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2015年7月

2015年7月31日 (金)

早池峰神社大祭

2階指導室のエアコンは設置して12年になる。寿命なのか効きがいまいちになった。買い替えたいのだが、残念ながらその余裕がない。

毎日続く猛暑に、これではいかんとエアコン専用の洗浄剤を買ってきて、フィルターを外して掃除をした。専門業者に頼むと2万円ほどの作業になるわけだが、どうにか自分で頑張った。

だいぶ効きが戻った。これでなんとか夏期勉強会も過ごせそうだ。今日は自分の趣味と、塾生たちの合格祈願のために早池峰神社に行ってくる。早池峰神社にはほぼ毎年参拝に行っているが、今回は初めての泊まり込みだ。神社の境内に泊まるというのも人生初の体験である。

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今日から明日は早池峰神社の大祭で、茅野輪くぐりの神事や早池峰神楽、そして神輿などが繰り広げられる。今年は実に様々なことがあった前半だった。心身ともに浄化してきたいと思う。

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2015年7月30日 (木)

震災後初めての焼肉晩飯

いつも我が家の夕ご飯はバラバラ。長男は会社での残業が多く、帰宅時間は不定期。次男は学校が終わった後のバイトで、これまた帰宅時間が未知数。家内も毎日仕事だし、僕の帰宅時間も、未知数。夕飯を家族そろって一緒に食べる日常というものに我が家は縁がない。

ところがどうしたわけか今日は全員が同時に車で帰宅。まるで時間を示し合わせたかのごとく、どんぴしゃり。

誰からともなく肉が食いたいということになって、肉と焼肉プレートを準備し、震災後初めての焼肉晩飯となった。

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閉店間際のスパーの肉コーナーは半額のオンパレード。ちょっとだけ贅沢をしてみました。

次男は夏バテ気味ということでレバーにむしゃぶりついていたし、僕は口内炎なので牛タンを口に運び、家内と長男は野菜と肉のコラボレーションを楽しんでいた。

痛風のクスリとコレステロール値を改善する錠剤をいつもより多く飲んだのは言うまでもない。

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大験セミナーからの業務連絡です

塾生の皆様へ業務連絡です。

明日7月31日金曜日は休塾です。お気をつけ下さい。

8月2日日曜日より夏期勉強会が始まります。夏期勉強会は8月10日月曜日に終了しますが、その間通常のゼミは夕方5時からになります。

夏期勉強会に参加する皆さんは、夏期勉強会終了後、そのまま通常のゼミを継続して構いません。よろしくお願いします。

 

お盆休みは8月15日より17日までとなります。この期間の振り替え指導はございません。

毎日猛暑が続いております。体調管理には十分気をつけ、計画をもって頑張りましょう。

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2015年7月29日 (水)

塾なんて辞めなよ儲からないから

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こんなカードをFBで見かけた。今に始まったこっちゃないね。田舎の個人塾で、所得税や市民税を払っている人なんか知っている限りいないね。みんなカツカツの生活をやっている。

もはや儲かるからやっている個人塾の先生なんていないね。断言していい。

じゃあなぜやっているのかって?一種の麻薬みたいなもので、やめられないんだね。きっと教えることが好きなんだね。

僕が塾をやめないのは、塾という仕事にまだ可能性を感じているからだ

どんな可能性かって?

そうだな。しいて言えば、個人の尊厳を守るってことかな。具体的に言うと、一人一人としっかりと向き合う教育をやりたいっていうことなんだけれど、もちろん自分自身がむさ苦しい存在になったらきっぱり塾業から足を洗うつもりだ。

え!もう十分むさ苦しいだって。参ったな・・・・・。

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2015年7月28日 (火)

なみだ雨

明るみを増した雨上がりの空を見上げていたのは、小さな傘をさした君だった。

幼稚園バスを待つ君のそばにはいつもおばあさんがいて、バスに乗る君は元気に傘のしずくを振り回していた。

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二人のお兄ちゃんたちが卒塾してしばらくして末子の君がやって来た。寡黙な君はちょっと恥ずかし気に勉強をしていたね。

君の告別式が終って今夜は雨が降っている。なみだ雨だ。

22歳で去ってしまった君に、別れの言葉が見つからない。癌との戦いをファイスブックで綴っていたことを、君の同級生に教えてもらった。

最後まで希望を捨てず生き抜いた君の勇気と精神力に、こころからりっぱだったねと言いたい。

君のピアノが素敵だったと友達が言ってたよ。僕は君のピアノを聞かないでしまった。

天国に行った君は、もう病気からは解放されたはずだ。敷きな歌を歌い、ピアノを奏でて欲しい。・・・・・さようなら。

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恩知らずな我が身を嘆く日々である。

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夏の盛りを迎えて、近隣では夏祭りの準備が始まった。一関も8月の花火大会では写真の河川敷の道が人でにぎわう。

明かりがついているのが、僕の塾の建物だけれど、2階からは花火が特等席で見ることが出来る。一度エアコンをつけ一人で花火を見たことがあるのだけれど、これほどつまらないものはない。花火は人のどよめきや華やぎを含めて花火なのだということを実感した。

今年は今月いっぱいが一関相撲場所実行委員会の仕事があって、8月に入るとお盆前までは夏期勉強会があり、お盆から8月17日の本番までは、また巡業場所の最後の準備に忙しい。

遠方にいる病気の義父のお見舞いも、叔父のお見舞いも果たせないまま夏を迎えてしまった。恩知らずな我が身を嘆く日々である。今年になって、岩手県南宮城県北から、一歩も外に出ていない。まさに貧乏暇なしの日常だ。

休みがない。田んぼや自宅周辺の草が適度な雨も降って、伸び放題だ。やらなければならないことが山ほどある。肩も腰も鋼鉄のようにガジガジだ。

口内炎がでてしゃべることもままならない。身体の黄色点滅が、赤に変わる前に、仕事を片付け休息が必要なようだ。

昨日も35度を超える猛暑日だった。相撲関係の用事で学校を巡ってお邪魔していたのだけれど、一関高専の建物に入って感動した。全室冷房完備、快適空間が待っていた。他の高校はこの暑さのなかで課外やら補講の勉強をしているわけで、こんな猛暑が今後も続くとしたら、エアコンなしの授業というのはもう限界ではないだろうか。

どこぞの競技施設に莫大なお金を注ぐ余裕があるなら、子どもたちの学習環境をもっと改善して欲しいと願うのは、贅沢な要望だろうか

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2015年7月27日 (月)

ごめん

卒塾生が亡くなった。あまりにも早すぎる死に、言葉がない。

二十歳で病魔に襲われ、彼は戦い続けた。余命3ヶ月の命の宣告に、その8倍も頑張って生きた。

 

遺影の中の彼は、あまりにも爽やか過ぎて、告別が悪い冗談ではないかと思った。

哀しみにくれるご両親を前にして、かける言葉もなかった。

「先生には大変お世話になりました」というお母さんの言葉に、ただただ涙する自分がいるだけで、己が情けない。

これからいっぱい学び、いっぱい誰かを愛して、青春を生きるはずの人生が、突然終わってしまった無念さはいかほどだろうか。

彼が病と闘っていることなどつゆ知らず、僕はあまりにも普通すぎる日常を送っていた。しばらくこの悲しみから立ち直れそうにない。・・・・・・・ごめん

夏休みが始まった

一関の山里を気まぐれに軽トラックで走り回ることがある。

国道や県道を外れ山間の道に入ると、様々ないにしえの光景が飛び込んでくる。時に忘れ去られたような社が佇んでいたり、道祖神の石塔だったり、お地蔵さまが春先のつくしんぼうのように、並んでいたりする。

