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2015年6月

2015年6月30日 (火)

祈り

人の哀しみや苦しみを癒してあげられるのは、無垢な祈りだ。祈りは奇跡のパワーをもたらしてくれる。

だから祈ってくれる存在は大切だ。生きて行くということはそういうことではないだろうか。

祈りが届かないということはない。祈りは必ず届く。欲望のない純粋な祈りは、必ず光となってくれる。

祈ることにお金はかからない。祈るための立派な社も神殿もいらない。相手を思う時に祈ればいい。

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子どもが困難な時、家族が大変な時、友達が大変な時、あなたの祈りが愛になる。

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2015年大験セミナー夏期勉強会のご案内大験セミナーHP

6年周期の人生を振り返る

昨日は期末テスト直前ということもあって、塾生の3分の1ほどの生徒が一挙にやってきた。指導室も自習室も満員御礼。毎日このくらい生徒がいたら、僕のバイト探しの日々も解消されるのだがな~と思いながら、痛めた腰をかばいつつ、奮闘するかねごんであった。

それにしても寒い。涼しいを通り越して寒い。布団と毛布をかぶって寝ていないと風邪をひきそうだ。23年前の夏もこんな寒さが続いて、全くお米がとれなかった年があったが、ちょっと心配ではある。

ところで血圧のせいもあるんだけれど、耳鳴りが気になる。胸も痛い。例の兆候ではないかも知れないが、大地のゆがみとリンクしやすい僕の体質上、大きめの地震が来なければいいなと思っている。

扇風機もエアコンも必要なくて、電気代がかからなくていい夏だけれど、胸騒ぎがするのは僕だけだろうか。

2015年が始まって半年が過ぎようとしている。もう明日からは7月だ。耐えがたきを耐え忍び難きを忍ぶ日々だが、こんな年もある。自分の人生を振り返ると6年周期で環境の変化がやってくる。吉凶と言うと大げさだけれども、忍耐の6年間と飛躍の6年間が交互にやって来た感じだ。

小学3年から中学3年までは、父が怪我や病に倒れ、困窮した時代だった。高校から大学3年までは、人生の中で一番勉学に苦労しつつ、勉強した時代だった。そして大学4年から結婚するまでの6年間は、とにかく教える仕事に万進した時代だ。

そして父が亡くなってからの6年間は、開校した塾の基礎作りだった。30代半ばからの6年間は、登山や音楽などの趣味に走った時代で、若さを堪能した時代だ。

40代に入ってからの6年間は、卓球に燃えた6年間だったと言っても過言ではない。塾も安定し、精神的に充実した6年間だった。

40代後半から50代にかけての6年間は、高校での講師の時間が重なって行く。高校で教鞭をとることの難しさと、そして楽しみを体感した6年間だった。そして震災が起きて、塾の経営もさることながら、放射能の問題や様々な問題に直面した。僕の6年周期のパターンから行くと、2年後に新たな時代に突入することになるわけだけれど、56歳になる僕は、どのようなステージに立っているのだろう。正直楽しみと不安が錯綜している。

未来は努力によって変わる。年齢には関係ないようだ。まだまだ僕の戦いは続いて行く・・・

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2015年6月29日 (月)

寒さで体調もダウン

久しぶりのぎっくり腰に僕の振る舞いは、まるで壊れかけたロボット。困ったものである。それに付け加え、ちょっと耳鳴りがすると思い血圧を計ったら170越え、慌てて薬を飲んだしだいで、ちょっと歯車が狂うと、ガタビシと身体のたがが緩んでくる。

体調の変化は、昨日からの気温にあるようだ。昨夜は寒くて茶の間にストーブを出した。今朝は台所のストーブにまで火をつけた。冬のような寒さである。老体にはこたえる寒さだ。

今日は朝からやるべき仕事が堆積していて病院には行けそうもない。明日の午前中に時間を作って病院に行こうかと思う。・・ということで今日の事務局の仕事も、期末テスト前の塾の指導も、ご不便をおかけすることになると思うが、ご了承願いたい。

本日より夏期勉強会のご案内を内部生に配布します。塾生並びに保護者の皆様ご検討下さい。よろしくお願します。

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2015年6月28日 (日)

人生初体験

僕はこの年になるまで、毎日朝8時過ぎに家を出て5時まで会社や事務所で働くという経験がなかった。確かに夏期講習や冬期講習の時期は朝早くから家を出て、帰って来るのが夜中近くという日々なのだが、それとてせいぜい10日間ぐらいのこと。

塾に勤めていたサラリーマン時代の頃は、勤務は午後からだったし、独立して塾を開いてからは、昼のバイトや学校の講師をやるにしても、朝から夕方まで毎日ということはなかった。

毎日5時まで事務所で仕事をして、そこから塾の仕事を夜までこなすのは大変かと思ったけれど、農作業をしてから塾に入るよりは肉体的にはずっと楽であることに気づいた。やっぱり農作業の方がきつい。

3月から職安に行って昼のバイトを探した時に、結構会社から言われたのは、塾のような仕事をしていて、肉体を使う仕事は大丈夫ですかと人事担当の方に言われたが、僕の肉体をなめてはいけない。

先日肉体の鍛練に不甲斐ない卓球部男子の前で、三本指だけの腕立て伏せをやって見せたら、驚愕のまなざしでコーチである僕を眺めていた。生徒の親御さんよりはるかに年を取っている僕の肉体に尊敬のまなざしを浴びせてくれた(笑い)。

東京ドームほどある草ぼうぼうの休耕田を、毎朝4時に起きて1週間かけて手動機械で刈る体力は、自分で言うのもなんだが20代の頃とそんなに変わらない。ただ年をとっただけだ。

