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2015年5月

2015年5月31日 (日)

久しぶりのドライブ

今日は午前中卓球の指導の後、家内と種山高原に行ってきました。わが家から車で1時間ほどの距離になります。

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種山高原と言えば宮沢賢治の歌が有名ですが、この季節新緑と多くの花々が咲き乱れ、最高の景色でした。
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5月最後の日曜日、久しぶりに家内と遠出をしたのですが、しょせん片道1時間のドライブ。それでも1年ぶりの遠出だったでしょうか。

 

種山高原から江刺に下る途中偶然神社の看板を見つけ、山道を入って行きました。

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戸隠神社の鳥居前に見つけた源龍水なる湧き水。

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なんと九頭竜大神が祀ってありました。湧き水を頂いてきましたが、甘い清らかな味の源龍水でした。

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戸隠神社の境内には、樹齢700年を超す杉の巨木がご神体としておまつりしてありました。偶然遭遇した神木のパワーに癒された1日でした。

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人間の実力が4部であとの6部は家族や周りの人間の応援によるものだ

約70%が3年以内に倒産しています。3年経たないうちに10社のうち3社しか生き残れない厳しい世界。ちなみに1年以内が30~40%、10年以内は93%と言われています。この数字から「会社を作ることは簡単だが、会社(組織)を存続させていくことは難しい」ということが分かります。経営・経済コースの授業「経営管理論」では、会社を存続させ、かつ利益を上げ続けるにはどうしたら良いかについて、さまざまな視点から学びます。グループワークを通してリーダーの役割を学んだり、企業の経営者を招いてお話を聞いたりするなど、実践的に企業経営について考えていきます。高崎商科大学

個人や組織が会社を創立して、半分近くが1年以内に廃業に追い込まれている状況は我々の職種も同じだ。起業して3年で、7割の会社が経営を断念せざるを得ない状況というのは仕事というものの本質を改めて考えさせられる。

脱サラという言葉が世間を圧巻したのは、バブル景気の頃だったように思う。かく言う僕もバブル経済の終焉時に今の塾を始めたのだけれど、継続することのしんどさは嫌というほど味わってきた。

僕は儲かる話や貯蓄の話はまったく縁がないので出来ないが、継続するコツなら自信をもって話せるかもしれない。

一番大切なことは仕事を楽しむことじゃないだろうか。自分の選択した仕事が楽しければ、少々の事は我慢できる。次に大切なことは見栄をはらないということだろうと思う。社長などと呼ばれると人間は本来のスタンスを忘れ、買わなくていいものを買ってしまったり、出さなくていいお金をついつい出してしまいがちになる。常に身の丈にあった生活をすることを忘却してはいけないだろうと思う。

会社やお店を始めると、仕事の商談と称して夜の仕事が増える方が多いが、これも自戒しなければならない一つだろうと思う。お酒はビジネスの潤滑油というのは、昭和の話だと思う。お酒の席を準備しなければ獲れない仕事なら、初めからやらないほうがいい。夜のビジネスの成功は継続しない。

3番目に書いてしっまったが、これが実は一番大切なことのように思うが、家族や御先祖様に対する感謝じゃないだろうか。自分がお店を出す町内会の産土神さまの神社に仕事を始めさせていただくあいさつに行くことはもちろんこと、自分の実家のお墓参りや、神棚の掃除、トイレ掃除、仕事場の神仏への奏上は生きて行く上での必須項目だと思う。

仕事を始めて仕事を継続するための運というものは、その人間の実力が4部であとの6部は家族や周りの人間の応援によるものだ。その応援の柱となるものが、自分を取り巻く見えないエネルギーへの感謝だと思う。

最初からつぶれているような小さな塾の経営者が随分と生意気なことを書いてしまったが、参考にして頂ければ幸いである。

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2015年5月30日 (土)

本の神様からのメッセージ

6月25日木曜日に一関図書館に行ったのだけれど、残念ながら休館日であった。僕は読む本が欲しかったので、BOOKOFFに行って5冊ほど本を購入して塾に向かった。

100円コーナーに田口ランディさんの書籍が置いてあったので、久しぶりに彼女の作品を読むことにした。屋久島での滞在を記した『癒しの森』だ。さっそく木曜日に読み終えた。

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田口ランディさんは僕と同世代の作家なのだけれど、引きこもりがちなお兄さんが亡くなってから精神世界や心理学の世界に強烈な興味を抱き始めた方だ。僕も20代で父を亡くしてから、様々な不思議な現象に出逢い、精神世界に傾倒していった経緯があるので、彼女の作品にはただならぬシンパシーを感じてきた。震災後、早池峰神楽を見に来た田口さんを早池峰神社で見かけたことがあって、とても身近な存在に感じている読者の一人である。

話しは『癒しの森』に戻るのだけれど、「深き水に抱かれて眠る」という後半の章で、彼女がガイドの方が見た嫌な夢というのを記している。口之永良部までボートダイビングに行って土左衛門に出会うという夢なのだけれど、口之永良部という地名になぜか胸騒ぎを覚えた。生まれて初めて目にした地名で、ルビなしでは読むことも出来ない地名なのだけれど、なぜか心が落ち着かないのである。

そして今日の朝刊。

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僕は我が目を疑った。なんだろうこの偶然は。まただ。韓国で起きた旅客船の沈没の時もそう。御嶽山噴火の時もそう。本の神様からのメッセージだったのだろうか。

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貧困が被害拡大を加速させている

 【ムンバイ共同】インド当局は29日、猛烈な暑さが続き、ここ最近の熱中症などによる死者が1700人を超えたことを明らかにした。死者は高齢者や、野外で働く建設労働者などがほとんど。犠牲者の多くは体を冷やすエアコンや扇風機を利用できず、水道や電気が引かれていないスラムなど劣悪な住環境で過ごしていた。貧困が被害拡大を加速させている。

 各州当局によると、南部のアンドラプラデシュ州で1334人、テランガナ州で440人が死亡。地元報道によると、東部のオディシャ州や西ベンガル州、首都ニューデリーでも死者が出た。

 気象当局は、強い熱波が北部などで数日続くとみている。

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インドでは46度を記録した。人間が生きて行くには限界的な温度なのではないだろうか。赤道から吹いてくる熱波が、ヒマラヤにさえぎられて北に抜けず、熱風がインドの大地に吹き荒れている

貧困層はエアコンなどあるはずがなく、水さえまともに供給できない状況になている。想像を絶する過酷な環境だ。

僕は夏は嫌いだ。田舎に住んでいて言うのもなんだが、ハエや蚊の襲撃する季節になるとうんざりだ。草が生い茂り、草刈でエネルギーが消耗して行く。かと言って冬も嫌いだ。氷点下10度の寒さは命が縮まる思いがする。1年中、5月や10月のような気候ならば、まさに天国なのだが、天国はそんなに続かない。

それにしてもこの星の環境は人間を試そうとしているのか、人間を阻害しようとしているのか、次から次へと自然は猛威をふるう。70億人の地球人の存在の結果がこの星を狂わせているとするならば、自然淘汰される前に、僕らは意識変革をしなければならない。

自然との共存という言葉が、どこか投げやりで、しらけて聞こえてくるのは、僕だけの感覚だろうか。

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2015年5月29日 (金)

僕にとっての究極の娯楽だ

昨年の夏過ぎから月30冊ペースで本を読んでいる。つまり1日に1冊本を読んできたことになる。そのほかに教材関連の本にも目を通すし、インターネットのウエーブサイトも頻繁に見ている。そのしわ寄せがどこに来ているのかというと睡眠時間だ。

30代の頃は11時には寝ていたのだが、ここ10年ほどは毎日午前様だ。朝は6時には目覚める。この季節になると目覚まし時計はいらない。朝5時頃から草刈機械の音が山里に響きわたり、進軍ラッパのごとく僕の1日は覚醒する。

一関の図書館が新設され、欲しい本があれば県内の図書館どころか東北の図書館からでもリクエストできるようになった。インターネット様様である。

小説を書くことは出来ないが、本の論評を書くことなら結構いけてるんじゃないかと思う。小説家になるまでに3000冊の本は読みましたなんていう話を聞くが,冊数だけならきっと6000~7000冊は読んできた。女房からは病気と言われるけれども、確かにその通りだと思う。

