思議なところで、いくら立派な社でも、神主さんがいても、日々の掃除を怠っていたり、御進物のお供えをしていない神社は、わくわくしない。わくわく感が湧き出てこない神社には、神様はなかなか逗留してくれないぞというのが僕の勝手な感想だ。

僕がスピリチャルな世界に傾倒しだしたのは29歳の時。25年前の12月22日の事である。この日僕は死んだ父に逢った。正確に言うと見た。火葬が終った夜、11か月になる息子が急に泣き出した。父は孫の枕元に立ってあやしていたのである。

僕の価値観は崩れた。人は死ねば終わり。だから生きて行く人生、悔いのないようにがんばるべ、というのが僕の信条だった。無神論者に近かった。僕の父もそんな考え方だった。ゆえに神社からやってくる御札も、お寺から頂く御札も、年末恒例の押し売りイベントだと思っていた。神仏に手を合わせる習慣を持ち合わせてはいなかった。

そんなことだから自宅には位牌を置く棚はあったが、仏壇がなかった。400年近く続いてきた百姓家で、古い苔むした明神様が裏庭にあったのだけれど、残念ながら藪に埋もれていた。今思うと、全く持って断絶に向かう家運だった気がする。当主である父が55歳という年齢で他界したことで、何かが覚醒したのかも知れない。

僕は仏壇を座敷に買い求め、釈迦仏や観音様を鎮座させた。埋もれていた明神様は土台を新しくし、塩やお水のお供えを欠かさないようにした。そして四半世紀が過ぎ、僕は父が他界した年齢になった。それがどうしたと言われれば、それまでだが、神仏を大切にすることはご先祖を大切にする想いと同じだと、心から思うようになった。

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30歳半ばになって僕は急に登山を始めた。そのうちに早池峰山に呼ばれた。まさに呼ばれた。何気なく開いた新聞の記事や、戯れにスイッチを入れたテレビやラジオから早池峰の話題が毎日のように飛び込んできた。偶然は必然だ

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毎年登った。時に塾生を伴い。時に真夜中に月明りを頼りに1人登った。そのころからやたらと龍神の虜になった。龍神の置物や、掛け軸や、龍神が描かれた扇など、龍神オタクの自分が突然表出してきた。

後に、早池峰の神様が瀬織津姫と言う神様で、その化身は時に十一面観音として時に龍神の姿となって民衆に信仰されてきたことを知るかねごんであった。

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早池峰の頂上には十一面観音が祭られている。登頂の際には、頭をたれ、早池峰に来れたことの感謝を告げてみてはどうだろうか。

まだまだ僕の神社オタクの旅は続きそうだ。

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2015年9月26日 (土)

僕のブログを読んでムカついていませんか

昨日30キロの米袋を運んだら、今日は腰が少しやばい。日頃の鍛練がなされていなかったことを自覚する。

ところで神社庁から来年のカレンダーが出された。三碧木星の僕の運勢は◎。躍動の年だと書かれている。ちなみに今年はまったく沈滞気味の年だったし、継続中だ(苦笑い)。

だめな年にはだめな年なりの対処の仕方というものはある。ジタバタと動かないことだ。空回りは体力を消耗させる。そう自分に言い聞かせている。

突然だけれど今日は塾の話をしたい。本来塾ブログなのだから当然と言えば当然のことなのだけれど・・・(笑い)。

暗記力というものは、確かに個人差があるけれど、好きな分野の記憶ということに関しては、全くイーブンだ。例えばアニメのキャラの膨大な名前を暗記している生徒をみると、この暗記力を苦手な歴史の暗記に向ければ凄まじいのになと思うわけで、勉強が苦手という概念がどうも揺らいでしまう。

暗記が得意な生徒が学校での成績が良いのは当然なのかも知れないけれど、暗記が苦手な生徒が勉強が出来ないのかというと、それは違うような気がする。

僕たちは見知らぬ人に逢った時、その人がどのような人間かを知ろうとするわけだけれど、その時感知している我々の脳は、膨大な情報を処理している。服装、髪型、目つき、話のトーン、匂い、しぐさ、そして言葉の内容などなど、過去に於ける様々な体験や、知識が総動員されて、僕らは人物を認識し評価して行く。

塾には様々な個性の持ち主がやって来る。話を振っても沈黙する生徒。漫談的なトークでストレスを解消していく生徒。威圧感を与えると集中する生徒。勉強以外の関与を嫌う生徒。その真逆の生徒。僕も経験値や本から得た知識を総動員して塾生を把握しようと試みる。

学校での成績、友人間での立ち位置、家庭環境、趣味、部活等々、彼ら彼女らの生きてきた歴史を掌握する作業無くしては、個別指導は成り立たない。

受験に必要なことを教えてくれればいいという生徒や親御さんがいると思うのだけれれど、それならば受験用教科指導ソフトを買ってきて、自宅でパソコン学習をすればこと済むだろうと思う。雨の日や雪の日にわざわざ塾に通って来る必要はない。

ところが社会システムは、パソコン相手にゲームをやる感覚で受験勉強ができたとしても、それでこと足りることはない。我々は感情の生き物だ。そのことを忘却してしまうと、多面的な日常の損失が生じる。

感情をキャッチチングできる会話力が必要なのだ。いまの中高生は大人との会話が出来ない。他の世代が所有している知識や経験値を引き出す能力が劣化している。したがってムカつく日常が普通になってしまう。

受験もムカつけば、親の言葉も先生のことばもムカつく。それが子どもの世界でとどまればいいのだけれど、親世代まで拡散する。

・・・・僕のブログを読んでムカついていませんか。

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2015年9月24日 (木)

大多数的な目標値

中学3年生という年代は、いわば揺れ動きの時代だ。体力こそ大人のそれになってきたものの、精神力や感情のコントロールはまだまだ経験値がすくなく、制御する精神的体力が不足気味だ。

仮に一定基準の受験学年の精神力というカテゴリーが存在するならば、それは自分がやるべきことのリストを自分で構築できるかどうかだろうと思う。情報過多ともいえる現代に於いて、大多数的な目標値に右往左往する生徒たちは多い。

