社会のヒエラルキー
33歳の年祝い以来、22年ほど小・中・高の同総会というものに出ていない。案内は来るのだけれど、タイミングがいつも夏期講習や親せきの法事などと重なりご無沙汰している。
先月母校の大学より同窓会の案内がきた。仙台で東北支部の同窓会を開催するとのことだった。実は僕の塾の卒塾生で、僕の大学の後輩が3人いる。四半世紀塾を営んできて、700名弱の卒塾生がいるのだけれど、そのうち3名が僕と同じ大学に行ったことになる。やはり我が母校はマイナーだ(笑い)。
数年前にキャンパス内にあるチャペルが建て替えられモダンな教会堂が作られた。僕の頃は、いい意味で味わいのある木造のチャペルがあって、そこで入学式や卒業式が行われた。神聖な場所にもかかわらず、僕はそこでライブをやって歌わせてもらったこともある。ブルースをがなり立てる僕の声に、神様もさぞ迷惑だったことだろうと、今になって反省をしている。
大学生の頃、夏休みで実家に戻ると、どこの大学に行っているのと尋ねられたわけだけれども、大学名を言っても相手はちんぷんかんぷん。大学のマイナーさにちょっとがっくりのかねごん青年だった。
7年前に修紅高校の英語の非常勤講師に出向いた時に、岩手県の高校英語教師の名簿を作成するということで、プロフィールみたいなものを提出した。後日名簿の小冊子を頂いた。そしてつらつらと眺めてみた。岩手県の高校英語教諭に僕の大学の卒業生は一人もいなかった。かろうじて非常勤講師として、白百合学園高校に1人、そして修紅高校に僕が非常勤講師として在籍するのみだった。
ちなみに私立大学で圧倒的に多いのは東北学院大学の英文科出身の先生。話のついでに言えば、東京大学出身の英語教師は皆無だった。まあ当然と言えば当然だろうと思う。
出身学校である程度の社会のヒエラルキーが決定すると言う方が多い。確かにある種の企業に3流大学の学生が応募しても、面接さえしてくれない。僕も嫌と言うほど経験した。それならば自分の体力と知恵と運で生きて行こうと決心したのが今の職業なわけだけれど、あれから33年の歳月が過ぎ去った。
自分の選択肢に後悔をしていないかと問われれば、胸をはってYESとは言いがたい。しかし僕にとって日々の仕事は、実にやりがいのある仕事だったと思っている。あと何年この仕事を続けられるかは神のみぞ知るであるが、最後まで天命を全うしたいと願うかねごんである。昨日ご先祖の墓に手を合わせながら、そんなことを思っていた。
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