「先生本って面白いですか」と生徒から尋ねられることがある。本は実に面白い。僕はジャズと本とそして女性がいれば生きて行ける(笑い)。

僕は兄弟がいない。一人っ子だったし、家庭の事情で幼稚園も行かなかった。同年代のこどもと遊ぶ機会がなかったので、小さい頃から活字が友達だった。それがずっと続いている。

読書はご飯を食べたり排泄する行為と同じくらいあまりにも日常的なことだ。残された時間であとどれくらい、物語を楽しむことができるだろうか。僕にとっての究極の娯楽だ。ただ視力がもつかどうかが心配ではある。

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2015年5月28日 (木)

花泉町大門神社の石奉納

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僕の住む花泉町で一番大きな杉の山門があるのが、金沢大門神社だ。岩手県有形文化財の多聞天立像・伝広目天立像・地蔵菩薩半跏像・伝水月観音立像が祭られている。製作年代は平安後期と伝わっている。

またこの地は平泉藤原氏の南の南大門跡とも言われており、古代から政治的な要所として霊的な砦でもあっただろうと思う。

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毎日山門前の道を車で通っているのだけれど、本殿を訪れたのは26年ぶりのこと、大門神社の神様には久しくご無沙汰してしまった。実は家内にも話していなかったのだけれど、結婚して3年たっても子宝に恵まれなかったので、僕はこの神社の拝殿にかしこまって、子どもが授かりますようにと祈願を行ったことがある。そして間もなく家内が懐妊した

それが26年前のことである。今までの無沙汰を謝罪し、息子が成人し社会人として元気に過ごしていることに感謝申し上げた。そして写真を撮ったのだが、アラハバキ神を写した時のような青の光の放射が写しこまれた。

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境内を眺めても、巨石や磐座のたぐいが祀られているわけではなかったが、境内に続く階段の上り口に、多くの石が奉納されていた。それもすべての石が、写真のように穴が空いているのである。きっと26年前もあったはずなのだろうけれど、残念ながら記憶にない。28歳の当時の僕は、磐座にも石神にも興味がなかったので、きっと気にも留めなかったのだろうと思う。

僕にとってこの発見は大発見だ。どのような歴史があるのかさっそく調べてみたいと思う。

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2015年5月27日 (水)

『神は沈黙せず』

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2004年に山本弘氏が発表した長編『神は沈黙せず』は第25回日本SF大賞候補作になった近未来小説だ。神の存在理由や、魂の問題をコンテンポラリーなデジタル理論でひも解いていく。

神には善悪の感覚があるのか。宇宙人は存在するのか。今我々が生きている世界は、本当に存在するのか。次から次へと生じる疑問に、答えを模索する現代人の苦悩と希望が錯綜していく物語だ。

膨大な宗教の残骸が、ページをめくるごとに混沌と堆積して行く。既成の宗教観がころころと崩壊して行く中で、人間の本質とは何かという疑問に、神や宇宙認識がゲーム感覚でオーバーラップして行く作品だ。

超常現象や宇宙の謎に興味がある方にとっては、最高におもしろい作品だと断言しておこう。

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僕のちょっとした苦悩

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この交差点が、77の奇跡が続いている水沢駒形神社近くの道である。左に曲がると県立水沢高校、右に曲がると駒形神社という十字路である。ちなみにまっすぐ進んで行くと後藤寿庵の記念公園にたどり着く。

昨日は花粉症が収まらないので、水沢のとある病院に行った。その帰りに駒形神社に向かったのだが、この交差点で昨日も77の車がぴったり僕の後ろに現れた。今年5回目の駒形参りであったが、5回とも77のプレートナンバーの車が、この交差点で僕の軽トラックとすれ違った。この現象に気づいてから10年以上になるわけだけれど、80回ほどこの交差点を曲がって、77の車に遭遇しなかったのは、例の震災前の1回だけである。

で・・・僕は最近苦悩していることがある。神様はこの交差点に77の車を出現させることで、僕に何を訴えかけているのだろうという疑問である。

仮に僕の想いがこの交差点に77の車を出現させているとするならば、それなりのサイキックな力が僕にあるということになるのだろうけれど、残念ながら僕はスプーンが曲がるわけではないし、UFOに遭遇することもないし、神様のお告げがやって来るわけでもない(笑い)。大体にして僕にそんなパワーがあれば、あと20名ほどの塾生を集めて、生活に困らないようにすることなど朝飯前だろうし、バイトの仕事を面接にたどり着く前に4回も断られることもないだろうと思う

なってくると駒形の神様のたんなるお茶目ないたずらなのだろうか。僕がそんな不遜なことを考えながら駒形神社の境内に入ると突然携帯電話がなった。東北電力からの電話で、明日中に電気代を振り込まないと教室の電気が止まりますという、軽い脅迫電話だった。OH~MY GOD!

僕は負のスパイラルを脱却すべく、境内の此花咲くや姫が祭られている山神神社に参拝した。鈴を鳴らした途端に、鈴紐が落ちてしまったのでる。何百回といろんな神社に参ったが初めての経験である。それも駒形の神社の境内で。

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動揺したものの、そこはだてに年は取っていない。写真のごとく鈴紐を復活させたのであるが、応急処置だったのできっと近いうちに誰かが落すことだろうと思う。昨日の出来事が凶と出るか吉とでるかは神のみぞ知るであるが、それしても駒形神社の神様の真意は何だろう。苦悩は続く。

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2015年5月26日 (火)

このジレンマはなかなか難しい

「学校の先生がね、塾に行かなくたって自分でしっかり勉強すれば授業は分かるんだよって言ってたよ」と中学2年生のSくんが僕に話してくれた。

「塾は必要じゃないのかな」と僕。

「塾で勉強することで、僕は安定しているから、やっぱり塾はいいよ」とSくん。

様々な塾があるけれど、学校にも様々な先生がいる。

昔ほど露骨に塾批判をする公立の先生は少なくなってきたように思うけれど、僕よりずっと年下の先生から、僕が塾教師だと知ると、完全に上から目線でものを言われるケースはある。

自分の息子ぐらいの世代の先生から横柄な態度をとられても、僕は大人だから決してムカついたりはしない(笑い)。しょせん塾は学校教育とは違うし、補助的な存在である。だから謙虚に先生方の意見を拝聴する。

ただ少なくても言えることは、塾に通う生徒が学校の授業と塾での僕の指導をうまく利用してくれればいいことであって、僕はそれ以上は望まない。

40人の生徒を前にして、全員に授業の内容を分からせる自信がある先生はいいとして、それが困難だと思っている先生は、やはり塾の存在は片隅に入れておいたほうがいいような気がする。

昨年の統計によると、全国の小中学校に於いて、3割の授業が学級崩壊またはそれに準じた状況になっているとの報告がなされている。簡単に言ってしまえば、教室の3分の1の生徒が全く授業を聞かない状況になっている授業が多いということだ。

ゆえに都会では公立学校が敬遠され、私立受験が加速してきたのだろうと思う。しかしお金に余裕がある家庭はいいとして、そうじゃない家庭も多いわけで、このジレンマはなかなか難しい。

塾に通わせたいけどお金がかかってというご家庭は多い。僕はそういった状況を緩和したいということで四半世紀値上どころか値下げまでして頑張ってきたのだけれど、震災後その月謝料金でも厳しいご家庭が増えている。

一関市内を眺めると、テレビCMを入れ学校の校門ではペンや消しゴムを毎日ように配り、チラシを毎月折り込んでくる塾が、高額の月謝にもかかわらず多くの生徒を入塾させている。合格実績云々の宣伝が踊っているが、市内はどこの塾も合格実績は抜群だ。なにせ公立高校はほとんど定員割れ、地方の私立大学も実質全入時代を迎えた。

じゃあなたの塾も宣伝をすればということになるのだろうけれど、それができれば毎週でもチラシを入れている。このジレンマはなかなか難しい。

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2015年5月25日 (月)

磐座の神秘

僕のブログに迷い込んでくる多くの方は、本来のテーマである塾関連のキーワードで入ってくる方は珍しく、ほとんどの方が原子力関連の記事や放射能汚染などのキーワードでアクセスしてくる方が多かった。ところが最近のブログの解析データーを眺めると、磐座・巨石・アラハバキ神・瀬尾律姫などの検索ワードで僕のブログに入って来られる方が増えている。