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先日はとある山間の道を走っていて、こんなお不動さんを見つけた。にこやかな顔のなかに凛とした風格が漂い、なかなか味わいのあるお不動さんである。

石塔に刻まれた火焔の文様が、信仰心の深さを物語っている。村人の多くの願いが、多くの癒しが刻まれている感じがして、僕も思わず頭を垂れた。

さて学校はいよいよ夏休みに突入する。僕の塾の夏期勉強会は8月2日の日曜日からスタートだ。今年は暑い夏だ。毎日汗が滴り落ちる日々だが、気合を入れて頑張ろうと思う。

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2015年7月26日 (日)

岩手のアラハバキ神

岩手東和・丹内山神社のアラハバキ神。

岩手衣川・磐神社のアラハバキ神。

岩手衣川・月山神社のアラハバキ神。

岩手藤沢町・立石神社のアラハバキ神。

アラハバキ神って何ですかとよく聞かれる。簡単に言ってしまえば、天照大神や八幡神がやって来る前に東日本を中心に祀られていた磐座である。

どうして磐座が神様として祀られていたんですかという質問もよくされる。気の遠くなる様な時代を経て生成された巨岩が、突然山の頂に現れたことに対する恐怖と畏敬の念が、古代人の信仰を生んだのではないかと思う。

僕は地質学者じゃないので詳しくは分からないけれど、そこにあるべきじゃない性質の岩が山の中腹に鎮座しているケースが多いらしい。

誰が運んで来たのかって?昨日のブログの続きのような話で茶化すわけではないが、宇宙人がスーパーテクノロジーを駆使してどっかから運んできたとでも言えば、それはそれでおもしろいかもしれないが、そうではないだろう

きっと地球文明を壊滅させる大津波が襲った際に、津波によって運ばれてきた巨石ではなかったのではないのかと僕は勝手に思っている。

この先を語り始めれば、きっと数時間ブログを打ち込むことになるので、今日はやめておくけれど、巨石に願いをかけた古代人の想いというのか切なさというのか、そんなことをいつかじっくり述べてみたいかねごんである。

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2015年7月25日 (土)

僕の妄想

ブログ記事を書いていて、偶然なのか必然なのか、突然記事が消去されてしまうことがある。8年間でおそらく50くらいの記事が、公開寸前で消えた。

きっと公開するなということなのだろうと思い、諦めるわけだけれど、パソコンの気まぐれなのか単なる僕の操作が原因なのか、公開するボタンをクリックして苦労して書いた文章が消えるというのは、ちょっと目の前が白くなる。

パソコンという文明の利器が誕生して、世の中は随分変わった。手紙のやり取りがメールになり、商品の購買もインターネット通販による顧客が増加した。

それにしてもプラス・マイナスの電子信号でもって、音楽や動画の配信まで膨大な情報を共有できるパソコンというものの存在は、一昔前の人が見たら神だろうと思う。

ところで、僕は満天の星が輝く宇宙を眺めていてふと思うことがある。この星空は見せかけの映像で、実は宇宙なんか存在しないんじゃないかと。自称プレアデス星人などと塾生の前ではおちゃらけている僕だが、宇宙人も存在しないのじゃないかと思う。

我々は縄文時代の終焉後、わずか数千年で、パソコンを駆使できる文明に到達した。その時間のスパンを考えると、数十万年の間、石器時代を過ごしていたとは考えにくい。現在の文明を凌ぐような高度な文明が何度も誕生したと考える方が自然ではないだろうか。

火星や月に宇宙人の基地の痕跡が・・・などという三文記事を目にすることがあるが、かつて宇宙開発を目指した地球文明人の残した痕跡と考えれば、それほど奇天烈な記事でもない。

聖書だって、地球の古代人が未来の地球人のために書き記したメッセージと考えれば、それはそれで、納得できるところがあるのではないだろうか。神様という存在にこだわる人には、冒涜的な妄想かもしれないが・・・。

古代の地球人が意図的に地動説を定着させたのも、宇宙の創造性をカモフラージュするための作為だったのではないだろうか。実は太陽系以外の宇宙は存在せず、地球人が唯一の知的生物だとしたら、間違いなく人類はあまりの閉鎖感に苛まれ、存在価値を危惧したのではないだろうか。

そこで古代のスパーテクノロジーを有した地球人が、未来の地球人のために、立体映像を駆使して宇宙映像を作った。君たちは孤独な存在じゃないんだと。

かねごんよ何を訳の分からない妄想をほざいているんだ。じゃUFOはどこからやってきているんだ。という声が聞こえてくる。

それは古代人が、地球文明が滅びる時に地球から避難した先、月や地球の内部にある地下都市からちょこまかとやって来るのではないかと思っている。彼らが地球人に伝えるところの、シリウスもプレアデスも実体としては存在していないのだから宇宙人は存在しない。

さて今回のこの妄想話、公開ボタンを押して消えないことを祈りたい(笑い)。

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2015年7月23日 (木)

それを逃避なんて言うやつがいるけれど、本当は避難なのだ

自分の存在が不甲斐なく思える時がある。自分のやることが上手くいかず、空回りする時がある。そんな時どう自分を評価するかが、その後の人生を作って行く要因となって行くようだ。

自分の人生はこんなことじゃ終わらない。終わるはずがないと思える人間は強い。俺が人生の成功者とならないで誰がなるのだと思える人間は、けっして諦めない。

みじめな人生など誰が送るもんか、絶対てっぺんに行ってやる。そんな気概がある人間は、がむしゃらな努力をして、人生を切り開いて行く。

一方、そんなに頑張らなくてもいいもんねという人間もいる。その違いはどこからくるのだろうか。両親の嗜好性であったり、家のエネルギーだろうか。いわゆる遺伝だろうか。経済力や祖先からの血脈みたいなものが、人間の根性とか性格とか、生きる指向性みたいなものを決めて行くのだろうか。年を重ねてきた僕は、子どもたちを見て、そんなことをふと考えることがある。

楽しい毎日を送ることに何も問題はない。他人に迷惑をかけることなく、地味に生きて行くことも問題はないだろう。

よく人は頑張れと言う。勉強でも部活でも仕事でも恋愛でも、頑張れと人は言う。でもどこまで頑張ればいいのだろうか。頑張ることには間違いなく限界がある。他人からはまだまだやれると思われても、やはりそれぞれに限界はある。

そこの線引きをやった時点で、そのことを挫折と呼ぶ人がいるが、それは挫折ではなくて、ちょっと休憩だ。休憩したならまた歩め出せばいい。どうせ人生は後戻りすることは出来ない。オギャーと生まれたからには、生きて行くしかないのだ。

ちょっと苦手なものがあったり、ちょっと得意なものがあったり、ちょと何かがいびつだったり、それを世間はカムフラージュ的に個性などと呼ぶけれど、まあ完璧な人間はいない。

自分を不甲斐なく感じることがない人間がいたら、それはよっぽどのナルシストか、かなりの変人だ。変人と言うのも個性のひとつなので、あえて不思議な人とでも定義しておこうか。

出来ることはやった方がいいし、出来ないことは無理することはない。無理しなければならないことが、人生には多々あるけれど、自分が壊れそうなら逃げればいい。それを逃避なんて言うやつがいるけれど、本当は避難なのだ。

強い人間と弱い人間、どっちが賢いかなんて普通は考えないだろう。なのに、忍耐をもって頑張る人間が偉いみたいな固定観念が今の世の中では出来上がっていて、忍耐の無い人間をダメ人間みたいな感じで見る傾向がある。