しかし今回20年ぶりに職安に行って悟ったことは、世の中は年齢と見た目で人間を判断する会社組織がほとんどだと言うことだ。当然と言えば当然だ。

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囲炉裏が似合う禿げたひげ爺など、普通の会社ならいらないよな~と思いつつようやく腰の痛みもなくなったと思い、草刈機械を振り回したところで、腰を痛めてしまった。脂汗をかきつつこのブログを書いている。しょうもない。

今朝ようやく夏期講習のチラシを作り、ホームページも更新した。

さてこの状態はまずいので、午後は湯治に行ってこようと思う。

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2015年6月27日 (土)

塩のパワー

真夜中から本当に久しぶりの雨が降り出した。雨の音が催眠効果をもたらしてくれたのだろう、今朝は8時まで寝ていた。ゴールデンウイーク以来の朝寝坊だ。

梅雨時の雨は鬱陶しいと言う方が多いけれど、僕のようなアレルギー体質の人間にとっては実に過ごしやすい季節だ。多種多様の花粉が飛ばない岩手の山里は、気持ちがいい。

ところで、腰痛持ちの方にちょっと耳よりの話をしたい。雨が降る季節になると持病の腰痛が生じる方が多い。かく言う僕もそうなのだが、ちょっと痛くなりそうだなと感じたら、お風呂に塩を入れて入ると鎮静効果がある。

実は数日前から、軽トラックのアクセルを踏むのがしんどいほど腰が重く、鈍痛が走った。一昨日塾の帰りにスーパーに寄っていると、塾生のお母さんがおられて、高校に行っている娘さんの近況を報告してくれた。

帰り際、お母さんから塩竈神社のお浄め塩を頂いた。僕はその塩を頂いた瞬間にピンときた。塩竈神社の神様が、僕の腰痛を心配してくれたのではないかと。出逢ったタイミングといい、この偶然は、塩を入れてお風呂に入れというご神託だと僕は勝手に解釈した。

その夜頂いた塩の一つをお風呂に入れて、僕はゆっくり風呂に浸かった。そして現在若干の違和感があるものの、腰の痛みは消えた。ありがたき塩竈神社のパワーである。感謝・感謝である。

※風呂に入れる塩は塩化ナトリウムよりも、天然塩が効果があるようです。コップに半分ぐらいの塩の量をお風呂に入れてやってみてください。初期の腰痛であれば、効果抜群ですよ。

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2015年6月26日 (金)

気になる人酒井順子さん

疲れないと言えばうそになる。50も半ばになると、体力がギシギシと衰えを見せてくる。6月は休耕田の草刈りから始まった。そして相撲場所の事務局の仕事と塾の仕事の二足の草鞋の生活が始まり、最近は図書館に立ち寄る暇もない。

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この写真の方は、エッセイストの酒井順子さん。僕の好きな作家さんだ。僕より5歳ほど若いのだけれど、彼女の顔ははっきり言って僕の好みである。嫁さんの次にちょっと気になる女性だ(笑い)。

酒井さんの随筆は、言葉の感性を題材にしたものが多いのだけれど、いい意味でのしらじら感が漂う文章で、疲れた時など読むには最適な随筆だ。

僕は彼女の本で、随分と女性の嗜好性みたいなものを教わった。日常に活用させて頂いている。

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ようやく夏の気配が・・・

今年は涼しい夏の始まりで、蝉の声を聞かないなあ~と思っていたら、ようやく蝉が地面からはい出してきた。

今朝庭先で見つけた夏の光景だ。

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さて期末テストが終わると三者面談がやってきて、夏休みに突入だ。夏期講習のチラシをまだ作っていない。次から次へとやることが堆積して行くが、あせらずこなしていくか。

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2015年6月25日 (木)

努力は努力する人間を裏切らない

高総体や中総体の地区予選が終った。県大会や東北大会に駒を進めなかった3年生は、実質的には引退ということになる。

今後は受験勉強への切り替えが急務だ。部活の余韻に浸りたい気分はやまやまだろうけれど、うだうだとした気分は捨てて、受験体制に自分を突入させなければならない。

安定した暮らしがすべてではないが、学歴や資格がなければ生きづらい社会であることは否定できない。そのためには、基礎学力は大切だ。

岩手県のようなのんびりした土地柄は、それはそれでいいところがいっぱいあるが、自分を鼓舞する場所が岩手に限定する人生ではないだろうと思う。

自分のやりたいことをやるためには、自分の能力を高めなければならない。至極当然のことだけれど、その努力を遂行する人間は少ない。成功する人間は努力の人間だ。

結果目標にたどり着かなくても、努力をあきらめてはいけない。努力は努力する人間を裏切らない。

世の中に運のない人間とか、才能がない人間などいない。努力をしたかしないかの総合性があるだけだ。やるべきことをやらないで運のせいや才能のせいにしてはいけない。

人間は確かに不平等な存在だけれど、努力はその不平等さを払拭する究極のツールだ。忘れないで欲しい。

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2015年6月24日 (水)

子どもたちは懸命に泳いでいる

普通親にとっては、自分が子どもの頃のイメージが、
我が子の良し悪しの判断基準だよね。
そうすると、今の子どもたちの立場は結構きつくなるだろうな。
様々な行動ひとつとっても、みんなはもの足りなさを
感じてしまうことが多いかもしれない。

俺が、私が、子どもの頃はこうだったのに…。

もっともな話だよ。
今の子どもに、足りてないところは多いんだ。
一方で、子どもたちが置かれている状況が
5年、10年、15年前と全然違っていることも
きちんと学び、深く理解しなければならない。