実は震災後、僕のスピリチャル感覚というのか、第六感というのか、いい意味でも悪い意味でも研ぎ澄まされてきた感がする。

古代からみちのくで信仰されてきた磐座関連の神社には、アラハバキ神の信仰の痕跡が見受けらえるということに気づいたのが一つであるし、なんの前触れもなく突然行きたくなった場所や山に磐座のご神体を見出すなんてことが頻繁に起こるようになった。

もう一つ不可解な現象は、震災後携帯電話を持つようになったのだが、アラハバキ神と思われる磐座を写メで写したと時のみ、その磐座の映像だけが、パソコンに転送できなくなる状況が続いている。したがって失礼とは思いながらも、ブログで皆さんに見せたいときは、他の人が公開している写真をシェアーさせてもらっている。シェアーなどというと聞こえはいいが、ちょっとした軽い犯罪ということになるわけで後ろめたいのであるが、削除要請や抗議メールがこないことをいいことに、借用させて頂いている。本当にごめんなさい o(_ _)oペコッ

もう一つ磐座の写真をとると青の光が写しとられることが多い。同じところを同じ時間帯で家内が写してもそうならないところをみると、やはり僕が察知している独特な感覚なのかも知れない。

そしてこれはあまり公表すべきではないのかも知れないが、昨年から僕が撮る写真に何やら異質なものが写るようになった。今まで黙ってブログに乗せていた写真をここにもう一度掲載する。

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胆沢町の愛宕神社の写真だけれど、屋根の上を観て頂きたい。鹿の顔が見えるだろうか。屋根の後ろに楓の木があるのだが、僕が写したときにちょうど鹿の顔が映し出された。

僕は神社前の磐座を写そうとして撮った写真で、意図的に角度や光の加減を利用して鹿のようなものを写真に出現させたわけではない。この写真に関してはメール等で鹿のようなものが写っているのですがと、何人かの方に問い合わせを頂いたが、青の光体といい、鹿の偶然の顔といい、自分で撮っておいて言うのもなんだが、実に神々しい写真だと思う。

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この写真は藤沢町の立石神社の磐座のご神体の写真である。やはり青い光が写しこまれているが、磐座の左端に三角形の形をした猛烈な光が映し出されている。もちろん写真を撮った時には気づかなかった。ちなみに写したのは夕方4時半頃で、太陽はこの磐座のちょうど裏側にあった時間帯である。きっと森の木漏れ日が偶然映し出されたのだろうと思うのだが、この写真もなかなか神々しい。

昨年の今頃、衣から束稲山を中心に行ったアラハバキ神探検ツアーの話をブログで公開したところ、私も行きたかった!という声を多くの皆様から頂いた。要望があれば、今年も磐座探検ツアーパート3を決行したいと思っている。お楽しみに!

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2015年5月24日 (日)

ジタバタしないことにしようと決めた2015年である

今日の日曜日は卓球の試合のコーチングで1日が過ぎて行った。ふと気づいたら5月もあと1週間で終わる。運動会が終って、今週は中間テスト週間だ。それが終ると衣替えがやってきて初夏の季節となる。

今年は何が何だか分からない状況で日々が過ぎて行く。ざっくばらんに言うと色々としんどい年なのだけれど、まあ今年は休みなさいと神様が言っているのかなということで、ジタバタしないことにしようと決めた2015年である。

暇なものだからついつい本を読む時間が多くなって、老眼が加速している。困ったものだ。

ところで80歳になろうとしている僕の母に、原付免許の高齢者講習の便りが送られてきた。いいかげん年なんだからバイクの免許は返上していんじゃないと毎回言っているのだが、僕と同じで頑固さは年をとってもゆるぎなく、今年も更新する心意気はバリバリのようだ。

彼女はまったく自分の年を自覚していない。先日も眼科に行ってきたのだが、「お年寄りばかり多くて」なんて暴言を吐いていた。80歳に手が届く自分を年寄りとは思っていないようだ。やれやれである。

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僕の家は写真で見てもわかるように、山里の辺鄙なところにある。一番近いコンビニまで7キロもある。我が母はそこまで50ccのスクーターで往復する。元気なのは何よりなのだが、正直息子としては心配この上ない。

季節に関係なく毎晩8時には寝て、4時ごろには起床する母を見ていると、100まで突っ走るんじゃないだろうかと思っている。僕は一人っ子なので、母よりは先に死ねない。ふ~頑張るか・・・・

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2015年5月23日 (土)

東北だけが国の支援金で復興させるのは不平等だと、某大臣が言い切った。

一度収まりかけた花粉症が、昨日からまたひどいことになっている。鼻をかみ過ぎたせいだろうか耳鳴りがする。

震災後半年間は花粉症状態だ。震災前は桜の季節になると花粉症の薬とは縁が切れたのだけれど、いまだに手放せない。

台湾は、東北及び北関東の日本の農産物の輸入を禁止したようだが、当然の処置だろうと思う。日本政府は根拠のない過剰反応だと台湾にたいして抗議したようだが、もともと日本が設定いている放射能基準が世界の基準になっていないのだ。

先日東京電力福島第一原発で働く作業員の被ばく限界値が2倍に引き上げられた。いままでの被ばく値の基準でも、多くの健康被害が出ていたはずなのに、歯止めがきかない政策になってしまっている。

毎日放出される放射能汚染物質が、空に海に垂れ流し状態であるにも関わらず、政府は避難住民を帰還させようとしている。避難住民の方々に毎月支払われる保障金額の支払いが、負担になっていると言うのが東電や政府の本音だろう。

復興支援のお金が国から出されてきたが、政府は復興費用を地方の市町村に負担させようという政府案を提出してきた。東北だけが国の支援金で復興させるのは不平等だと、某大臣が言い切った。

おいおいという感じだ。市街地が全滅した陸前高田市や三陸町のどこに復興財源があるというのだろう。何が不公平なのだろう。訳が分からない。

そもそもこんな時期に東京オリンピックをやろうとしていることがナンセンスだ。莫大な国家予算をオリンピック施設に注ぎ込む前にやることはあるだろうと思う。仮設住宅に住まわれている人々の生活もすでに限界を超えている。一生懸命生きてきた方々の人生が、仮設住宅で終えて行く姿はあまりにも哀しい。

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2015年5月22日 (金)

僕がやらねば誰がやる

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上の写真は世界遺産に登録されている平泉毛越寺の浄土庭園です。新緑の山々が5月のさわやかさの中で輝いていました。

実は昨日、僕はこの庭園から直線距離で800メートルほどのところで草刈作業をしていたのであります。友人の先輩先生の休耕田を朝6時半ごろから9時頃まで、ちょっと草刈機械の音がうるさかったかもしれませんが、キーンキーンという音をたててやっておりました。

3月より昼の仕事がなくなり、職安を通じて何度かパートの仕事を応募しているのですが、僕のような初老おやじを雇う会社はなく、僕の趣味というのか、ライフワークと言ったらいいのか、隠居したおじさんのごとく古代の磐座や巨石巡りなどて近隣の神社などを徘徊しておるわけですが、この時期塾生の数も少なく、教室代を捻出するのにも苦戦している僕の窮状を見かね、友人の先輩先生が、僕に仕事を下さったのであります。

ほんの数時間の作業に対して、塾生ふたり分の月謝に相当するバイト代を頂き、感謝感激雨あられのかねごんでした。頂いたお金で、僕名義の軽自動車やバイクの自動車税を納めることが出来ました。一安心。

ところで僕が草刈りをしていますと、昨年在籍していた中学生が僕の横を通って行きました。きっとどこかで見かけたようなおじさんが草刈りをしているなと思ったのだと思います。ちらちらと草刈作業をしている僕を見ていたようですが、まさかかつての塾の先生が、自分の家の近くの田んぼで草刈をしているなどとは夢にも思わなかったのでしょう。ちょっと首を傾げながら平泉中学校方面に歩いていきました。

次に僕のそばを通り過ぎて行ったのは、高校時代の部活の先輩。平泉に住む彼は、やはり花泉に住む僕が、ここで、それも通勤時間に草刈をしているはずがないと思ったのか、2,3度振り返っては、気のせいかと思ったのでしょう、彼も首を傾げながら過ぎて行きました(笑い)。

