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2015年4月

2015年4月30日 (木)

Cancer Causing Foods You Eat Every Day

驚くなかれ!あなたが毎日、当たり前のように摂っているこの10食品が癌のもとに!!

1、植物油
癌に関連のある遺伝子変異を引き起こしたり、細胞膜の構造や柔軟性に影響を与える可能性があります。できるだけ植物油は避け、オリーブオイルを選ぶようにしましょう。また、できるだけ硬化油を含む加工食品は避けましょう。

2、フルーツ
と聞いて、え!?と思うでしょうが、オーガニックでないフルーツに浴びせられている農薬や高窒素肥料は、害虫だけでなく人間にも有毒なのです。手軽に買える安いフルーツではなく、オーガニックのものを選ぶようにしましょう。

3、加工肉
時間を置いてもピンク色を保った加工肉、これは肉の自然な色ではありません。癌に関連する化学物質や防腐剤によるものなのです。13年にわたる研究で、1日に160g以上の加工肉を消費する人の44%が早期死亡のリスクがあることが判明しています。
4、養殖鮭
アメリカで食べられている鮭の60%が養殖のものであり、化学物質や農薬まみれであると報告されています。

5、精白小麦粉
高度技術で漂白処理された小麦粉は癌の危険性大です。全粒小麦粉を選びましょう。

6、缶詰食品
缶の内側には、非常に危険なものとみなされたBPAと呼ばれる化学物質が含まれています。最近の研究では、それが実際にがんの主な原因(遺伝子変異)の一つである遺伝子に、影響を与える可能性があることが分かっています。
7、電子レンジポップコーン
電子レンジで作るポップコーンをレンジに入れているとき、膨らんでくるあのバッグ…PFOAと呼ばれる危険な化学物質を含んでいます。

8、精製された砂糖
癌性腫瘍が糖を餌にすることが1931年に発見されています。高果糖コーンシロップは特に要注意です。

9、ポテトチップス
ポテトチップスを製造する過程で、ポテトを高温で揚げるときに、アクリルアミドと呼ばれる化学物質が生じることになります。癌を引き起こす物質として知られているものです。

10、色のついたスイ―ツ
人口甘味料やアスパルテームは、体内で分解されるとき、DKPとして知られている致命的な毒素を生み出すことが分かっています。

2015年4月29日(水)20時8分配信 マイナビスチューデント

子どもたちの食の安全を考えると、何も食べさせられないというお母さん方の声を聞く。震災後は放射能汚染による食の危険性がクローズアップされているが、残留農薬による発がん性物質の摂取も大きな問題として、横たわっているのが現状だ。

プラスチック容器や缶詰製品の食品汚染は昔から言われ続けていて、その危険性を認識している親御さんは多い。しかし精白小麦粉やフルーツの危険度に対しては、もはや防御のしようがないとため息をついている方が多いのではないだろうか。

少なくても成長期のお子さんには、ジャンクフードやスナック菓子の摂取をさせないように努力を払うことが大切である。

僕は農家の倅なので、どれほどの殺虫剤や農薬が農作物に使用されるのかを見てきたつもりだ。ゆえに自分の家で食べるものには、ほとんど農薬は使わない。増産という目的で、都会の方が想像もつかないような量の農薬が土壌に撒かれ続けてきた。その反省のもとに近年減農薬という発想が日本では定着してきたが、食料の輸出国である中国やアメリカでは、ものすごい量の発がん性物質が知らぬ間に果物や野菜に注入されている。

遺伝子組み換えの農作物に関しては、安全性を保障するデーターがないまま、世界に流通している。作り手と、その作り手の畑や果樹園が見える農産物を購入することが出来れば、安全性を認知できるかもしれないが、スパーなどで売られている野菜や果物の残留の危険性や殺虫剤使用の有無を確認するすべは、残念ながらない。

せめて人口調味料は使わないとか、インスタント食品や加工食品は買わないなどの自衛が大切だろうと思う。

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2015年4月29日 (水)

子どもたちの受験指導は毎年の仕事だけれども、子どもたにとっては1回きりの大勝負だ

受験指導を生業(なりわい)とする仕事をしていると、運とか不運のような実体のないものにどうしても意識が向かう。簡単にいってしまうと生徒たちを合格させてなんぼの仕事なので、人間が支配されている運命とか宿命みたいなものとの格闘や、ジレンマとの軋轢みたいなものを日常生活のなかで体験する。

ゆえに神社仏閣への願掛けや、吉凶を左右するような行動や言葉に追従することが多くなって、ゲンを担いだりジンクスを無視できなくなっている自分がいる。

このブログで何度か書いてきたけれど、僕の家は代々百姓をやってきた家系だ。磐井の里に定住して400年近くになる。僕で18代目か19代目なはずだ。この間には、家が断絶するような危機が何度もあっただろうと思う。こうやって大地を耕し、生かされてきたことは奇跡以外のなにものでもないだろうと思っている。

僕が思うに父が50代半ばで他界し、一人っ子である僕が百姓を継ぎながら塾をやるという構図も、実は運命だったのではないかと思っている。祖父が亡くなり10年もしないうちに父が亡くなったわが家は、まさに危機的状況だった。

僕は新しい仕事を始めるにあたり、家屋敷の祀りごとを見直した。その手始めとして鬼門である家の北東の方角の浄化を試みた。うっそうとした杉林の中に埋もれていた祠を整備し、杉林を伐採して明るい裏庭にした。

20140902_175318


さんさんと春の日差しが注ぐ中、お明神様の祠がある裏庭の草刈作業を今年初めてやった。1時間半ほどの作業に汗だくになった。

神様がいるのかどうかは正直わからない。ただ掃除がされている神社の境内は気持ちがいいし、掃除がなされていないぼろぼろの社や境内は陰湿で気持ちは良くない。

子どもたちの受験指導は毎年の仕事だけれども、子どもたにとっては1回きりの大勝負だ。受験期に体調が崩れませんように、緊張のあまり失敗しませんように、勉強したところが問題にでますように、そしてなによりも努力が継続しますようにと願う。指導する僕の運がなければ合格に導くエネルギーも枯渇するのじゃないかと実は思っている。その不安を打ち消すように、僕は教室を掃除し、神棚に頭を垂れる。

自分の存在は家族のおかげであり、こうやって塾の仕事ができるのも、この世に自分を導いてくれた両親やお先祖のおかげだと思っている。だから小さなことにも謙虚にならなければならない。おのずとやるべきことは見えてくるような気がする。

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理不尽で不公平がゆえに人は輝くことが出来るのではないだろうか

中学校でも高校でも宿題が出ます。その宿題をしっかりこなしても、当然のことながら成績に差が出ます。時には宿題をやってこない生徒がテストでいい点数を取ることさえあります。理不尽ですよね。

賢い生徒というのか、要領がいい生徒は、自分が理解している範囲の宿題はスルーして、自分が理解していない箇所の勉強に集中します。一方授業について行っていない生徒は、宿題の答を書き写すことで日々過ぎていきます。当然大きな差になっていきますね。

数学が苦手な生徒を見ていると、文字式を数字化することが出来ないようです。たとえばA+A=2Aという文字式の基本ルールが理解されていないので、√2+√2=2√2がすんなり頭に入って行かないんですね。文字も数なんだという概念が中学校1年生の時点で収まりきっていないと、後の数学は厳しいと思います。

英語はどうでしょう。あまりにも領域が広すぎてわけがわからなくなっている生徒に、単語の書き取りばかりさせても無理ですね。まず代名詞と現在形の動詞の相関関係を徹底して理解させることが重要です。それができれば、過去形や未来形、そして現在完了形の動詞の変遷の意味が見えてくると思います。

社会はゆとり教育が終って、覚えることが膨大になりました。特に地理が大変です。世界地理はかつて、中国とアメリカ、そしてヨーロッパを押さえれば良かったのですが、今は全世界の知識が要求されます。貿易・気候・人種問題・宗教問題そして農業や工業、中学校の地理を完璧にすれば、大学受験もそれで戦えるような状況です。暗記量が膨大ですね。

理科と国語については割愛しますが、とにかく暗記暗記の連続の日々に立ち向かっていくためには、強靭な精神力が必要です。そこで多くの生徒は、楽をして覚えることを求めますつまり逃げようとするんですね。これは要領よくやっているつもりの生徒も同様です。

僕は人間の能力は不公平だと思っています。しかし努力に対しては公平な将来が約束されている存在であると確信しています。

自分の潜在能力をとことん使い切った人間が、人生で輝く人間だと思っています。だから頭の良し悪しは関係ありません。たとえクラスでトップの生徒でも、本来100の能力があるのに、その半分の力量だけで泳ぎわたってはいけないのです。一方クラスで真ん中の生徒でも、自分の持っている能力をとことん発揮しようと頑張っている生徒は、必ず人生を有意義なものにします。

だから成績の良し悪しに一喜一憂ばかりしていないで、しっかり努力することが大切なのです。僕はそう思います。

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2015年4月28日 (火)

大学生活にかかるお金

息子や娘さんを大学や短大に入れた親御さんは、入学金や前期授業料を振り込み、アパート暮らしが始まってホッとしていることと思います。大学受験の旅費からここまで、私立大学ならば150万、国立大学ならば90万は飛んでいったことと思います。

しかしお金の消費はまだまだ止まりません。入学が決まってから驚くのは、さらにこまごまと経費が掛かること。任意のものもありますが、自治会や同窓会、大学障害保険、大学生協(卒業時に返還される出資金)の加入費のほか、生命共済、火災共済、学生賠償責任保険、扶養者死亡保障保険などの手続きも。必要なら定期券代や自転車購入代などもかかります。くらくらしてきますね。

毎月かかる経費を平均的な金額で算出してみると、アパート代5万円、電気代7千円、ガス代5千円、水道代3千円、スマホ1万円、パソコン2千600円、食費は1日千円として、3万円。小遣いをのぞいても、これだけでほぼ11万ほどがかかります。そしてこれに半年ごとに大学の授業料の納入があるわけですね。

アパート暮らしをすれば、私立大・国立大にかかわらず、520万円ほどのお金が4年間でかかります。私立大学の場合は、これに4年間の授業料が400万円かかるので、トータル920万円、国立大学ならば700万円というところになります。

大学受験の指導をしていますと、ご父兄の皆様から受ける相談は、大学生活にどれだけのお金がかかるかという相談が多いです。ざっと上記のようなお金の話をさせていただくのですが、みるみる親御さんの顔は青ざめて行きますね。僕自身現在短大に通う息子がいますので、気持ちは痛いほどわかります。