本当は気持ちがやさしくて、誰も傷つけたくなくて、平和主義者な人間を、意気地がないとか、根性がないなんて決めつけるけれど、僕はどうかなと思う。

自分が自分がと、みんな自己主張をしていったら、間違いなく殺伐とした社会が蔓延するだろう。強い人間が弱い人間を食い物にする社会を、世の中では資本主義経済と呼ぶようだけれど、競争社会は矛盾だらけだ。

訳知り顔の大人は、矛盾だらけだからこそ、敗者にならないように努力せよと叱咤激励する。勝ったもんが勝ち。お金を稼いで、富んだ奴の勝ち。それ以外の幸せがないような言い方をする知識人が実に多い。努力の方向性がゆがんでいるような気がする。せっかくの努力というすばらしい行為を無為にする様な価値観がはびこれば、結果のみを追いかける人生になってしまう。

確かに貧乏は辛い。でもその状況が不幸なわけではないのだ。貧乏だという不安やコンプレックスが不幸なのだ。学歴や地位もそうだ。僕らは不便な社会に生きているけれども、思考は果てしなく自由だ。その自由をもっと謳歌したら、僕ら人間はもっともっと人間らしくいきられるのにな~と思う。

僕らはあまりにも不自由だ。自由になるのは本当は簡単なんだろうけれどね。

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なんとか夏を超えられそうだ

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震災後、東京電力福島第一原発の事故で、一関地区は甚大な被害を被った。椎茸や山菜等の出荷が放射能汚染のために不可能になり、精神的にも経済的にも多くの試練を受けた。

わが家もその例外ではなかった。自宅の周りにはえぐねと言われる、防風林の杉林があったのだが、北風を防ぐその杉林が、放射能交じりの雪を防いでくれたものの、その放射能値は高く、えぐねの木をすべて伐採し、放射能物質として処理してもらった。多額の費用を要した。

その当時のブログでも書いたが、僕の通帳にあった蓄えがすべて消えた。杉林の後に紫陽花を植えた。4年近く経って、今年は自宅の裏庭が、紫陽花の花々に覆われた。

今朝は本当に久しぶりの雨に、その紫陽花も生気を取り戻し、雨に濡れている。夏休みを前にして受験学年の面談が学校で始まった。ここ数日入塾の問い合わせもちらほらと増えてきた。

夏期勉強会もおかげさまでもう少しで定員に達する。なんとか夏を超えられそうだ。ありがたい。

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2015年7月21日 (火)

原子力発電所に本当に安全基準などあるのだろうか

東日本大震災の翌年、中学校のほとんどの部活の東北大会が福島で開催された。その年僕がコーチに行っている地元の中学校は、男女とも団体で東北大会に出場した。

僕はガイガーカウンターを片手に自動車に乗って行ったのだけれど、自動車が高速道路の二本松にさしかかった時、針が振り切れた。車の中でだ。

卓球会場の町に入ってもこんな状況なら、部員を試合に出さず、棄権し引き返すことを僕は真剣に考えていた。開催地の町に到着した時に示された値は、当時の一関市とほぼ同じ値だった。当時の一関もホットスポットで安心できる値などではなかったけれど、それでも内心ほっとしたのを覚えている。

学校関係者に福島での東北大会開催について伺うと、3年前から計画してきたことで、あの段階では計画を変更することができず、放射能値の高い会場を一部変更することで対応したという話だった。

当時もブログ記事で僕はだいぶ吠えまくったが、万が一大会期間中に強い余震がきて、東京電力福島第一原発がさらなるカオスを迎えたら、いったいどうしたのだろうか。あまりの想像力の欠如に僕は憤りを感じた大会だった。

下記の週刊現代の記事によると、ガイガーカウンターが振り切れた二本松市では、甲状腺がんの発症率が通常の40.8倍になっているという。もちろん国よりの医者は、放射線との因果関係は定かではないと言っているらしいが、そんな報道を見るたびに、なんだかとても哀しくなってしまう。

現在の福島県の放射能値は一部の地域を除いては、安全基準まで下がっているところがほとんどだが、東京電力福島第一原発からは以前として放射能汚染物質が海や空中に放出されて事実は隠しようがない。

地震の規模こそ小さいけれど、太平洋岸の地震が頻発している。地震が起きない日は無いくらいだ。

のど元過ぎればなんとかで、原発再稼働の話があっちでもこちでも挙がってきた。原子力発電所に本当に安全基準などあるのだろうか。

週刊現代6月21日号記事

『専門家たちも声を上げ始めた  福島の子どもに「甲状腺がん」 

いまの段階で、これだけは断言できる』の要旨 日本では100万人に1~2人がなるとされる小児甲状腺がん。福島県では震災当時18歳以下だった子ども50人に甲状腺がんが見つかり、既に摘出手術を受けている。 注1(摘出手術を受けたのは人数は51人。3・11以後の我が日本国では全摘出のことを『確定』と発表する) しかも50人中49人が乳頭がん。

チェルノブイリでは放射線誘発性甲状腺がんはすべて乳頭がんだったと、山下俊一氏が断言している(「日本臨床内科医会会誌第23巻第5号」「放射線の光と影」より)。 注、(乳頭癌は放射線誘因癌というのが内分泌学の定説。チェルノブイリ後のベラルーシ、ウクライナ共に乳頭がん比率は93%以上と高かったので放射線障害であると認定された。

日本の現時点までの福島県の乳頭がん比率は98%なので、チェルノブイリを遥かに凌ぐ異常すぎる高さ。既に現在でも放射線による小児甲状腺がんであることは確定している) 菅谷松本市長はがんは①放射線など物理的要因。②タバコなど化学的要因。③ピロリ菌など感染症によるの三つを指摘。 福島の現状は、その説明がまったくない。

津田敏秀岡山大学院教授は国立がん研究センターが公表している1975~2008年までの15~19歳の甲状腺がんの発症率が100万人に5人である。。 津田教授によると有病期間(がん発生から病気と診断されるまでの期間)を3年すると、いずれの地域も1.65~40倍の数値を示した。「100万人に5人」とすると、二本松市40.8倍、郡山市27.90倍という発症率を示した。北部で15.76倍、南部で31.54倍。 甲状腺がんは予後の良いがんとされ、他の死因で亡くなった高齢者に見つかることも少なくない。

がん専門医、『手術不要な甲状腺も切り取っているのでなければ、この異常な数値は説明出来ない』。 放射線専門家、『放射線誘発性の甲状腺がんは転移が多い。それを恐れたのでは』。 チェルノブイリで治療したスイス人医師『甲状腺がんが見つかると、高確率で肺に転移が見つかった。その後手術しても、思ったほどいい結果は出なかった。』 菅谷氏『チェルノでは6人に1人が肺に転移していた』福島医大が転移を恐れて摘出を急ぐのであれば、暗に原発事故由来を認めることになる。  

原発事故による汚染は東北から関東、首都圏へ流れ込んでいる。 だが福島県外の子どもたちの甲状腺検査は実施されていない。チェルノブイリでは大人の甲状腺がんも確実に増加している。菅谷氏『大人の甲状腺がんの場合は脳と骨への転移が多い』(一部抜粋、書き加え有り) 

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2015年7月20日 (月)

『骨の記憶』

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楡周平と言えばデビュー作の『Cの福音』があまりにも有名だが、楡周平の作品の中では『骨の記憶』が、一番僕には衝撃的な作品だった。

6月から多忙な日々を送っているので、さすがに本を読む時間が潤沢では無くなったが、そのぶんかなり手にする本を絞って読んでいる。一関と東京を舞台に描かれたこの作品は、楡の社会に対する怨念とでも呼ぶべき毒矢が、本の表紙を突き抜けて読み手の心に突き刺さってくる。はっきり言って読後感は悪い(苦笑い)。