さてと、今度は我が家の休耕田が待っている。0.5ヘクタールの草刈作業はきつくなってきた。が、しかし僕がやらねば誰がやる。頑張るか・・・

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2015年5月21日 (木)

一関市花泉・月舘神社

今日ご紹介する神社は超ローカルな神社であります。花泉日形に鎮座する月舘神社です僕の家から車で7分ぐらいの場所にあります。

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もともと花泉町の日形は干潟が転じて日形になったと言われています。そばを流れる北上川を越えると黄海があります。かつてはこの辺まで海だったんですね。ということでこの月舘神社には僕の好きなる龍神様が祭られています。

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長い参道が続くのですが、箱根神社の参道を彷彿とさせるような雰囲気。龍神様の気配でしょうか。この神社実はご神体が岩なんですね。つまりここの神社もかつてはアラハバキ神の信仰の場所だったかもしれません。残念ながら今回は青の光が写真に出ませんでしたが、歴史を感じさせる素晴らしい社です。

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社の裏手には苔むした巨岩がご神体として祀られております。先日紹介した藤沢町の立石神社の磐座とは全く違う波動を感じました。同じ磐座でも神社によって随分岩の雰囲気が違うものです。かなりきつい坂の参道ですが、僕と同じように磐座信仰に興味がある方は是非立ち寄ってみてはいかがでしょうか。

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2015年5月20日 (水)

リボ核酸や塩基の配列で、人間の能力が決定づけられてたまるか

先日中学校の基礎学力は小学校で培われるという記事を書いた。ところで小学校の基礎学力はどこで培われるのだろうか。それは幼稚園や保育園ではなく家庭だろうと思う。

同じような勉強を同じような時間を費やしてやっても、幼児や児童の学力には必ず個人差が生まれる。頭の良さは実は脳の神経細胞やシナプスの働きによるものだが、その違いの根本はDNAだと言われる。

実はこのDNA、僕が一番嫌いな言葉だ。リボ核酸や塩基の配列で、人間の能力が決定づけられてたまるかというのが僕の持論だ。

DNAの解読が進み、癌や多くの病気さえも予測できる世の中になったようだが、人間の能力をDNAの遺伝子で決め付けてしまうことに、僕は大いなる抵抗を持っている。頭がいいのは遺伝子の賜物だとすれば、頭が悪いのも遺伝子による影響ということになる。これでは,教師や親による、勉強すれば努力をすれば社会で報われるという励ましの言葉が虚無になる。

人間には能力差があるということを、実は多くの人たちが確信しているのにそのことに目を向けない教育がずっと続いてきた。なぜだろう。

めんどくさいからだろうか。考えてもしょうがないことだからだろうか。僕は教育の現場から魂の問題が排除されたからだと思っている。

僕の教え子には、初めてプールに入った日に、泳ぎ方を誰にも教わったわけではないのに、すんなり泳げたという生徒がいる。英語を中学校で習い始めた時に、勉強をしたわけでもなのに、英文の意味がすんなんり入って来たという生徒がいた。これもDNAの問題によるものだろうか。

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シュタイナーは人類の過去生の記憶を3つに大別している。場所化された記憶、リズム化された記憶、そして時間化された記憶である。

場所化された記憶というのは、多くの現代人が経験する。初めて訪れた場所なのに、懐かしさを感じたり、場所の詳細な記憶が蘇ってきたりする、俗に言うデジャブというやつである。

リズム化された記憶というのは、体験の記憶である。初めてピアノの前に座った子どもが、突然和音の音を奏でるなどと言うのがそれにあたるだろうか。

時間化された記憶というのは、過去生や未来生の記憶と言うことになる。僕の経験で恐縮だが、40代の中頃にネィティブインディアンの音楽を聴いた時に、突然大地の岩肌に立ちつくす若者の姿が脳裏に現れた。

赤く日焼けした肌に、鳥の羽を付け、腰に麻のような布をまとった若者の姿に懐かしさというのか、自分の姿そのものの意識が駆け巡っていた。繰り返しのリズムや太鼓の響き。僕がジャズに魅了されるわけが何となくわかったような気がした。

太古から信仰されてきた磐座や巨石に異様な関心を持っているのも、ひょっとすると過去生の影響かもしれない。

公立の学校に勤める先生方の中にも、シュタイナー教育に関心を持ち学ばれている方が多い。しかし残念ながら職員室や公の場で、話すことはないらしい。まるで江戸時代の隠れキリシタンのような状況になっているようだが、今の公教育では仕方がないことだろうと思う。

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奥州市胆沢愛宕神社




今日紹介するのは、奥州市胆沢に鎮座する愛宕神社である。この愛宕神社が祀られている石山は明らかに人工ピラミッド型の山で、巨石の一つ一つがまるで一塊の巨岩のような様相を呈している。

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この社があるのは、焼石岳をまじかに眺める胆沢愛宕小学校のすぐ近くである。神社の来歴によると、この地に愛宕神社を勧請されたのは昭和31年とあるので、この人工の石山は、古代から何らかの形で信仰されて聖地であろうと思う。

愛宕神社は各市町村に祀られているが、鎮火神社としての信仰が根強い。祭神はワカムスビノミコトや王城鎮護など。今回の写真も、青の光が山頂に放射されている。

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神社の入り口に上のような看板が飾られていた。この絵から想像するに、この愛宕山を造ったのは、あきた三吉という男なのだろうか。この愛宕山の歴史に詳しい方がおられたら拝聴したいかねごんである。

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2015年5月18日 (月)

先入観

中学生の基礎力は小学校で作られる。国語のセンスは、小学校低学年までの読書量で決まる。そして算数のセンスは小学5年生までの文章題の掌握で決まる。

センスというと抽象的だけれど、その子が中学時代を維持して行く器の素材とでも言えばいいだろうか。

ここに小学5年生の算数の問題がある。

5年2組には男子児童24人、女子児童が16人います。男子児童は2組全体の児童数の何パーセントにあたりますか。

この問題がすんなり解ける小学6年生は、算数の感性が優れていると言っていいだろう。この問題にギブアップの6年生は、問題文がきっと日本語で理解していない。

(式) 24人÷40人=0.6  解答 60パーセント                                          

(別解) 40:24=100:□    40×□ = 24×100 解答60パーセント

中学生ならば(別解)の解法も出てくるだろうけれど、小学生ならば上記の解法となるはずだ。

子どもの能力は未知数だ。小学校や中学校の成績が悪いからと言って、社会人としての将来が期待出来ないなんてことは決してない。

小学校の基礎力がないと中学生の授業が苦戦するだけだ。それだけのことだけれども、世の中はそのことを重視する。そして子どもを先入観で見てしまう。残念だ。

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2015年5月17日 (日)

一関市藤沢町の立石神社

磐座を御祭神とした神社としては岩手県南地区では、藤沢にある立石神社の磐座が大きさでは最大だろうと思う。

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間違いなくアラハバキ神の磐座だと思うが、スケールに於いてもパワーに於いても東北のアラハバキ神の中では別格な存在だ。僕がアラハバキ神の磐座を写真に撮るといつも青の光が写しこまれるが、今日もそうだった。

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我が女房は、磐座のパワーに圧倒され感動していたが、この場所があまりにも知られていないがゆえに、逆にそのことがこの磐座の神格が世俗に流されることなく保たれてきた恩恵だろうと思う。

 

縁ある方はどうぞ導かれますように。

 

※境内まで道はありますが、軽トラックやジープでなければ神社の境内まで入ることは出来ません。お気を付け下さい。

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奔流に押し流されないように

本日田植えが終了した。先日も書いたが、田植え機械が調子悪く、だましだましの今年の田植え作業だった。

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昨日の雨で、一関市内の中学校の運動会は本日に繰り上げ。きっと僕が田植えをしている間、青春の汗と涙が校庭にほとばしっていたことだろう。

明日の中学校は振替休日。しかし中間テストがすぐやってくる。運動会の準備等で塾をすっぽかしていた生徒は、明日からばりばり塾で頑張って欲しい

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一関川崎地区を流れる北上川は、雪解けの水と昨日の雨で、だいぶ水かさが増し、流れが急になっている。この川の水は宮城県石巻まで流れ行き、そして太平洋に注ぐ。

中学3年生も高校3年生も、受験という奔流に押し流されないように足場を固め、激流を乗り切って欲しい!