いい高校に入っていい大学に入らなければ、いい職業に就けないと言われる。いい高校やいい大学というのは、偏差値や知名度のことをさすのだろうけれど、いい職業というのは、そこから得ることが出来る報酬の有無での判断だろうと思う。

つまりいくらいい学校を終えても、稼ぎが少なければそれは評価に値しないということだろうし、学歴がなくても財を構築できれば、人生の成功者という評価が、世間一般の認識なのだろうと思う。

資格さえあればなんとか生きていけるという業種があるけれども、残念ながら学歴や職業だけでは経済力を保証してはくれない。つまり学校の勉強ができるという他に、要求されるアイテムは数多い。

言葉の使い方、性格、習癖、人間性、身体能力、そして立ち振る舞いの態度などなどが、生きて行く幸福度や充足感を培って行く。じゃあそれを教えるのは誰なんだということになるわけだけれども、残念ながらその指導者を選択するすべが困難なのが現代社会だ。

かつては地域の長老的存在だったり、学校の先生だったりした。しかし世代間の交流が希薄になり、教育者そのものが学校教育そのものの管理の中で、自由度が奪われてしまった今、公務員的な人間を師として仰ぎ見る若者は少なくなった。

最近僕が危惧しているのは、人間性のインフラだ。道徳基準の不整備が人生の歩みの幸福感を著しく阻害しているように思えてならない。本当は人生というものは、あとで足し算して割れば平均的なものなはずなのに、どこかに過度な幻想を抱いて、そのことに落胆しているのが現代人のような気がする。

中学生の実態もそうだ。部活動も勉強もやれば出来るはずだとはっぱをかけられる。人は平等だと叱咤激励される。悪い冗談はやめてくれよとうそぶく人間は、世の中に過度な期待をしていないので、果てしなく緩慢だ。しかしその緩慢さのなかに、生きるしたたかさを持っている。

学校の勉強が出来るのだから、僕は尊敬される存在だと思っている人間がいる。緩慢さと激突するのは火を見るよりも明らかだ。原子力発電は燃料費がかからなくてクリーンだと言っていた人間は、きっと効率というものを優先してきたはずだ。それは勉強だけしていれば、お金もちになれると考えている思考と似ている。

両者に欠落しているものは、想像力だ。寄り道をしない思考は、思考のインフラが充実しない。自分の経済理念で弱者を排除する。

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2015年9月23日 (水)

4300回目のつぶやき

雑然とした都会の街を彷徨っていた僕は、きっとその雑然さに不確かな希望を模索していたのかも知れない。若者たちはきっと若さというものを実感していない。年をとって青春時代の憂鬱や輝きを振り返ることが出来るのだろうと思う。

人生のなかで自分が初登場した日のことを覚えているだろうか。初めて恋した日。初めて怒りを感じた日。初めて敗北を感じた日。その時の自分の胸の内を記憶しているだろうか。

がんじがらめの日常を脱却するために、僕は自分を信じる手段を探していた。きっと今も僕は探し続けているのかも知れない。40を過ぎ50を過ぎ、僕はやがて還暦を迎える。でもそれは物理的に年をとっただけで、本質は何も変わっていない。見事なくらいに。

こどもの頃に夢いていた世界を実現できた人間は幸福だ。しかしそうじゃないとしても、それはそれでいんじゃないだろうか。過ぎてきた時間はかけがえのない時間なはずで、嘘はないはずだ。

僕らは不自然なくらいに、自己犠牲を美徳と考えてしまう。自分のやりたいことと、周りの状況を天秤にかけて、諦観を装ってしまう。それにもかかわらずどこかで叫んでいるのだ。私を見て!と。

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一杯のコーヒーに救われる時がある。それは人生の香りのようだ。嵐が吹き荒れた後も、別離の後も、いつものように口にするコーヒーが、生きる希望を与えてくれる。

それほどまでに日常というのものは、単純でそして複雑だ。だから歩み続けることに意義がある。

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磐座探訪~一関愛宕権現

先週の岩手日日新聞の記事で、愛宕権現の磐座の存在を知った僕は、塾に行く途中一関真柴の柳沢の愛宕神社に向かった。

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赤い鳥居をくぐると左側に黄金山と記された石塚が祭ってあった。かつては金鉱が産出した山だったのかも知れない。頭を垂れてて、急な参道を登って行った。

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磐座をご神体とした、愛宕神社が姿を現した。6メートル近い巨石である。正面には愛宕権現という文字が刻まれている。

数多くの磐座をご神体とする神社を訪れたが、岩そのものに神の名を刻んだ磐座に遭遇したのは初めてだ。この神社がある街道は、江戸時代にぎわった迫街道に続く道だ。歴史の重さと人々の祈りを感じる磐座であった。

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2015年9月22日 (火)

歴史的勝利

歴史的な勝利をあげたラグビー日本代表が会見し、次のスコットランド戦への自信を語りました。キャプテンは南アフリカ戦勝利に導いた最後のプレーの秘話も明かしてくれました。
 イギリス南部ブライトンで行われた日本代表の記者会見には、海外メディアの姿が数多く見られました。その中で、監督の言葉は次を見据えたものでした。

 「1回だけあっと言わせるためじゃない、我々は優勝しに来たんです」(ラグビー日本代表 エディー・ジョーンズ監督)

監督 会見後、キャプテンのリーチ選手は、南アフリカ戦で同点を捨て最後に行ったスクラムの選択は監督の指示に反したものだったと明らかにしました。TBSニュース

僕は正直ラグビーのことはあまり詳しくないのだけれど、今回の日本の勝利は歴史的な勝利らしい。

日本のチームと言えども、あまりにも外国人が多いので、どういう事か詳しい事情を塾生に聞いたら、日本国籍がなくても、3年以上日本に住所があれば選手として登録できるとのこと。かなりアバウトなルールなのだが、それによって国ごとのレベルが均衡的になれば、確かにおもしろいかもしれない。

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ところでラグビーの話とは全く関係ないのだが、去年から僕は俳優の吉田剛太郎さんに似ていると、いろんなところで言われるのだけれど、髪型に関しては、ラグビー日本代表監督のエディー・ジョーンズ氏に似ていると言われる。裏街道っぽい目つきもそっくりだと生徒たちに言われる。