農村の貧困の中で、富めるものと貧するものの光と影を、楡はこれでもかと小説の中で引きずり回し、毒々しい切り口をさらけ出してくる。

都会の中で蠢く若者たちの赤裸々な欲望を、息を飲むようなどんでん返しで、楡は構築していく。書き手の技量の凄さを読み手に与えてくる作品だ。

東京からやってきた主人公が、一関の駅に四半世紀ぶりに降り立った心情は、かつて、都落ちしてきた自分の心情と重なるものがあった。

多くの別離や悲しみ、そして忘却することができない青春時代の想い。都会に出て行った人間が故郷を思う時、彼らの望郷の念は、きっと骨の中まで記憶されているのかも知れない。

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2015年7月19日 (日)

アメリカンコンプレックス

日本憲法の9条があったから日本は平和だったのではなく、戦争の残虐さと多くの失われた命の犠牲が、戦争に対する徹底的な嫌悪を日本人に植えつけ、戦争や争いを拒否してきたのだと思う

そしてもう一つ大切なことは、戦後の経済復興が成功し、世界有数の経済大国になったことが、平和を維持してこれた大きな要因だったということだ。貧すれば鈍するではないけれど、国力のない国家は、政権が不安定で、騒乱が絶えない。

第9条の憲法解釈は、自衛隊が武器を所有した時点ですでに歪められ、自衛権という名の兵力を所持してきたことは間違いない。しかし今回の安倍政権の改革は、憲法解釈の曖昧さを打破し、戦争に参加する道筋をつけたもので、戦争を放棄するという根本の理念を覆すものだ。

憲法上の解釈云々ではなく、間違いなく安倍内閣自民党は、アメリカの傘下の元、日本の軍事力を戦争に利用しようとしている。アメリカの圧力にNOを言えない自民党体質が、もっとも顕著に表れたのが今回の断行だった。

民主党が政権を取った後、業を煮やした自民党はなにがしかの援助をアメリカに求め、その見返りが、日本の軍事力提供というシナリオだったとすれば、自民党は自分たちの政権のために、日本人の魂をアメリカに売ったことになる。

貧すれば鈍するの話に戻るが、今アメリカの経済はまさに崖っぷちだ。国際警察を自任するアメリカが、長年の放漫経営で出費してきた軍事費がいよいよ重い足かせになってきたのだ。

風が吹くと桶屋が儲かるの例えのごとく、戦争が起こるとアメリカが儲かるという構図が、どうも怪しくなってきたことが、アメリカの焦りになってきている気がする。軍事産業を支えてきたアメリカの基幹産業そのものが青息吐息なのだ。

日本を同盟国にしておけば、アジアを掌握できるというアメリカの思惑はすでに過去のものだ。人口ばかりではなく経済や産業イディオロギが進展してきた中国やインドの脅威もさることながら、いい意味でも悪い意味でも平均化してきた世界の民主化の波が、アメリカの欺瞞を隠し通せなくなってきた。

それならばどうするか。アメリカは安倍政権を操り糸のごとく操作し、日本の平和体質を変革しようと試みた。東日本大震災で揺れる国政に、さらにオリンピック開催というおまけまでつけて、アメリカはイッキ果敢に日本を揺さぶってきたと思うのは、僕だけではないだろう。

ささらに付け加えれば、日本国内に対する世界遺産登録の大盤振る舞いもきな臭い。地元は万歳三唱で喜んでいるが、実際の利点は本当にあったのだろうか。

来月から夏祭りが始まる。祭りは楽しい我々庶民の娯楽だ。しかし祭りを奨励してきた権力者や支配者の意図は、支配する人間のマイノリティーを守るためのカムフラージュだったという歴史をも考察しなければならないだろう。

オリンピックは確かに素晴らしいスポーツの祭典だ。しかしオリンピックに消費される巨大な資金がどこから出て来るのかを冷静に考えなければならない

人間にとって権力と財力は麻薬だ。その麻薬欲しさに、何でもありの欺瞞がはびこってきたことは、歴史が証明している。平和主義の憲法を後生大事に遵守させてきたのは、実はアメリカだった。日本が再び軍事大国の道を歩まないように、アメリカが構想した社会を日本は築き上げてきた。

そのことが幸いした戦後70年だったということを、アメリカに感謝すべきかどうかはさておき、日本は自らの力で国を守る選択をしていけば、おのずと将来に於いて生じるであろう他国との摩擦を自らの意志で解決しなければならない状況が生まれる。

そろそろアメリカの庇護から脱却する時期だと思うが、日本の政治はあまりにもアメリカに依存し過ぎてきた。アメリカンコンプレックスからいかに立ち直るか、それが今日本の舵取りを任されている人間に問われている。そしてその選択の中核をなすのは、僕ら一般庶民であることを忘れてはならない。

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日曜日の風景

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暑さで我が家の猫もへたばっている。僕もへたばっている。塾生もへたばっている。エアコンの効く教室に入ってしばらくするとこっくりこっくり。

確かに40度近くになったり急に涼しくなったり、外と室内の気温差に身体のサーモスタットも追いついていかないだろうと思う。

最近塾生は夕方5時台にやってきて、9時前には帰って行く。僕も普通に昼の仕事をしている状況なので、早く塾に来てもらい早く帰っていくので、身体は助かっている。

塾が早く終わり帰宅する途中、7件ほどの他塾の前を通って行く。どこの塾も9時前後は明かりが煌々ともっている。どこの塾も夏期講習の宣伝旗がたなびき、様々なお知らせポスターが窓やら入り口に貼られている。

それにしても塾をやっていて言うのもなんだが、塾が増えた。震災後旧一関市内だけでも、6件の塾が誕生した。僕も一関で四半世紀塾を営んできたが、25年間で市内の生徒・児童数がちょうど半分ぐらいになって、塾の数は4倍に増えた。廃業する塾が続出するのも当然だろうと思う。

個人塾の先生方は、僕のようにいろんな仕事をやって凌いできているが、大手フランチャイズに加入して経営する先生方は、マージンやら教材公益費やら、塾を維持するのは大変だろうなと思う。

僕の塾にも毎月のように、フランチャイズ加盟の広告や大手予備校の配信授業のお知らせがやって来る。月謝を5000円頂いている状況で、一人分の通信料が1万円なんて、採算が合うわけがない。

さて今日も暑そうだ。今日は午前中卓球の指導。午後は近所のおじいさんが亡くなられたので、お通夜に行ってくる。暑さがこたえたのだろうと思う。ご冥福をお祈り申し上げる。

夜は中山間地の寄り合いがある。妻はシュタイナー教育の講演会で仙台に行ったので、昼食と夕食は僕が準備する予定だ。昼は野菜サラダとそうめんがいいかな。

そうそう夏期勉強会の締切が近づきました。学年に関係なくまだ定員に余裕があります。フランチャイズのような豪華な教材はありません。大手予備校の配信もありませんが、誠心誠意僕が、質問等に答えます。お電話下さい。

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2015年7月18日 (土)