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2015年5月16日 (土)

因数分解

高校生の指導は基本的には大学受験の英語指導なのだけれど、1年生は時に僕に数学を尋ねてくる。今日も数学の因数分解を尋ねられた。

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僕の汚い字で見づらいと思うが、この手の因数分解は基本がしっかりしていないとドツボに陥ってしまう。文字式の並び替えもさることながら、カッコでくくったさいの符号に要注意だ。

高校のこの時期にこの手の問題に苦戦する生徒は多いだろう。高校生活が始まって間もなくだと言うのにもう数学がわからね~と嘆いている高校1年生諸君、焦ることはない。

宿題に追われる日々だろうけれど、自分が解かねばならない問題にじっくり向き合うことが必要だ。解答だけが書いてある問題集が役に立たないならば、解法過程がしっかり書かれている問題集を探して買ってくればいい。最低部活が忙しくても、それくらいのことはやらなければならない。

そうじゃないかな。

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千厩の重箱石

しばらく地元の磐座の探検というのか探索をしていなかったので、今日は一関千厩町の重箱石を紹介してみよう。場所は県道267号、磐清水小学校に向かう途中にある。

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大きさが分かりずらいので、横に人が立っているが写真で大きさを実感してもらいたい。

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遠野の続き石もそうだが、偶然重なった岩なのだろうか。現代の重機を使ってもきっとこれだけ完璧に積み重ねることは困難なはずだ。いつの時代から鎮座している岩なのかわからないが、もし意図的に積み重ねたとしたら、どうやって乗せたのだろうか。不思議な岩だ。下の岩と上の岩の性質はまったく違う石である。

宝暦の風土記(1763)には「平石 大石三つ重り重箱石共申唱候…」とあり、磐清水の代表的な名石である。古くは平石または重箱石と呼ばれていた。石の上に馬蹄形の窪みがあり、いつも水が溜まり、これを干せば雨が降ると伝えられており、石の側面の色の違いは、その昔この周辺が沼であったことを示す名残りともいわれている。また一説には、昔乙姫の玉手箱を忘れたところとか、弁慶が重ねた石ともいわれている。(濁沼自治会 平成22年1月建立 標柱の解説より)。

ふとこの岩の上を見上げるとそこにも磐座があり、社が祭られていた。

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青麻社(あおそしゃ)という名前の社が鎮座している。明治30年頃の勧請とされるこの青麻社はイタドリを杖にして参拝すると中風にかからないと伝えられている。もちろん僕にはこの磐座のいわれも歴史もわからない。ただ重箱石を近くから撮影したときは、他のアラハバキ神の磐座同様、パソコンに転送出来なかったので、おそらく縄文時代までさかのぼる磐座ではないかと思う。

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2015年5月15日 (金)

今日から田植え作業

今日から僕の田植え作業が始まった。出だし早々田植機の調子が悪く、プラグを交換したりエンジンのふかしを調節したり、お昼前に終わるはずの田んぼの田植えが1時半までかかった。

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この2条植えの田植機も30年もの、そろそろ限界なのかもしれない。だましだまし使ってきたけれど、僕と同じであちこちガタがきたようだ。部品もすでに作られていないので、壊れれば終了ということになる。

お米も安くなったし、機械も壊れそうだし、僕の百姓人生もそろそろ納め時かも知れないとつぶやきつつ、塾に向かうかねごんオヤジであった・・・・・。

【連絡】

明日は中学校の体育祭及び準備のため午前中の塾はお休みとなります。高校生の皆さんも午後にお願いします。私は午前中田植え作業の続きに励んでおりますので、携帯もつながらないと思います。ご了承下さい。

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2015年5月14日 (木)

地軸の傾きに変動?

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上の手紙はイヌイットの長老が、地軸が傾いていることをアメリカのNASAに送った手紙だ

自然と共に生きている彼らは、星や太陽の動きにはとても敏感だ。その彼らが、季節ごとの星の位置や太陽の位置が以前とは違っていることを指摘している。

実は僕も不思議に思っていることがある。僕は毎日晴れていれば、塾の教室から須川岳に沈む夕日を椅子に座って窓から目にすることが出来る。四半世紀にもなる。

その太陽の位置が確かに違和感を感じるほどずれてきている気がする。まさか須川岳が動いているわけではないだろうし、地震で塾の建物が傾いたわけでもないのだろうと思う。真冬にいつも沈む太陽の位置のバックの景色が微妙に違ってきたように思うのは単なる僕の思い過ごしだろうか。

僕にはネティブアメリカンだった過去生の記憶がある(自分がかってにそう思っているだけですので気にしないでください)変なおじさんなので、イヌイットの皆さんなみに、星や太陽にはちょっとセンサーが鋭い。

北極の氷が急激に溶け出しているのも、地球の温暖化もさることながら、地軸の変動による気温の変化が原因だとイヌイットの長老は訴えている。

現在の科学をもってすれば、地軸の傾きの角度を測ることなど、それほど困難なことではないだろうと思うのだが、昨今のニュースにはそれに関する話が出てこない。

僕らは中学1年生の地理で、地球が23.4度傾いていることを学ぶ。そしてその23.4度が、そのまま北回帰線や南回帰線の緯度の値となる。つまり北緯23.4の場所が、北半球で太陽の南中高度が90度になる限界地点なのだ。

地軸が25度まで傾くと地球はひっくり返ると言われている。太古の地質を調査すると、そのひっくり返った痕跡が発見できるのだそうだ。もちろんそんなことが起これば、猛烈なカタストロフィーが地球上に存在する者たちに生じるはずだ。

人類の大半が消滅してしまうだろう。この星が僕らを一掃しないことを願うのみである。

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GW期間、山で208人が遭難

 今年4月25日から5月6日までのゴールデンウイーク中に山に登って遭難した人は208人と、過去最多を記録したことが警察庁のまとめでわかりました。発生した件数は173件で、こちらも過去最多となっています。
 遭難した人を年齢別で見ると60代が63人と最も多く、次いで40代の33人、50代の27人となっています。死亡したのは24人、行方不明者は2人だったということです。(13日09:27)
 

僕は山岳部にいたこともないし、山登りの専門知識があるわけでもない。そんな僕が昨今の登山者に苦言を呈する資格はないと思うのだけれど、あえて言いたいことがある。

まずファッション的な感覚で山登りはしないほうがいい。山登りはレジャーかも知れないけれど、身体を鍛えていない人は遠慮すべきだし、素人の方を2000メートル級の山に誘ってもいけない。

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30代の頃、休みが来るたびに僕はリュックを担いで山に登った。単独での登山が多かったが、気を付けたことがある。無理をしないこと。ほんの少しでも身体に異変を感じた時は登らないこと。そして山の神様にお伺いをたてること。

40歳を過ぎて痛風を患ってからは、10年以上山登りはやらなかった。万が一痛風の発作が登山中に起こったらアウトだからだ。2年前10年ぶりで早池峰に上った。5年ほど発作も起こらず体調も良かったし、冬の2か月間毎日4キロ程度の散歩を欠かさなかった自分へのご褒美のつもりだった。しかしその翌年の山開きの登山は、足の痙攣が起きて大変だった。

僕は50歳も半ばになるおっさんだけれど、毎週部活の指導でかなりハードが運動をやっているし、農作業や草刈作業で足腰も普通の年齢の方々よりは丈夫なつもりだ。それでも油断をすると痙攣や痛みを伴ってしまう。

山登りをする方は、鍛えているので大丈夫だという過信がある方が多い。山をなめてはいけない。登山口の鳥居や石塔の前で、頭を垂れ山の神様に入山させて頂くことの感謝と祈りをささげるのは、僕は山に入る時の常識だと思っている。

山に入山する方々を見ていると、まるで遊園地にでも入って行く感覚で、おしゃべりをしながらさりげなく登山口を過ぎて行く方々が多い。とても残念だ。

迷惑をかけない登山を、ぜひとも心がけて欲しい。

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2015年5月13日 (水)