そこで奨学金を借りたり、バイトをしたりで、平均毎月7万円ほどを学生は確保するのですけれど、それでも4年間で300万円ちょっと。どうしても600万ほどは、親が援助しなければなりません。これに成人式の着物代や、車をなんて話になると貧血が生じるのではないでしょうか。一人の子どもだけでも今の日本はこれだけかかります。

脅かすわけじゃありませんが、子どもが生まれたら、ひたすら節約して貯金をしないと大変なことになります。パチンコをしたり、居酒屋で気炎を吐いている余裕はありません。見栄で外車に乗ったりしてはいけません。もちろんナイスなおねぃちゃんがいる店もNGです。親業をやるのは大変なんですよ。きっと僕の貧乏話がブログの脚本でないことがわかると思います。・・・・

(塾からのお知らせ)

G.W 期間は、5月1日(金曜)5月2日(土曜)をお休みとさせて頂きます。それ以外の曜日は通常通りです。

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2015年4月27日 (月)

能力主義というなの弱者淘汰主義

塾ブログなので塾の話をしたいのだけれど、塾生の話題はあまりにも身近すぎてプライバシーに係わることなので、書きたくても書けないことが多く、かと言って貧乏話もいい加減読むほうも飽き飽きしているだろうし、書く方も切なくなってきたので、もういかなと思っている(笑い)。

音楽の話も文学の話も、最近はネタ切れになってきた。研ぎ澄まされた感性みたいなものを保持しているわけでもなく、内容が完全に干しあがった状況で、べたな話しか脳裏に登らない。いっそのことこのブログも休刊にしようかと思うのだけれど、それはそれでストレスのはけ口がなくなって、狂い死にしそうだし、実に困った状況に追い込まれている。

そういえば先日、首相官邸の屋上ヘリポートに無人ヘリの小さなおもちゃのような、ドロンだかドローだかそんな感じの名前のものが落ちていて、その物体から放射能物質が検出されてテロじゃないかと大騒ぎになった。

持ち主が自首したようなのだが、もともと原発反対派の人間だったようで、世間に訴え出ようと計画した騒動だったようだ。ブログも書いていたようで、連日テレビニュースが報じている。僕もどうせブログを終了するなら、最後にどか~んと打ち上げ花火でも上げようかと思ったりするわけだけれども、残念ながらその勇気もない。

ところで、原子力発電所が止まって火力発電にたよる割合が増加し、各電力会社は思うがままに電気代を値上げしてきているが、それを容認する国も国で、タッグを組んでやりたい放題だ。今年の冬は灯油やガソリンがだいぶ安くなった。火力発電だって原料費が安くなったはずなのに、値上げというのはふざけている。原子力発電であれば安くなりますよ的な安易な導火線が見え隠れしている状況なわけで、経済を利用した囲い込み作戦が進行中だ。

それと震災後の不況で、中小企業の給料昇給は頭打ち。ボーナスも出て1ヶ月分しか出ないところがほとんどだ。なのに公務員関係の給料はどんどん上がり、民営との差は広がるばかりだ。東北地区の平均年収は230万円ほどになっているが、非公務員の平均は間違いなく100万台になっている。

最近職業安定所に頻繁に行っているのでわかるが、ほとんどの求人の会社の月収は手取り15万円以下である。パートだと6万円から8万円ほどの手取りがほとんどだ。意図的に年齢不問・学歴不問と明記しているが、生活保護申請をしたくなる気持ちがよくわかる。

つまり簡単に言ってしまえば、日本社会に蔓延している経済格差や、自殺者の増加問題というのは、生活力は自己責任だという、能力主義というなの弱者淘汰主義の表れなのだと思う。

本社企業とその傘下にある会社の給料差というものは、憲法に明記されている基本的人権の理念に反するものだと僕は思っている。なんやかやと経済理念や経営理念をたてに構築された資本主義社会は、市場経済の暗闇に暗躍するねずみ講と何ら変わらない気がする。

世界経済はわずか0.03パーセントの人間が、世界経済の90パーセントを支配していると言われている。経済の支配に甘んじる浮世はあっても、思想や生きる価値観までは洗脳されたくはない。

日本で行われてきた教育は、経済競争に勝つための教育であって、人間性云々は建前論であることは周知の事実だ。自分の食い扶持は自分で稼ぐべし。そのためには自己の鍛練と努力が必要である。だから教育は生きて行くための指針なのだと。そこに疑念の余地はないような気はする。

日本は世界でもトップクラスの教育体制を敷いてきた。犯罪が少なく、勤勉で共同体意識が強い、温和な国民だと世界から評価されている。しかし、先進国の中で国民の幸福感がもっとも薄い国であると言う状況はどう解釈すべきだろうか。

世界の状況をかんがみるに、その原因の一つは容易にたどり着くことが出来る。時間労働に対する評価額の差があまりにも大きすぎるのだ。そしてそのことが職業の差別を生んでしまった。労働の代価が多様化するのはいいが、その経済的評価額がこれだけ広がってしまうと、人間は自分の仕事に誇りが持てなくなり、幸福感が喪失されて行く。

勝ち組であり続けることが幸福の前提であるとする国民が増えれば増えるほど、その反動としての負の社会も増幅する。究極的な話をすれば、人間の選別になってはいけない公教育が、早期から暗黙の選別をしてしまっていて、その延長線上にそれぞれのレールが敷かれて行っているのが、この日本の現状ではないだろうか。

高校選択にしろ、大学の選択にしろ、すべてが将来の生き方に影響するとは言えないけれど、努力した人間がいつでもリベンジできる社会システムなり支援がない社会はあまりにも殺伐とした社会だ。

仕事を求め、若者たちは都会へ出て行く。かつての僕がそうだったように。しかし親の老後や様々な理由で田舎に戻る人間たちへの支援は皆無だ。一人っ子や二人っ子が増え、同時に親の介護等の負担も増えている。公共の介護施設は100人待ちなんて言うところがざらにある。

僕らのたどり着く世界は、けっして楽じゃなさそうだ。世界は無尽蔵に拡散し、情報だけが独り歩きしている感があるが、自分たちの実態を掌握する知恵を確保する必要がありそうだ。教育は幸福実現のためのツールじゃなければならない。幸福と不幸を選別するための足かせであってはならない。

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2015年4月26日 (日)

ネパールで多くの方々が犠牲に

【ニューデリー共同】ネパール中部で25日午前11時56分(日本時間午後3時11分)ごろ、マグニチュード(M)7・8の強い地震があり、AP通信によると、ネパール当局者は876人が死亡したと明らかにした。世界最高峰エベレスト(8848メートル)で雪崩が起き、10人が犠牲となった。近隣国でも被害が拡大、インドや中国などで計40人超が死亡した。

 ネパールには約千人の在留邦人がおり、現地の日本大使館が安否確認を急いでいる。兵庫県の旅行会社によると、4都県のツアー客6人と連絡が取れていない。また、高峰ダウラギリに登っている石川県の20代男性とも連絡が取れていない。

ネパールで大変な地震が起きた。一刻も早い救援の手を差し伸べなければならない状況だ。近年起きる自然災害は、凄まじい脅威である。

良く日本の形は世界のひな形と言われる。下の地図のように、四国はオーストラリアに、九州はアフリカ大陸にたとえられる。富士山はエベレストに対応していると言わているのだが、今回地震が起きたネパールは、関東西部に対応する。

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こうやって地図を見てみると、今回のネパールの巨大地震が、いつ来てもおかしくないと言われている関東付近の地震に連動しなければいいなと思っている。

今月の12日にやって来ると言われていた伊豆沖の地震は、幸いなことに見事に外れてくれた。しかし蔵王連峰の火山性地震は未だ止むことはなく、不吉な地震雲も頻繁に現れている。

山神である木花咲耶姫(このはなのさくやひめ)に僕は毎日この国の鎮静化を祈願している。僕ごときが祈願してもどうにかなるものでもないだろうけれど、そうせざるを得ない気持ちだ。

ちなみにこの近隣で木花咲耶姫様が祭られている大きな神社は、一関では山目の配志和神社、水沢の駒形神社、そして宮城県小牛田の山の神神社である。末社では、千厩の金田神社や東山の保呂羽三嶽神社に木花咲耶姫様が祭られている。縁を感じる方は参拝してみてはどうだろうか。

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お金という財産は出来なかったけれど・・・

かつて講師をやっていた高校の先生や、友人たちより、かねごんさん大丈夫ですかというメールや、来訪を頂く。

なにが大丈夫かというと、塾を営む資金面に対してである。震災後は塾生減の埋め合わせを、高校や短大の講師料で埋め合わせをしてきたのだが、その仕事を失職して以来、3か月ほどがたつ。その間に職安やら求人案内を利用して、4回ほど履歴書を書いたが、時間の都合やら僕の年齢がネックになったりで、いまだ昼はプータロウ状態だ。

それにしても、元同僚の先生には頭が下がる。生活が大変なら少しの融資はできますよとまで言って頂いた。彼とて子どもの教育費で大変な時である。持つべきものは友人である。本当に感謝である。先日は生徒まで紹介して頂いた。

わが家は毎年元旦に水沢の駒形神社に正式参拝を行っている。塾生の合格と家内安全に感謝の意を表しての参拝だ。

そしてもう一つ僕は駒形の大神様に願掛けをする。今年も僕の塾が必要ならば存続させてくださいと。ゆえに僕の塾が必要とされないならば、いつでも廃業をするつもりだ。この願掛けは20年続いている。

塾の経営が赤字でなければ、バイトやパートをしてなんとか暮らしていく自信はある。しかし頂く月謝から経費を差し引いて一銭も残らない状況になれば、家族に迷惑をかけるし、僕の塾が世の中から必要とされていない証拠だということだ。僕は躊躇なく廃業するつもりだ。お金に関して言えば、塾を営む苦労を考えるなら、どんな仕事でも食べて行く自信はある。

なぜそれまでして塾にこだわるのか。きっと天然の塾教師なのだろうと思う。正直言って、今の個人塾を立ち上げて、塾だけの売り上げで純粋に生活が成りたったのは、7年ほど。それ以外の18年間は、休耕することなく必死に農業をやったり、パートのバイトをやったり、講師の仕事をやったりして、29歳の時から家族5人を養ってきた。

歌の文句じゃないけれど、語りつくせぬ青春の日々、中年の日々だった。でも25年間塾を頑張ってきたおかげで、かけがえのない人間関係を築いてくることができた。お金という財産は出来なかったけれど、それ以上の素晴らしい財産ができたと思っている。だから頑張っていけるのだろうと思う。みなさんありがとう!

