千厩の重箱石
しばらく地元の磐座の探検というのか探索をしていなかったので、今日は一関千厩町の重箱石を紹介してみよう。場所は県道267号、磐清水小学校に向かう途中にある。
大きさが分かりずらいので、横に人が立っているが写真で大きさを実感してもらいたい。
遠野の続き石もそうだが、偶然重なった岩なのだろうか。現代の重機を使ってもきっとこれだけ完璧に積み重ねることは困難なはずだ。いつの時代から鎮座している岩なのかわからないが、もし意図的に積み重ねたとしたら、どうやって乗せたのだろうか。不思議な岩だ。下の岩と上の岩の性質はまったく違う石である。
宝暦の風土記(1763)には「平石 大石三つ重り重箱石共申唱候…」とあり、磐清水の代表的な名石である。古くは平石または重箱石と呼ばれていた。石の上に馬蹄形の窪みがあり、いつも水が溜まり、これを干せば雨が降ると伝えられており、石の側面の色の違いは、その昔この周辺が沼であったことを示す名残りともいわれている。また一説には、昔乙姫の玉手箱を忘れたところとか、弁慶が重ねた石ともいわれている。(濁沼自治会 平成22年1月建立 標柱の解説より)。
ふとこの岩の上を見上げるとそこにも磐座があり、社が祭られていた。
青麻社(あおそしゃ)という名前の社が鎮座している。明治30年頃の勧請とされるこの青麻社はイタドリを杖にして参拝すると中風にかからないと伝えられている。もちろん僕にはこの磐座のいわれも歴史もわからない。ただ重箱石を近くから撮影したときは、他のアラハバキ神の磐座同様、パソコンに転送出来なかったので、おそらく縄文時代までさかのぼる磐座ではないかと思う。
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