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2015年8月 6日 (木)

遅ればせながら『1Q84』

村上春樹の小説を全部読んだつもりでいたのだけれど、実は『1Q84』を読んでいなかった。息子たちが読んでいたので、自分も読んだつもりになっていた(笑い)。

先月は小説を読む時間もなく、暑さでぼ~としていたものだから、頭を覚醒しなければと思い、1週間ほど『1Q84』を読んでいた。この作品は、大げさに言えば今後の文学の可能性みたいなものを村上春樹が提示した作品だと思う。

僕らが住んでいるこの現実社会の不確かさみたいなものを、どのように咀嚼すべきかを、村上は模索し、楽しんだ痕跡を僕はこの『1Q84』に感じ取ることができた。従来の文学作品が持つひけらかしの知性であるとか、啓蒙性みたいなものを、僕は否定はしないけれど、没個性化した恋愛小説のリメイク版に埋没してしまった昨今の小説を揶揄したかのようなこの『1Q84』は、実に面白かった。

僕はいつも思っていることなのだけれど、僕らが見ている現実の風景なり光景というものは、周りの人にも同じように見えているのだろうかということだ。心象風景ということではなくて現実として。

それは時間についても言えることで、時間というものは平均に僕らの周りを通過していないのではなかと思う。過去から未来に向かう時間軸の揺らぎみたいなものを小説の中で描く作家は多い。しかしたいていは失敗に終わる。それはなぜなら、過去生や未来生の絶対的な確信がないからだ。しかし村上にはその確信が感じられる。

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村上春樹の作品には、常に第3者としての神の視点を感じる。彼の作品が国や人種を超えて多くの方たちに受け入れられている要因が、そこにあるのではないかと思っている。

日々選択する思考ごとに、世界が構築されて行く。僕らの思考が世界を創造して行く。面白いと思う人は、きっと間違いなく自分の世界を生きているんじゃないだろうか。

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