アメリカンコンプレックス
日本憲法の9条があったから日本は平和だったのではなく、戦争の残虐さと多くの失われた命の犠牲が、戦争に対する徹底的な嫌悪を日本人に植えつけ、戦争や争いを拒否してきたのだと思う。
そしてもう一つ大切なことは、戦後の経済復興が成功し、世界有数の経済大国になったことが、平和を維持してこれた大きな要因だったということだ。貧すれば鈍するではないけれど、国力のない国家は、政権が不安定で、騒乱が絶えない。
第9条の憲法解釈は、自衛隊が武器を所有した時点ですでに歪められ、自衛権という名の兵力を所持してきたことは間違いない。しかし今回の安倍政権の改革は、憲法解釈の曖昧さを打破し、戦争に参加する道筋をつけたもので、戦争を放棄するという根本の理念を覆すものだ。
憲法上の解釈云々ではなく、間違いなく安倍内閣自民党は、アメリカの傘下の元、日本の軍事力を戦争に利用しようとしている。アメリカの圧力にNOを言えない自民党体質が、もっとも顕著に表れたのが今回の断行だった。
民主党が政権を取った後、業を煮やした自民党はなにがしかの援助をアメリカに求め、その見返りが、日本の軍事力提供というシナリオだったとすれば、自民党は自分たちの政権のために、日本人の魂をアメリカに売ったことになる。
貧すれば鈍するの話に戻るが、今アメリカの経済はまさに崖っぷちだ。国際警察を自任するアメリカが、長年の放漫経営で出費してきた軍事費がいよいよ重い足かせになってきたのだ。
風が吹くと桶屋が儲かるの例えのごとく、戦争が起こるとアメリカが儲かるという構図が、どうも怪しくなってきたことが、アメリカの焦りになってきている気がする。軍事産業を支えてきたアメリカの基幹産業そのものが青息吐息なのだ。
日本を同盟国にしておけば、アジアを掌握できるというアメリカの思惑はすでに過去のものだ。人口ばかりではなく経済や産業イディオロギが進展してきた中国やインドの脅威もさることながら、いい意味でも悪い意味でも平均化してきた世界の民主化の波が、アメリカの欺瞞を隠し通せなくなってきた。
それならばどうするか。アメリカは安倍政権を操り糸のごとく操作し、日本の平和体質を変革しようと試みた。東日本大震災で揺れる国政に、さらにオリンピック開催というおまけまでつけて、アメリカはイッキ果敢に日本を揺さぶってきたと思うのは、僕だけではないだろう。
ささらに付け加えれば、日本国内に対する世界遺産登録の大盤振る舞いもきな臭い。地元は万歳三唱で喜んでいるが、実際の利点は本当にあったのだろうか。
来月から夏祭りが始まる。祭りは楽しい我々庶民の娯楽だ。しかし祭りを奨励してきた権力者や支配者の意図は、支配する人間のマイノリティーを守るためのカムフラージュだったという歴史をも考察しなければならないだろう。
オリンピックは確かに素晴らしいスポーツの祭典だ。しかしオリンピックに消費される巨大な資金がどこから出て来るのかを冷静に考えなければならない。
人間にとって権力と財力は麻薬だ。その麻薬欲しさに、何でもありの欺瞞がはびこってきたことは、歴史が証明している。平和主義の憲法を後生大事に遵守させてきたのは、実はアメリカだった。日本が再び軍事大国の道を歩まないように、アメリカが構想した社会を日本は築き上げてきた。
そのことが幸いした戦後70年だったということを、アメリカに感謝すべきかどうかはさておき、日本は自らの力で国を守る選択をしていけば、おのずと将来に於いて生じるであろう他国との摩擦を自らの意志で解決しなければならない状況が生まれる。
そろそろアメリカの庇護から脱却する時期だと思うが、日本の政治はあまりにもアメリカに依存し過ぎてきた。アメリカンコンプレックスからいかに立ち直るか、それが今日本の舵取りを任されている人間に問われている。そしてその選択の中核をなすのは、僕ら一般庶民であることを忘れてはならない。
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