宿命と運命

人間の努力を嘲笑うかのごとく、人間は結果に翻弄される。しかしそれでも我々は努力を放棄してはいけない。

社会的な地位も、支払う税金の金額にも関係なく、我々の努力は人生で花開く。野辺の花を見てみるといい。花の咲かない花はない。

努力さえしたのであれば、60点でも40点でもいいのではないだろうか。年収が200万でも100万でもいいのではないだろうか。努力の先に実は結実する。

努力を妨げるものは何だろうか。年令だろうか。才能だろうか。環境だろうか。お金だろうか。

僕は嫉妬と傲慢さだと思っている。

お金に翻弄されているなと思ったならば、じっと1万円札を眺めてみるといい。生きるスタンスの意義が身体のなかで変遷するはずだ。

欲望や夢は、成功のじゃまになる。夢を見てはいけない。現実を作り出す強いイメージが大切だ。あやふやな願望を捨て、強い信念を持つべきだ。

お金持ちになることが成功者ではなく、お金を有意義に使える人間が成功者だ。貯金通帳の金額を増やすのが成功者じゃなく、適材適所にお金を流通させるのが成功者だ。

努力をしないで占いに頼ったり、宗教に頼ってはいけない。努力をしないものを神様は助けてはくれない。棚から牡丹餅はない。努力をするから棚から餅が落ちてくるのだ。

頭が悪いと思ったら人より勉強するべし。家庭が貧しいと思ったら、人より節約に励み無駄なお金を使わないことだ。そして人より働くことだ。当たり前のことを当たり前にすることが大切だ。

寝たい時に寝て、やりたくないことをやらないで、人生がつまらないというなら、それは自業自得だ。宿命や運命という言葉を後生大事にして、その運命や宿命とやらに翻弄され続ければいい。

頭が悪いからこそ勉強しなければならないし、貧乏だからこそ、歯を食いしばって働かなければならないのだ。そのことに屁理屈を言って、社会や会社のせいにする暇があるなら行動するべきだ。ふんぞり返っていてはいけない。

本当は大変なのに、頭がいいふりをするのはやめよう。本当は大変なのにお金があるふりをするのはやめよう。周りが迷惑するのじゃなくて、自分がみじめになるだけだ。

宿命や運命などという言葉は、支配者階級の人間が弱者を支配するためにでっち上げた妄言だ。僕らは洗脳から目覚めなければならない。

やればできる。その連続が人生を変え、人生を豊かにしていく。

しがない塾教師であり百姓である僕には、信念とでも言うべき座右の銘がある。

『馬鹿にはバカなりの生き方がある。貧乏人には貧乏人の生き方がある。』だから僕はめげないで生きてこれた。人は最後の最後まで挑戦者として生き続ける義務がある。そうじゃないかな。

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2015年7月17日 (金)

一関のイギリス海岸

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この川岸の風景は、賢治が愛したイギリス海岸のように見えるが、実は釣山下の磐井川の川岸の風景である。1年に数回、川底の岩盤が姿を見せる。今年は梅雨の時期があったのかと思われるほど雨が少なかった。

先日の3日間の猛暑を除けば、過ごしやすい初夏の季節だった。夏の風物詩である甲子園の切符を手に入れようと、連日白熱した試合が続いている。

一関市内では、一関学院と一関工業そして大東高校が残り、甲子園を目指して驀進中だ。スター選手がいない今年の岩手県大会は、戦国時代の様相を呈している。例年のごとく私立高校の活躍が目立つ中、一関工業・大東高校にはぜひ初の甲子園出場を目指して頑張って欲しい。

ところで、連日野菜を食べている僕はあることに気づいた。僕はかなりの汗っかきなのだが、菜食主義になると汗のにおいが、かなり緩和されるということを知った。例年だとこれでもかと制汗剤のスプレーを噴射していたのだが、今年の夏はすがすがしい感じだ。蕎麦と野菜と豆腐のコラボの日々が半月続いている。なんとなく様々な欲望も薄らいできた感がする(笑い)。

隠居老人の境地かも・・・・。

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2015年7月16日 (木)

変遷

一関市は2日続いて40度近い気温。市内で熱中症で亡くなられた方が出てしまった。我が家はエアコンなどという文明の利器はない。帰宅すると扇風機が2台茶の間で頑張っていた。

この2日間中学・高校の部活も禁止。体育館は42度ぐらいになっている。サウナでスポーツをやるような感じだ。禁止の処置は当然だろう。塾も2日間でやって来たのは1名のみ。岩手の子どもたちはこの40度近い気温では、何も手につかないようだ。教える方ももちろん厳しい。

大型の台風がやってきた。今日の最高気温は27度ぐらいらしい。いっきに10度最高気温が下がるわけだが、体調を維持するのが大変な気温差が続く。

この温度で自宅周辺の草も伸び放題だ。昨日など草刈りをやったら間違いなく倒れてしまう。雨じゃなければ今度の日曜日の朝にでも、草刈をしようと思う。

ところで血圧が下がってきたせいだろうか、老眼がすこし改善されて、今朝は老眼鏡なしで新聞の小見出しを楽に読むことができた。なんか嬉しい・・。

このブログを書いている途中で、雨が降って来た。畑がカラカラ状態だったので、野菜もほっとしているだろう。ただし、台風の襲撃は勘弁願いたい。

つい最近まで日が長くなり喜んでいたが、今度は日々短くなってきた。季節はダイナミックに変遷し行く。2015年というこの年は、いろんな意味で忘れられない年になりそうだ。目に見えない潮流が、ひしひしと流れ込んでくる。塾教師というスタンスがいろんな意味で試されている年だ。

世の中は政治の断行に価値観の根底が揺れ動いている。既成概念が既成概念でなくなる状況を改革と呼ぶのだが、僕には退行としか思えない。

原発も再稼働の動きが活発化してきた。東京オリンピックに向けて、訳の分からない天文学的なお金が浪費されようとしている。独裁政治を阻止しなければ、大変なことになる。ギリシャの二の舞にならないためにも、本当の改革が必要だ。

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2015年7月15日 (水)

早池峰神楽

毎月1日と15日は、僕は神社にお参りに行く。7月1日は真滝にある熊野白山瀧神社にお参りに行ってきた。今日は花泉の御嶽山神社に朝お参りしてきた。

1日と15日が休みの日は水沢の駒形神社に行くのだが、仕事があって都合がつかない日は、近くの神社にお参りしている。

今度の8月1日は、大迫の早池峰神社に参ることができそうだ。毎年7月31日は早池峰神社で神楽が行われる。幽玄で力強い舞だ。

自宅から自動車で2時間30分の道のりゆえ、夜の神楽を最後まで見ることなく例年帰還せざるを得なかったのだが、今回は総代さんのはからいで、神社に泊めていただくことになった。感謝である。

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昨年の神楽の様子だ。早池峰の神楽を初めて見に行ったのは20年前。それ以来早池峰登山もそうだが、早池峰神楽の虜になってしまった。

山神の気配がひしひしと伝わってくる神楽である。

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2015年7月14日 (火)

断捨離

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1階の自習室をすっきりさせた。自習室は二部屋あるのだが、玄関わきの自習スペースの勉強机が観葉植物やら置物やらでカオスと化していたので、余分なものは捨てた。断捨離である。

机は手作りだが、残念ながら僕が作ったものではない。息子の同級生のお父さんに頼んで作ってもらったものだ。プロの大工さんゆえに、味わいのある仕上がりだ。世界に一つしかない机である。

明日は15日だ。夏休みも近づいてきた。受験生にも断捨離が必要な方がいるのでは。ゲームとかカードとかいろいろ・・・・

皆様大験セミナーの夏期勉強会はいかがですか。まだ空きがあります。入会をお待ち申し上げております。

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たじたじである

先月180まで上昇していた血圧がようやく通常の値になった。

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薬を飲んでの値なので、油断はできない。とにもかくにも食生活を注意し、健康体に戻したい。

タバコは30歳でやめた。そして今回の血圧上昇を期に、アルコールからもすっかり足を洗いたい。血圧の薬と痛風の薬と、そしてコレステロール値を改善する薬が常備薬なってしまった。