これって褒めてもらっているんでしょうか。よくわからないかねごんである。

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2015年9月21日 (月)

自称プレアデス星人のブログ

今年もプレアデス星団(すばる)が天中に輝く季節になった。

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自称プレアデス星人などとブログで書いたりするものだから、時に熱狂的な宇宙人ヘチの方からメールや手紙を頂く(笑い)。

スバル星団に惹かれる理由はうまく説明できないのだけれど、小さい頃から、苦しい時、哀しい時、この星を眺め、癒されてきた。

現在乗っているスズキの軽トラックの前は、スバルの軽トラックに乗っていた。それも23年間も。勝手にプレアデス号と名付けて。

 

プレアデス星団が夜空に現れると、一気に季節は紅葉の時期に突入する。そして僕の仕事も佳境に入る。

さて中総体新人戦も終わった。ストイックにそして大胆に、生徒たちには頑張って欲しい。

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2015年9月20日 (日)

安保関連法が成立する前に

安保関連法が成立する前にFBで僕が下記の事をつぶやいたら、Aさんからコメントを頂いた。うまく自分の感情の理由を言えないんだけど、コメントを読んだら涙が出てきた。

【自衛隊派兵に思う】
僕の塾の卒塾生の中には自衛隊に入る生徒が時々いる。防衛大を受験する生徒こそまれだけれど、航空自衛隊・海上自衛隊でがんっばっている教え子たちがいる。
自衛隊派兵が決まれば、自衛官に応募する生徒が激減するのは火を見るより明らかだ。日本に於いて徴兵制がはじまるのも時間の問題だろうと思う。
こうなってくると、選挙権の年齢を18歳にしたり、酒タバコも18歳以上にしようとしている意図が、徴兵兵をにらんだ伏線に思るえてくるのは、僕だけだろうか。
自衛隊入隊者が激減したら、奨学金滞納者を強制入隊させるべしなどという冗談にしてはあまりにもディープな話まで流れて来る昨今だ。...

この流れ、止めないと本当にやばいと思うよ。

 

Aさん・・・・・確かにそうですね。

 

かねごん・・18歳を成人扱いとして、高校卒業後兵役の義務なんて構想を考えているんじゃないのかと勘ぐってしまいますね。

 

Aさん・・・・・でも、確かに自分も海自ですけど人は足りないですね。笑

 

かねごん・・教え子が海上自衛は一番きついけど、一番日本を守っているセクトだと自負していました。大変だと思いますが、宜しくお願い致します。

 

Aさん・・・・はい!戦争にならないのが一番ですが、なったら盾となり戦います。

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暗黙の了解

塾生に、わが家の朝食は僕が作るんだと言ったら、めちゃ尊敬のまなざしで見られたのだけれど、勘違いされるといけないので今朝の献立をちょっと公開。

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僕は朝起きると、南部鉄瓶に井戸水を入れ火にかける。友人である佐惣珈琲豆店の店主が焙煎したコーヒー豆をガリガリと手で挽きドリップする。

パンは、ジョイスで半額になる時間帯を見逃さず買って来きたものを、ガスレンジであぶる。毎朝欠かせないのはサラダ。レタスとトマトときゅうり。たまにパプリカを添えたり生ハムを添えることがあるが、基本はレタス。

その間に家内は、家族の弁当を作成。この分業は暗黙の了解で続いている。ちなみに昼食の時間に僕が家にいる時は、家内が弁当に作った食材のあまりものを頂く。

朝食を準備すると言ってもこんなものである。ところで野菜が高くなるこれからの季節、工夫が必要かも・・・・・。

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2015年9月19日 (土)

続・部活に思う

どうもこんにちは。老体に鞭打って中学生の部活を指導しているかねごんです。

最近部活動に対して、肯定的な話をあまり聞かないのだけれど、それって運動が苦手な人のやっかみなんじゃないという言葉で済ますことが出来ない状況が、巷に溢れているような気がするのですね。

部活に対する問題点その1

僕らの頃は絶対あり得なかったことだけれど、公立の中学校でも部活動のために越境入学することが許されてしまうってこと。そもそも、それを認めてしまうと、戦力のバランスが偏ってしまって面白くないんだよね。

○○の中学校に入れば全国が狙えるとか、自分の学区にはやりたい部活がないとか・・・。気持ちは分からないわけじゃないけれど、それを許しちゃうと学区制がなんのためにあるのか分からなくなっちゃうよね。

部活に対する問題点その2

必ず部活に入らなければならないという選択も微妙だよね。確かに部活動は学校教育の一環だけでれど、部活動が原因で不登校や保健室登校になってしまう生徒がいるって聞くと、強制もどうかなと思うね。例えば野球の公式リーグに入っているとか、ダンススクールに通っているとか、合気道を習っているとか、そういった学校外活動をしている生徒の活動を部活の変則形態として認めればどうなんだろうか。だめかね・・・。

部活動に対する問題点その3

これは僕の塾に通う中学生が遭遇する問題なのだけれど、毎日夜間練習をしているスポーツ少年団や育成会があるのだけれど、塾のために休むと言うと、「レギュラーから外すぞ」とか「塾と部活のどっちが大事なんだ」等の恫喝まがいの発言をするコーチがいるらしいんだよね。はっきり言って営業妨害だし、自由の尊重がなされていないなって思うね。

そのコーチが勉強の面倒まで見てくれるならまだしも、そこまで言う権利はないと思うのだけれど、同業者の皆さんどう思いますか。

部活動に対する問題点その4

はっきり言ってお金の掛け過ぎだね。学年が変わるごとにユニホームを新調したり、練習試合と称して県外等の遠征が多くて、出費がかさみ過ぎ。このご時世、家計が大変なところも多いと思うのだけれど、無理をしているご父兄も多いのじゃないかな。

勝つためにはこれくらいお金も時間も必要なのっていう意見もあると思うけれど、僕はちょっと違うような気がするね。有無を言わせぬ統制というのが嫌いだね。学区制をゆるめるなら、部活動の在り方も違ってきていんじゃないかな。

文化部の種類が極端に中学校では少ない。まるで文化部に入らないで運動部に入りなさいと言わんばかりの選択肢のなさだ。

僕はスポーツは大好きだ。でもさ、だからって言って人に強制はできないよね。人それぞれなんだよね。わかって欲しいと思っている子どもたちは多いと思うよ。

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2015年9月18日 (金)

