お金という財産は出来なかったけれど・・・
かつて講師をやっていた高校の先生や、友人たちより、かねごんさん大丈夫ですかというメールや、来訪を頂く。
なにが大丈夫かというと、塾を営む資金面に対してである。震災後は塾生減の埋め合わせを、高校や短大の講師料で埋め合わせをしてきたのだが、その仕事を失職して以来、3か月ほどがたつ。その間に職安やら求人案内を利用して、4回ほど履歴書を書いたが、時間の都合やら僕の年齢がネックになったりで、いまだ昼はプータロウ状態だ。
それにしても、元同僚の先生には頭が下がる。生活が大変なら少しの融資はできますよとまで言って頂いた。彼とて子どもの教育費で大変な時である。持つべきものは友人である。本当に感謝である。先日は生徒まで紹介して頂いた。
わが家は毎年元旦に水沢の駒形神社に正式参拝を行っている。塾生の合格と家内安全に感謝の意を表しての参拝だ。
そしてもう一つ僕は駒形の大神様に願掛けをする。今年も僕の塾が必要ならば存続させてくださいと。ゆえに僕の塾が必要とされないならば、いつでも廃業をするつもりだ。この願掛けは20年続いている。
塾の経営が赤字でなければ、バイトやパートをしてなんとか暮らしていく自信はある。しかし頂く月謝から経費を差し引いて一銭も残らない状況になれば、家族に迷惑をかけるし、僕の塾が世の中から必要とされていない証拠だということだ。僕は躊躇なく廃業するつもりだ。お金に関して言えば、塾を営む苦労を考えるなら、どんな仕事でも食べて行く自信はある。
なぜそれまでして塾にこだわるのか。きっと天然の塾教師なのだろうと思う。正直言って、今の個人塾を立ち上げて、塾だけの売り上げで純粋に生活が成りたったのは、7年ほど。それ以外の18年間は、休耕することなく必死に農業をやったり、パートのバイトをやったり、講師の仕事をやったりして、29歳の時から家族5人を養ってきた。
歌の文句じゃないけれど、語りつくせぬ青春の日々、中年の日々だった。でも25年間塾を頑張ってきたおかげで、かけがえのない人間関係を築いてくることができた。お金という財産は出来なかったけれど、それ以上の素晴らしい財産ができたと思っている。だから頑張っていけるのだろうと思う。みなさんありがとう!
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