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2015年7月23日 (木)

それを逃避なんて言うやつがいるけれど、本当は避難なのだ

自分の存在が不甲斐なく思える時がある。自分のやることが上手くいかず、空回りする時がある。そんな時どう自分を評価するかが、その後の人生を作って行く要因となって行くようだ。

自分の人生はこんなことじゃ終わらない。終わるはずがないと思える人間は強い。俺が人生の成功者とならないで誰がなるのだと思える人間は、けっして諦めない。

みじめな人生など誰が送るもんか、絶対てっぺんに行ってやる。そんな気概がある人間は、がむしゃらな努力をして、人生を切り開いて行く。

一方、そんなに頑張らなくてもいいもんねという人間もいる。その違いはどこからくるのだろうか。両親の嗜好性であったり、家のエネルギーだろうか。いわゆる遺伝だろうか。経済力や祖先からの血脈みたいなものが、人間の根性とか性格とか、生きる指向性みたいなものを決めて行くのだろうか。年を重ねてきた僕は、子どもたちを見て、そんなことをふと考えることがある。

楽しい毎日を送ることに何も問題はない。他人に迷惑をかけることなく、地味に生きて行くことも問題はないだろう。

よく人は頑張れと言う。勉強でも部活でも仕事でも恋愛でも、頑張れと人は言う。でもどこまで頑張ればいいのだろうか。頑張ることには間違いなく限界がある。他人からはまだまだやれると思われても、やはりそれぞれに限界はある。

そこの線引きをやった時点で、そのことを挫折と呼ぶ人がいるが、それは挫折ではなくて、ちょっと休憩だ。休憩したならまた歩め出せばいい。どうせ人生は後戻りすることは出来ない。オギャーと生まれたからには、生きて行くしかないのだ。

ちょっと苦手なものがあったり、ちょっと得意なものがあったり、ちょと何かがいびつだったり、それを世間はカムフラージュ的に個性などと呼ぶけれど、まあ完璧な人間はいない。

自分を不甲斐なく感じることがない人間がいたら、それはよっぽどのナルシストか、かなりの変人だ。変人と言うのも個性のひとつなので、あえて不思議な人とでも定義しておこうか。

出来ることはやった方がいいし、出来ないことは無理することはない。無理しなければならないことが、人生には多々あるけれど、自分が壊れそうなら逃げればいい。それを逃避なんて言うやつがいるけれど、本当は避難なのだ。

強い人間と弱い人間、どっちが賢いかなんて普通は考えないだろう。なのに、忍耐をもって頑張る人間が偉いみたいな固定観念が今の世の中では出来上がっていて、忍耐の無い人間をダメ人間みたいな感じで見る傾向がある。

本当は気持ちがやさしくて、誰も傷つけたくなくて、平和主義者な人間を、意気地がないとか、根性がないなんて決めつけるけれど、僕はどうかなと思う。

自分が自分がと、みんな自己主張をしていったら、間違いなく殺伐とした社会が蔓延するだろう。強い人間が弱い人間を食い物にする社会を、世の中では資本主義経済と呼ぶようだけれど、競争社会は矛盾だらけだ。

訳知り顔の大人は、矛盾だらけだからこそ、敗者にならないように努力せよと叱咤激励する。勝ったもんが勝ち。お金を稼いで、富んだ奴の勝ち。それ以外の幸せがないような言い方をする知識人が実に多い。努力の方向性がゆがんでいるような気がする。せっかくの努力というすばらしい行為を無為にする様な価値観がはびこれば、結果のみを追いかける人生になってしまう。

確かに貧乏は辛い。でもその状況が不幸なわけではないのだ。貧乏だという不安やコンプレックスが不幸なのだ。学歴や地位もそうだ。僕らは不便な社会に生きているけれども、思考は果てしなく自由だ。その自由をもっと謳歌したら、僕ら人間はもっともっと人間らしくいきられるのにな~と思う。

僕らはあまりにも不自由だ。自由になるのは本当は簡単なんだろうけれどね。

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