妄想を愉しむために
毎年宝くじを買っているけれど、世の常で残念ながらハズレばかり。6億円が当たったら、こんなことやあんなことをしたいと妄想は膨らむのだけれど、結局妄想だけて終わってしまう。妄想を愉しむために宝くじを買っている状況が数十年続いている。
もし宝くじで1億円以上当たったなら、軽トラックを卒業したい(笑い)。昔からあこがれてきた車がある。ジャガーだ。
まさに走る宝石という感じだ。流線型のホルムがめちゃくちゃかっこいい。3年前にも一度記事にしたことがあるのだけれど、僕は当時購入して23年になるスバルの軽トラックに乗っていた(今はスズキの軽トラックに乗っているのだけれど)。
自宅から塾に向かう途中、僕はいつもセブンイレブンに寄って、おやつの菓子パンを買うのだけれど、その日もいつものように僕はコンビニの駐車場に軽トラックを停めた。
店から出ると、僕の軽トラックの隣に、上の写真と同じXJシリーズのジャガーが横付けされていた。写真のジャガーの隣に、僕の23年ものの軽トラックが並ぶ光景を想像して頂きたい。
僕はしばしそのコントラストに見とれていた。それは決して自虐的な感情ではなく、なんと言えばいのだろうか、個性というものに想いを馳せていた。
人間を乗せ、離れた目的地に移動する手段としての自動車。その自動車を選択する人間の心情や個性は車に現れる。それは経済力だったり、人生観だったり、効率性だったり、年齢や仕事や家庭環境や地域性など、様々な要因が車の嗜好性に絡んでくる。
たとえば公立の先生は、ベンツやジャガーには乗らない。きっと校長先生が指導に入るだろう。一方病院を経営するお医者さんがジャガーに乗っていても何ら問題はないはずだ。実はそういった暗黙の黙認や拒絶というものが社会の格差を作っていく。
自動車は目に見えるものだから非常にわかりやすい。一方学歴や能力というものは目に見えないものだけに、 社会のなかで時に沈殿し時に浮遊する。
裏社会でも、実はジャガーを愛用する輩が多い。とすると、お金があったらジャガーに乗りたい思っている僕も、実は裏社会の人間なのかも知れな い(笑い)。
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