初老オヤジの憂い

外は土砂降りの雨だ。また稲刈りが延期という感じだ。もう雨はいい。

昨日とある本を読んでいたらこんなことが書いてあった。

「地方の離婚の多さは、少ない出逢いの中で結婚してしまうせいだ。さして惚れ合ってもいなからいとも簡単に浮気する」

かなり辛辣な表現だが、様々な想いをかきたてる言葉ではある。出逢いが少ないのは田舎に限ったことではない。都会とて同じだろう。

離婚問題というのは、本当に子どもにとって深刻な問題だ。実はこのブログを僕の親戚も何人か読んでいるようなので、身内のことはなかなか書けないのだが、あえて今日のテーマの離婚ということで書かせて頂く。

僕はこの年代では珍しく一人っ子だ。しかし父親の兄弟が多く従兄弟がいっぱいいる。その従兄弟たちの中に、長男が7名いるのだが、離婚率は70パーセントだ。冠婚葬祭などで顔を合わせても、離婚して子どもが母親側に引き取られているので、子どもの話は基本的に禁句だ。

僕の長男の小学校時代の同級生の親御さんは、45パーセントがすでに離婚している。驚異的な数字だ。

我々の世代では、お見合い結婚が多かったように思うのだが、周りを見渡すとお見合いがきっかけで結婚したカップルの離婚は少ないように思う。

熟年離婚はすでに子育てが終わっているので、子どもへのダメージは少ないだろうけれど、若い夫婦の離婚の増加は、教育上様々なビハインドを子どもたちにもたらしてしまう。

携帯の普及に伴って離婚が増加してきたということも言えるのだが、問題は性の意識が欧米的になり、あまりにもオープンになってきたことが、家庭崩壊の一因になっている気がする。

成人式に於ける性意識のアンケート調査を見ると興味深い結果が出ている。昨年の調査によると、成人式を迎えるまでに性的な関係を伴った恋愛を経験したのはわずか18パーセントなのだと言う。わずかと言うのは僕の個人的な感想なのだけれど、皆さんはどう受けとめるだろうか。

高校生や中学生に結婚願望を尋ねると、女子生徒のほとんどは結婚を早くしたいと答えるが、男子生徒は結婚には前向きではない。

「自分が働いたお金を家族や子どものために使われるのは嫌だ」こんな回答をしてきた高校生の男子さえいる(笑い)。

結婚を維持できる精神性が現代の男子には欠如しているのだろうか。離婚率の増加を心配する前に、結婚しない若者の増加を心配した方がいいかも知れない。

高校によっては生徒間の濃密な恋愛を禁止している学校もあるわけだが、逆に高校時代あたりにしっかりした恋愛を経験させないと、そのまま大人になっても恋愛が出来ず、結婚にいたる恋愛を出来ない若者が増加していくのではないかと危惧している。

息子や娘の成人式に、喜々としてビデオカメラを抱えて出かけて行く現代の親御さんたちを見るにつけ、いろいろと考えさせらてしまう。

離婚がいけないとかいいとかという議論はさておいて、人間を愛することの意味を、文学作品を読まなくなった若者たちに教示する必要はありそうだな・・・・

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2015年9月17日 (木)

9月号テストは二次方程式

今週の実力テストを前にして中3生は、必死だ。

特に数学のテスト範囲が二次方程式なものだから、数学がちょっと苦手な生徒たちは、解の公式の解法に取り組んでいる。

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因数分解で解ける問題をあえて解の公式で解かせてみるのだけれど、なかなか解答が一致しない状況もあって、大変だ。

ありがちなミスはマイナスの付け忘れであったり、素因数分解のケアレスミスだったり、集中力が大切だ。あせらず、あせらず、落ち着いて行ってみよう。

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2015年9月16日 (水)

自問自答してみた

今日で一関一高の定期テストも終わったと思いきや、今度の土曜・日曜日は中学3年の実力テスト。その間、中総体新人戦で、僕は体育館に出ずっぱりだ。連休明けは中学校の中間テストだ。

忙しい。震災前まではこれに田んぼの稲刈りがかぶさっていた。そして高校での授業があった。今のスケジュールからは考えられないような日常が数年前まではあった。

今日お彼岸を前にしてお墓の周りの草刈り作業をやってきたのだけれど、一体この時期お墓掃除をしたのは何年振りだろうかと、自問自答してみた。本当に忙しかったなあ~と思う。

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今次男は就活中だ。彼が職に就けば、とりあえずお金のかかる人生の峠は越える。老後のために蓄えをしなければならない年齢になってきたのだけれど、残念ながらそのゆとりはない(苦笑い)。

僕の家のお墓のすぐ後ろのお墓を所有しているご主人は、某ゼネコン社員なのだけれど、1回のボーナスが、僕の2年分の年収に匹敵するらしい。原発を作っては儲かり、除染作業では儲かり、お金が集まるところにはどんどん集まる。お金がやって来ないところには、やって来ない。

まあ仕方がない、これが人生ってやつだろう。もちろん彼の家のお墓の周りも、草刈り作業をやってきた。

ふと見上げると・・・・。

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アケビがなっていた。震災前は種を飛ばし飛ばし食べたものだけれど、震災後は放射能が心配で口にしていない。

さて墓掃除もやったし、ブログも書いたし、教室に出かけるか。

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2015年9月15日 (火)

白鵬さん休場

 大相撲の横綱白鵬(30)が、秋場所3日目から休場することが15日、決まった。

 白鵬は初日、2日目と精彩を欠いた取り口で連敗し、取組後、左膝の不調を訴えていた。15日朝、都内の病院で精密検査を受け、横綱昇進後初の休場を決断した。

一関場所の時は、実行委員の役得で横綱白鵬さんと写真を撮らせて頂いたり、花道から土俵に向かう際には、1メートル圏内でガード役をやらせてもらったり、なんか他人のような気がしない存在になった感がある白鵬さんです