みんなが子どもの頃は、
まだまだ学校が学校として今より正常に機能し、
授業が授業として成立していただろう。
でも今は上手く機能していないことがある。

我が子にもの足りなさを感じている
みんなは是非思い返してほしい。
部活動は現在のように活発だったかどうか。
勉強が提出日に間に合わせるだけの作業と
化してしまうようなものだったかどうか。
日常生活でもそうだよ。
普段これほどまでIT機器に囲まれていたかどうか。
暑さ寒さの気候の変わり目が激しかったかどうか。
違うはずでしょ。

そして私たち世代に言わせれば、
みんなが子どもだった当時も、すでに教育の質が
変わりつつあり、それに違和感を覚えたものだったんだ。
(子どもだったみんなはわかんなかったと思う)

その質の変化はここ数年で急激に加速度を増している。
流れがきつくなった川の中で、半人前の子どもたちは
懸命に泳いでいる。心身ともに疲れながらもね。

そういうこともちゃんと理解してあげようよ。
小さな魚が大きく育つには広い広い心が必要なんだ。
みんなが大きくなったようにね。
心配いらないよ。大丈夫だって!
 

岐阜の学習塾「志道館学園」の美川先生のブログより転載

そうだよね。僕ら大人は子どもの頃を忘れているんだよね。大人の価値観で今の子どもを見てしまう。反省しなきゃね。

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磐井川の土手に宇宙人降臨?

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この写真は磐井川の土手に宇宙人が降り立った光景を写したものではありません(笑い)。夕暮れの美しさに見とれているわんちゃんを、飼い主のお姉さんが撫でている光景であります。

今年の6月は雨が降らず、毎日綺麗な夕暮を見ることができます。俗言いう空梅雨というやつでしょうか。

昨日は夕方になって一関に洪水警報が出されました。雷雲が接近してきましたが、塾の周りには雨は降りませんでした。 

警報が出たこともあり、塾生は一人も来ませんでした。久しぶりに教室でギターを取り出し、自作のバラードなどを歌っていました。

午前中一関相撲場所事務局の仕事で、久しぶりに修紅高校に行ってきました。副校長先生にお逢いしてきました。講師として行っていたのがわずか1年半前だったのですが、遠い出来事のように感じます。 

この1年間いろんなことがありました。なんか10年ぐらいに感じますね。

昨日誰も来なかった塾は、今日は忙しいでしょうね。期末テストも近づいてきました。頑張りましょう

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2015年6月23日 (火)

モーツァルト作曲 のKV16

モーツァルト作曲 のKV16をお聞きいただきたい。

この曲はモーツァルトが8歳の時に作った組曲である。天才と言ってしまえばそれまでだが、本当にそれだけだろうか。

例えば、生まれながらに絶対音感を有する子どもがいたり、プールに生れて初めて入ったにもかかわらず、すいすい泳ぐ子どもがいたり、いったいどういうことだろう。

人間は努力して才能が開花する存在だと僕は信じているのだけれど、果たしてそれは今生の事だけだろうか。

人間はいまだ未知なる存在だ。

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天国と地獄の視点

芥川龍之介の『蜘蛛の糸』を読んだのは、小学校に入ってすぐの頃だったろうか。地獄と言う観念を始めて植えつけられて作品だった。

悪いことをすれば閻魔さまのさばきにあって地獄に落ちるぞ。とてもシンプルな道徳教育が、僕の周りでなされていた。子どもの頃の世界は、とても流動的で空想的なものだが、地獄や天国の概念は非常に単純で、そういうものなのだろうという想像が、そのままその後の人生観の礎になって行く。

凶悪な犯罪に走る人間の道徳観や心理を分析することは僕の専門ではないけれど、子どもの頃のなにがしかの感情の欠落が、犯罪の芽を育ててしまうのだろうと思う。

人を殺してはいけない理由などと言うものは、あえて言わなくてもわかるはずだというのは、砂糖が甘い理由を考えないのと同じくらい当然なことだと思うかも知れないが、実際はそうではないようだ。

死後の世界を前提とした脅かしはもはや通用しないのが現代だ。科学万能の時代の中で培われてきた感性は、魂の問題をSFの世界に押しやって、金銭欲と性欲のエネルギーにコントロールされ、制御できない感情が多種多様な病理現象を生み出している。

スマホやタブレットでゲームをしている子どもたちを見ていると、その刹那的な一瞬一瞬の光の消滅が、まるで子どもたちの魂の悲鳴のような錯覚に僕は陥ってしまう。

現代人はなにかに急き立てられるように、命を消耗して行く。僕もそうかも知れない。本当はもっとゆっくりとした静かな時間が必要なのだと思う。

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2015年6月22日 (月)

人間の嗜好性

どこまで子どもの意見を聞き入れるか、何を拒絶するべきか親は迷う。金銭的な判断もあるだろう。道徳的な判断もあるはずだ。そして感情的な判断も。

嫌だという範疇の中には、やらなければならないことが多い。自分のやりたいことだけをやって生きて行くことは出来るかもしれないが、間違いなく何かがゆがみ人間関係は成り立たなくなる。

僕らは対外的な孤独には耐えられるけれども、精神的な孤独には耐えられない存在だ。

僕は塾を営んでいる。一人で全課目を教え、一人で悩み一人で悶えている(笑い)。しかし精神的には家族に支えられ、生徒たちに支えられ、保護者の皆様に支えられている。

時にコーチと言われ、時にお父さんと呼ばれ、先生と呼ばれ、ウエーブ上ではかねごんと呼ばれているわけだけれども、その実態は僕である。僕は僕なわけで、それ以外の何ものでもない。僕以外の人間はじゃどんな存在かというと、それは僕がこの世界に存在していることを容認してくれている存在だと思っている。