世の中に不幸や絶望は存在しない。そう思う心があるだけだ。

世の中に不幸や絶望は存在しない。そう思う心があるだけだ。

僕はこのブログでずいぶん貧乏話を書いてきた。女房には言葉は言霊だから、お金がない話はよしなさいと言われ続けてはや8年、しかし本当の事だからしょうがない。

貧乏暮らしだけれど不幸だと思ったことはない。もし僕のブログが貧乏話でなくて、不幸話なら、誰もこんなブログなど読んでくれないだろうと思う。

貯蓄もないし、今は昼の仕事は失業中、友人や知人から夜のお誘いがくるのだけれど、お金がないのですべて断り続けているそんな貧乏おやじである。

僕は僕なりのポリシーがあって貧乏暮らしをしているわけではない。たまたま貧乏なだけである(笑い)。金がなければこんなブログを書いていないで働けよって話だけれど、実は僕はこのブログでだいぶお金を稼いできた(爆笑)。

ブログに広告を張り付けているわけでもないし、俗にいう怪しげなリンクで儲けているわけでもない。実は、過去における各学校からの講師の話は、僕のブログを読んで頂いた先生方からのお誘いであった。つまりこの僕の貧乏話は僕の就活活動に役立ってきたわけである。

ところで自宅で女房がやっているシュタイナー関連の教室が縁で、震災後多くの芸術療法士の先生やお医者さんが震災支援のためにお出で下さり、わが家に投宿して頂いた。

自分で言うのもなんだが、僕の家は築40年の家の割にはそれなりにしっかりしているように見える(見えるだけだけれど・・・・)。天井はダイソーの100円ショップで買ってきたすだれでリホーム。ベランダや台所の床も壁も、そして子供部屋もすべて僕が一人でリホームしたものだ。トイレは女房だったけど・・・。庭の木々の手入れももちろん業者さんではなく、僕がすべてやっている。つまりお金がないので自分でやるしかないのだけれど・・・・。

生かされていることにありがとう。仕事があることにありがとう。働かさせてもらっていることにありがとう。家族にありがとう。塾生にありがとう。今日の天気にありがとう。乗れる車にありがとう。住まわせてもらっている家にありがとう。毎日の食べ物にありがとう。健康であることにありがとう。ブログを書かせてもらっていることにありがとう。

感謝の気持ちがあればおのずと大切にする気持ちが生まれるわけで、それ以上でもそれ以下でもない。だから僕は貧乏であることに感謝している。きっとお金に余裕のある暮らしだったら、ブログなど書かなかっただろうし、今のような素敵な人間関係を築くことなどできなかっただろうと思う。

世の中に不幸や絶望は存在しない。明日のことも過去のことも気にすることなどない。今日が過ぎて万々歳だ。だまされた思って、ありがとうを1日千回言って、1ヶ月を過ごしてみて欲しい。間違いなく人生の悩みが消滅するはずだ。

半年続けてみて欲しい。あなたはきっと超能力者になっている。周りは何も変わらないように思うかもしれないけれど、心が神様に近づいているはずだ。人間の欲望はきりがない。今、今の状況にありがとうを言えれば、欲望の本質が変わって行く気が僕はする。

追伸・・今朝の地震は久しぶりに大きかった。でも壊れるものもなく、けがする人もなく、感謝です。

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2015年5月12日 (火)

僕の一番好きな仕事

7年ぶりに昼の仕事がなく、毎日草刈やら草むしりをしながらぼ~と過ごしている。夕方からの塾の仕事も、今は暇な時期。

かつては若かったのでバイトを探そう思えば、それほど苦も無く仕事にありつけたのだけれど、さすがこの年になると、職安の紹介を頂き履歴書などを送っても、なかなか面接までは行き着かない。当然と言えば当然のことだろうと思う。通訳等ののボランティア活動の仕事はあるようだけれど、さすがにボランティアは勘弁を願いたい。

僕の経済的窮地に及び、我が家内が20年ぶりに会社員として復帰した。フルタイムの仕事なので、今まで自宅で行ってきたこども教室も変更を余儀なくせざるを得なくなった。それにしても僕と2歳半しか違わない我が女房が、一発の書類審査と面接で正社員待遇とは、すでに3度ほどこけている僕にしてみると実に肩身がせまい

東京で暮らしていた頃、財布に120円しか入っていなくて1週間を乗り切らなければならない時があった。実家から送られてきていたお米を先輩に買ってもらったり、駅周辺で拾ってきたコカ・コーラのビンを酒屋にもっていって買い取ってもらったり、今だから言えるが、一歩間違えばホームレス状況に陥りかねない状態だった。

この年になるまで、実に様々なバイトやパートをやってきた。ゴルフのキャディ・新聞配達・家庭教師・キャバレーのバーテンダー・測量補助・花屋さん・スーパーでの天外売り・エアコンの外壁取り付け作業・そして高校や短大の非常勤講師などなど。すべてのバイトやこれまでにやってきたボランティア活動等を記していったら、このブログの一日分のスペースが埋まってしまうだろうと思う。

貧乏暇なしを絵に描いたような僕の人生だったような気がする。それもこれも、塾という仕事が好きだからやって来れた人生だったと思う。お金に苦労しても、身体がしんどくても、塾で勉強を教えている自分が一番好きだった。その思いは今も変わらない。

確かに塾だけで食えていければいいのだけれど、年ごとに生徒数が猛烈に変動するこの仕事は、どう見ても安定する仕事ではない。

合格させれば成り立つ仕事と思われている方もいらしゃるかも知れないが、個人塾はそんなに甘くない。一番厄介なのは「あの生徒がいるので塾には入りたくない」とか「あそこの家とは付き合いたくないので、塾をやめます」などなど、ありとあらゆる私情や感情が、錯綜しそして僕を襲って来る(苦笑い)。

あの先生は年寄りだから嫌だと言われたら、その時はこの業界から離脱する時だろうと思う。卓球では、部活をやっている並の中高生には負けない自信がある。さすがにテレビ番組の流行にだけはついていけないが、若者が読んでいる本には、出来るだけ目を通すようにはしている。

54歳の爺の戦いはまだまだ続きそうだ。いや続けなければならない。

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2015年5月11日 (月)

乃南アサさんの『ニサッタ、二サッタ』

本を読んで号泣したことが皆さんはあるだろうか。僕は高校時代に夏目漱石の『心』を読んで号泣した経験がある。受験を失敗したり彼女に振られたりと、自分の不甲斐なさに涙のスイッチが入ったのだろうと思うのだが、突然の自分の感情の揺れに戸惑ったのを覚えている。

そして今回の連休に読んでいた一冊の本に突然心が揺さぶられ、涙が止まらなかった。乃南アサさんの『ニサッタ、二サッタ』だ。

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乃南アサさんは僕と同学年の作家。デビュー作の『幸福な朝食』は女性の孤独と内包する一種の狂気を、現代社会のアミニズムとでも言うべき視点で描いた、強烈な作品だった。田口ランディさんや乃南アサさんの同年代の作品を読むと、戦後社会の高度産業経済の発展のなかでうごめき、そして封印されてきた女性の孤独感や無意識に恫喝されてきた魂への哀しみを感じる。

乃南さんの文体は男性的だ。そして男性の視点から描かれる女性の姿が彼女の作品には多く登場する。

『ニサッタ、二サッタ』に登場する沖縄の少女の姿は、とても哀しい。その哀しさの深遠さは、生きる希望や夢といったすべての人間の前向きな感情に対する敵対心とでも言える闇を抱えている。

乃南さんの作品は、その闇をいつも夜明けに変えてしまう呪詛をはらんでいる。そしてその呪詛はいつも人間の優しさの根源を読み手に見させてくれる。それは共感と言うよりは、魂の類似とでも表現すべき、人間の行動理念のような気がする。

幸福がかりそめの感情なら、苦悩もかりそめの感情である。僕らが生きて行く実態は、孤独そのものだけれど、その孤独は決して疎外ではない。孤独だから求められる生があることを、彼女の作品はいつも読み手に語りかけてくれる。

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2015年5月10日 (日)

心模様

昨日の一関の夕暮れ空はなんか独特の空だった。

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きっと僕は普通の人より空を眺めている時間が多いと思う。塾で仕事をしていても田んぼで働いていてもそうだけれれど、空から視線を感じることがある(笑い)。

中学校の時などは、授業中しょっちゅう空を眺めていたので、勉強がおろそかになり大変だった。空に意識があるわけがないだろうけれど、何かに見られているような感覚は今も消えない。

