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2015年6月17日 (水)

座敷童

25年間毎日家と塾との往復の日々、見慣れたつもりの風景の中に時として意外な発見がある。

人が住む家、実は家というのは不思議なもので人が住まなくなってしまうと、あっと言う間に屋根や壁などが壊れてしまう。修理をするとかしないとかの問題ではなく、人が住まなくなると家は生気を失う。

自宅から塾まで17キロほどの道程だ。25年間の月日のうちに、人がいなくなり崩壊した家もあれば、倒産して更地となってしまった会社の跡地があったり、悲喜こもごもの人生模様が垣間見られる。

一見羽振りがよさそうに見える会社が急に閉鎖に追いやられる時代、生きて行くということは本当に大変だ。

前回の記事で自分が神社オタクである話をしたが、活気がある村や町に鎮座する神社は、必ずと言っていいほど境内がきれいに維持され、神社のたたずまいもすがすがしい。一方どんよりした村や町の神社も同じく草ぼうぼうの状態でどんよりしている。

いくらいい服を着ても、立派な車に乗っても、神聖な場所がないがしろにされている状況では、幸いなる風は吹いてこない。怪しげなブログを毎日書いているものだから、毎年全国からお手紙を頂く。住所等の連絡先が記してあれば、返信もするのだけれど、8割ほどの手紙は、ブログを読んで人生の糸口が見つかりました等の手紙で、貧乏話ばかりのブログに、心のこもったお手紙を頂き恐縮してしまう。僕自身が生活に余裕のない暮らしをしているのに、人様を啓蒙などできるわけがないのだけれど、なぜかそういう事らしい。

神社と言う空間はとても質素だ。寺院のような金ぴかな飾り付けがあるわけじゃないし、せいぜい光るものと言えば、鈴ぐらいなもので、石や紙に神様の名前が書き記しているものがあり、しめ縄が聖域であることを示している。

僕は金持ちになる方法は知らないけれど、家族が身体健康で元気に暮らす方法は知っている。自宅の聖域を心地よく保つことだ。神棚や仏壇がなければ、トイレでも台所でも玄関でもいい。自分が聖域だと思う場所をきれいに保つことだ。

僕は25年間、インフルエンザや風邪を引いて仕事を休んだことがない(ちょと倒れたことは1度あるけれど、苦笑い)。もちろんかつて講師で通っていた高校も短大も無欠勤だ。家族が風邪を引いて病院に通うことはほとんどない。せいぜい歯医者さんぐらいなものである。

塾のトイレ掃除と自宅のお明神様を祀っている裏庭の掃除は僕がきれいに保つべき聖域だ。母は毎日仏壇への供物のお供えと掃除は欠かさない。女房は休みともなると、突然物置や納屋の掃除を始める。

週に1度、自宅の座敷が教室に変身するので、自宅内の掃除は最低週1回大掃除となる。お金は入って来ないが、間違いなく塾と我が家には健康をつかさどる、座敷童(ざしきわらし)がいる・・・・ような気がする。

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