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2015年4月24日 (金)

僕はそれくらいの覚悟で教えています。はい。

 ○○さんが塾に入っているから行きたくない。

きっとこの手のトラブルは僕の塾だけではないだろうと思う。正直言って、一緒に勉強をするわけではないのだからいいだろうと思うのだけれど、なんとも塾を営む側としては厄介極まりない問題である。

学校で問題があろうが、部活で問題があろうが、本人が意欲的に塾に来て勉強するか限りにおいては、僕はこれから入る生徒よりも、入って頑張っている生徒を優先します。

あの子がいなければ入りたいなどというのは、僕に言わせれば I can  not understand what they say. である。 

毎年例外なくこの手の問題は浮上する。塾を私物化するような発言を聞いていると、おいおいと言う感じである。

塾で騒ぐとか、相手に暴言を吐くというのならわかるが、存在が嫌というのは何とも対処しようがない。

塾に嫌な生徒がいて入りたくないなら、それで結構です。どうぞ違う塾に入って勉強してください。

その結果、僕の塾が成り立たないのなら、運命だと思って諦めます。僕はそれくらいの覚悟で教えています。はい。

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山菜が出始めたが、もちろん今年も食べられない

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わが家の庭先から市道にでる道路があるのだが、今朝から市の土木事務所から頼まれた建設業者の方々がやってきて、砂利を敷く作業がいきなり始まった。トラックやら重機が運ばれてきて、慌ただしい。

?????

確かこの道は私道だったはず。いつから公道になっていたのだろう。まあ市のお金で毎日使う道路を整備してもらうのは嬉しいことなのだが、なんの事前の連絡もなく工事が始まるあたり、さすが田舎町というのかアバウトというのか、やるな~という感じである。

まあたまたま今日は、午前中急ぎの仕事がなかったので、軽トラックを出す必要もなく、こうやってPCの前に陣取っているのだけれど、いきなりの展開に戸惑っているかねごんである。

この道が公道になったということは、冬の大雪の日、この道も市道同様に除雪してくれるのだろうか。2年前の大雪の日は、この写真の花壇がある場所から、重機が停まっている場所まで、車が通れる道を確保するのに、雪スコップを駆使して2時間ほどを要した。

自宅の周縁の山里は新緑が始まり、山菜が出始めたが、もちろん今年も食べられない。昨年は西和賀まで車を飛ばして、山菜を採ってきたが、今年は遠出をするガソリン代もままならない状況だ。震災前に食べることが出来たこしあぶらや、タラの芽の味が懐かしい。ふ~

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2015年4月23日 (木)

全児童、中、高校生の甲状腺がんの検査が必要だ

福島原発事故後の日本を生きる(リンク)より
==** 引用開始 **==
2015年2月12日に公表された最新の調査報告書によると、福島県の小児甲状腺がん及び疑いの子供達は、1か月半前…前回の112人から5人増えて合計117人になりました。※1※2

福島県の発表は甲状腺がんを、悪性…悪性とはがんのことですが『悪性ないし悪性の疑い』という言葉を使い、あたかも甲状腺がんでない子ども達もこの中に含まれているように書くことで、焦点をぼかしチェルノブイリ原発事故との比較を困難にしています。

しかし手術を終えた88人中、良性結節だったのはたった1人にすぎず、84人が乳頭癌、3人低分化癌との診断です。

つまり『悪性ないし悪性の疑い』のうち98%は、小児甲状腺癌でした。

※1:
リンク
※2:リンク
==** 引用終了 **==


Blog vs. Media 時評「甲状腺がんで福島事故否定する見苦しい科学者(
リンク)」より
==** 引用開始 **==
福島の子どもに多発している甲状腺がんは「放射線の影響とは考えにくい」と専門家評価部会が中間報告をまとめました。彼らのボス、山下俊一氏が「もう増えない」と1年前にした予測と正反対の現実なのに唖然です。科学者が立てた仮説に現実が反していたら、仮説を疑うのが科学の大原則です。「100万人に1~2人」とされてきた従来の甲状腺がん発生頻度に対して、事故当時ほぼ18歳以下の38万5千人を調べて、これまでに87人のがんが確定しています。これは第一次検査段階である1年前の倍増以上です。「スクリーニング効果」では抗弁し得なくなっています。

~・中略・~

昨年末の第459回「福島の甲状腺がんは原発事故原因が決定的に」では、1巡目検査で「異常なし」グループから4人が強い甲状腺がんの疑いに進んだ点を中心に取り上げました。これまで知られていなかった事実、2011年3月15日以降に事故当初よりも大量の放射性ヨウ素放出があったとNHKが報じたと指摘しました。3つの原子炉が順次、炉心溶融事故を起こし、その後からさらに多くの放出が続くとはチェルノブイリとは違いすぎていて、山下仮説で説明がつくとは考えられません。

チェルノブイリ事故当初に使えた医療検査機器は貧弱であったと知られています。山下氏も認めているように現在の日本と検査のレベルが違うのです。日本が過剰な検査であると見るより、現実を映していると考える方が科学のアプローチとして自然です。

今回、最も詳しく報じている朝日新聞の《福島)甲状腺検査「勧めることが望ましい」 県評価部会》は全国向けでない福島版の記事です。《部会では複数の専門家が、大部分は比較的進行がゆっくりな甲状腺がんについて健康な子どもを網羅的に検査することで、必ずしも治療しなくてもいいがんを見つける過剰診断の恐れがあると警鐘を鳴らした》と山下仮説が生きていると伝えています。それならばこれに反対する立場の専門家のコメントが必須なのにありません。他のメディアの記事にも異論がある専門家は登場しません。見苦しい科学者にマスメディア全体が同調しています。これは際立って異常な事態です。

==** 引用終了 **==

 

以上、『福島の子どもたちに多発する甲状腺癌』 村田頼哉ブログより転載

原発の放射能問題に対して過激な言動や記事は控えたほうがいいですよというアドバイスを多くの方から頂く。しかし上の記事のように実名で、今現在進行している現状を報告する人間がいる。

一方言うべき立場の人間なのに、逃げまくっている輩がいる。僕はもはや失うべきものはなにもない。きっとこれからが修羅場のはずだ。黙っていていいわけがない。

どうでしょう。日本のトップの皆さんは、原発に対して何を感じているのでしょう。チェルノブイリ原発が崩壊してから4,5年後、多くの村で癌患者がでて廃村になった地域がたくさんあります。そういった村の最初の汚染度は0.28マイクロシーベル以上だったと言われています。

東京電力福島第一原発が崩壊後、福島の全域、そして北関東や東北の太平洋岸の多くの市町村が0.28マイクロシーベルトを超えていました。この現実と向き合わなければなりません。

不安を煽るようなことは言わないでくれという気持ちは良く分かります。しかし現実として福島で起こっている現実は、全く他人事なんかじゃないのです。

福島はもちろんですが、宮城県および岩手県の全児童、中、高校生の甲状腺がんの検査が必要だと僕は考えています。みなさん声を大にして要求しましょうよ。

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英単語は読めなければ覚えられない

中学2年生の英語は、1年生の後半の過去形の授業に続き、2年生の最初の滑り出しも過去形。そして3年生の英語は受動態の過去分詞、現在完了と続いて行く。

過去形・過去分詞を書いて練習してもなかなか覚えられないという生徒がいるが、そういう生徒に限って、動詞の過去形・過去分詞が読めないまま練習している。

英単語は読めなければ覚えられない。これは地球が太陽の周りをまわっていると同じくらいの大切な真実だ。

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昨夜高校2年生に、世界史はどうやったら覚えられますかと尋ねられた。実は僕は世界史が苦手だった。何がダメだったかというと、一杯出てくるカタカナの名前だ。それにいろんな国の名前が絡んでくる。

暗記というのは難しいが、かならずその人にあったやり方はある。諦めてはいけない。英語は入試に欠かせないから避けては通れないが、社会や理科は選択の余地がある。なんとか得意になりそうなものを、早いうちにチョイスすることだ。

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2015年4月22日 (水)

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今朝自宅の庭先から写した雲。合成写真ではありません。

翼が飛んできた感じ。天使でしょうか。

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賢さという抽象名詞を分析するに

一生懸命頑張っているのに困難に直面してしまう時があれば、普通にやっているのにとんとん拍子に物事がうまくいく時がある。それを運がいいとか悪いとか言ってしまえば、そうなのかも知れないが、なにか隠された法則のようなものがあるのではといぶかるのは世の常だ。

半世紀と4年生きてきた。まあ一通りの挫折や困窮を味わってきたように思うが、結婚し子どもにも恵まれ、こうやって曲がりなりにも好きな仕事をやってこれたので、幸福な人生だったのだろうと思っている。

頭のよさと幸福度は比例するのだろうかと、塾教師をやってきた僕は、考えることがある。きっと比例するだろうなという思いが7割。そうじゃないかもなという思いが3割というところだろうか。

学校の成績は見た目ではわからないが、その子の賢さというのは何となくわかるものだ。何となくの中身を言葉にせよと言われても難しいのだけれども、何となくの確実性は意外と高い。

賢さという抽象名詞を分析するに、『こいつにこれを任せたらちゃんとやってくれそうだ』という期待感とでも言ったらいいのだろうか、そんな感じを持たせる人間が賢い人間の定義のような気が、僕の中ではする。

しかし、一方ではこんな問題も世の中では生じる。仕事はバリバリできるのだが、人間性に問題アリという存在。皆さんの周りにも必ず一人や二人はいるのではないだろうか。学歴があって語学も達者、パソコンはブラインドタッチで、仕事との段取りも早い。しかし、異性にルーズで、弱者を切り捨て、利己主義の塊のような人間。

日本という社会は、実力主義の社会だ。実力主義の社会というのは、どれだけお金が稼げるかということに力点が置かれる社会だ。先ほど賢さの定義の話をしたが、お金を稼げるというのも賢さの一つであるだろうことは間違いない。

近年結婚しない若者や、結婚できない若者が増えていると聞く。少子化が深刻なこの国に於いて、ゆゆしき問題なわけだけれど、僕の周りの10代の若者たちに結婚願望を聞くと、面倒くさいという回答が返って来る。結婚が面倒くさい・・・・・。

