宿命と運命
人間の努力を嘲笑うかのごとく、人間は結果に翻弄される。しかしそれでも我々は努力を放棄してはいけない。
社会的な地位も、支払う税金の金額にも関係なく、我々の努力は人生で花開く。野辺の花を見てみるといい。花の咲かない花はない。
努力さえしたのであれば、60点でも40点でもいいのではないだろうか。年収が200万でも100万でもいいのではないだろうか。努力の先に実は結実する。
努力を妨げるものは何だろうか。年令だろうか。才能だろうか。環境だろうか。お金だろうか。
僕は嫉妬と傲慢さだと思っている。
お金に翻弄されているなと思ったならば、じっと1万円札を眺めてみるといい。生きるスタンスの意義が身体のなかで変遷するはずだ。
欲望や夢は、成功のじゃまになる。夢を見てはいけない。現実を作り出す強いイメージが大切だ。あやふやな願望を捨て、強い信念を持つべきだ。
お金持ちになることが成功者ではなく、お金を有意義に使える人間が成功者だ。貯金通帳の金額を増やすのが成功者じゃなく、適材適所にお金を流通させるのが成功者だ。
努力をしないで占いに頼ったり、宗教に頼ってはいけない。努力をしないものを神様は助けてはくれない。棚から牡丹餅はない。努力をするから棚から餅が落ちてくるのだ。
頭が悪いと思ったら人より勉強するべし。家庭が貧しいと思ったら、人より節約に励み無駄なお金を使わないことだ。そして人より働くことだ。当たり前のことを当たり前にすることが大切だ。
寝たい時に寝て、やりたくないことをやらないで、人生がつまらないというなら、それは自業自得だ。宿命や運命という言葉を後生大事にして、その運命や宿命とやらに翻弄され続ければいい。
頭が悪いからこそ勉強しなければならないし、貧乏だからこそ、歯を食いしばって働かなければならないのだ。そのことに屁理屈を言って、社会や会社のせいにする暇があるなら行動するべきだ。ふんぞり返っていてはいけない。
本当は大変なのに、頭がいいふりをするのはやめよう。本当は大変なのにお金があるふりをするのはやめよう。周りが迷惑するのじゃなくて、自分がみじめになるだけだ。
宿命や運命などという言葉は、支配者階級の人間が弱者を支配するためにでっち上げた妄言だ。僕らは洗脳から目覚めなければならない。
やればできる。その連続が人生を変え、人生を豊かにしていく。
しがない塾教師であり百姓である僕には、信念とでも言うべき座右の銘がある。
『馬鹿にはバカなりの生き方がある。貧乏人には貧乏人の生き方がある。』だから僕はめげないで生きてこれた。人は最後の最後まで挑戦者として生き続ける義務がある。そうじゃないかな。
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