4200回目のつぶやき
この記事は公開記事としては4200稿になる。僕の職業は塾教師であって、俗に言う広告稼ぎのブロガーでもないし、文筆を生業としている輩でもない。
このブログを書き始めた時は、パソコンに不慣れなもので、打ち込む速さと思考がリンクせず、下書き原稿をもとにブログを書いていた。3年ほどそんな状況が続いたろうか。途中から直接の打ち込みで文章を書いているのだけれど、下書きをしていた頃とくらべると、随分とガサツな文章になってしまった。読まれている方々には、大変申し訳なく思っている。
このブログ記事に於いて、僕という人称を使ってきた。私より僕という一人称が力が抜けて書きやすいのだが、個人的な話題ばかりが先行してしまい、どうも自慰的な内容が増え、面白くない記事になってしまっている。
ならば、もう書くことをやめればいいわけだが、ある種の中毒症を患ったようで、ブログをやめられない。我ながら困っている。
当初3000稿を目標に書き始めたこのブログだったけれど、東日本大震災が起こり、僕のブログは暴走してしまった。塾ブログという体裁は消滅し、指向性が乱れ飛んだブログとなってしまった感がある。
それが証拠に、教育記事を逸脱してからは、リンクをしていた方が僕のブログから撤退された方が増えたし、時にウイルスなどのお土産を添えた迷惑メールが大量に転送されてきたりした。
僕も性格は短気なほうなものだから、それならばと過激な内容がさらに過激になり、ブログが炎上しかかったことが何度かあって、徹夜をして迷惑メールのブロック作業に終始したこともあった。
たまに、かつてのような記事は書かないのですかというようなメールを頂くのだけれど、血圧は上がるし,尿酸値は上がるしで、健康のためにも自重せざるを得ない状況である。
大学受験の論文添削や、AO入試の志望動機の作文等を指導している手前、論理的かつち密な文章を公開しなければならないのだろうけれど、短気でアバウトな性格が文章に出てしまい、近年は僕に論文指導を求める高校生の数も減少傾向にある。そういう意味でも、このブログは自分の仕事の売りになっていないわけで、どうにも哀しい現状である。
ところで少子化に伴う受験倍率の低下が、様々なところに波紋を起こしている。過去のブログでも何度か触れたけれど、願書を出せば受かる状況というのは、受験生にとっては喜ばしいことだけれど、受験倍率の低下による勉強不足が、全体の学力低下を引き起こしている要因になっているのは事実だろう。
かつて僕らが受験生だった頃には、中堅の私立大学は20倍位の倍率だった。それが今や半数をAO入試で合格にしなければ、定員割れを起こす大学させ出てきている。
大学生の学力低下が大きな問題になっているが、受験勉強をせずとも合格できる状況が、思考力の低下に繋がってしまったのかもしれない。競争社会の弊害を前回の4199回目のブログで書いたが、過度な競走も、競争がない社会もある種の弊害がでるこの現代社会は、実に様々な乖離(かいり)が生まれる複雑な社会だと実感する。
論文の指導をしていて毎年感じることは、文章を書く想念の価値観とでも言ったらいいのだろうか、自分の意見を書かず、世の中が作っている論点に乗っかった文章を書く高校生が多い。世の中の人が言っている意見に迎合していれば問題がないような感性に、僕は非常な違和感を覚える。
飼いならされた青春群像なんていうフレーズが、思わず僕の頭の中でこだまする。
記念すべき4200回目のブログが、また脈絡もない世界に彷徨いだしてしまった。この辺で終わりにしたい。
血圧が先週180に達した僕に対して、多くの方々から大丈夫ですかというお言葉を頂いた。この文面を借りて、ご心配頂いたことに感謝申し上げます。お医者さんから頂いた薬と、ここ1週間の菜食生活が功を奏し、昨日から140前半まで血圧が下がりました。無理をすることなく頑張りたいと思います。
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