僕ら人間の意識は、地球や宇宙とリンクしていると言われることがあるけれど、最近の空は何となく悲しんでいるような気がするのは僕だけだろうか。

空が人間の心模様なら、昨日の夕暮れ空はどんな心模様だったのだろうか・・・・。

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2015年5月 9日 (土)

チラシを置いてもらいました

今年の新しい塾のチラシを佐惣珈琲豆店様に置いてもらいました。

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このブログでは内容は秘密ですが(笑い)、佐惣珈琲豆店さんに置いてあるチラシを見てきましたと一声かけていただければ、入会時に特典があります。お楽しみに!
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僕は佐惣コーヒー豆を愛飲するようになって四半世紀近くになる。雪の日も雨の日も忙しい日も、そして嬉しいことがある日も、わが家の朝は、佐惣コーヒーの一杯で始まる。

さて今日も至福の一杯を飲んで出かけようとするか。

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ピンポンの木に花が咲いた

2年前にダイソーから105円で買ってきたピンポンの木に花が咲いた。

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塾に置いている観葉植物の中では、初めて咲いた一輪の花である。ダイソーからは、コーヒーの木やゴムの木など様々な観葉植物を買ってきたが、花が咲いたのは今回が初めてである。

花が咲いた昨日は、くしくも祖父の命日。思い出に浸っていたかねごんでした。

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2015年5月 8日 (金)

季節は巡る

雨が降らず田植え水を心配していたが、わが家より標高が高いパイロット事業の田んぼでは、北上川からポンプアップしてきた水を取り入れ始めたゆえ、おこぼれの水が自宅そばの水路を流れてきて、ちゃっかり利用させて頂いた。

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僕の住んでいる地域では、今度の日曜日あたりが田植えの最盛期だろうと思う。わが家の田植えは17日頃になるだろうと思う。
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庭先のつつじが満開になっている。早くもアゲハチョウが蜜を求めてやってきた。春から初夏の装いが漂い始めている里山である。中学校や小学校は運動会の準備が始まり、塾への来室時間もだいぶ遅くなりだした。日もだいぶ長くなり、いよいよ何かと多忙な季節がやってきた。季節の移ろいは本当に早い。

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2015年5月 7日 (木)

「こんな会社(学校)に入るんじゃなかった」この時期こんな言葉があっちこっちから聞こえてきますよね

今年のGWは後半教室を開けたけれど、3日間で来たのは3名のみ。僕個人としては読書タイムが増えて良かったのだけれど、その分今日から週末はいっきに忙しくなりそうだ。

今月は半ばに中学校の体育祭がある。準備等で生徒たちは忙しい。そして体育祭が終るといよいよ中総体地区予選がやってくる。4月から夏休みまでは行事のオンパレードだ。

ただこの時期は忙しい忙しいとばかりは言ってはいられない。中学2年生そして3年生は、各科目超重要事項に突入する。部活も大切だろうけれど、勉強はもっと大切だ。

受験勉強は部活が終ってからという流れが定着してきた昨今だが、この時期の集団個別指導教室は実は一番穴場である。ちなみに僕の塾は月謝5000円で家庭教師状況になっている。

・・・という話を毎年書いているのだが、生徒たちはやっぱり部活が優先。親御さんも練習試合やら遠征やら追っかけに忙しい。・・・・残念

進学高に入りたいから塾に通うとか、いい大学に入りたいから塾に通うというテイストというのか指向性が近年はだいぶ変わってきている。

確かに市内の塾は、進学高校を受験する生徒だけを対象とした塾が多いけれど、僕の塾に限って言えば、学校の授業が分からないから塾に来ていると言う生徒の割合が俄然増えてきている。

一関一高に何人受かったのかみたいなことを聞かれることが多いのだけれど、そもそも受験生の70パーセントは、一高を受験するために僕の塾に来ているわけではなく、補習塾というスタンスで通ってきている生徒や児童が多いのである

大験セミナーなどという名前を冠しているので、補習塾としてのイメージが薄いかも知れないが、本質的には『寺子屋金さん救済塾』なのである。

確かに塾生の3割が一高志望であり、高校生は一高生の在籍者が多いが、僕の塾は世に言うところの進学塾ではない。救済塾である。

そもそも学校の授業を理解している生徒は塾にくる必要はないだろうし、お金がもったいない。高校の入学だけを考えれば、県南地区の県立高校は軒並み定員割れ。どこかには入れるわけだけれど、学力不足で入った高校は、進学も就職もままならない。

大学だってそうだ。部活をまじめにやり提出物をしっかり出していれば、受かる私立大学はたくさんある。しかし運動能力がいくら優れていても、学力不足では就活はままならない。そのことを理解している本人や親御さんは塾やセミナーを探しやって来るわけだけれど、その他大勢は高校や大学に受かりさえすればいいと安心し、そのまま時流に乗っかって行く。

その結果何が起きているかと言えば、地元の会社勤務はさっぱり給料が上がらないと愚痴を言い、こんな安月給じゃ結婚も出来ないと辞表をだしても、その後がない。学歴もない資格もない、かと言って肉体労働で生きて行く気概もない。自分を変えようと思ったら、勉強をやるしかないんじゃないだろうか。

高卒の就職者の70パーセントが、最初に勤めた会社を3年以内に辞めていく。理由は、労働が給料にあわない。待遇が良くない。上司が嫌い。ボーナスがでない等々。しまいには、こんな会社を紹介した高校が悪いとくる。

現在の自分の環境は誰のせいでしょう。「こんな会社(学校)に入るんじゃなかった」この時期こんな言葉があっちこっちから聞こえてきますよね。会社や学校のせいにする前に、自分を見つめましょうよ。足らないものを補いましょうよ。辞めるのはいつでもできます。しかし自分を知らないまま辞めてしまうと、同じことを繰り返してしまうんではないでしょうか。

 

気づいた時から人生は十分間に合います。努力は人間を裏切りません。頑張りませんか。

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2015年5月 6日 (水)

自己責任

自己責任、この言葉の冷たさはとても人をいたたまれなくさせる。

学歴もなく資格も持っていない人が就職が出来ないのは自己責任?結婚をせず、老後を迎え孤独死をするのは自己責任?酒やたばこを続けて癌になるのは自己責任?

塾で子どもたちと接していて思うこと。それは、子どもは親の生活力や知性にものすごく影響を与えられるということだ。たとえば僕の塾の卒塾生で、3人姉妹や兄弟が、3人とも親元を離れて大学生活を送っているケースがあるが、そういった子どもたちの親御さんは例外なく公務員や会社役員だ。

子ども3人を同時に大学に通わせられる経済力を有する田舎町の親御さんの職業は限られてくる。

お兄ちゃんが大学に行っているから、あなたを私立大学に入れるのは無理というのは自己責任だろうか。

職業に貴賤なしと言うけれど、仕事による経済力の差が社会格差を生み出している現在、勉強していい仕事に就くという目標設定は、多くの親や子どもたちが抱いている指標だと言っていいだろう。

したがって受験や就活での失敗は、多くの挫折を生み出す結果になる。今までの努力なり生き方を否定された気持ちになってしまうのだ。

しかし、僕はそれは自己責任なんかじゃないと思う。人間性を否定されたわけでもない。ただ生き方の指向性が、ちょっとずれていただけのことだと思う。

不思議に思うのは、素晴らしい人生というものはお金がないと実現されないと思う人があまりにも多くいることだ。物質的な幸福感が精神性を凌駕してしまっている。

勉強はお金のためにするものだと思ってしまうと、勉強出来ないものはお金儲けができないことになってしまう。

そんなことはないだろうと、笑い飛ばして、自分がやりたいことに全力を注ぐことが出来る人間が幸福な人間じゃないだろうか。

人生なんて長いようで実に短い。仕事も趣味もそしてプライベートも、マイペースでいんじゃないかな。楽しい仲間がいて、似たような風を共有できる友人がいれば生きられる。

お金はなくても大変だけれど、あっても大変だ。お金がある経験はないけれどきっとそうだろうと思う(笑い)。

どんな人間と付き合い、どんな本を読んでいるかで、おおよそその人の人生が決まる。 “類は友を呼ぶ” これ以上の運命哲学はない。客観的に自分が関与している人間を眺めてみれば、自分のレベルが分かるはずだ。自己責任なんてせいぜいそれぐらいだ。