つまり人生で出逢う人間の存在を無視すれば、僕の存在も無視され、愛や精神性の世界の中から抹消されてしまうのだ。それが孤独だ。

近年人間関係を構築することが困難な子どもたちが増えている。マニュアル的な会話は出来ても、相手の心情や精神性を感知する能力が著しく劣っている若者が多い。

食べ物の好き嫌いと人間の好き嫌いは非常に関連性があると言われている。当然人間の肉体は食する物で構成されている。その構成要素の好き嫌いが、付き合う人間の嗜好性に影響を与えるいうのもうなずける話だ。

僕は痛風でプリン体を多く含む食べ物を控えなければならないが、食べ物の好き嫌いが全くない。世界中の人類が口にするものをすべて食する自信がある。ただし命の存続を脅かさないものに限るわけだけれど・・・。

僕は読みたくない本というのはあるけれど、基本的に人間の付き合いに関しては、向こうからアクションをよこしてくれた人間に逢わないということはない。殺人者は御免蒙りたいが、それ以外の方なら問題ない。僕は人に逢うことが基本的に好きだ。

人間関係で悩む人は多い。学校で、職場で、そして家族で。思考の翼は、人間関係の軋轢の中で失速してしまう人は多い。僕はそれは想像力の欠如ではなく、自分に対する信頼の欠如が原因だと考えている。自分に自信がないがゆえに、他人を容認できないジレンマを抱えているのではないだろうか。

僕はその自信回復を読書で補った。皆さんは何で補うだろうか。

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2015年6月20日 (土)

青春時代

学校の校舎から眺める風景は、南風が吹いてくる空ばかり。

その南風がやってくるずっとずっと先にはあこがれの大都会があった。

にきび面の少年にとって、恋することも人生を考えることも、すべてが未来につながっているような気がした。

さざ波のような憧憬も、痛々しい青春のためらいも、いったい誰のための格闘で、なんのための苦悩なのか、その答えが知りたくて、僕は南の空を眺めていた。

大人になりきれない心のひだが、常に中途半端ないらだちを運んできて、眩しすぎる少女たちの笑顔に僕はうつむくばかりだった。

10代が終わる頃に、孤独であることの特権を俯瞰しつつ、自分を取り巻く世界に惰眠をむさぼることで、大人になることを拒絶していた自分がいた。

やがてやってくる社会の激流を傍観しようとしてもしきれないいらだちと、世の中のせめぎあいに、僕は僕であることの時間が錯綜し、普段着の自分を喪失して行った。

その喪失は、おのずと諦観を装うことを覚え、まぎれもない偽りの中で、自分が演じているドラマを、自虐的な脚本のままページを閉じれない自分がいた。

若さが沈黙する時も、若さが暴走する時も、才能や感性を当てにするのだけれど、それらが枯渇する不安がゆえに、僕らは無性に愛するべき対象を求める。

青春時代に訪れる多くの疑問に立ち向かう勇気は、一種の幻想なのか知れないが、微弱な勇気であっても、その原動力はとても計り知れない。

そしてそれが若さの特権なのだ。 

自分を否定しないからこそ僕らは生きて行ける。その事実を隠ぺいしようと、悪魔はささやくけれど、若者はその波長に同調しない。しかし青春を忘却した瞬間に、人は悪魔のささやきに耳を傾けてしまう。

夢を放棄する辛さより、夢を追い続ける困難を求めるべきだ。

愛をあきらめる悲しみよりも、愛し続ける誠実さを維持するべきだ。

校舎の窓から吹いてくる北風に震えていないで、南から差し込む日差しを求めるべきだ。

青春は永劫に続く僕らの汗と涙だ。捨てない限り僕らは青春を生き続けることができる。40になっても50を過ぎても、70歳になっても、青春は終わらない。自分を否定しない限り。

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こんな日もある

今日の中総体はどっと疲労が出ました。いい試合でしたけれどね~。ダメでしたね。

一関地区卓球中総体団体の結果。

(男子)

優勝   萩荘中学校

準優勝 興田中学校

(女子)

優勝   花泉中学校

準優勝  磐井中学校

明日は個人戦。再起をかけて頑張りましょう!

ところで昨夜の塾は、全員が文化部の生徒。そりゃそうだよね。試合前日塾など来ないよね。

でも中総体が終るとすぐ期末テストがやって来る。ゆめゆめ忘れることなかれ。

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2015年6月19日 (金)

暗かったら窓を開けろ、光が差してくる

ようやく僕の中で覚醒が始まった。

震災後うじうじしていた僕の精神がようやく目覚めた気がする。被害者意識にとらわれていたが、そろそろ脱却だ。

そろそろ貧乏話も終焉にしたい。大体にして、預金がまったくないと言ったて借金があるわけじゃなし、身体も調子がいい。厄年や後厄など関係ない。気合を入れて驀進だ。

田舎に暮らしていて一攫千金なんてことはないけれど、地道にやっていれば、それなりの余生はやって来る。

暗かったら窓を開けて、光を入れればいい。そのことに僕はおろかにも気づかなかった。よっぽど震災のショックに打ちのめされていたのだろうと思う。

『頑張ろう東北』とか『頑張ろう岩手』なんていう呪縛にとらわれて、自分の精神が硬直していた。

友達に大験セミナーの話をしたら、そんな塾知らないって言われたと塾生が言っていたが、それで結構だ。僕の塾を知らなくて入って来ない生徒は、残念だと思う。入っている君たちはラッキーだと思う。

日の出がやって来た!