賢さという定義で分析してみると、個人的には納得できる部分も無きにしも非ずだが、いまの若者たちは、結婚というシステムにある種のアレルギーを持っているのかも知れない。

結婚よりも仕事を選ぶ女性が増えている。一方、結婚はしたくないが、子どもは欲しいという声も聞く。良妻賢母という言葉が死語になったわけではないだろうが、男性が弱体化してきたこの国の病根は根が深い気がする。

賢く生きるということと、賢さという言葉は、副詞と抽象名詞という違いだけではなく、もっと人間の根源にかかわる深い意味があるような気がする。

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2015年4月21日 (火)

ピーマンはピーマン、パプリカにはなれない。しかし・・・

下の記事は、震災前に書いた『目に見えないバリア』という記事だ。再掲載になる。

長年個人塾を営んできたが、僕は一度も塾業界の会合や協会のセミナーに顔を出したことがない。情報交換の場として有意義な話し合いがなされているのだろうが、どうも生理的になじまなかったし、今でもそうである。

盛岡や仙台のような街とは、僕の住んでいる一関は教育環境がだいぶ違う。横の繋がりや中学や高校時代の先輩後輩の繋がりが良くも悪くも色濃い街である。

都会のような出身大学による学閥はないが、出身の高校による目に見えないバリアが至る所に張り巡らされている街である。そのバリヤが嫌で、卒業後さっさと都会に出て行く若者が多い。

〇〇高校を出た者は優秀で、△△高校を出た人間は頭よりも肉体を使う仕事向き、みたいな評価を暗黙のうちにくだされている街と言ってもいいかも知れない。僕なども後者の部類に入る高校の出身なわけだが、確かに若い頃は随分心無い言葉に傷つけられたことは多い。

毎年この時期になると、よくこんな会話が聞こえてくる。

「〇〇ちゃん△△高校受けるんだって」 

「へえ~勉強しなくてもいんじゃん。名前を書けば受かるんでしょあの高校」

市内では、少子化の影響により志願者が定員に満たない高校が増えてきている。毎年ほぼ全員合格という公立高校があるが、そういった高校をさしての比喩的表現なわけだが、自分の出た高校をそんなふうに言われて気分の良い人はいないだろうと思う。

僕などは慣れてしまい、自分から自虐的なネタに、出身学校を使わせてもらっているタチの悪いおじさんなのだが、高校の格差が様々な問題を抱えていることは間違いない事実である。

僕もそして家内も高校は私立高校の出身である。そしてその私学での経験は、自分が今やっている仕事にバリバリに活かされている。一緒に僕と仕事をしている家内にしてもそうだろうと思う。

進学校を終えた方々は、塾をやっておられる方がたくさんいるが、僕の母校の卒業名簿を見る限り、ひょっとすると塾屋をやっているのは僕だけかも知れない。ある種貴重価値的な存在なのだろうか(・・笑い)。

僕の出た大学の同級生は、教員をやっているのは結構いるのだが、さすがに塾をやっているものはいない。

それにしても全国規模で展開するFC塾が、塾経営の主流になってきた。だんだん生粋の個人塾を探すのが、宇宙を旅していて知的生命体が存在する星に遭遇する確率ぐらいに困難になってきている。

そう言えば、今朝の新聞の折り込みチラシに、FC塾の新期生徒の募集チラシが入っていた。他塾から移動して入って来た生徒の入会金は〇円と書いていたが、どうやって証明をさせるのだろう・・・・。

やっぱり僕は塾業界の協会には、絶対入らないな。(掲載終了)

自分の子どもをいい高校に入れたい気持ちは親心かと思う。いい高校に入れば、いい仕事に就けるという常識は、いまでも常識であるわけで、やはり出身高校で能力を判断される現実があって、世の中は動いている。

頭の良さというのは、学校の成績で判断される。リーダーシップがあるとか、運動能力が優れているとか、芸術的才能が優れているなどは、また違う次元での評価であって、やはり学校の成績が第一主義だ。

・・・で、そういったことに反抗的というのか、そういった評価に服従したくない人間はどうすればいのかというと、とことん自分の優れている点を増幅させるべきだ。学校の成績で勝負出来ないなら、違う場所で勝負すればいい。僕はそれだけのことだと思っている。

ピーマンはピーマン、パプリカにはなれない。しかしピーマンが好きだと言う人がいれば、パプリカが好きだと言う人がいる。高いからいいというものではない。適材適所、それぞれ輝く場所がある。

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2015年4月20日 (月)

時計の復活

3日前の新月の夜、僕が塾から帰宅すると、我が女房が神棚を掃除し、果物やお茶をお供えしていた。なんでも新月の日には神様にお供え物をするといいとかで、きっと僕の困窮を払拭しようと、彼女ながらにアクションを起こしたのだろうと思う。

掃除をしていたら、神棚の隅っこから時計が入ったケースが出てきた。

開けてみると僕が25年前に購入した腕時計が出てきた。しまい込んでいた僕自身が完璧に忘れていたものだった。

一関の方は懐かしいと思うが、25年前一関駅前には千葉久(チバキュウ)という老舗のデパートがあった。そのデパート内の時計やさんで買った腕時計だった。

25年前と言えば、僕が今の塾を始めた年である。僕はゲン担ぎのつもりで、千葉久のデパートでセイコーの時計を買った。つまり千の葉が久しく茂り、塾が成功するようにとの語呂合わせのゲン担ぎだった。

もちろん埃をかぶって時計は止まっていたが、今日電池交換をしてもらったら四半世紀の時の流れをものともせず、時計は完璧な復活を遂げた。

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20代の小僧にしてはずいぶんとクラシカルな時計を買ったものだと思う。この時計を腕にするのは15年ぶりぐらいだ。原点に立ち返ったような気分がして、いい感じだ。

さあ気分を一新して新たな時を刻もうとしようか。

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今日も明日も頑張って生きて行こう!

僕が利用しているココログのブログ記事の中の話題記事なのだが、かなり壮絶。とりあえず読んでみて下さい。

東京都   60代 男性   たわしそふとさん

30歳の時、食品業界から今でいうIT業界に転職。当時「30歳過ぎたシロウトにプログラミングは無理。」という周囲の声を押し切ってパソコンのソフト開発技術者になりました。BASIC-DOCからMS-DOS、さらにはWindowsと表舞台が変っても何とか食らい付いていき、定年無しの会社で60歳を越えても現役のSEとして働けていました。ところが4年前、その会社が事実上倒産してしまい、退職金も貰えずに突然解雇されてしまったのです。
まあ現役技術職だし、専門のスキルもある。契約社員でならどこかが雇ってくれるだろう。最初はそう考えて、自己アピールの資料を作成し、ハローワーク求人に片っ端から応募をしていきました。

ところが、いくら応募しても、大抵は電話打診段階で体良く断られるか、書類審査で足切りされて面接すらして貰えません。
気が付けば50社以上に応募したのに、面接できたところがわずかに1社限り。そこも結局は不採用となってしまいました。
すでに僅かな貯金もほとんど底をついた状態で、ついにIT業界を諦めて、なりふり構わず他業界への転職を図ることにしたのですが、それでも、20社以上不採用で面接して貰えたのは2社のみ。なんと82社目の応募でようやく就職できたのが介護業界だったのです。

無資格・未経験の60歳代でも就職できたところ…それは想像を絶するほど過酷な職場でした。上司の強烈なパワハラ指導、休日返上が当たり前のサービス残業、30時間を越える連続勤務、等々。
同時期に入社した新人は6名いたのですが、2か月後には私一人しか残ってはいませんでした。ほとんどの新人がついて行けず退社してしまうため、応募してくる者は全員採用していたというわけなのです。
還暦越えの私は、辞めたくても他に行くところがありません。
74Kgあった体重は3か月で62Kgまで減りましたが、過酷な超過勤務はIT業界で耐性をつけていたため、単身赴任にて何とか2年以上頑張ることができました。
そこでの経歴を元に1年前から地元の施設に移ることができ、単身赴任とパワハラからは解放されましたが、月400時間にも達する労働時間と、手取りで十数万円しかない低収入は相変わらずのままです。

ただ、介護福祉士という国家試験の受験資格である3年以上実務経験ができたので、その資格を取れれば、もっと給与を貰えるところへの転職が可能、という希望がでてきました。
この月末には64歳になりますが、借金も抱えていてまだまだ働かねばなりません。
さあ、明日も頑張って生きていこう!

僕の本業は塾教師、そしてなんちゃって百姓を営んでいる。自分では頑張っているつもりだが、悲しいかな経済に直結しない。ゆえにいつも貧乏暮らしだ。

その理由を真剣に考えると、自己否定が生じ、鬱になりそうなのであえて避けているだけれど、まあはっきり言えば今生の人生はお金と縁がない人生なのだろうと思う。

ただしそういった人生がゆえに、見えてくるものもある。そもそもが、お金に不自由なく豊かな生活ならば、今のこのちょっと、いや、だいぶゆがんだ僕という人間のキャラは存在しないわけで、これもなんと言うのか、自虐的に言えば、まあ自己責任というものだろう。

上の記事の話じゃないけれど、僕のような自営業は、年金は当てにならないし、貯蓄はないしで、死ぬまで働くことが至上命令的な人生だ。したがって健康が命となる。お陰様で、このブログを書くようになって、夜外で飲むことがなくなって暴飲暴食をすることがなくなり、痛風の発作もなく、お金もないので粗食になり、健康はいい感じだ。これを怪我の功名とでも言うのだろうか、捨てる神あれば拾う神ありだ。

毎週中学生を相手に卓球で汗をかき、これからのシーズンは自宅の周りや休耕田の草が伸び、僕の草刈仕事が始まる。適度な運動には事欠かかない日々、健康維持に役立っているのかどうかは別にして、身体を動かすことで、ストレスの解消にはなっている気はする。

震災後は卓球の指導こそすれ、自らプレーヤーとして大会に出ることはなかった。なんかそんな気分にはなれない自分がいたのだけれど、今年は暇つぶしに大会にも出てみようかと思っている。還暦まで5年、息子世代どころか、下手をすると孫世代を相手の試合にもなりかねない年齢だ。年寄りの冷や水かも知れないが、久しぶりにトーナメントを楽しみたいと思っている。

昨日は息子たちにたちに手伝ってもらって、水稲の種まき作業をした。80枚だけの苗箱だけれども、何度も持ち上げたり運んだり、今日は腰がだいぶ痛い。本日月曜日は、週に1度の卓球同好会の日だ。僕のおやじ世代の御大と汗を流してこようと思う。

女房の握ってくれたおにぎりを食べた後は、塾が始まるまで職安にいってバイト探しを今日もやろうかと考えている。年齢不問・学歴不問・経験不問とは書いているが、なかなかそれが難しい。

しょっちゅう募集している会社や組織は、それだけ離脱する人間も多いと言うことだろう。チャレンジャーとして経験するのもいいかなと思うのだけれど、本業に支障をきたすバイトも考えものなわけで、毎日のようにやってくる請求書の山を眺めながら、瞑想をしたくなるかねごんである。

しかし、くじけちゃいけない中年オヤジということで、今日も頑張って生きて行こう!

