今日も明日も頑張って生きて行こう!
僕が利用しているココログのブログ記事の中の話題記事なのだが、かなり壮絶。とりあえず読んでみて下さい。
東京都 60代 男性 たわしそふとさん
30歳の時、食品業界から今でいうIT業界に転職。当時「30歳過ぎたシロウトにプログラミングは無理。」という周囲の声を押し切ってパソコンのソフト開発技術者になりました。BASIC-DOCからMS-DOS、さらにはWindowsと表舞台が変っても何とか食らい付いていき、定年無しの会社で60歳を越えても現役のSEとして働けていました。ところが4年前、その会社が事実上倒産してしまい、退職金も貰えずに突然解雇されてしまったのです。
まあ現役技術職だし、専門のスキルもある。契約社員でならどこかが雇ってくれるだろう。最初はそう考えて、自己アピールの資料を作成し、ハローワーク求人に片っ端から応募をしていきました。
ところが、いくら応募しても、大抵は電話打診段階で体良く断られるか、書類審査で足切りされて面接すらして貰えません。
気が付けば50社以上に応募したのに、面接できたところがわずかに1社限り。そこも結局は不採用となってしまいました。
すでに僅かな貯金もほとんど底をついた状態で、ついにIT業界を諦めて、なりふり構わず他業界への転職を図ることにしたのですが、それでも、20社以上不採用で面接して貰えたのは2社のみ。なんと82社目の応募でようやく就職できたのが介護業界だったのです。
無資格・未経験の60歳代でも就職できたところ…それは想像を絶するほど過酷な職場でした。上司の強烈なパワハラ指導、休日返上が当たり前のサービス残業、30時間を越える連続勤務、等々。
同時期に入社した新人は6名いたのですが、2か月後には私一人しか残ってはいませんでした。ほとんどの新人がついて行けず退社してしまうため、応募してくる者は全員採用していたというわけなのです。
還暦越えの私は、辞めたくても他に行くところがありません。
74Kgあった体重は3か月で62Kgまで減りましたが、過酷な超過勤務はIT業界で耐性をつけていたため、単身赴任にて何とか2年以上頑張ることができました。
そこでの経歴を元に1年前から地元の施設に移ることができ、単身赴任とパワハラからは解放されましたが、月400時間にも達する労働時間と、手取りで十数万円しかない低収入は相変わらずのままです。
ただ、介護福祉士という国家試験の受験資格である3年以上実務経験ができたので、その資格を取れれば、もっと給与を貰えるところへの転職が可能、という希望がでてきました。
この月末には64歳になりますが、借金も抱えていてまだまだ働かねばなりません。
さあ、明日も頑張って生きていこう!
僕の本業は塾教師、そしてなんちゃって百姓を営んでいる。自分では頑張っているつもりだが、悲しいかな経済に直結しない。ゆえにいつも貧乏暮らしだ。
その理由を真剣に考えると、自己否定が生じ、鬱になりそうなのであえて避けているだけれど、まあはっきり言えば今生の人生はお金と縁がない人生なのだろうと思う。
ただしそういった人生がゆえに、見えてくるものもある。そもそもが、お金に不自由なく豊かな生活ならば、今のこのちょっと、いや、だいぶゆがんだ僕という人間のキャラは存在しないわけで、これもなんと言うのか、自虐的に言えば、まあ自己責任というものだろう。
上の記事の話じゃないけれど、僕のような自営業は、年金は当てにならないし、貯蓄はないしで、死ぬまで働くことが至上命令的な人生だ。したがって健康が命となる。お陰様で、このブログを書くようになって、夜外で飲むことがなくなって暴飲暴食をすることがなくなり、痛風の発作もなく、お金もないので粗食になり、健康はいい感じだ。これを怪我の功名とでも言うのだろうか、捨てる神あれば拾う神ありだ。
毎週中学生を相手に卓球で汗をかき、これからのシーズンは自宅の周りや休耕田の草が伸び、僕の草刈仕事が始まる。適度な運動には事欠かかない日々、健康維持に役立っているのかどうかは別にして、身体を動かすことで、ストレスの解消にはなっている気はする。
震災後は卓球の指導こそすれ、自らプレーヤーとして大会に出ることはなかった。なんかそんな気分にはなれない自分がいたのだけれど、今年は暇つぶしに大会にも出てみようかと思っている。還暦まで5年、息子世代どころか、下手をすると孫世代を相手の試合にもなりかねない年齢だ。年寄りの冷や水かも知れないが、久しぶりにトーナメントを楽しみたいと思っている。
昨日は息子たちにたちに手伝ってもらって、水稲の種まき作業をした。80枚だけの苗箱だけれども、何度も持ち上げたり運んだり、今日は腰がだいぶ痛い。本日月曜日は、週に1度の卓球同好会の日だ。僕のおやじ世代の御大と汗を流してこようと思う。
女房の握ってくれたおにぎりを食べた後は、塾が始まるまで職安にいってバイト探しを今日もやろうかと考えている。年齢不問・学歴不問・経験不問とは書いているが、なかなかそれが難しい。
しょっちゅう募集している会社や組織は、それだけ離脱する人間も多いと言うことだろう。チャレンジャーとして経験するのもいいかなと思うのだけれど、本業に支障をきたすバイトも考えものなわけで、毎日のようにやってくる請求書の山を眺めながら、瞑想をしたくなるかねごんである。
しかし、くじけちゃいけない中年オヤジということで、今日も頑張って生きて行こう!
新年度のカリキュラムのご案内➡大験セミナーHP
« ヨーロピアン・ジャズトリオ | トップページ | 時計の復活 »
かねごん様
この「たわしそふと氏の体験談」、実に身につまされながら一気に読了しました。ご紹介、有難う御座います。m(_ _)m
それにしても、物凄い世界が拡がっているんですね、我々のスグ隣には。
やれ、生徒が少ないとか、クルマが何時まで経っても軽トラックで買い替え出来ないとか、米の買い上げ価格が暴落したとか、女房から何時も自宅の庭や周辺の整備をやらされている、とか、
そう云ったカネゴン氏の愚痴が全て、御茶目な自慢話に聞こえて仕方がありません。今後とも、お元気でご活躍下さい。
(かねごん)
Yozakura様こんにちは。
お茶目な自慢話ならいいのですけど、3月に昼の仕事を失職以来、職安等で仕事を探していますが、4選4敗です。震災後、講師やバイトのお金で、なんとか教室の家賃を支払ってきたので、この状況が続くと、塾もこのブログも閉鎖ということになるかも知れません。
投稿: Yozakura | 2015年4月23日 (木) 00時51分