来年になると、父が他界した年齢に僕もなる。父が死んだときは僕は結婚して子どももいた。しかし現在僕の末の子は、まだ学生だ。まだまだ頑張らなければならない。

指導している部活のご父兄から、コーチ無理しないでくださいねと言われた。無理はしないが、身体はまだまだ酷使すること多かりきだ。今日の一関は37度まで気温が上昇した。いきなりの猛暑にたじたじである。

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2015年7月13日 (月)

いじめって言葉はやめた方がいい

いじめはもはやいじめではなく、暴力であり立派な犯罪だ。

暴力なのだから、その首謀者は検挙されてしかるべきである。いじめを掌握しても学校の現場は右往左往するだけだ。言っちゃ悪いが、先生方はいじめをする生徒たちを阻止できない。

なぜならそういった指導やノウハウを今の教員は受けていないからだ。昔もそうだろうって?善悪は別にして昔の先生は暴力で暴力を収拾できた。

今は暴力はもちろんのこと、恫喝することも出来ないし、廊下に立たせることも出来ない。この状況下で、暴走する生徒たちを厚生できる先生は稀人だ。そんな稀人を待っていたら、いじめられているいや失礼、暴力を受けている生徒を救うことは出来ない。

いったい何人の犠牲者をだしたら教育は変わるのだろうか。教科指導の優秀な先生が、すべてをこなせるという幻想は捨てた方がいい。

個々人の力量に頼ってしまう、教育現場の信頼という甘えが、かけがえのない命を危険にさらしてしまう。先生方の境界線を壊さないと、真の信頼関係は生まれない。

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ストレスとの戦い

先週精密検査の結果を聞きに病院に行ってきた。

肝臓機能OK。腎機能OK。肺機能OK。心臓OK。主治医の言葉は続く。なんだ心配はないなとほくそ笑んだその時、ショッキングな言葉が・・・・。

悪玉コレステロール値が危険値で、このまま上昇すると脳梗塞や心筋梗塞の恐れがあるとのこと。帰宅してパソコンでその値を調べると、やばい、やばい、やばい

酒もタバコもやらない僕の血液の状況は、間違いなくストレスにさらされている証拠だろうと思う。10日ほど前から菜食主義中心の生活になって、血圧も140前後になってきている。血液もきっと改善されてきているとは思うが、薬局に行って、コレステロール値を改善する薬を処方してきてもらった。

この年になってストレスがないとしたら、逆におかしいことで、年を取るということはこういうことなんだろうと思う。

昨日は午前中いっぱい中学生と卓球をやって汗を流し、午後は買い物がてら温泉に寄ってきた。

耐え難きを耐え、忍び難きを忍ぶ日々が相変わらず続いている。受験指導もこれからがいよいよ佳境に入っていく。

朝から蝉の声が賑々しい。今日も30度を超えそうだ。頑張ってくるか!

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2015年7月12日 (日)

お母さんたちもきっと気合が入っていたんだろうな

昨日の土曜日は一関一高附属中学校の説明会だった。説明会に参加してきたKくんの塾での発言には、思わず笑ってしまった。

「僕授業を聞いていて具合が悪くなっちゃったんだ」

どうしたんだろうと思い理由を聞いてみると・・・・・。

「お母さんたちの化粧の匂いで気持ちが悪かった」とのこと

附属中の説明会ということで、お母さんたちもきっと気合が入っていたんだろうな。

気温も夏日で暑かったしね。・・・・・・・(笑い)

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2015年7月11日 (土)

 少年法改正、死刑への賛否

 長い転載記事になるがお許し願いたい。

7月6日に放送されたトーク番組「ビートたけしのTVタックル」(テレビ朝日系)で、選挙権の年齢引き下げに伴う少年法問題などを議論したビートたけしの発言に驚きと落胆の声が上がっている。

 死刑執行の決断を下す職務を担っていた元法務大臣の鳩山邦夫らを交えて、日本の死刑制度をどう考えるかを議論したわけだが、日本では約85%が死刑に賛成していることを受けて、たけし自身は死刑廃止論者と前置きしながら、「(被害者と加害者で)2回殺人が行われるわけだよね」「もっと生きるための努力をさせるような方法を」などと持論を展開。さらに、生きていくことは大変なんだと教えるための例として「畑を耕したり野菜をとらせたり」と発言した。

 世間に影響力のあるたけしの一連の発言に戸惑った視聴者も多く、ネット上では「この人でも身内が死なないとわからないんだな」「被害者と加害者を同じに考えるなんて酷い」「農業をすれば殺人が許されるなんて…」「死刑制度でギャグを言っちゃダメ」などと批判が集中した。

「これこそ表現の自由ですから、たけしさんが自己責任で言うのはかまいません。ただ、酒鬼薔薇こと元少年Aの『絶歌』出版の是非も問われている最中ですからね。彼が畑を耕せば許されるのかと、揚げ足を取られるような軽い発言はいかがなものかと思いました。世間やメディアの中には、リスペクトされる側のたけしさんの発言だから聞かなかったフリをしている人も多いようですが、これがアイドルや中堅文化人なら総攻撃をくらっていたと思いますね」(週刊誌記者)

 中には番組を観たという40代のサラリーマンから、「レベルは違うかもしれないが」と前置きしたうえで、こんなコメントも飛び出した。

「小学3年のとき、公園に捨てられていた犬がかわいそうで『自分が絶対に面倒をみる』と母親を説得して、家に連れて帰りました。僕が初めて育てた命ですよね。可愛くてしかたなかったです。ところが2年後、外に繋いでいるときに近所の中学生2人組にバットで殴打されました。それが原因で数日後に死んでしまったんです。こんなに涙が出るのかと思うくらい泣きましたが、それ以上に怒りが湧き上がりました。交番にも行きましたが取り合ってくれませんでした。その中学生を殺したいと思いました。30年経った今でもそう思っています。あれ以来、生き物は飼えなくなりました。だから、もし自分の子供が殺されるようなことがあったらと考えると‥‥。たけしさんのことは嫌いではありませんが、あの意見には賛同できませんね」

 少年法改正、死刑への賛否‥‥軽々しく語るにはあまりに重い究極の選択かもしれない。

(村岡タクミ)アサ芸プラス

殺人を犯す人間は許せない。しかしだからと言って死刑にしていいという理由にたどり着く近代の法律もいかがなものだろうか。

人間の人生に次というのはない。この顔でこの肉体で、この個性で生きる人生はたった一度きりだ。誰も犯罪者として生まれてきたわけではないし、死刑になりたくて生れてきたわけではない。

死刑制度の賛否が注目されるたびに僕の脳裏に浮かぶのは、個人が人を殺すことは罰せられるのに、戦争では英雄扱いをされてきたという歴史の事実だ。

人の命を奪うことに偶然は介在しない。人の命が人生の途中で、突然終わるという事実があるだけだ。

死刑は犯罪の抑止力として機能するという、死刑制度推進者の論もあるが、僕はそうは思わない。犯罪者は、一生を通じて死ぬまで反省の日々を送るべきだ。それも労働という代価で自分があやめた被害者への償いをしながら。単純に命を奪っては行けない。死んだ者は反省など出来ないではないか。

それとも法学者は真剣に地獄などというものを考えているのだろうか。

死刑になりたかったから人を殺しかったなどというとんでもない輩がたしか過去にいたけれど、自暴自棄になる人間を作らないことが、犯罪の抑止力なはずだ。犯罪は個人の責任だけれど、人間を狂気に走らせるのは社会の責任だ。我々はそのことを謙虚に受け止めなければならないんじゃないだろうか。