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2015年4月19日 (日)

ヨーロピアン・ジャズトリオ

僕はここ2年ほど、ヨーロピアン・ジャズトリオにはまっている。とてもクールで気持ちのいいジャズサウンドを聞かせてくれるジャズメンたちだ。

今日はあのサイモンとガーファンクルの名曲スカボロフェアーをジャズアレンジした曲を紹介したい。

ピアノとベースとドラムスだけのシンプルな構成だけれど、醸し出す音楽はとても深遠でメロディアスだ。彼らのアコースチックなジャズサンドは、聞いているものの意識を、原風景の風のなかに誘い出してくれる。

ジャズ的な知識はいっさいいらない。彼らの風をどうぞ感じてみてください。

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2015年4月18日 (土)

自戒を込めて

自分のことを私にしようか俺にしようか僕にしようか、一人称をどう表現しようかと悩みつつ始まったこのブログも7年の月日が過ぎ、8年目に突入する。

毎日よくも書くことがあるものだと自分でも感心している。塾ブログのはずが教育の事から完全に離脱し、次元を超えて彷徨している状況だ。困ったものだ。

震災後は僕のあまりの貧困状態に、パソコンで月額100万を稼ぐ方法とか、ブログ記事を出版してお金を稼ぎませんかとか、実に様々なメールを皆様から頂いてきた。

パチンコをやる人は、1日に10万円勝ったとか、20万円儲けたというけれど、決して負けた話はしない。僕もかつてパチンコ狂の人間だったのでわかるが、パチンコで儲かることはない。それが証拠に、どれだけの人間がパチンコで破産して、家庭や財産を失っていることか。うまい話はないのだ。

パソコン1台で年間1000万円儲かるなら、 誰もホームレスになったり、自殺をしたりはしない。世の中をなめてはいかんぜよ!

勉強も同じだ。英語を聞くだけであなたも英語の達人にとか、寝ていて聞くだけで暗記が完璧になど、どれだけの人が広告に踊らされて大枚を支払ったことか。努力せずして成功するするなら、誰も苦労などしない。

IQが高い天才肌の人間をうらやましがる人間がいるが、彼らだって努力なしでは高みに上ることは出来ないのだ。まして我々凡人は、地面に這いつくばり、汗と涙に紛れながら頑張ってこそ初めて希望が見えてくるというものだ。

たまに気まぐれで神様が、身に余るようなご褒美をくれることがあるかも知れないが、努力せず手に入れたものは、間違いなく消滅し、跡形もなくなるものだ。

冷静に考えてみると、僕ら俗人は間違いなく愛すべき俗人である。限りない欲望に苛まれ、意地を張り、見栄を張り、そして思うようにならない社会を斜に構え、勝手に黄昏ているのだ。

高校に入れなかったものは、どうせ高校なんてたいして学ぶべきものなんかなねえとうそぶき、大学に入れなかったものは、あんなところに金をかけるなら、働いて彼女を作ってバリバリ楽しんでたほうがいいと虚勢をはる。

本当は高校に行ったほうがいいし、出来れば大学に入った方がいい。しかし現実問題として叶わぬことも多々あるし、その人間の指向性というものがそれぞれある。しかしそれならば、その違う指向性に向けて努力をしなければならない。うそぶいたり、虚勢をはっている場合ではないのだ。

僕らは一見まともな生き方をしているように見えるけれど、実はとんでもない馬鹿やろうかもしれない。

人に構っている暇があったら、自分のことをやるべきだ。自分が大変なのにボランティアに精を出すのは、お門違いだ。僕のなかのもう一人の人間がそんなことをわめいている。

神社の前で、お賽銭箱に5円を投げ入れようか100円を投げ入れようかと葛藤している姿に似ていて、思わず笑ってしまう。

人はあまりにも不確かだ。自分の本心さえとらえられず、いらいらすることがある。春だというのに、僕の葛藤は続きそうだ。

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さてと頑張るか・・・

桜咲く季節になって、高校生は入る部活も決定し、中学生は宿題の2Pノートが始まった。新1年生の真新しい制服や運動着が春の陽光に輝いている。

今年の僕は、7年ぶりに非常勤講師の仕事がなく、本来の塾教師に戻った。ただ震災後の生徒減の状態がいまだ改善されておらず、なんかバイトがないかとハローワークに出かけてみたのだけれど、午後早い時間に終わる仕事はなかなかなく、かといって夜中のバイトはあるのだけれど、昼夜逆転の生活はさすがにこの年になると厳しく、まったりとしたまま、職安から戻ってきた。

生徒が増えればいいわけだけれども、一関の状況を客観的に見れば、やっぱりコツコツとやるしかなく。じっと手をみるのかねごんであった。

お米の買取り価格が急落して、稲作農業も非常に厳しいわけだけれど、今年も継続することに決め、明日は家族で種まきだ。

さてと頑張るか・・・

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2015年4月17日 (金)

遺伝子

金田明子さんの写真

『太陽と空と森』

我が息子が最近描いたパステル画である。茶の間に飾っている。

家内は絵をたしなむが、僕はまるっきし絵はだめだ。芸術センスは皆無に等しい。長男も次男も絵心がちょっとあるようだが、女房ゆずりのようだ。

ただし歌を歌わせると、家内も息子たちも音程が微妙に定まらない(笑い)。僕の遺伝子はいい意味でもそうじゃない意味でも、息子たちに伝播していないようだ。

ところで30年以上多くの子どもたちと接してきたけれど、女の子の容姿はお父さんに似ていることが多いし、男子生徒はお母さんに似ている。

ということは、女の子はお父さんの遺伝子が影響しやすく、男の子はお母さんの遺伝子が影響しやすいということなのだろうか。

僕には女の子がいないけど、幸いだったのか・・・・

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2015年4月16日 (木)

磐井川桜並木・有終の美

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今日の岩手日報に掲載された一関磐井川の桜並木である。この満開の桜の木も今年の7月に堤防改修工事のためすべて伐採される。

僕の塾がある磐井町側の桜並木は震災後伐採され、堤防改修工事終了後、植樹した苗木が今年花をつけたことは、先日記事にした。

現役の桜の木を伐採することに対しては、一関市民から多くの反対意見が出されたのだけれど、古木の桜の木々に土手が浸食されており、将来予想される増水に堤防の安全性が保障されないとして、伐採して堤防を嵩上げすることになった。

きっと四半世紀もたてば、また見事な桜並木が復活することだろうと思う。もちろん僕などはとっくにあっちの世界に行っていることだろうが、孫の世代に、一関の磐井川がまた桜の名所になっていることを願いたい。

この満開の桜のなか、磐井川堤防では一関一高の1年生が、応援歌練習の総仕上げを行っていた。塾で小学生の指導をしていたのだけれど、ものすごい反響音がこだましていた。夜6時半を過ぎて、雨に濡れた一高の1年生が塾にやってきたけれど、さすがに勉強するエネルギーはなかったようで、律儀に月謝袋だけを置いて帰って行った。

この応援歌練習が終わると、高校は高総体地区予選に突入する。それが終ると高校3年生も受験体制に突入だ。

おっと忘れてた。今年は10年ぶりに高3生が在籍していない。2年連続大学の第一志望を塾生が全員合格しているのだけれど、おかしいな・・・・・。

 

僕の塾の七不思議というのがあって、高校3年生が全員第一志望に合格した年に限って新高3年生がいない。大学進学を希望しているのだけれど、英語がネックになっている新高校3年生大歓迎です。よろしく♡

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2015年4月15日 (水)

エコキャップ推進協会・売却益をワクチン代で寄付せず

毎日新聞 2015年04月10日 21時07分

 ◇13年9月から 「主に障害者自立支援事業に使用」

「ペットボトルのキャップを集めて世界の子供にワクチンを届けよう」と呼び掛け、キャップの売却益をワクチン代として寄付してきたNPO法人「エコキャップ推進協会(エコ推)」(横浜市中区)が、2013年9月から寄付をしていなかったことが分かった。矢部信司理事長が10日、記者会見して明らかにした。売却益は主に障害者自立支援事業に使っていたという。 

 エコ推は2007年12月から、国連児童基金(ユニセフ)を通じて途上国にワクチンを届けるNPO法人「世界の子どもにワクチンを日本委員会(JCV)」に売却益の寄付を開始。総額は13年8月までに約1億2000万円に上った。

 矢部理事長によると、JCVとの間で寄付の方針を巡り見解の相違があったことや障害者支援を活動の中心にするようになったため、寄付を見送っているという。エコ推の定款では、売却益はワクチン代や障害者支援など7事業に充てるとしている。

 矢部理事長は「ワクチンの寄贈が、子供たちがキャップのリサイクルを進めるモチベーションになっていた事実もあり、申し訳ない」と謝罪した。【水戸健一】

今日の岩手県内の各新聞が一番大きく取り上げたのが上の記事である。世界の子どもたちをワクチンで救おうということで、岩手県内の幼稚園から高校まで212の学校がペットボトルのキャップ回収にボランティア活動として取り組んできたわけだが、新聞の内容はその善意を踏みにじられた的な文面になている。

最初ラジオのニュ―スで耳にしたときは、横浜のNPO法人エコキャップ推進協会が、ワクチンへの寄付をせず、使途を変更したという事項だったので、使い込み等を想像してなんとけしからん話しだと憤りを感じたのだけれど、ペットボトルのキャップのお金が障害者自立支援に勝手に利用したことがけしからんということのようだ。

確かにワクチンは直接こどもの命に係わることなので、障害者自立支援より優先されるべき案件だとは思う。上の記事にもあるように、ワクチンで子どもを救おうということが、リサイクルを進めるモチベーションになっていたということだが、障害者自立支援ではモチベーションが上がらないということなのだろうか。

今回の新聞記事は、障害者自立支援に勝手に流用したことがけしからんという論調になっているが、冷静に考えてみると、なぜ障害者の自立支援にお金が使われたのか、その詳細が欠落している。

