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2015年8月21日 (金)

やっぱり勝てなかったか

高校球児の夏が終わった。

高校硬式野球の全国大会が始まって、一度も東北に優勝旗がやって来ないという現実は正直東北人として断腸の想いがある。今回の仙台育英の決勝進出は、東北勢としては8度目の決勝戦だった。8度戦って一度も勝ちがないことになるわけだけれど、僕は昨日からその意味を考えている。

たかが高校野球と思われる方がいるかも知れないが、東北岩手に生れ育った人間にしてみれば、野球と言うカテゴリーを超越して、高校球児の精神性や人生に付随するもろもろの背景が、東北人の生き様を象徴している気がして仕方がない。

高校スポーツ界を眺めてみれば、東北のスポーツそのものが劣っているわけでは決してない。秋田能代工業バスケットの度重なる全国制覇、青森山田の卓球の優勝などなど、インターハイ等での東北チームの活躍は数え上げればきりがない。しかし100年近い高校野球の歴史に於いては、全国制覇が一度もないのだ。

かつては雪国のハンディと言われた。競技人口の差とも言われた。立派な室内競技場を持つようになった東北の私立高校の環境を考えれば、もはや雪国のハンディは関係ない。推薦で優秀な人材を集める昨今、競技人口云々も関係ない。

はなぜ優勝できないのか。技術力の差、パワーの差、違うな。春に優勝出来ないところを見ると、夏の暑さの差というわけでもない。

勝ちたいと言う執念の差が、東北の優勝を阻んでいるような気がする。歴史の中で植えつけられてきた諦観の境地が、最後の最後で勝利を遠ざけているのではないだろうか。

商売を見ていてもわかる。東北人は関西や東京の人間にゴリ押しされるとなかなかNOと言えない。押しの強い人間の前では委縮してしまうお国柄のようだ。自分の長所をなかなか自分からアピールすることがない。

いつも誰かが引き立ててくれるのを待っている。いい意味では謙虚だが、積極性に欠ける。東日本大震災直後の東北人の忍耐力を称賛する声が国内ばかりではなく世界各地から寄せられたが、僕はあの称賛の仕方は間違っていると思っている。

あれは忍耐力などではなく諦観なのだ。諦めることで、自分のカタストロフィを相殺しようとするバランスの舵取りなのだ。

昨日の東海大相模と仙台育英の試合は、技術力や運の差で決まったのではなく、勝つという執念の差だと僕は思っている。仙台育英は6回裏に満塁から3点をもぎ取って同点とし、三塁ベースに逆転のランナーを置いた。あそこでもう1点取れなかったことが、東海大相模のピッチャーのホームランを演出してしまった。

やさしいのだ。東北の選手は限りなくやさしいのだ。きっと我々東北人は気づいていないかも知れないが、心根がやさしすぎるのだ。そこが東北人の魂の長所であり欠点なんじゃないだろうか。

甲子園で東北のチームが優勝できないことで、困る人はいないだろう。きっと経済効果にも影響がないかも知れない。しかし、ずっと蓋をされていた、抑圧された精神性みたいなものが、湧き出すきっかけには間違いなくなると思っている。

50も半ばになるいい年をしたおっさんが、蕎麦屋のテレビの前で涙と鼻水を垂れ流している光景なんてぶざまそのものだ。しかし昨日流した僕の涙は、悔し涙ではなく、感動の涙なのだ。やっぱり勝てなかったという感動の涙だったのだ。

もうすこしこの感動は続いていくのだろうな・・・・

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