袖振り合うもタショウの縁
塾をやっていれば様々な子どもたちと出逢う。卓球を教えてもいてもそうだし、高校や短大で教えていても、もちろん多くの出逢いがあった。
児童や生徒を教えるということは、その親御さんとの関わりに於いても多くの学びがあり、多くのドラマがある。教える仕事は実に泣き笑いの人生だ。
木漏れ日がやさしく降り注ぐような日もあれば、寒風吹きすさぶ日々がある。出逢った人たちに救われることが多い日々だが、時にうつむきたくなる様な、経験もする。まあ、それが人生というものだろう。
袖振り合うもタショウの縁という言葉がある。学生の頃は『多少の縁と』思っていたが、大人になって『他生の縁』であることを知った。前世からの繋がりで今生の出逢いが生まれていくのだという仏教用語だと知ったのは、20代の中頃だったろうか。
確かに家族や親しい友人との絆は、単なる偶然が生み出した日常性ではない気がする。今生の人間関係の心の在り方が、来生に引き継がれるとするならば、利己的な精神は、きっと次回の人生に於いて、反動としての経験をせざるを得ない日常を生み出すのではないだろうか。
自己の利益だけに耽溺する人生であってはならないと、自戒する人生の中で、質素な貧乏暮らしもいいかなと、多少思っているかねごんである。
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