誰でも子どもの頃があって、希望があって夢があって、そして未来があった。
毎日を生きて行く中で、多くのものを見つけていくのだけれど、失うものも多い。
周りの風景が辛辣に思えてくる頃、こどもは大人になって行く。
生きる目的や目標がどんなものであれ、生活して行かなければならない。
夢や希望を天秤にかけてきた青春時代が終わると、人は諦観を身にまとう。
楽に生きるために、夢をあきらめることも選択肢の一つだ。
妥協することで、周りとの軋轢をなくすことは時には大切だ。
でもね、一度きりの人生を簡単に総括してはいけないような気がするだよ。
いろんな家族がある。金持ちの家族もいれば、貧乏な家族もいる。
父親が酒飲みで毎日愚痴を言っていたり、けんかが絶えない家だってあるさ。
でもね、だからといって投げやりになっちゃいけないと思う。
幸せになるとか、金持ちになるとか、そういった願望は誰だってある。
努力をしているのについていないんだよという声がよく聞こえて来る。
でもね、チャンスは平等にやってくるんだよね。
人間の能力は不平等だけれど、神様は全員にチャンスを与えてくれていると思うんだ。
そのチャンスを受けとれるかどうかは、努力だと思うよ。
だめな奴こそ頑張れって言うけれど、そんなことはない。
だめな奴も、ちょっと頭がいい奴も、それなりの努力でのし上がれるはずだよ。
タイミングだよね。
神様がさ、上司や先生や友人に成りすまして、話しかけてくれているのにさ、
ムカつくとか、うるせい~だとかしかとすることがあるだろう。
聞く耳を持つってことだな。
ガキの頃って、素直だったじゃない。
だからいろんなものを短期間で吸収できるんだよ。疑心暗鬼なんかないからね。
年をとると自分が大人だと錯覚しちゃうんだな。
・・・・で、自分の能力を決めつけてしまう。
大人にならなくていんだよね。大人のほうがくだらない奴がいっぱいいるじゃん。
いつまでも夢をもって、いつまでも希望をもって、いつまでも人を愛して生きることがかっこいいと思うよ。

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