缶ジュースのプルタブを集めて、身障者へ車椅子を寄贈しようという運動もある。それでも障害者支援の運動に関して言えば、残念ながらこの日本という国はまったくの後進国だ。

障害者自立支援に流用して申し訳ないと陳謝する矢部理事長に違和感を感じるのは僕だけだろうか。さりげない日常のボランティア活動というものに、モチベーションがあがるとか、あがらないとかという感情を持ちこむこと自体、猛烈な不自然さを感じた今日の記事だった。

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花見気分とまではいかないが・・・

一関一高そばの磐井川堤防の桜の木々が伐採されて4年になる。一昨年度堤防工事が終了し桜の苗木が植樹された。しばらくは桜の花をつけないだろうと思っていたら、なんと昨日花を咲かせた。

Photo

 

実はこの桜、切り倒される前の古木の若枝を接ぎ木した桜の苗木で、このように早く花をつけることが出来たらしい。塾の2階の窓から小さな小さな桜の花を4年ぶりに見ることができた。ちなみに桜の向こうに見える4階建ての建物が、一関一高附属中学校の校舎である。

桜の木々が伐採され、小さな苗木が植えられた時は、僕が塾を続けているうちに桜の花を見ることはないだろうと思っていたものだから、なんだか嬉しい。

一関のソメイヨシノは今日あたりが満開だ。磐井川の青葉町側の桜並きは花見の人たちでにぎわっていた。

2月半ばから体調がいまいちの僕は、花見気分とまではいかないが、小さな桜の花びらに癒された感じだ。花粉症の症状はだいぶ軽減されてきたが、昨日は頭痛がして午前中床にいた。

今週は、市内中学校の半分が修学旅行だ。ゆえに中学3年生が塾に来ないので、ガラガラ状態。やるべきことがたくさんあるような気がするのだが、どうも身体が重力に逆らえないそんな気分だ。 

今年のゴールデンウイークは何も予定はなし。震災前のゴールデンウイークは山菜取りの日々だったが、それもかなわず。お金もないので、図書館から本でもかりてきて読書三昧の日々になりそうだ。

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2015年4月14日 (火)

線量の急上昇が発生

原子力規制委員会が公開している全国の放射能モニタリングポストで、福島県の値が急上昇しています。線量の急上昇が発生したのは福島原発がある福島県東部です。国道6号線富岡町新夜ノ森地内は過去30日間の平均値の30倍(0.127μSv/h⇒3.647μSv/h)に跳ね上がっています。
また、福島県の西部でも数週間ほど前から局所的に線量が先月よりも高い傾向が見られました。福島県西部の方は降雪も多かったので、雪解けの影響などがあると考えられますが、福島県東部は雪解けの時期とは異なるタイミングで急激に上昇していることから、福島原発由来である可能性が高いです。
他にも富岡町富岡で0.46μSv/hが3μSv/hに上昇し、楢葉町繁岡も0.311μSv/hが6.3μSv/hとなりました.。

線量上昇の詳しい原因は現在調査中ですが、今年の中では最大の上昇幅となっているので、当面は放射能情報に注意をしてください。特に福島近辺にお住まいの住民は、外出時にマスクを着用しておくことをオススメします。

国道6号線富岡町新夜ノ森地内
空間線量
・現在: 3.647 μSv/h
・平均: 0.127 μSv/h (過去30日平均)

富岡町 富岡
空間線量
・現在: 3 μSv/h
・平均: 0.46 μSv/h (過去30日平均)

楢葉町 繁岡
空間線量
・現在: 6.3 μSv/h
・平均: 0.311 μSv/h (過去30日平均)

酸川野集会所
空間線量
・現在: 0.06 μSv/h
・平均: 0.027 μSv/h (過去30日平均

☆ホワイトフード 全国リアルタイム放射線量地図
URL http://www.whitefood.co.jp/map.php

(投稿者 赤かぶ 日時 2015 年 3 月 31 日 )

上記の報告は赤かぶさんという方が、先月の末にインターネット上に投稿した文章である。実はその後、北関東や東北の太平洋側の地域でも、急激に放射能の値が上がってきているとの報告が多数寄せられている。

先週の仙台港では5マイクロシーベルトまで上昇した。不思議なことにテレビや新聞は一切報道をすることもなく、まさに情報が遮断されている。

福島原発の高炉内の放射能の値が、ものすごい勢いで上がっているという情報もあるが、はたしてどれだけの放射能が拡散し出しているのか予想がつかない状況だ。

ただここにきて、2月の平均値からいっきに10倍近く跳ね上がっている、モニタリングの値を見ると、雪解けによる影響云々などと言う問題ではなく、間違いなく、東京福島第一原発で何かが起きていることは否定できないだろうと思う。

花粉症が終焉する季節になってきたけれども、マスクの着用はやめないほうがいい状況だ。

一度暴走してしまうと、手が付けられず制御不能な原子力を、再稼働どころかこれからも新しく作ろうとしているこの国は、完全に何かが麻痺している。

こんな麻痺した国をあきらめて、移住もいいかなと思い始めているかねごんである。オーストラリアのエアーズロックを眺めながら、自然と共に余生を送りたいと思ったりするわけだけれど、やっぱり先立つものがないとな・・・・・・

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2015年4月13日 (月)

日本社会のミステリー

一関も桜が五分咲きになった。寒かったり暑かったり、目まぐるしく天候が変わるこの頃だ。僕は近頃まったりしている。

時間があるのだけれど、何となくその時間を消化しきれていない。相変わらずストレス解消に本を読んでいる。最近読み耽ているのは西澤保彦のミステリー小説だ。今月になって7冊ほど読んだけれど、一番面白かったのは、『仔羊たちの聖夜(イヴ)』だ。

昨年からずっと僕と同年代の作家の作品を読み続けている。同じ時代を生きてきた同胞たちの哀愁や諦観、時代の中で錯綜し、そして模索した感情や感性が作品の中で昇華され、芸術としての文字言語が構築されて行く。

人間の精神性はタフのようで実はとてももろいものだ。一見平凡に過ぎていく日常の中に、多くの欺瞞や狂気が紛れ込み、僕らはバランスを失いがちになる。

たとえばミステリー小説のなかでは、些細な動機で人間が殺傷されていくのだが、その動機の深遠を覗き込めば覗き込むほど、いかに僕らが過ごしている日常性が薄氷の上に築き上げられているドラマであることかがわかる。

年を取ればとるほど、心に刻まれてきたひだを取り除くことは難しい。価値観と言えば聞こえはいいが、実のところ生きて行くために便宜上ごまかしてきた、感情の欺瞞が価値観の実態ではないのだろうか。

社会性を育てるという言葉がある。子どもたちに社会性を持たせる教育というのは、周りの空気を読み、自分の立ち位置を判断し、波風をたてないで、人との協調性を持たせることだ。しかしこの協調性というのが厄介な代物だ。

心の中では悪意があっても、我慢する行為をよしとする社会では、ストレスが充満する。嫌な人間を嫌だと言えない社会構造。最終的には逃避をすることで、どうにか自分の崩壊を食い止めようとする。

弱者を弱者のままで支援しようとするシステムが今の日本の大きな欠点だ。肉体的ハンディーも知性のハンディーも改善すべき努力を放棄させ、その状況を受け入れさせようとする欺瞞が僕は大嫌いだ。

自動車にべたべた貼られている『I  LOVE 障害者』というステッカー。障害者を愛しているのは一体誰なんだと言いたい。障害者支援は、全くといいほど無視されている日本に於いて、欺瞞的なステッカーをこれ見よがしに貼り付ける精神こそまさに日本の格差社会の象徴だろう。

義務教育までの障害者教育は確かに評価できるものがある。しかし大人になってからの支援は一律的で、支援すべき家族の経済も、労働支援も、精神ケアーも、まったく各家庭の力量に任せてしまう。その結果どれほどの悲劇が生じていることか。

まさに日本社会のミステリーだ。妊娠中に於ける胎児の出産前検査で、障害の疑いがある胎児の存在が難しくなっている。まさに障害を持つ人間を支援するシステムが、この国に存在しないことの証だろう。

成熟した社会というものは、人が安心して生きて行ける社会だ。経済力や学歴の有無で、格差をもたらしている社会に、障害者支援の充実を期待することは困難なことなのだろうけれど、他人を阻害しない精神性を育む教育が本当に必要だ。

今の教育は、競争心をとことん煽り、負けない教育をしている。受験指導もそう、部活もそう。弱者がいることで、自分の価値の安定をはかる社会なんて、本当は異常な社会なのではないだろうか。

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2015年4月12日 (日)

妄想を愉しむために

毎年宝くじを買っているけれど、世の常で残念ながらハズレばかり。6億円が当たったら、こんなことやあんなことをしたいと妄想は膨らむのだけれど、結局妄想だけて終わってしまう。妄想を愉しむために宝くじを買っている状況が数十年続いている。

もし宝くじで1億円以上当たったなら、軽トラックを卒業したい(笑い)。昔からあこがれてきた車がある。ジャガーだ。

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まさに走る宝石という感じだ。流線型のホルムがめちゃくちゃかっこいい。3年前にも一度記事にしたことがあるのだけれど、僕は当時購入して23年になるスバルの軽トラックに乗っていた(今はスズキの軽トラックに乗っているのだけれど)。

自宅から塾に向かう途中、僕はいつもセブンイレブンに寄って、おやつの菓子パンを買うのだけれど、その日もいつものように僕はコンビニの駐車場に軽トラックを停めた。

店から出ると、僕の軽トラックの隣に、上の写真と同じXJシリーズのジャガーが横付けされていた。写真のジャガーの隣に、僕の23年ものの軽トラックが並ぶ光景を想像して頂きたい。

僕はしばしそのコントラストに見とれていた。それは決して自虐的な感情ではなく、なんと言えばいのだろうか、個性というものに想いを馳せていた。

人間を乗せ、離れた目的地に移動する手段としての自動車。その自動車を選択する人間の心情や個性は車に現れる。それは経済力だったり、人生観だったり、効率性だったり、年齢や仕事や家庭環境や地域性など、様々な要因が車の嗜好性に絡んでくる。

たとえば公立の先生は、ベンツやジャガーには乗らない。きっと校長先生が指導に入るだろう。一方病院を経営するお医者さんがジャガーに乗っていても何ら問題はないはずだ。実はそういった暗黙の黙認や拒絶というものが社会の格差を作っていく。

