理不尽で不公平がゆえに人は輝くことが出来るのではないだろうか
中学校でも高校でも宿題が出ます。その宿題をしっかりこなしても、当然のことながら成績に差が出ます。時には宿題をやってこない生徒がテストでいい点数を取ることさえあります。理不尽ですよね。
賢い生徒というのか、要領がいい生徒は、自分が理解している範囲の宿題はスルーして、自分が理解していない箇所の勉強に集中します。一方授業について行っていない生徒は、宿題の答を書き写すことで日々過ぎていきます。当然大きな差になっていきますね。
数学が苦手な生徒を見ていると、文字式を数字化することが出来ないようです。たとえばA+A=2Aという文字式の基本ルールが理解されていないので、√2+√2=2√2がすんなり頭に入って行かないんですね。文字も数なんだという概念が中学校1年生の時点で収まりきっていないと、後の数学は厳しいと思います。
英語はどうでしょう。あまりにも領域が広すぎてわけがわからなくなっている生徒に、単語の書き取りばかりさせても無理ですね。まず代名詞と現在形の動詞の相関関係を徹底して理解させることが重要です。それができれば、過去形や未来形、そして現在完了形の動詞の変遷の意味が見えてくると思います。
社会はゆとり教育が終って、覚えることが膨大になりました。特に地理が大変です。世界地理はかつて、中国とアメリカ、そしてヨーロッパを押さえれば良かったのですが、今は全世界の知識が要求されます。貿易・気候・人種問題・宗教問題そして農業や工業、中学校の地理を完璧にすれば、大学受験もそれで戦えるような状況です。暗記量が膨大ですね。
理科と国語については割愛しますが、とにかく暗記暗記の連続の日々に立ち向かっていくためには、強靭な精神力が必要です。そこで多くの生徒は、楽をして覚えることを求めます。つまり逃げようとするんですね。これは要領よくやっているつもりの生徒も同様です。
僕は人間の能力は不公平だと思っています。しかし努力に対しては公平な将来が約束されている存在であると確信しています。
自分の潜在能力をとことん使い切った人間が、人生で輝く人間だと思っています。だから頭の良し悪しは関係ありません。たとえクラスでトップの生徒でも、本来100の能力があるのに、その半分の力量だけで泳ぎわたってはいけないのです。一方クラスで真ん中の生徒でも、自分の持っている能力をとことん発揮しようと頑張っている生徒は、必ず人生を有意義なものにします。
だから成績の良し悪しに一喜一憂ばかりしていないで、しっかり努力することが大切なのです。僕はそう思います。
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