斎藤 賢さんの写真

横綱になって8年、初めての休場になるわけですが、しっかりと故障個所を完治させ、土俵に戻ってきて欲しいと思います。

近年日本人の横綱が出て来なくて残念だという声も多いわけだけれど、白鵬さんを見る限り魂は生粋の日本人だね。それにしても凄いオーラーだったな。

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2015年9月14日 (月)

頭(こうべ)を垂れる

世の中の人間関係というものは、経済力や家柄ら学歴など様々な要因や思惑で結びついている。

人間の尊厳というと抽象的だけれど、僕らの生まれた時代を流れている思想の根源は、尊厳という言葉に集約できるのではないだろうか。差別との戦いであったり、不条理とのせめぎあいの中で、追い求め続けるのは、自分が生きているという証であり、歩んでいく人生の理由づけのような気がする。

あまたの書籍を読んでも、必死に仕事をこなしても、ふとした瞬間に、訪れる虚無感に襲われることは誰にでもあるだろう。振り込まれた給料明細や名刺に印刷された自分の役職を眺めても、そこに自分の実態があるわけではない。

70年から80年の人生の中で、自分が納得できる生を満喫することはたやすいようで、実は難しい。多くの別れや病気や事故や命の消滅が、僕らの人生の中では頻繁に訪れる。その繰り返しの中で、僕らは生きる意味を学んでいく。

学んだ先にやって来るのが、実は死なのだけれど、そのことに無常観を覚えると僕らは厄介な存在になる。自分の哲学を構築しなければ、僕らは本当の老いを迎えられない。

僕らは学校教育の中で多くの事を学んできた。しかし残念ながら生きることの大切さは教わっても、死ぬことの尊厳を教わる機会は皆無だった。その結果この日本という社会が抱えている問題に風穴を通すことはかなり困難になってきている。

生きると言うことは、どうのような死を迎えるかだと語った作家がいたけれど、間違いなく誰もが迎える死というものを僕らはあまりにも客観視してしまってきたのではないだろうか。

僕らが考える幸福というのは実にありきたりだ。恋人が欲しい。お金が欲しい。健康でありたいなど。しかし不幸は星の数ほどある。そしてその最たるものが死だ。・・・・・と、僕らの深層心理はそういった社会通念を植え付けられてきた。

すべての結果には因果関係がある。偶然と思える必然を僕らは創造する生き物だ。発する言葉が、文字が、意識が、視線が、行動が、日常を創造して行く。

感謝が大切だと言われる。ありがとうの言葉が人を生かしていくと言われる。それは、すべての命あるものが、必然のサイクルの中で生かされているからだ。その循環の力を神と呼ぶ人がいる。宇宙の意識だと言う人もいる。魂の連鎖だという人もいる。

実体のないものに右往左往することが時間の無駄という人もいるが、僕は右往左往することそのものが、人生だと思っている。

絶望や悲しみが訪れたら、愛する人を想い頭を垂れてみるとよい。家族でも故人でも誰でもいい、自分がここに存在する意味を感じるまで頭を垂れてみればいい。

僕らを縛り付けるものは何もない。生きていることが不自由なだけだ。そして不自由なのは、虚無として死を恐れているからだ。若さは一瞬の輝きでしかないから、多くの人たちがそのことに固執する。若さの延長線上に老いがやって来るけれど、それを成熟とみなす文化があまりにも希薄だ。

稲穂が頭を垂れている。収穫もまじかい。

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2015年9月13日 (日)

カエル・蛙・かえる

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龍オタクのかねごんであるが、どういうわけかカエル好きでもある。塾の教室にはカエルが鎮座している。

僕の家の周りは田んぼ。カエルがいっぱいいる。時に家の中までカエルが侵入してくる。

都会育ちの女房がカエルを触れないのはわかるとして、息子たちもカエルが触れない。ゆえにカエルを庭に戻すのはいつも僕の役目。

ところで塾の玄関のポストもカエル。

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カエルが好きな理由を語ろうとすると、時代は幼少期にさかのぼる。そしておそらく原稿用紙5枚ほどの分量になる。ゆえに今日はやめておく。いつかカエルの話をする時まで、さようなら。

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階段のダッシュ

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この配志和神社の階段で、中・高校生時代鍛えられた一関市民の方々も多いのではないだろうか。

50歳半ばになる僕は、この階段を登るだけでへろへろになってしまう。高校時代、この長い階段をダッシュした遠い日々を思うと、過ぎ去った時代の長さを感じてしまう。

部活の先輩に、釣山をダッシュするか、それとも配志和がいいかと選択を迫られるのだが、正直どちらも勘弁してもらいたい僕は、神社の階段を見るとしばらくトラウマになってしまっていた(笑い)。

昨日はずるをして、軽トラックで側道を登り塾生の努力祈願・合格祈願を奏上してきた。

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2015年9月12日 (土)

警察に厄介になるようなことは勿論困るわけだけれど・・・

僕の塾がある学区の中学校の教諭が酒飲み運転で逮捕された。彼に教科を教わっていた生徒も、何人か塾生の中にいる。

僕とほぼ同世代の先生のようだが、ちょっとした心のスキが、人生を狂わしてしまう。魔がさすという言葉があるが、何があったのだろうか。

先生という職業は、おのずと様々な制約が出て来る。ギャンブルや、けばけばしい飲食店への出入りなど、禁止されているわけではないだろうが、地方の町に於いては暗黙の了解で、学校の先生は自重していることだろう。

僕の知っている知人の先生は、プライベートで遊ぶ時は、わざわざ他県に遊びに行っている。重々大変なようだ。

僕は体質的にそんなに酒が強くないし、外に飲みに行くこともほとんどない。パチンコや競馬などのギャンブルも一切やらない。1日の小遣いをワンコインと決めているので、所詮無理な話なのだけれど・・・・。

40代50代で、公立の独身の先生ともなれば(独身じゃなくてもそうだけれど)、お金には不自由はない。自分の稼いだお金なのだから何に使おうとも文句のいわれる筋合いではないのだろうけれど、先生と言えどもそこは普通の人間、様々な欲望が渦巻くのは当然だ。