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2015年5月 5日 (火)

何かが覚醒した

今日は須川岳の麓、家内と真湯温泉に行ってきた。新緑のむせるような青の中、露天風呂の眺めは最高だった。

帰りに駒形根神社に参拝。

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五月晴れの空の青さが、水をはった田んぼに輝いていた。その後磐井川の源流に轟く滝を満喫。

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20メートルほどの巨岩を流れ落ちる水飛沫を浴びた僕は、何かが覚醒した。霧となって僕の身体を包んだ須川岳の雪解け水が、僕の魂にスイッチを入れたようだ。

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雨が降らない

一昨日近隣で林野火災があった。ずっと雨が降っていなので、大地はカラカラだ。GWの行楽には最高の天気なのだけれど、田植えの準備をする農家にとっては、一雨欲しい状況だ。ちなみに我が家の田んぼも田起こしはやったものの、水がなくて代掻きはいつの事やら、じっと空を見るの心境である。

昨日は教室を開けたのだが、やってきたのは中学3年生の男子生徒一人のみ。いつもながらのGWの光景である。部活の遠征やら、家族旅行やら、塾はあれども生徒来ずである。

さて今日子どもの日は、僕ら夫婦の結婚記念日である。今年で29回目だ。いよいよ来年は節目の30年。長かったな~という思いと、あっと言う間だったな~と言う思いがグルグルと錯綜する。

息子たちも、長男が25歳、次男が20歳になった。長男は僕が結婚した年に来年なるのだが、仕事と趣味の音楽に没頭して、女性の気配がない。父親の僕が言うのもなんだが、まじめで働き者の息子だ。早めに赤い糸を手繰り寄せ、家庭を築いてもらいたいと親馬鹿の僕は願っている。

雨が降らないが、冬からいっきに夏が来たような天気が続いている。先ほど休耕田を見てきたら草がものすごい。真夏のような天候のせいだろうか、例年見かけない草花が咲いていた。

結婚記念日、塾の仕事の前に、家内と近場の温泉に行ってこようと思っている。

それでは。

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2015年5月 4日 (月)

1本の桜だけが・・・

一関一高前の磐井川の堤防の改修工事に伴い、桜並木が伐採され昨年桜の苗木が植樹された。しかしである、24本ほど植樹された桜の木々のうち僕の塾の前に植えられた桜だけが、ちょっと異質なのだ。

Photo


他の24本は、間違いなくソメイヨシノの桜の木である。上の写真の桜の葉をよ~くご覧ください。ところがである。

20140902_175318

僕の塾の前に植えられたこの桜の木はどう見ても八重桜である。なぜ気づいたかというと、去年のブログにも書いたけれど、この木だけが葉っぱの落ちる時期が全く他の木々と違っていたのである。

偶然のミステイクかと思うのだけれど、僕の塾の前に植えられた1本の桜だけが八重桜というのは、何か意味がありそうな気がしているかねごんである。

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2015年5月 3日 (日)

今年の僕のGWの休みも終わった

近頃よく中学校時代の夢を見る。かつては大学時代にフランス語の試験に苦しめられている夢をよく見たが、最近よく見る夢は、亡くなった中学時代の同級生の夢だ。

片手で還暦に届こうと言う年になると、天国にいる同級生の誘いも近いのだろうか。昔の何気ない光景が、夢の中に鮮明によみがえるから不思議だ。

人生に於ける出会いと別れは、実に様々なドラマを生み出す。あの人と出逢わなかったら、いったい人生はどうなっていたんだろうかという出逢いがあれば、あの人と逢わなかったなら、もっと人生は楽な人生だったかもしれないと言う出逢いもある。

恋人や友人との出逢いはもちろんのこと、日常に於ける仕事やもろもろの出逢いは、何らかの理由があっての出逢いだと感じることが多い。多くの別れも運命なのかも知れない。

中学校時代の夢を最近見ることの理由は、卓球の指導に行っている体育館が誘い水になっている気がする。僕が通った中学校は取り壊されて今はないのだけれど、体育館は残っていて、そこを卓球部の練習場としている。

40年以上も前の、あの頃の風景が浮かんでくるのだけれど、その風景の中の友人たちは昔のまんまで、自分だけが年を取っている。

出逢いと言えば、僕の奥さんも神奈川から岩手の山里に嫁いで29年になる。明後日が結婚記念日だ。僕の塾屋稼業を陰で支えてくれた年月に心から感謝したい。

昨夜は新1年生の親御さんとの親睦会で、久しぶりに深酒をした。卓球部のご父兄に現在中学時代の同級生がいる。ちなみに僕と一緒に指導にあたっているもうひとりのコーチも、中学時代の同級生だ。

日頃僕の愚痴に付合ってくれる先輩先生や、僕の訳のわからない思考に付き合ってくれる女房がいて、そして塾生までが僕の話し相手になってくれる。本当にありがたい。

新年度も早くも1ヶ月が過ぎた。相変わらず耐えがたきを忍ぶ日々だ。駒形神社のHPを眺めたら、どうやら今年の僕は本厄のようだ。厄落としは努力で耐え忍ぶしかないだろうと思う。今年の僕のGWの休みも終わった。明日から褌を締め直して頑張ろうと思う。

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2015年5月 2日 (土)

英語力に対する信仰も度を過ぎると・・・

2016年に全面改訂が予定されている学習指導要領。文科省の今回の改訂ではグローバル社会への人材育成を目指した英語教育の充実や、能動的学習法が積極的に導入される見込みだ。2020年に小学校から本格始動し、中学、高校と順次実施予定。

現行の指導要領では、英語は小学校5年生から外国語活動が導入されている。教科外活動なので道徳と同じく成績が付かない扱い。主に英語を使ってコミュニケーションに関する内容を図る目的で行われていて、指導内容が必要以上に細かくなったり、形式的になったりしないこと、とされている。
新しい指導要領では、この外国語活動が小学校3年生に前倒し。そして小学校5年生からは英語が正式教科に格上げされる。授業時間は3年生からが週1~2時間程度、5~6年生では週3時限程度で実施される予定。ただし、年間の授業時間には大きな変更がないため、他の教科共に授業時間の調整も課題になりそうだ。
ではどの程度までの英語力を求められているのだろうか。文科省が中央教育審議会に諮問した内容によると、言語や文化の壁を感じることなく、他者との交流を図れるような英語能力の獲得を目標に、取り組み内容についての審議が行われているとのこと。全面実施は2020年から。
 
指導要領の改訂は小学校だけではなく中学、高校でも実施。中学校では「英語の授業は英語で実施」。高校では発表や討論、交渉なども英語でできる能力を求められている。実施時期は中学校が2021年度、高校が2022年度以降となる。
 
以上文科省中央教育審議会に諮問された英語に関する指導要綱の概略
マクロ的に見ると、日本社会に於ける英語の需要はあらゆる分野で増加中だ。高校入試や大学入試のための英語の学習だけでは実用価値に乏しいとしての、文科省の英断なのだろうが、そもそもこれだけ英語学習に多くの時間をさくということは、間違いなくある種の危険が伴うことも予想される。
その危険というのは、言語能力に偏り過ぎた教育ゆえの、理系人間の締め出しだ。英語力ありきの受験体制は、英語以外の学科に特出した生徒のジレンマを生み出す可能性がある。
ジレンマも人生経験ではあるのだが、英語力に対する信仰も度を過ぎると、また歪んだ教育現場が生じるのではないかと危惧するのは、思い過ぎだろうか。

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2015年5月 1日 (金)

なんだかな~

先日バイトが終わって夜遅く帰ってきた息子が炬燵で寝ていたので、風呂に入って部屋でねな、と声をかけた。

きっと夢を見ていたのだろう。「真面目にがんばっているんだから・・・・むにゃむにゃ」と寝言を言った。

なんかその寝言を聞いて、僕は胸がじ~としてしまった。家族がみんながんばっているんだな~て。

昨日女房に、あなた夕べ寝言を言っていたわよと言われた。

「パーマンが子どもたちにやってきたぞ!」だそうだ。

なんだかな~。

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ベンチでまどろんでいる飼い猫までが、僕のことをしら~と見つめていた。

なんだかな~。

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