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2015年5月29日 (金)

僕にとっての究極の娯楽だ

昨年の夏過ぎから月30冊ペースで本を読んでいる。つまり1日に1冊本を読んできたことになる。そのほかに教材関連の本にも目を通すし、インターネットのウエーブサイトも頻繁に見ている。そのしわ寄せがどこに来ているのかというと睡眠時間だ。

30代の頃は11時には寝ていたのだが、ここ10年ほどは毎日午前様だ。朝は6時には目覚める。この季節になると目覚まし時計はいらない。朝5時頃から草刈機械の音が山里に響きわたり、進軍ラッパのごとく僕の1日は覚醒する。

一関の図書館が新設され、欲しい本があれば県内の図書館どころか東北の図書館からでもリクエストできるようになった。インターネット様様である。

小説を書くことは出来ないが、本の論評を書くことなら結構いけてるんじゃないかと思う。小説家になるまでに3000冊の本は読みましたなんていう話を聞くが,冊数だけならきっと6000~7000冊は読んできた。女房からは病気と言われるけれども、確かにその通りだと思う。

「先生本って面白いですか」と生徒から尋ねられることがある。本は実に面白い。僕はジャズと本とそして女性がいれば生きて行ける(笑い)。

僕は兄弟がいない。一人っ子だったし、家庭の事情で幼稚園も行かなかった。同年代のこどもと遊ぶ機会がなかったので、小さい頃から活字が友達だった。それがずっと続いている。

読書はご飯を食べたり排泄する行為と同じくらいあまりにも日常的なことだ。残された時間であとどれくらい、物語を楽しむことができるだろうか。僕にとっての究極の娯楽だ。ただ視力がもつかどうかが心配ではある。

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