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明日から中総体

市内の高校は今日で定期テストが終わる。一高は今日が最終日で英語のテストがあるので、昨夜の塾は久しぶりに盛況だった。

さて明日から中総体の地区予選だ。僕も朝から大忙しだ。ゆえに明日の塾は休みである。一関大相撲場所の事務局の仕事やら、部活のコーチやら納税組合の仕事やら、次から次へと怒涛のごとく時間が吸い取られて行く。したがってこのブログも、休みがちな日が多くなってきたのだけれど、ご了承願いたい。

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家の庭先のラベンダーが満開になった。わが家でこの花が満開になると、いよいよ梅雨の季節だ。今週はずっと涼しい日が続いている。というか、高台の山里にある我が家は、寒くて朝はストーブが欲しいくらいだ。

明日は九州からシュタイナー医療に携わっている内科医の安達先生が医療相談の支援でいらっしゃる。ストーブでも出しておこうかな・・・・

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2015年6月17日 (水)

サマータイム

6月も半ばを過ぎてくると、サマータイムが身体のリズムに合流してくる。サマータイムと言えば、オスカーピーターソンのピアノが最高だ。

いやまてよビルエバンスのサマータイムもいい感じだけれど、今年の夏はやっぱりこっちかな。

夏のけだるさとすがすがしさを、オスカーのピアノは鮮やかに演じている。間抜けなピエロが、突然の夏の訪れに戸惑って、踊り出したかのような切なさと、乱暴さが僕は好きだ。

忙しい毎日で、教室でジャズを聴く時間がない。今夜は久しぶりに自宅で聴いている。疲れていてもやっぱりジャズはいい。いや疲れているからこそいいのかも知れない。

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座敷童

25年間毎日家と塾との往復の日々、見慣れたつもりの風景の中に時として意外な発見がある。

人が住む家、実は家というのは不思議なもので人が住まなくなってしまうと、あっと言う間に屋根や壁などが壊れてしまう。修理をするとかしないとかの問題ではなく、人が住まなくなると家は生気を失う。

自宅から塾まで17キロほどの道程だ。25年間の月日のうちに、人がいなくなり崩壊した家もあれば、倒産して更地となってしまった会社の跡地があったり、悲喜こもごもの人生模様が垣間見られる。

一見羽振りがよさそうに見える会社が急に閉鎖に追いやられる時代、生きて行くということは本当に大変だ。

前回の記事で自分が神社オタクである話をしたが、活気がある村や町に鎮座する神社は、必ずと言っていいほど境内がきれいに維持され、神社のたたずまいもすがすがしい。一方どんよりした村や町の神社も同じく草ぼうぼうの状態でどんよりしている。

いくらいい服を着ても、立派な車に乗っても、神聖な場所がないがしろにされている状況では、幸いなる風は吹いてこない。怪しげなブログを毎日書いているものだから、毎年全国からお手紙を頂く。住所等の連絡先が記してあれば、返信もするのだけれど、8割ほどの手紙は、ブログを読んで人生の糸口が見つかりました等の手紙で、貧乏話ばかりのブログに、心のこもったお手紙を頂き恐縮してしまう。僕自身が生活に余裕のない暮らしをしているのに、人様を啓蒙などできるわけがないのだけれど、なぜかそういう事らしい。

神社と言う空間はとても質素だ。寺院のような金ぴかな飾り付けがあるわけじゃないし、せいぜい光るものと言えば、鈴ぐらいなもので、石や紙に神様の名前が書き記しているものがあり、しめ縄が聖域であることを示している。

僕は金持ちになる方法は知らないけれど、家族が身体健康で元気に暮らす方法は知っている。自宅の聖域を心地よく保つことだ。神棚や仏壇がなければ、トイレでも台所でも玄関でもいい。自分が聖域だと思う場所をきれいに保つことだ。

僕は25年間、インフルエンザや風邪を引いて仕事を休んだことがない(ちょと倒れたことは1度あるけれど、苦笑い)。もちろんかつて講師で通っていた高校も短大も無欠勤だ。家族が風邪を引いて病院に通うことはほとんどない。せいぜい歯医者さんぐらいなものである。

塾のトイレ掃除と自宅のお明神様を祀っている裏庭の掃除は僕がきれいに保つべき聖域だ。母は毎日仏壇への供物のお供えと掃除は欠かさない。女房は休みともなると、突然物置や納屋の掃除を始める。

週に1度、自宅の座敷が教室に変身するので、自宅内の掃除は最低週1回大掃除となる。お金は入って来ないが、間違いなく塾と我が家には健康をつかさどる、座敷童(ざしきわらし)がいる・・・・ような気がする。

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2015年6月15日 (月)

少彦名命の神様

自他ともに認める神社オタクの僕は、宮城県北から岩手県南の神社に関してはほぼ網羅しているつもりだ。軽トラックで山道を走っていて鳥居を見つけると、僕は車を停めて境内に足を運ぶ。

したがって市内のどの辺りに、山神神社があり八幡神社があって、どこに熊野神社があり、愛宕神社あるかなど、神社のことはこのかねごんに聞いてくれという感じである。

ブログで何度か紹介してきたが、最近の得意分野は磐座や巨石をご神体にしている神社だ。中央集権の支配体制以前の古代東北のパワースポットに魅せられてきたかねごんである。

それにしても僕の住む一関には、いろんな神社が鎮座する。八幡系の神社と山神系の神社が圧倒的に多いのだけれども、東北にあって珍しい神様をまつっている神社もある。

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この神社は山目駅を過ぎた旧国道4号線沿いに鎮座する神社なのだけれども、少彦名命を祀っている神社である。近郷の神社では少彦名命を祀る神社はここだけだ。