警察に厄介になるようなことは勿論困るわけだけれど、ストレス発散のために、有意義な時間は必要だろうと思う。

自分の趣味を押し付けるわけではないが、登山や農作業は精神をリフレッシュしてくれて、デスクワークをやっているかたにはお勧めだ。お金があるなら、ちょっとした土地を手に入れて、日曜農業などいいかも知れない。ついでに僕の家の休耕田の草刈りをしてもらうと助かるのだが・・・・・(笑い)。

ちなみに今は、農家の皆さんが土地を手放したがっているので、車を買うくらいの金額で、それなりの土地が確保できるようだ。ただし農地は宅地変換が難しいのでお気を付けあれ。

それにしても小さな町にしては、近年教諭の不祥事が続いている。そのどれもが飲酒運転や性犯罪だ。一生懸命頑張っている先生方に、本当に失礼極まりない話だ。

中学生や高校生の話の中に、結構学校の先生の話題が登場する。世間が思っているような、辛辣な評価はなく、僕が耳にするのは先生方のほのぼのとする話題が多い。多くの先生が生徒から愛されている。だからこそ不祥事があると生徒はがっかりするのだ。そこのことを心して欲しい。

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2015年9月11日 (金)

児童虐待相談過去最多に

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昨日の岩手日日の記事だ。児童虐待が哀しいかな増加の傾向にある。

先日も友人の外国人に尋ねられた。どうして日本では児童虐待が起こるのかと。一番の理由は経済的理由だろうと思う。

経済格差が精神的な不和を社会にもたらしている。例えば国全体が町全体が貧しければ、相互扶助や、助け合いの精神が生活の中で、ストレスの軽減になりうるだろうけれど、日本のように企業や職種によって、収入に大きな格差が生じている国に於いては、労働時間に見合う報酬が確約されず、潜在的貧困に対する不安が拡大している。そしてそれが大きなストレスになっている。

地方の就職率が安定してきたと言われるが、賃金があまりにも低い。高卒で地元の企業に就職が出来ても、手取りが10万に届かない。結婚適齢期にになっても20万円を超えることがなく、小さな子どもがいても共稼ぎを余儀なくされる。

子育てにはお金がかかる。それどころか、子どもたちが高校や大学に進む頃になると、自分の親が病気になったりして、ダブルパンチでお金が飛んでいく。

大家族制が崩壊した地方に於いて、虐待を阻止する家族内の制御機能が果たせなくなった。

老人ホームには老人があふれ、そして核家族の中では児童虐待が増えて行く。離婚率と自殺率が高くなっている岩手の状況に於いて、やはりお金の問題は無視することは出来ない。大学進学率の低さと収入の関連を指摘する声もあるが、僕はあえて言いたい。学歴は必要かもしれないが、それ以上に学力やある種の技術力が必要だと。

どうだろう。仕事などで30分も会話をすれば、その人の知性や感性の有無は見えて来るのではないだろうか。学力で性格までが改善するとは思えないが、少なくとも、収入に繋がる武器にはなるはずだ。

考えて頂きたい。大学に行かなくても、英語が堪能で、機種に関係なくパソコンが自由に操ることが出来て、自動車を持っていれば、いい仕事は一杯見つかる。僕はこの春、職安に通ってそのことを実感した。この地域で大卒を求むなどという企業は皆無だ。残念ながら、僕にはブログを書くくらいのパソコン能力しかないので、パソコンの仕事にはありつけることが出来なかったが・・・・・。

児童虐待をやっていても、虐待をやっている意識を持っていない親御さんがいる。近所の方や学校からの報告で虐待が発覚することが多い。虐待は連鎖を生む。親から虐待を受けた子どもは、やがて自分が親になった時に虐待をする傾向がある。この連鎖を断ち切るためには、専門機関や教育関係者の関与だけではだめだ。おせっかいでもいいから、僕らは虐待行為を見たら、その家族に寄り添ってあげなければならない。

被災から4年半が過ぎたが、経済の復興はほど遠い。富める者だけが勝ち組という概念が生活の中で垣間見られる。

学歴がないのも、仕事がないのも、そしてお金がないのも、自己責任だとしたら。そういった状況を見て見ぬふりをしてきた地方行政の在り方の責任はどうなのだろう。

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2015年9月10日 (木)

生徒からはぼろくそワーゲンと呼ばれていた

10年以上通勤もプライベートの旅行もひたすら愛車の軽トラックだけれども、僕にも軽トラックじゃない時代があった。

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かつての写真がないので、ウエーブ上から拝借してきたが、30代の前半は中古車センターで見つけてきた、15万円のフォルクスワーゲンゴルフに乗っていた。ちなみに西ドイツ製だ。

僕のブログを読んでいてくれる40歳前後の卒塾生の皆さんは、この車懐かしいのではないだろうか。生徒からはぼろくそワーゲンと呼ばれていた(笑い)。

なにせ自宅のある花泉から塾に向かう16キロの道のりを、オーバーヒートすることなく走りきるのがまれで、常に車内には、ペットボトルの水が必要だった。

実はいつの日か、僕が生まれた1960年代のフォルクスワーゲンに乗るのが夢だ。あのホルム、あのいかつさ、いいね~。

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2015年9月 9日 (水)

9月はジャズが心に沁みる季節だ

今日はケニー・ドリューのピアノを聴きたくなった。9月はジャズが心に沁みる季節だ。このところ雨ばかりでなかなか9月の青空を見ることが出来ないのだけれど、せめて心地よいジャズで秋を感じたい。

周辺の田んぼもだいぶ色づいてきた。今月の20頃から稲刈りも始まりそうだ。

今年はあまりにも余裕がある教室の運営に、畑違いの仕事を引き受けたりした僕だったが(苦笑い)、9月に入ってぼちぼち新入会の生徒があり、例年通りの指導風景になってきた。

今年は7年ぶりに高3の受験学年がいない。受験生は高校入試を目指す中3生と、一高附属中学を受験する小6だけだ。

例年ならば受験学年の入会をお断りする時期だけれども、今年はまだまだ余裕がある。悩み多き受験生がいるならば、ぜひ連絡を頂きたい。お待ち申し上げております。

さてジャズも心置きなく聴いたし、教室に出かけるか

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2015年9月 8日 (火)