自動車は目に見えるものだから非常にわかりやすい。一方学歴や能力というものは目に見えないものだけに、 社会のなかで時に沈殿し時に浮遊する。

裏社会でも、実はジャガーを愛用する輩が多い。とすると、お金があったらジャガーに乗りたい思っている僕も、実は裏社会の人間なのかも知れな い(笑い)。

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2015年4月11日 (土)

手放すべきもの

人生に吹く風は、春夏秋冬様々な人生模様を日常に醸し出す。追い風の時もあれば、足を一歩踏み出すことさえままならない向かい風の時もある。

若い頃の逆境は若さで凌ぐことが出来た。お金のない状況は働くことでなんとなった。能力のなさを痛感すれば学べばよかった。

しかし家族ができ、会社や組織でかじ取りをするようになると、自分の事だけを考えるだけでは、困難を打開することは難しい。

経済や教育は、人間の感情に支配されがちになる。日常の中で芽生える様々な欲望が、利己的であればあるほど、他人の幸福を考えているかのような言動が増えて行く。

その矛盾に気づけばいいのだが、多くの人間は自分の言葉と感情におぼれ、本質を見失う

この時代に生まれた理由も、この時代に生きて行く必然も、自分が選択してきたものであることがわかれば、手放すべきものにいかに固執しているかがわかるだろう。

逆境に負けようとせず、その状況を観察してみるといい。自分の立ち位置を理解するには、自分の周りの人間を実感してみるといい。自分がどう接しなければならないのかを素の感情でとらえれば、自分がこだわっていることのつまらなさが見えてくる。

年齢とともに、重荷が増えて行くのは、捨てるべきものをあまりにもため込んでいるからだと思う。ちっぽけなプライドの中にしまい込んでいる埃を、春風のような勢いで追い出してしまえばいい。

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2015年4月10日 (金)

祈る・祈る・祈る・祈る

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(写真・時事通信)

今日茨城県鉾田市の海岸に150頭以上のイルカが打ち上げられているのが見つかった。ネットでは「東日本大震災の前にも・・・」「地震の前兆ではないか」と心配する声もあがっている.。実は僕も心配だ。

めまいのような大地の揺らぎを感じる。僕の血圧が上がってめまいを感じているのかとも思ったが、そうではないようだ。

実際は揺れていないのに、ザワザワと振動を感じる。なんだろうこの胸騒ぎは。2,3日前から山里で鳴くキジの声が頻繁だ。

何も起こらないことを祈る・祈る・祈る・祈る。

仙台空港近くの高速道路に、新しく「現在の放射線量」の測定電光掲示板が設置されているのだが、数日前から「0.5〜5.4μSv/h」の値が表示されているという話を伺った。福島第一原発で何が起こっているのだろう。

生活できる値じゃないぞ。誰も騒がない。どうなっているんだ。ここに大地震が来たら万事休すだ。

何も起こらないことを祈る・祈る・祈る・祈る。

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2015年4月 9日 (木)

宇宙人なんかいませんよ

僕の塾に通ってきている新中1のKさんは笑い上戸の元気な女子生徒だ。彼女は断固とした思想を持っている。それは、『宇宙人など絶対にいない』という確信的な哲学のようなものだ。

たいていの生徒はひょっとしたら宇宙人はいるかもしれないと思ったりするものだけれど、M さんは、徹底的に否定する。その否定ぶりがすこぶる気持ちがいい。

彼女の思想を具体的に補足するならば、この広大な宇宙の中で、人間のような知的生命体が存在するのはこの地球だけであって、他のいかなる星にも知的生命体は存在しないということになる。

さて自称宇宙人は困ってしまう・・・・。

さらに僕は質問してみた。「神様はいると思うか」と。

彼女の答え「いるような気がする」

宇宙人の存在は全否定するけれども、彼女のなかでは神様の存在の可能性は残されているようだ。

45年ほど前、人類はアポロ宇宙船で月面に降り立った。ところが昨今の画像分析等で、月面から送られてきた映像は、偽造されたものではないかという噂が巷で湧き起っている。

本当は人類は月などに行っていないという衝撃的な出版物がいくつか出ているわけだけれど、真相はどうなのだろう。地球に帰還した乗組員たちの中には、宇宙での神秘体験から宗教の伝道師になった方もいると言われているが、それも作り話なのだろうか。

当時アメリカとソ連は冷戦のもと、核開発にしのぎを削り、宇宙船開発も軍事目的の一環だとの認識があった時代だ。アメリカの月面到着という偉業は、宇宙船開発競争に於いて、完全にソ連に勝利したという事実を世界にアピールしたことになった。

話は宇宙人にもどそう。遠く離れた星からこの地球にやってきている宇宙人がいるとすれば、それは想像もできないほどの化学技術とテクノロジーを有した存在だろうと思う。

古代の文明社会は地球外宇宙からやってきた宇宙人によってもたらされたもので、地球の古代人たちは、彼らを神として敬ったという仮説も似非科学的ではあるがまことしやかに語られている。

太陽系惑星に住む我々地球人は、宇宙の中でも稀な存在だろうとは思う。いま地球にやってきている宇宙人がいるとすれば、その目的はなんだろか。

こんなことを書くとまたMさんにしかられそうだ。「宇宙人なんかいませんよ!先生」

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ストレスとの戦い

僕の父も、母も癌を患っている。必然的に僕の遺伝子の中には癌の形成を促すDNAが紛れ込んでいるのだろうと思う。

かといって定期的にがん検診を受けるわけでもなく、健康に関してはかなりルーズなところがある。

今日の話は、僕が読んできた本からの引用的な話なのだが、時間がある方はちょっとお付き合い頂きたい。

そもそも癌というのはなにかというと、身体に有害な物質を貯蔵するごみ箱みたいなもので、ある一定の量を超えるとあふれ出し、増殖する。

有害な物質の内訳は、残留農薬であったり、ニコチンであったり、アルコールであったり、そして放射能物質であったりするわけだけれど、そういった有害物質を身体にため込んでしまう一番の原因がストレスだと言われている。

実はがん細胞は毎日何個も身体の中で生まれているらしい。しかしたいていは免疫機能が働いて、癌細胞の赤ちゃんのほとんどは消滅するのだそうだ。

愛されることや、笑うことなどで身体の免疫力はアップされる。逆に言えば、人から阻害されたり物事に悲しんでばかりいる人は癌が生じやすいということになる。

癌は死に至る病ということで、疾病のなかではもっとも深刻なものとみなされているわけだけれど、この癌化する細胞のゴミ捨て場が仮にないと、人間は一発で即死してしまうのだそうだ。つまり癌は人間の存在をひとまず助ける防波堤の役目をしているとも言えるわけで、癌にも存在理由があるのかも知れない。

癌の治療というと切除や放射線治療そして抗がん剤ということなのだが、一にも二にも予防が大切なのは当然で、タバコや酒はもちろんのこと、インスタント食品や嗜好品の過度の摂取は避けるべきである。

食べる行為は人間の身体に多くの負荷を当与える行為なのだという。つまり食べ過ぎは身体の老化をはやめ、癌などの疾病の温床となる。

ちなみに風邪を引くとのどが腫れて食欲がなくなるけれど、そういった症状は、風邪でダメージを蒙った身体を守るために、食事をとれない状況に身体がするのだという。

そい言えばわが家の猫は体調が悪いと、いっさい食事をとらずひたすら寝ている。

たった一度の人生なのだから、飲みたいものを飲んで、食べたいものを食べて人生を楽しみたいという人も多いだろうと思う。タバコをやめて逆にストレスが増え体調を壊したなんて言う方もいるにはいるが、放射能が舞い降りた東北で栽培されて葉タバコが、どれほどの放射線物質を含有しているのか不透明な今、やはりタバコは吸わないほうがいいと思う。

僕の父は30代後半に癌を患ったのだが、亡くなったのは55歳の時だった。直接の死因は腎不全等による内臓機能の低下によりものだった。亡くなる直前まで大好きな酒はやめなかった。母は60代半ばで、リンパ癌を患った。劇的に抗がん剤が効き、2か月あまりの入院で日常生活に復帰した。もうすぐ80歳になるが、いまだに原付バイクを乗り回すスパーババーである。

ストレスをためるなと言われても、困難な時代かもしれない。生きていれば次から次へと悩みは生じる。仕事のこと、子どものこと、家庭のこと、それを紛らわせようと酒の量が増えることもあるだろう。

僕のストレス発散は、ジャズを聴きことと、むちゃくちゃ本を読むことだ。本はありとあらゆる世界に僕の精神を運んでくれる。ただ眼を酷使するために、メガネを頻繁に変えなければならない状況になっているのが、それがまたストレスになってしまっている。ドンマイだ。

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2015年4月 8日 (水)

教育の神様

最近新聞に折り込まれてくる塾のチラシを眺めている。大手塾のほとんどが、合格した塾生の写真を掲載し、合格体験記なるものをチラシのメインにしている。

その発想はあっても、僕はやらないな。まるで塾の力だけで合格させたような傲慢さが見えて僕はその手のチラシは好きになれない。

○○大学合格とか○○高校合格と言っても、高校や中学での真摯な指導があっての栄冠であって、塾はサポート役のはずである。塾の指導のみで合格があるわけではない。

したがって、塾のチラシに掲載される、歯の浮くような塾のおかげでという合格体験記は、塾側のパフォーマンスとしては面白いかもしれないが、その生徒を合格に導いた本質は秘匿されていると考えた方が無難だろうと思う。

30年間受験指導をしてきて僕が強く感じていること、それは学校の先生の教科指導が抜群に上手になったということだ。なんか上から目線のような言い回しになってしまったが、教え方だけではなく教材のチョイスや教科資料の質が良くなっている。

自分の中学時代や高校時代と比べると、次元が違うくらい良くなっている。確かに一部問題教師がいることも事実だけれど、教える技術が素晴らしくなってきたことは事実だ。

昔の教師は威厳に満ちて、偉そうに授業はしていたけれど、何を言っているのか分からない授業が多かった。もちろんそれは僕の理解能力が劣っていたからだろうけれど、今の先生は忍耐強く一生懸理解させようとしている。

それにも拘わらず、生徒や保護者からクレームや不満が出るのはなぜだろう。嫌いな教科や苦手な科目の理由を聞くと、「学校の先生の授業が分からない」という返答が多い。

30名~40名の様々なレベルの生徒に、一斉授業で教えることの困難さは誰もが知っている。100の内容を教えようとすれば、生徒の半分は残念ながら置き去りにされて行くのが現実だ。きっと同じことを塾の先生にやらせても結果は変わらないはずだ。