Wikipediaから引用

名前の由来について、『古事記伝』によれば「御名の須久那(スクナ)はただ大名持(オホナムチ)の大名と対であるため」とある。あるいは金井清一によれば「若き日の御子」の意とする説もある。また、この神が単独ではなく、必ずオホナムチと行動を共にすることから、二神の関係が古くから議論されている。

国造りの協力神、常世の神、医薬温泉禁厭(まじない)・穀物・知識・酒造の神など多様な性質を持つ。 酒造に関しては、は古来薬の1つとされ、この神が酒造りの技術も広めた事と、神功皇后が角鹿(敦賀)より還った応神天皇を迎えた時の歌にも「少名御神」の名で登場する為、酒造の神であるといえる。 石に関しては記述よりそうした面が見られると想像されるだけであり、あくまで性質的なものである。 大林太良はこの神に「第二の自我」を見、吉田敦彦双生児的な関係を指摘している。海から来訪したとの記述により渡来人という説もあるが、船で渡来=外国人という単純な図式からの連想であり、奇説の域を出ない。

この少彦名命の神様は、ウィキペディアによると温泉や穀物・知識・酒造・石の神などの性質を持つらしい。僕の好きなものばかりだ。どのような歴史でこの地に少彦名命が祀られたのだろうか。僕の神社探訪はますます深みにはまって行く・・・。

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2015年6月14日 (日)

国見平の三滝

春から家内は市内の障害者施設で働いている。僕も今月から昼の仕事と塾の仕事を両立せざるを得ない状況が続いている。ゆえに疲労が蓄積しているので、数時間の時間ができると、二人で温泉に出かけるのが休日のルーティンになっている。

僕は神社巡りが趣味。家内は今年になってから温泉巡りが趣味みたいになっている。一関・奥州市の温泉場はほとんど制覇した感があるが、やはり好みというのか温泉場の嗜好性というものがおのずと生じて来る。

全く個人的な好みで言わせてもらえば、僕にとってのいい温泉とは、施設の良さとか利便性ではなく、温泉の源泉の質に最終的に行く着くというのが本音だ。

その点で言えば、偶然なのか僕と家内の好きな温泉が奥州市衣川に集中する。黒滝温泉と国見平温泉の湯が気持ちいい。

特に国見平温泉の湯は、半日たっても肌に残り、身体を癒してくれる感覚が継続する。さらに巨岩や磐座を愛する僕にとって、国見には素晴らしい巨岩を落ちる滝がある。

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三滝と呼ばれるこの滝は、怒涛の水量もさることながら、心を清らかにしてくれるパワーがある。この写真は本日撮ったものだが、皆様の心に中に清らかさが伝わって頂ければ幸いだ。

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信念は、必ず人間の生きるべき道を照らす燈明となる

6月に入ってから、塾を開く時間が夕方5時以降になった。塾近くの事務所で昼働いているからなのだが、塾生の皆さんにはご不便をおかけしている。

僕の塾にとっては日常のことだけれども、バイトをしないことには塾を維持することができない。周りからは安すぎるから月謝を上げたほうがいいですよと言われるのだけれど、そう言ってくれる人に限って塾にはお子さんを入れてくれはしない(苦笑い)。

個別指導で月謝を安くしている理由を僕はこのブログで湾曲的に説明はしてきたけれど、本当の気持ちを書いてこなかった。このブログも8年目に入ったので、ぼちぼち本心を打ち明けようと思う。

月謝を上げないで頑張っているのは、生徒数が少なることを心配してのことでもないし、自分の仕事に自信がないからでもない。とっくの昔から生徒数は、教室を維持する人数を下回っているし、塾生が合格してきた大学は東大や早慶をはじめとして一応一流と言われるところに導いてきたつもりだ。

僕はお金がないから教育を受けさせられないという状況が嫌いなのだ。もっとはっきり言おう。お金持ちだけが良い教育を与えられるという状況が嫌なのだ。それだけのことである。

小学校の高学年から中学3年まで、諸所の事情により我が家は生活保護家庭だった。この諸所の事情はすでにこのブログで書いたので割愛するが、お金がないと家庭はすさぶ。勉強する意欲などどこかへ行ってしまう。それを僕は僕自身で経験した。

だいぶ荒んだ生活をしたが、読書が僕を最後の最後で崖っぷちから救ってくれた。高校も大学も私学だった。お金がないわが家にとって、自分で授業料を払うことは必然的に当然のことだったので、奨学金とバイトには大変お世話になった。

高校時代予備校に通う同級生が羨ましかった。バイトが忙しい僕にとってそんな余裕はなかったし、親に無心することも不可能だった。真夜中にラジオから流れて来る大学受験ラジオ講座を聞きながら、僕はまだ見ぬ都会の暮らしに夢を追い求めていた。

塾の玄関に僕の人生の座右の銘を記したボードを飾っている。

There is a will, there is a way !

意志あるところに道は通ずる。

信念は、必ず人間の生きるべき道を照らす燈明となると、僕は信じている。いかなる環境にもいかなる逆境にも、道はある。

 

その道を歩めるかどうかは、意志力だと思う。しがらみや、社会の縛りなんか気にしないで、行きたい道を行けばいいのです。頑張りましょう!