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2015年7月10日 (金)

2520億円

巨額のコストに批判が集まる2020年東京五輪・パラリンピックのメーンスタジアム、新国立競技場(東京都新宿区)の建設で、事業主体の日本スポーツ振興センター(JSC)は9日、施工業者と初の契約を結んだ。スタンドなどの工事を請け負う大成建設に一部資材を発注したもので、契約額は32億9400万円。10月の着工に向け、準備が本格化する。

 JSCは7日に主要関係機関のトップらで構成される有識者会議を開き、総工費2520億円に膨らんだ最終的な建設計画の概要を示して了承された。総工費の内訳はスタンドなどが1570億円、竹中工務店が請け負う予定の屋根が950億円とした。(共同通信)

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2520億円の総工費をかけて作る新国立競技場楽しみだな~。格好いいよなこの流線型。

スカイツリーが四つ出来る費用だって。このお金で、すべての仮設住宅の人たちが入所できる公営住宅がいくつ出来るんだろうね。

どこのメディアも触れていなかったな。きっとこの格好よさを台なしにするから、そんな話題はしちゃいけないんだろうな。

さすが日本のメディアは、賢いよね。ちゃんと考えているよね自分達の利益を。

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2015年7月 8日 (水)

違和感

岩手県の自殺率が全県でトップであることを記事にした時から、ずっとわだかまっていた違和感があった。

少子高齢化の典型的な地域で、基幹産業もなく、人口が流失していく我が故郷であるけれども、本当に自殺をしたくなるほど嫌なところなのだろうか、という疑問である。

仮に自殺の原因が経済的な理由だけならば、お金に対するスタンスを僕ら岩手県人は早急に変えなければならない。

僕も生粋の岩手県人なのでわかるのだが、都会に対するコンプレックスを消費文化で補おうとする傾向がある。家族全員がクルマを所有し、全員がスマホを持ち、各部屋にテレビを備えている家庭がいかに多いことか。

平均年収が200万ちょっとの県民が、都会と同じような消費生活を行えば、何が生じるのか明らかなことではないだろうか。

僕はこのブログで貧乏暮らしのすすめを幾度も書いてきた。車は動けばいいし、住むところは雨風が凌げればいい。パチンコや酒飲みに出かける時間と暇があるならば、自分で家を修理することも出来るし、自分の家で消費するくらいの野菜ぐらいなら簡単に作れてしまうはずだ。

学歴や財産なんかなくたって、地味に生きて行くことは間違いなく出来る。30年間通帳に7ケタ以上のお金が溜まったことがない僕が言うのだから間違いない。ついでに言うと、人生に於いてボーナスをもらった経験もない。

塾にも高校にも短期大学にも、そしてもちろん山へも僕は軽トラックで出かけて行く。一般常識では軽トラックを通勤車に使う、塾教師はいないだろうと思う。お金がないので、農作業に使う軽トラックを通勤に兼用しているだけだ。何も問題はない。

テレビはいまだにブラウン管式のテレビが茶の間に置いているが、飾りみたいなもので、もちろん受信料も払う必要がなく、猫の休息場として鎮座している。唯一僕が所有している文明の利器は、軽トラックと、このブログを書いているパソコンと写真を転送する際に使っているガラケーの携帯ぐらいなものだ。

お金がなければないなりの生活をすればいいだけだ。軽トラックを使わない遠出の旅行など、10年間でたった2度ほど。昼のバイトが無くなってからは、半年間喫茶店も赤提灯もご無沙汰している。

死にたいなんて絶対思わないね。友人と本と音楽とそして神社巡りの趣味がある限り、僕の人生は最高だね。おっと忘れてた、家族が1番、そして塾生が2番だ。ブログが10番目くらいかな。

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『見上げてごらん夜の星を』

昨夜はこの曲を聞きたくなった。『見上げてごらん夜の星を』は間違いなく昭和を代表する曲なわけだけれど、ジャズアレンジがすごく似合う歌謡曲でもある。

塾生がなにがしかの曲をヘッドホンで聴きながら自習室で勉強している光景が、僕の塾ではよく見かけられるのだけれど、高校時代の僕はなんの曲を聞いていたのだったろうかとふと考えてみた。

高校に入った頃には、松山千春と中島みゆきが衝撃的なデビュウーをした頃で二人の曲を頻繁に聞いていた気がする。それ以外はほとんど洋楽だったように思う。サイモンとガーファンクルだったり、ビートルズだったり、ボブディランだったり、ニールヤングだったり、レコードを買う余裕がなかった僕は、必死にFMから曲を録音していた。

ジャズに目覚めたのは、過去のブログでも何度か触れたが、東京でひとり暮らしを始めてからだ。あのなんとも言えない都会の孤独感が、僕をジャズの虜にしたのかも知れないし、都会の殺伐さと華やぎのギャップが、ジャズという音楽の魅力を引き出してくれたのかも知れない。

今はパソコンから天文学的な数の曲をダウンロードできるし、小さな小さなチップに数万曲を収めて持ち歩くことができる。学生たちの音楽嗜好も僕らの頃とは次元がちがうのだろうなと思う。

きっと彼ら彼女らがチョイスしている楽曲が、時代性を超越してクロスオーバーした感性を、生き方みたいなものに反映して行くのだろうと思う。

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2015年7月 7日 (火)

初体験

大相撲一関場所の事務局の仕事で、いくつかの学校の校長先生や副校長先生とお会いした。営業と言うわけではないが、アポイントを取って組織の代表と会う仕事は初めてなもので緊張する。

それと事務的な仕事で、自分が使用しているパソコン以外の機種を使うのもほぼ初めてのことなので、これも不慣れでなかなかはかどらない。まあそんなことで、近頃はちょっと疲れている(苦笑い)。

そうそう、血圧の薬を飲むのも初めてのことだ。血圧というものは、急に下げてはいけないそうで、徐々に下げなければならないのだそうだ。つまり急に血圧が下がると、今度は脳や心臓に向かう血液の流れが減速し、貧血やめまいなどの症状が出るのだそうだ。血圧というものは厄介なものだ。ゆえに気を付けなければならない。

・・・で,僕も180の血圧が1週間で30以上も下がったものだから、ややぼ~としている。ちょっと忘れ物が増えている。まだボケが始まる年ではないだろうから、一応血圧の薬の副作用ということにしておこう。

今日は7月7日。77の神様に縁のある僕としては、いいことがあるような予感がする。塾生が7名ほど入塾してくれれば、本当に最高なのだけれどな~。

さて今日も自宅の神社にお参りして出かけるか。

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2015年7月 6日 (月)

4200回目のつぶやき

この記事は公開記事としては4200稿になる。僕の職業は塾教師であって、俗に言う広告稼ぎのブロガーでもないし、文筆を生業としている輩でもない。

このブログを書き始めた時は、パソコンに不慣れなもので、打ち込む速さと思考がリンクせず、下書き原稿をもとにブログを書いていた。3年ほどそんな状況が続いたろうか。途中から直接の打ち込みで文章を書いているのだけれど、下書きをしていた頃とくらべると、随分とガサツな文章になってしまった。読まれている方々には、大変申し訳なく思っている。

このブログ記事に於いて、僕という人称を使ってきた。私より僕という一人称が力が抜けて書きやすいのだが、個人的な話題ばかりが先行してしまい、どうも自慰的な内容が増え、面白くない記事になってしまっている。