タイミングだよね

誰でも子どもの頃があって、希望があって夢があって、そして未来があった。

毎日を生きて行く中で、多くのものを見つけていくのだけれど、失うものも多い。

周りの風景が辛辣に思えてくる頃、こどもは大人になって行く。

生きる目的や目標がどんなものであれ、生活して行かなければならない。

夢や希望を天秤にかけてきた青春時代が終わると、人は諦観を身にまとう。

楽に生きるために、夢をあきらめることも選択肢の一つだ。

妥協することで、周りとの軋轢をなくすことは時には大切だ。

でもね、一度きりの人生を簡単に総括してはいけないような気がするだよ。

いろんな家族がある。金持ちの家族もいれば、貧乏な家族もいる。

父親が酒飲みで毎日愚痴を言っていたり、けんかが絶えない家だってあるさ。

でもね、だからといって投げやりになっちゃいけないと思う。

幸せになるとか、金持ちになるとか、そういった願望は誰だってある。

努力をしているのについていないんだよという声がよく聞こえて来る。

でもね、チャンスは平等にやってくるんだよね。

人間の能力は不平等だけれど、神様は全員にチャンスを与えてくれていると思うんだ。

そのチャンスを受けとれるかどうかは、努力だと思うよ。

だめな奴こそ頑張れって言うけれど、そんなことはない。

だめな奴も、ちょっと頭がいい奴も、それなりの努力でのし上がれるはずだよ。

タイミングだよね。

神様がさ、上司や先生や友人に成りすまして、話しかけてくれているのにさ、

ムカつくとか、うるせい~だとかしかとすることがあるだろう。

聞く耳を持つってことだな。

ガキの頃って、素直だったじゃない。

だからいろんなものを短期間で吸収できるんだよ。疑心暗鬼なんかないからね。

年をとると自分が大人だと錯覚しちゃうんだな。

・・・・で、自分の能力を決めつけてしまう。

大人にならなくていんだよね。大人のほうがくだらない奴がいっぱいいるじゃん。

いつまでも夢をもって、いつまでも希望をもって、いつまでも人を愛して生きることがかっこいいと思うよ。

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2015年9月 7日 (月)

困っていることがある

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困っていることがある。

庭の植え木の剪定である。草刈はまあまあ得意なのだけれど、庭木の剪定はどうもうまくいかない。実家に戻って25年になるのだけれど、いまだにへたくそだ。

今日も雨の晴れ間をみて、植木の剪定をやったのだけれど、写真を見てもわかるように、ずたずただ。プロの植木職人に頼めばいいのだろうけれど、そんな余裕があるはずもなく、醜態をさらしている。

いっそのこと根元から切ってしまえば、剪定の必要がなくなるのだろうけれど、父や祖父が大切にしてきた植木を邪険にするわけにもいかず、日々格闘しているかねごんである。

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2015年9月 6日 (日)

浅沼利一郎著・宮澤賢治と早池峰を翔る

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この本を書かれた浅沼利一郎さんと、先月直接お会いして話を伺うことができた。こよなく早池峰山を愛する登山家で、宮澤賢治を賢治先生と呼ぶ真摯な宮澤賢治研究家である。

浅沼さんはきっと早池峰には数百回登っておられると思う。著者のなかで語られる早池峰の四季折々の姿の描写は圧巻だ

わずか15回ほどしか早池峰山に登ったことがない僕が言うのもなんだが、僕が今までに読んできた早池峰山に関する本の中では、浅沼さんの本が一番詩的だ。早池峰の美しさが行間からあふれだしてくる。

宮澤賢治の作品には、早池峰を舞台にした作品が多くある。僕が大好きな『どんぐりと山猫』もそんな賢治の作品である。主人公のかねたいちろうが、僕と同じ苗字だったこともあり、小学校のころに、シンパシーを感じて読んだのを覚えている。

そんな話を浅沼さんとしていた時に、浅沼さんから驚くべき話を伺った。なんと「かねたいちろう」の生家が実際に早池峰の麓の村にあるというのだ。浅沼さんが写した写真を見せて頂いた。

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かねたいちろうが歩いたどんぐりと山猫の森を、いつか歩いてみたいと思う。

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いよいよ受験モードに突入だ

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先月の末から始めた休耕田の草刈り作業も昨日で終わった。これで思いっきり本業に集中できる。1週間の予定が、雨の影響で10日間を要した。

途中温泉に行ったり、整体に行ったり、なんとか身体をごまかしつつ、終えることが出来た。本来ならこれから稲刈りに突入するのだが、震災後から稲刈りは委託している。正直体力の限界だ。

草刈り作業が終わると同時に、ポケットの中の携帯が鳴った。体験入学の問い合わせだった。ぼちぼちと塾屋稼業も忙しくなってきた。受験学年の中学生諸君が指導回数を増やしてきて、いよいよ受験モードに突入である。

今週は高校の定期テストが始まる。中総体の新人戦も近づいてきた。今日は午前中卓球の指導だ。

草刈り作業が終わったので、今週は久しぶりに山登りをしてきたいと思う。吹き抜ける風は、秋色だ。1年で一番好きな季節の到来である。

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2015年9月 4日 (金)

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今日の河北新報の朝刊の記事である。154名の自殺のうち、いじめが原因とされるのは2人という報告について、懐疑的な論調の新聞記事だ。

人間の精神力というのは、尺度の基準が難しい。こんなことでという理由が、驚きとなることがある。

今の教育は負けることの美学、平凡であることの幸福をないがしろにしてきたような気がしてならない。テストでいい点数を取ること、社会にでてお金を稼ぐことが、生きる価値のような思想がはびこっている。

敗者であることの安らぎや、弱者であることの平穏さをすべて否定して、勝者であること、強者であることをひたすら賛美する社会は、間違いなく生きづらい社会だ。

存在することの奇跡、生きていることの素晴らしさを、結果と言う名の評価でないがしろにされ、鬱社会が蔓延している。

命は叩かれるという字の上にカサが付いている。命というものは実に危ういものなのだ。だから守ってくれるカサが必要なのだ。それは家族であり友人であり、組織なわけだけれど、その絆が実にあやうい。

利己主義は資本主義社会の最大の汚点だと僕は思っている。自分が、自分がという意識が、暗闇のごとく社会を覆っている。本当は真の勝者などいないのに。

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2015年9月 3日 (木)