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2015年6月13日 (土)

中学1年生の英語解答用紙

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この英語の演習プリント、実は今日中学1年生が書いたもの。実に英語の文字が美しい。毎日朝5時に起きて勉強しているらしいのだが、その朝のすがすがしさが英文の文字に現れている感じがします。

このような美しい文字で解答してもらうと、指導する方も背筋がピリッとしますね。

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2015年6月12日 (金)

仮定法

塾に来ている一関一高の2年生たちは、仮定法を使って書く英作文の宿題に、ああでもない、こうでもないと、奮闘していた。

もし僕がドラえもんだったらとか、もし私が億万長者だったなら、などの出だしで始まる英文を作る課題なのだが、ふと自分も人生を振り返り妄想していた。

僕は人生に、もしもというのはないんじゃないだろうかと考える人間だ。もしあなたと出逢わなかったらとか、あの時頑張っていればという言葉が日常生活で頻繁に用いられるのだけれど、僕らの人生は何らかの宿命を背負っていて、一見偶然に思える選択が実は必然なのじゃないだろうかと思う。

人生には頑張らなくても順調に物事が進んで行く時があり、頑張っても頑張ってもドツボにはまってしまう時がある。勉強も仕事も結婚もそうだ。

努力は大切なものだが、家柄や家庭環境までも努力で変えることは難しい。特に若い頃はそうだ。金持ちの家に生まれたり、貧乏な家に生まれる選択肢は、言わば神に委ねているようなもので、我々には計り知れない。

僕らは両親を選んで生まれて来ると言うけれども、そんな記憶は残念ながら持ち合わせていない。試練の人生をあえて選択する人間はいないだろうと思うのが通常の人間の観念だろうけれど、押し寄せる試練に戸惑う人は、超越的なものを仮定することで、己の人生観を肯定しようとする。仮定法を教えていてそんなことを考えていた。

ところで仮定法という英語の表現は、実に英語らしい。あり得ないことを時制の差異で表現しようという意図は、ゲルマン民族の言語的センスを感じるとともに、叶わぬ願望のいらだちをひしひしと感じる言語でもある。そのような民族だからこそ、常に歴史の表舞台に立ってきたのだろうと思う。

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2015年6月11日 (木)

境界線の年代

子どもたちもすべて成人してしまうと、子育てという概念は消え、家族の同胞という感じがしみじみと漂う。同胞なのだから助け合いながら生きて行くわけだけれども、どうしても子どもは親を頼りにし、親はだんだんと子どもを頼りにして行く。その境界線の年代が僕ら親の年代のような気がする。

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長男が生まれて、最初のクリスマスの時に買ったモミノ木が、四半世紀の時を経て、巨大な盆栽になった。クリスマスツリーだった面影はどこにもない。よちよち歩きだった息子がクリスマスケーキを顔中にくっつけてほおばっていた光景が、とても遠い昔のように思う。

考えてみれば、その時に始めた塾が今あるわけだから、僕も十分年をとったことになる。40を過ぎた教え子たちに会うと、年月の過ぎた重さを感じる。孫のような小学生を相手に孤軍奮闘する自分の姿も乙なものだと、巨大化した盆栽となったかつてのクリスマスツリーを眺めながら感慨にふけるかねごんであった。

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2015年6月10日 (水)

コメント数が1777件

ブログに関してのコメントやメールが、連動しているツイッターやフェイスブックの方に寄せられることが多くなったので、このブログに直接投稿して下さるかたの数が減ったのですが、それでも公開したメールの数が、1777通になりました。先月の末からその数が1777のまま止まっています。ちなみに公開したブログ記事は昨日までで4170稿になりました。

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最近は15時間労働が続いていて、なかなか腰を据えて記事を書く時間が取れません。したがって写真を多用して、画面を埋めてごまかしています。ちらほら他塾では、夏期講習の宣伝が始まったようですが、僕はやることが多くてまだまだ準備にも入っていません。

今週は高校生の定期テスト対策。それが終ると中総体の地区予選が始まる故、オーダーやら戦略やら、ない頭を絞らなければなりません。ぼちぼち頑張りますか・・・。

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2015年6月 8日 (月)

不安と恐れ

生きて行くことは素晴らしいことなのに、そのことを苦渋と考える人が多い。どんな時代だろうとどんな国だろうと、生きる喜びの本質は同じなはずだ。

お金がある人と無い人がいる。住む家がある人と無い人がいる。そのことをもって幸福と不幸の話をすれば、行く着くところは物質的な豊かさの格差が幸福の有無にリンクして行くのだろうと思う。

世界には190ほどの国がある。人口比に対する自殺率がワースト10に入る日本と言う国は幸福なのだろうか。答えは間違いなくNOだ。

なぜ幸福ではないのか。それは貧富の差が原因にあると僕は思っている。そして厄介なのはその貧富の差が、表層に現れてこないことがさらに心情を複雑にしてしまっている。

日本の社会を眺めてもらいたい。実はすべての国民が豊かであることを前提に規範が作られている。国保税や固定資産税、そして健康保険税、自動車税の徴収もしかり、消費税もしかり、お金がない人にとっては生きづらい国だ。

岩手県の自殺率が一番高いのもそうだ。地方の企業の給料は低い。過疎化が急速に進み、人口が減少し続けている。それでも我々は標準的な日本の暮らしを求めようとする。一人1台車を所有し、パソコンを持ち、週末はどこかに出かける。

無理をしないと、標準的な暮らしは出来ない。その無理の堆積が、やがて心までも蝕んでいく。

不安と恐れは同義語だけれども、実態は違う。不安は未来への苦悩だ。恐れは現在の苦悩だ。今の日本で命を絶つ方の苦悩はどっちだろう。僕は圧倒的に不安だろうと思う。

未来があれば頑張れる。今が最悪でも頑張れる。未来を創造できる人生であるがゆえに、僕らは生きて行ける。そのことのために教育を政治を考えなければならない。

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2015年6月 7日 (日)