ならば、もう書くことをやめればいいわけだが、ある種の中毒症を患ったようで、ブログをやめられない。我ながら困っている。

当初3000稿を目標に書き始めたこのブログだったけれど、東日本大震災が起こり、僕のブログは暴走してしまった。塾ブログという体裁は消滅し、指向性が乱れ飛んだブログとなってしまった感がある。

それが証拠に、教育記事を逸脱してからは、リンクをしていた方が僕のブログから撤退された方が増えたし、時にウイルスなどのお土産を添えた迷惑メールが大量に転送されてきたりした。

僕も性格は短気なほうなものだから、それならばと過激な内容がさらに過激になり、ブログが炎上しかかったことが何度かあって、徹夜をして迷惑メールのブロック作業に終始したこともあった。

たまに、かつてのような記事は書かないのですかというようなメールを頂くのだけれど、血圧は上がるし,尿酸値は上がるしで、健康のためにも自重せざるを得ない状況である。

大学受験の論文添削や、AO入試の志望動機の作文等を指導している手前、論理的かつち密な文章を公開しなければならないのだろうけれど、短気でアバウトな性格が文章に出てしまい、近年は僕に論文指導を求める高校生の数も減少傾向にある。そういう意味でも、このブログは自分の仕事の売りになっていないわけで、どうにも哀しい現状である。

ところで少子化に伴う受験倍率の低下が、様々なところに波紋を起こしている。過去のブログでも何度か触れたけれど、願書を出せば受かる状況というのは、受験生にとっては喜ばしいことだけれど、受験倍率の低下による勉強不足が、全体の学力低下を引き起こしている要因になっているのは事実だろう。

かつて僕らが受験生だった頃には、中堅の私立大学は20倍位の倍率だった。それが今や半数をAO入試で合格にしなければ、定員割れを起こす大学させ出てきている。

大学生の学力低下が大きな問題になっているが、受験勉強をせずとも合格できる状況が、思考力の低下に繋がってしまったのかもしれない。競争社会の弊害を前回の4199回目のブログで書いたが、過度な競走も、競争がない社会もある種の弊害がでるこの現代社会は、実に様々な乖離(かいり)が生まれる複雑な社会だと実感する。

論文の指導をしていて毎年感じることは、文章を書く想念の価値観とでも言ったらいいのだろうか、自分の意見を書かず、世の中が作っている論点に乗っかった文章を書く高校生が多い。世の中の人が言っている意見に迎合していれば問題がないような感性に、僕は非常な違和感を覚える。

飼いならされた青春群像なんていうフレーズが、思わず僕の頭の中でこだまする。

記念すべき4200回目のブログが、また脈絡もない世界に彷徨いだしてしまった。この辺で終わりにしたい。

血圧が先週180に達した僕に対して、多くの方々から大丈夫ですかというお言葉を頂いた。この文面を借りて、ご心配頂いたことに感謝申し上げます。お医者さんから頂いた薬と、ここ1週間の菜食生活が功を奏し、昨日から140前半まで血圧が下がりました。無理をすることなく頑張りたいと思います。

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2015年7月 5日 (日)

能力あるものが成功する社会のどこが悪いのか

テストの結果で学年順位をつけられる。誰もが通って来た道だ。それが嫌だとか良いとかの嗜好には関係なく、中学生や高校生は受け入れなければならない。

クラスや学年でトップをとったものにとって、周りの生徒や同級生が自分の引き立て役になってくれているかのような感覚に陥ることがある。自信が過信になり、やがて傲慢になる。

成績上位者に対し、下位の生徒はもがき苦しむ前に、開き直る。こうやって見てくると、テストの順位を各自に公表するというシステムは、やる気を起こさせる前に、何らかの精神的抑圧や驕りのようなものを助長する短所を哀しいかな持っているようだ。

競争社会は生きる活力を作る反面、弱者の個性や遊戯性をはく奪してしまう。平等社会は建前として存在しているが、能力の格差を根本的に解消する意図がないこの社会は、学歴と財力を所有する人間の優位性を促進し、今や暴走さえしている。

能力あるものが成功する社会のどこが悪いのかと言われれば、反対するすべはないが、僕には納得できないジレンマがずっと横たわってきた。

『やればできるじゃない』こういった励ましの言葉をかける親がさんは多いはずだ。僕も使う。成長するにつれて、社会になじんでいくにつれて、多くの大人たちはこういった励ましの言葉をかけられなくなる。やってもやれないことが如実に見えてくるからだ。残念だ。

つまり若い頃は、多くの可能性があるように見えるがゆえに、希望があるが、大人になれば現実の社会があり、そこで要求されるスキルなり、能力が結果として評価され、選別されて行く。

経済格差と言う言葉がずっと言われ続けてきているが、僕は貧乏であることが悪い事じゃないと思う。学校の勉強と同じで、お金を稼ぐことが上手な人と下手な人がいるのは当然で、そのことが幸福の尺度になってしまっていることが問題なのだと思う。

学校での道徳教育を、ナショナリズムの復活云々といって批判する方々も多いが、幸福な人生を送るための動機づけが、勉強や努力の先に安定した生活があるかのような単純な幻想の押しつけであることが、僕は怖い。真剣に生きる意味や、人間の存在意味を問いかける教育が必要だと思う。

お金を稼いで安定した人生を送りことが、人生の目的ならば、いったいどれだけの人間が人生の落伍者としてドロップアウトしていることになるだろうか。確実に僕も落伍者だろうと思う。

努力をしたものが、生きやすい社会であればいいのだけれど、そうじゃないケースも多い。時流に乗れない人間もいれば、家族の犠牲になるものもいる。それも努力不足と言うのならば、努力とはなんだろう。

皆さんはどう思いますか。

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2015年7月 4日 (土)

袖振り合うもタショウの縁

塾をやっていれば様々な子どもたちと出逢う。卓球を教えてもいてもそうだし、高校や短大で教えていても、もちろん多くの出逢いがあった。

児童や生徒を教えるということは、その親御さんとの関わりに於いても多くの学びがあり、多くのドラマがある。教える仕事は実に泣き笑いの人生だ。

木漏れ日がやさしく降り注ぐような日もあれば、寒風吹きすさぶ日々がある。出逢った人たちに救われることが多い日々だが、時にうつむきたくなる様な、経験もする。まあ、それが人生というものだろう。

袖振り合うもタショウの縁という言葉がある。学生の頃は『多少の縁と』思っていたが、大人になって『他生の縁』であることを知った。前世からの繋がりで今生の出逢いが生まれていくのだという仏教用語だと知ったのは、20代の中頃だったろうか。

確かに家族や親しい友人との絆は、単なる偶然が生み出した日常性ではない気がする。今生の人間関係の心の在り方が、来生に引き継がれるとするならば、利己的な精神は、きっと次回の人生に於いて、反動としての経験をせざるを得ない日常を生み出すのではないだろうか。

自己の利益だけに耽溺する人生であってはならないと、自戒する人生の中で、質素な貧乏暮らしもいいかなと、多少思っているかねごんである。

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2015年7月 3日 (金)

夏本番だ

先週180まで上がった血圧も、150ぐらいに下がりようやく体調も回復してきた。これでまた服用する薬が一つ増えてしまったわけだが、ストレスとの戦いの残骸が、血圧の薬という形で日常に居座ってしまった。これも言ってみれば年を重ねるということなのだろう。

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7月に入り庭先のアジサイが満開になった。里山の周辺は、田んぼの稲も背が伸び、一面緑の絨毯だ。

日曜日にやったぎっくり腰もほぼ痛みがない。いよいよ夏本番だ。昨日の暑さで木々の間で鳴く虫の声もだいぶ増えてきた。昨日は夏期勉強会の申し込み第1号があった。さあ頑張るか・・・・。

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