猫に小判

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休耕田の草刈り作業も9割がた終了。ゴールが見えてきた。8月後半の草刈りは涼しくてよかったが、今月に入ってからは残暑が厳しく、1時間も作業をすると、滝のように汗が滴り落ちて来る。

こんな大変な作業をするよりも,耕作してお米を収穫したほうがいんじゃないの、というお言葉を時々頂く。それは稲作農業の実態を知らない方々の意見で、今の日本の中規模農業の水稲はやればやるほど赤字になる。

30代の頃は、クラシックな農業機械でこの田んぼを耕作していた。40代の後半、体力と経済力の限界で、耕作を放棄した。コンバインとトラクターを買えばゆうに1千万円を超える。毎年安くなっていくお米の販売価格を考慮すれば、そんな出費は命取りになる。

少子化の影響で、塾の経営も大変な中、儲からない稲作のために高額の機械など買っていられない。草刈機械でさえもいいものは6万もする。全くもってOH、MY GOD!だ。

政治家が日本の農業を守るためにOX&@#などと訳の分からないことを言っているが、半年でいいから農作業をやってみろっていうの。農作業をやったこともない奴が、きれいごとの理想論を言ったて、猫に小判、豚に真珠だよ。

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青龍観音

僕の朔日参りの旅もいよいよ終わりに近づいた。今回は自宅のある花泉町から北上川沿いの道を石巻の河口までだどる半日の旅だったが、実に多くの発見があった。

釣石神社、寺cafe夢想庵、そして追分温泉と、初めての訪問する場所のわくわく感を思う存分楽しんだ旅だった。この日最後に訪れたのは横山不動尊だ。空海作と伝えられる不動明王が鎮座する、日本三大不動尊の一つである。

この横山不動尊の境内には池があって、弁財天とともに青龍観音が祭られている。この日幾つかのパワースポットを訪れた僕の感覚が、不意に何かをキャッチした。青龍観音の碑に向かって思わずシャッターを押した。

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実はこの碑は黒々とした石で、青い石などではない。なぜかきれいなブルーカラーが写真に現れた。それだけじゃない。石碑の右上をご覧いただきたい。地上の葉っぱが池に写っているのだけれど、よ~く見ると目のまん丸い龍神の顔らしきものが見える。単なる僕の思い過ごしだろうか。この写真を撮るときに、僕は龍神の気配をそこはかとなく感じた(ような気がする・・笑い)。

自他ともに認める龍神オタクの僕に、横山不動尊に鎮座する龍神様が、茶目っ気を出して現れてくれたのだろうか。

余談だが、この後塾に戻ってすぐ、入塾の電話が入った。これも龍神様のお導きだろうか

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2015年9月 2日 (水)

秘湯

横山不動尊の手前に温泉の看板を見つけ、軽トラックで山間に向かった。鬱蒼とした山奥の狭い道を登れども温泉は現れず、山の峠を降りた頃に、突然一件の温泉宿が現れた。

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追分温泉だ。僕もかなり多くの温泉に行ったけれど、これほどの山奥の秘湯は初めてだ。温泉をなめてみると無味無臭。あるじのおばあさんに話を伺うと、かつては金の採掘跡で、金鉱の水脈から湧き出て来る硬水の温泉なのだという話だった。

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月曜日の秘湯は、僕一人だけの贅沢な時間だった。300円という入館料で、僕は草刈作業の疲労を癒した。

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かつて使っていた石油ランプが、土壁に吊るされていた。最近レトロな温泉に遭遇することが増えている。陸奥の温泉宿は奥が深い。

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寺カフェ夢想庵IN柳津虚空蔵尊

釣石神社を後にした僕は、3年ぶりに柳津虚空蔵尊に立ち寄った。

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震災の後は、三陸沿岸に近いこともあって、心の傷を負った多くの方々の信仰のよりどころとなった社だ。鳥居の向こうに見える山を越えれば三陸の海である。

登米から三陸にかけては、昔から山の幸と海の幸が合流する食文化の黄金地帯だ。霊覚者、行基や空海の思想は、北上川を介して海の食文化と共に陸奥を北上して行く。

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3年ぶりに境内に足を運んでみると、夢想庵なるカフェが出来ていた。和の世界に西洋が溶け込んだ、座敷のカフェで、蕎麦やコーヒーがとても美味しかった。

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11時過ぎに早めの昼食をとった僕は、塾までの時間がだいぶあったので、軽トラックを北上高地の山間に進めた。 続く

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2015年9月 1日 (火)

釣石神社IN石巻

 北上高地や羽奥山脈の山懐に行けば、あっちにもこっちにも大きいな岩がゴロゴロしている。しかしある種の岩にだけ、神が宿っているとして祭られたり、神社や社を建立して古代から大切にされてきた岩があるのはどうしてだろう。

震災後、僕はまるで神様に導かれるごとく、陸奥のアラハバキ神である磐座に惹きつけられそして魅了されてきた。僕は決して俗に言う見えたり聞こえたりする人間ではない。どちらかと言うと、スピリチャルなものには懐疑的な人間だった。そんな人間が、古代から信仰されてきた磐座に猛烈な関心を寄せている。

岩が僕に語りかけてきているような気がする。その何かが漠然としているのだけれど、正直安穏としていられる状況ではないと言う事だけは確かなようだ。

今日は9月1日。僕にとっては朔日参りの日だ。毎月1日は、導かれるがごとく、神社や磐座に参拝している。かれこれ四半世紀におよぶ僕の習慣だ。先月の8月1日は早池峰神社にいた。そして今日は、石巻の釣石神社に参拝してきた。塾生に導かれてのことだ。

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しめ縄で祀られている大岩が地震でも嵐でも落ちないことから、縁起を担ぐ受験生のメッカになっている神社だ。僕も合格祈願のお札を買ってきて、さっそく教室に祀らせて頂いた。今回の津波は、大岩のすぐ下まで襲い掛かった。周辺の家もそして社務所も流されてしまった。

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階段を登り終えた境内からは、北上川が注ぐ太平洋が見渡せる。津波の跡が痛々しく、建物はいっさい見ることが出来ない。僕は神社にて鎮魂のための祝詞を奏上し、しばらく海を眺めていた。 続く

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