自殺は良くない。しかしその状況を作っている社会そのものに欠陥がないと、誰が言い切れるだろうか

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東日本大震災後、本県岩手県は多大な人道的支援を頂いてきた。津波で崩壊した海岸沿いの町は、復興工事ために多くの建設業者が動員され、それにともなう就労によって失業率もかなり緩和された。

東京電力福島第一原発のメルトダウンによって強制避難させられた住民の方々は、少なくともお金と言う保証がある。しかし間接的なありとあらゆる影響を受けた、内陸部の方々への支援はゼロに等しい。

家が消失したわけではなく、家族の命が奪われたわけでもない。しかし目に見えない放射能の脅威は、すべての産業に経済的ダメージを与えてきている。訴訟を起こさなければ一切の保証はない。泣き寝入りをしている人々の数がどれほどか、その人数は計り知れないだろう。

我々の業種もそうであるが、震災後廃業せざるを得なかった個人企業や会社があまりにも多い。国道4号線を走ってみるとわかるが、ホテルやコンビニ、そしてパチンコなどの遊行施設が閉鎖され、伸び放題の草の中に放置されている。

地方のお金の流れが沈滞している。国の政治は、相変わらず党や派閥の力関係に暗躍し、わが身の保身に奔放している。岩手は国体を目前にして、スポーツ関連の行事に踊らせているが、そんな余裕が本来はない。

国は国でオリンピックで勝手に盛り上がっているが、明日の食事に困っている国民をないがしろにして、オリンピックも何もあったもんじゃない。一日12時間労働のバイトを毎日しても、同じ年代の公務員職の年収の半分にも満たない若者たちの暮らしが、自己責任だと言わんばかりの国政は、僕は許せない。

自殺は良くない。しかしその状況を作っている社会そのものに欠陥がないと、誰が言い切れるだろうか。(続く)

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2015年6月 6日 (土)

3つのフィールド

今週の朝、4時から6時まで僕が働いているフィールドは休耕田。

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父が他界してから5年ほどは、この田んぼもお米を作っていたが、20年前からは休耕している。畑と農道を入れると草を刈る面積は東京ドーム1.5個分。1日2時間半の草刈り作業で10日間を要する。トラクターや草刈機械のモアーならその5分の1で終わるのだが、残念ながらそういった機械を買う余裕はない。

農業はやめた方が儲かる。やればやれほど赤字だ。なのになぜ農作放棄をしないのかと自問自答してみる。それはご先祖に対する礼儀というのか、鎮魂なのかも知れない。

僕の家は400年前にこの磐井の里に住み着いて以来、ずっと田畑を耕してきた。僕で18代目になる。その長い年月、命のバトンタッチをしてきた大地の恵みを経済効率だけで放棄する勇気は僕にはない。19代目の息子に委ねることにする。

そして8月まで僕が働く次のフィールドはここだ。

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8月17日に一関ユードームで、大相撲一関場所が敢行される。そのスタッフとして大相撲一関場所実行委員会事務局で働いている。10年ほど前に、自分が大相撲場所のスタッフとして働く夢を見たことがある。塾教師が、そんななことをやるわけないよな~と思っていたら、正夢になった。

一関で大相撲場所が開催されるのは21年ぶり。チケットが欲しいかたは下記の所までお電話ください。僕の名前を言って頂ければ、対応いたします。良い席をお取りすることは出来ますが、割引は出来ませんのであしからず(笑い)。

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そして夕方5時からのフィールドは本業の塾教師としての仕事だ。

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おかげさまで開校以来25年を数える。四半世紀で700名ほどの生徒がこの塾から旅立って行った。僕が29歳の時から25年間、様々なドラマがあった。きっと僕がギブアップしない限りドラマは続いて行くだろうと思う。

震災以後厳しい経営を強いられているけれども、ポジティブな僕はめげてはいない。めげてはいないけれど、塾だけでは食べていけないので、いろんなフィールドで頑張らざるを得ない状況ではある。

僕のフィルード は拡散し続ける・・・・

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2015年6月 4日 (木)

タイトルなし

最近農作業もバイトも本業も全力投球。

さすがにブログを書く余力はありません。

申し訳ありません(;ω;)。

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2015年6月 3日 (水)

自分を褒めたい

今日から朝3時50分起きの草刈が始まった。朝食をとったあとは、一関相撲夏場所の事務局での仕事が夕方5時まで、そして速攻で塾に行って、夜10時まで指導。54歳の僕は頑張っているな。自分を褒めたい。

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休耕田の上にため池があるのだけれど、25年間刈り取らなかった野バラが枝葉を広げ、満開の花を咲かせている。心が癒される光景だ。

ところで草刈をしていたらこんなものが・・・・

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きっとキジの卵だと思うのだけれど。産み落とした場所を忘れてしまったのだろうか。

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2015年6月 2日 (火)

一番好きな花

僕が一番好きな花は野バラです。雑草のごとく野山に咲き誇る野バラが好きです。

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自宅の洗面台の所に、昨年野バラの芽が出て、今年はこんなに大きくなって花が咲きました。朝歯を磨きながら「おはよう」と声をかけます。植物は声をかけてあげると元気に育ちます。

今日の一関は31度まで上がりました。いきなり夏がやって来ましたね。皆様健康にご留意くださいませ。

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2015年6月 1日 (月)

営業時間の変更について

6月より塾が始まる時間が夕方5時15分になります。指導の終了時間は今まで通り夜10時です。

土曜日は午前の指導が無くなり、午後1時から夜の9時までが指導時間となります。

ご不便をおかけしますが、ご理解のほどよろしくお願い致します。

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