自戒を込めて
自分のことを私にしようか俺にしようか僕にしようか、一人称をどう表現しようかと悩みつつ始まったこのブログも7年の月日が過ぎ、8年目に突入する。
毎日よくも書くことがあるものだと自分でも感心している。塾ブログのはずが教育の事から完全に離脱し、次元を超えて彷徨している状況だ。困ったものだ。
震災後は僕のあまりの貧困状態に、パソコンで月額100万を稼ぐ方法とか、ブログ記事を出版してお金を稼ぎませんかとか、実に様々なメールを皆様から頂いてきた。
パチンコをやる人は、1日に10万円勝ったとか、20万円儲けたというけれど、決して負けた話はしない。僕もかつてパチンコ狂の人間だったのでわかるが、パチンコで儲かることはない。それが証拠に、どれだけの人間がパチンコで破産して、家庭や財産を失っていることか。うまい話はないのだ。
パソコン1台で年間1000万円儲かるなら、 誰もホームレスになったり、自殺をしたりはしない。世の中をなめてはいかんぜよ!
勉強も同じだ。英語を聞くだけであなたも英語の達人にとか、寝ていて聞くだけで暗記が完璧になど、どれだけの人が広告に踊らされて大枚を支払ったことか。努力せずして成功するするなら、誰も苦労などしない。
IQが高い天才肌の人間をうらやましがる人間がいるが、彼らだって努力なしでは高みに上ることは出来ないのだ。まして我々凡人は、地面に這いつくばり、汗と涙に紛れながら頑張ってこそ初めて希望が見えてくるというものだ。
たまに気まぐれで神様が、身に余るようなご褒美をくれることがあるかも知れないが、努力せず手に入れたものは、間違いなく消滅し、跡形もなくなるものだ。
冷静に考えてみると、僕ら俗人は間違いなく愛すべき俗人である。限りない欲望に苛まれ、意地を張り、見栄を張り、そして思うようにならない社会を斜に構え、勝手に黄昏ているのだ。
高校に入れなかったものは、どうせ高校なんてたいして学ぶべきものなんかなねえとうそぶき、大学に入れなかったものは、あんなところに金をかけるなら、働いて彼女を作ってバリバリ楽しんでたほうがいいと虚勢をはる。
本当は高校に行ったほうがいいし、出来れば大学に入った方がいい。しかし現実問題として叶わぬことも多々あるし、その人間の指向性というものがそれぞれある。しかしそれならば、その違う指向性に向けて努力をしなければならない。うそぶいたり、虚勢をはっている場合ではないのだ。
僕らは一見まともな生き方をしているように見えるけれど、実はとんでもない馬鹿やろうかもしれない。
人に構っている暇があったら、自分のことをやるべきだ。自分が大変なのにボランティアに精を出すのは、お門違いだ。僕のなかのもう一人の人間がそんなことをわめいている。
神社の前で、お賽銭箱に5円を投げ入れようか100円を投げ入れようかと葛藤している姿に似ていて、思わず笑ってしまう。
人はあまりにも不確かだ。自分の本心さえとらえられず、いらいらすることがある。春だというのに、僕の葛藤は続きそうだ。
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