なのになぜ塾の指導は分かりやすいのか。答えは簡単である。少人数指導であること。レベル分けしてあること。なにより重要なのは、生徒が自分の気持ちで通ってきていることだ。嫌ならいつでもやめられる自由がある。

塾教師をしてきて言うのもなんだが、公立の先生より塾の先生が能力があるのではなくて、塾の指導の仕方が学校よりはるかに効率的なのである

予備校や塾の先生の中には、学校の先生の教え方を生徒の前でけなす輩がいるようだが、それはフェアーじゃない。

学校の先生は、生徒が増えても減っても給料は変わらない。塾の先生は生徒数によって収入が変わるから一生懸命だと言うけれど、本当にそうだろうか。塾の講師の大半が時間給制のバイト先生である。そのバイト先生と学校の先生を比較して塾の良さをアピールしても、あまり説得力はないように思える。

僕の街にはかつて200以上の生徒を抱える大きな塾が何度も出来ては消えていった。消える原因は、講師の先生の独立騒動だ。地方に限らず都会でも頻繁に生じる内部抗争だ。塾そのものが多額の利益を生み出すようになると、必ずと言っていいほど報酬や待遇に不満を漏らす講師が出てくる。

教員採用やなんらかの資格と取るまでの,つなぎとして塾講師をやっている方はそうではないだろうけれど、塾に勤める多くの専業講師は自分の教室を持つことを夢みているはずだ。かつての僕がそうであったように。

ただお金だけを基準に塾の開校を考えれば、たいていの人間は継続を断念する。勤めているほうが気軽だからだ。僕のような最初からつぶれているような零細個人塾の経営者が言うのもなんだが、信念が必要だ。自分の塾が地域の子どもたちに必要な学びの場であるという信念が必要だ。

その信念があれば、必ずピンチの時には救いの手がやって来る。僕は何度も塾の継続が困難な状況に追い込まれてことがあった。四半世紀の塾経営の中で、廃業という文字が何度脳裏をよぎったことだろうか。

1人の塾生が突然10名の生徒を連れてきてくれたり、学校の非常勤講師を紹介してもらったり、このタイミングでという奇跡に何度も救われた。僕の教え方がいいとか、月謝が安いとかということではなく、僕の信念にたいする教育の神様のご褒美だと思っている。

じゃ僕の信念は具体的に何かというと、それは『人は学ぶことで幸福にならなければならない』ということだ。

いい高校やいい大学に入ることが幸福になるための条件ではないし、いい会社に入っていい給料をもらうことが、幸福の目的ではない。自分らしく生きることは、自分の想いを実現することだ。そのハードルはそれぞれの能力で変遷して行くだろうけれど、常に学び続ければ必ず人は想った自分になれる。

学び続けることは誰でもできる。自分が学ぶべきことが見つかれば、人生は加速する。学校の勉強も塾での勉強も大切な学びであって、優劣はない。何を学んだかが大切なことだと思う。

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2015年4月 7日 (火)

シュタイナー教育の風

宇佐美陽一先生は、日本を代表するオイリュトミーストである。いや彼の芸術的真価は圧倒的にドイツでの評価が高いかもしれないが、現在の日本のシュタイナー芸術を語る上で彼の存在は欠くことが出来ない。


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震災後、僕の家内が主催するこども教室風と虹に通われる子どもたちそのお母さん方に、多大なる支援を頂いてきた。

2年前には福岡市から岩手にお出で頂き、一関文化センターを会場として、宇佐美先生のダイナミックで繊細な、オイリュトミの世界を演じて頂いた。そして一昨日、福島でのワークショップを開催したのち,我が家まで駆けつけて頂き、急遽昨日は自宅教室で風と虹の子どもたちのためにワークショップを開催して頂いた。

前回の時も、宇佐美先生とはお酒をかわしながら多くの貴重な話をさせて頂いたが、今回も夜は自宅で酒を飲みながら、先日ドイツで公演してきた様子や、ドイツのエネルギー事情など実に有意義な話を聞くことが出来た。実は僕はシュタイナー教育を実践せれている先生方は、お酒をやらないという固定観念があったのだけれど(笑い)、気さくに僕のすすめる酒を飲んでいただいた宇佐美先生には、猛烈な親近感を抱いたかねごんである。

ところで今回は、福岡保養合宿で大変お世話になっている、保育士の権現領信代先生と今度中学1年生になる娘さんもわが家に投宿して頂き、貴重な教育のお話を伺うことが出来た。娘さんの菜初ちゃんは実にしっかりした娘さんで、今年の夏の保養プロジェクトは、スタッフとして参加する予定とのこと、たくましい中学1年生である。

シュタイナー教育の風は、まさに子どもたちやお母さん方に多くの癒しと勇気を与えてくれた。僕の家内がシュタイナー教育に興味を持つきっかけとなったのは、僕の病的とも言える読書体験がその始まりではあったが、シュタイナー教育の本を20代に手にした頃の僕は、まさか我が家内を介して、これほどまでに僕の人生や日常にシュタイナーの思想や哲学が、ダイナミックに流れ込んでくるとは夢にも思わなかった。

宇佐美先生は絵画芸術のパイオニアでもあるが、作曲家でもある。昨日調子にのった僕は、ギターを取り出し、宇佐美先生と権現領先生親子の前で、あの曲『かぶとむし』を歌った。

家内はきっと『作曲の先生の前でよく羞恥心もなくやるわ』と思ったかもしれないが、宇佐美先生いわく「シュールな歌ですね」と評して頂いた。

宇佐美先生や権現領先生らを一関のわが家から仙台空港まで車で送って頂いた葛西さん、本当にありがとうございました。今回も多くのご縁を頂き、皆様に感謝申し上げます

PS・・菜初ちゃんは生まれて初めての東北の長旅で疲れたことと思います。福岡にもどるとすぐ中学校の入学式ですね。頑張ってください。

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2015年4月 6日 (月)

仕事その世代間の光と影

新社会人の仕事が始まった。そして学校では、新入生を迎える。またその一方で長いキャリアと決別する人たちもいる。

毎年この季節は、喜びと悲しみが錯綜する季節なのかもしれない。

ところで高齢化社会を迎えた日本は、年金の受給年齢がだんだん引きあげられ、60歳で退職を迎えても、経済的に働かざるを得ない状況だ。

僕の周りを見回しても、70歳を過ぎて勤めている人は多い。まとまった退職金が出る方はいいとして、退職金を当てにできない人にとっては、退職後の仕事の確保は欠かせない。

そしてこの老人労働力が、皮肉なことに若者たちの就労の機会を狭めている。引退の潮時というものは難しい。

ベテランの技は大切にしたい。しかしベテランの人脈や権力の根回しはいらない。新しい技術と伝統的な技術の融合が大切であり、老人力と若年労働者のバランスが大切だと思う。

僕らの塾業界も例外ではない。教育現場ではタブレットを利用したIT技術を授業に取り入れようとしている。公教育がそういった流れになれば、塾もそういう流れに移行するだろう。しかし、人間の精神の営みは一方的な流れにはならない。

僕の塾では寺子屋指導に固執し、パソコンをあえて遠ざけている。塾に来てパソコンで勉強するくらいなら、自宅でソフトを買ってやればいい。人との会話力が猛烈に減退している今、パソコンのキーボードですべてを済まそうとする考えは危険だ。

簡単で便利で、人との軋轢を避けることが出来るグッズに頼り過ぎると、恋愛も仕事も大変になるんじゃないだろうか。パソコンはすべてを叶えてくれる究極の器械ではない。情報を取り出すことに於いては、非常に素晴らしい文明の利器だけれども、アウトプットの手段しては、まだまだ問題点を抱えている。

若者たちが熟年労働者にまさっているのは、パソコン技術かも知れないが、最終的に現場で働く労働能力は、若者たちの敗北と言う感が強い。

世代を超えた交流が極端に少なくなっている現代に於いて、中学生や高校生の人間対応力を鍛える場所は必要だと思う。

高額所得者の退職者の就労制限を行い、低所得者の就労を優先させ、尚且つ若年者の就労支援を本気で日本がやらないと、この国は沈んでしまう。

労働に直結する力は、パソコンやある種の器械操作の技術なり資格ではあるけれど、会話力を忘れてはいけない。人間はメールで会話をする存在ではない。

若者たちは匿名のTwitterや2ちゃんねる等では、辛辣な意見を披露できるようだが、生身の人間対人間では沈黙のし過ぎだと思う。政治や教育や社会に不満があるなら、実名でしっかり意見を言うべきだ。

かつてヘルメットをかぶりタオルで顔を覆い、火炎瓶を投げていた世代が決していいわけではないが、心の怒りをため込んで、くすぶっているだけではだめんじゃないかな。

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2015年4月 5日 (日)

一関の塾

塾の親御さんや友人の方々から、どこそこにまた新しい塾ができたよという情報を頂く。

一関は塾ブームである。一関市に附属中学が開校して、一関がフランチャイズ塾のターゲットになった感がある。自分で塾を営んでいて言うのもなんだが、塾がどんどん押し寄せてくる感じだ。

フランチャイズ塾に加盟し、一関市内で塾を開校する方々に、いちゃもんをつけようとか、ブログで脅迫しようとかそんな意図は全くないのだけれど、よそ様のことだけれど、心配になってくる。

個人事業を営まれていると、日々いろんなダイレクトメールやビジネス資料が送られてくると思う。

たとえばこんな感じ。

『空き店舗を利用して学習塾を営んでみませんか』

『先生と呼ばれる仕事は魅力的ですよ』

『テキストからチラシの手配、塾講師の手配もすべて本部が行います』

などなど。

開塾に要した資本金は3年でペイバックできますなんて甘い言葉に乗せられ、コンビニや喫茶店をフランチャイズ塾にリホームして塾を始める方々が全国で急増中だ。

なかには、学生時代に取得した教員免許を活かしたいからなんていう人もいる。サラリーマン塾教師時代を含めると、僕はちょうど30年間、一関で教える仕事をしてきた。この間10年以上存続している塾を数えると、片手で数えるほどもない。

20年以上存続してきている個人塾の共通点をあげてみよう。

(その1)塾の他に一つ以上の仕事をこなしている。 

(その2)チラシをほとんどまかない。 

(その3)教える教科はすべて自分でこなしている。

(その4)一斉授業をしない。

(その5)教室の賃貸料を売り上げの5分の1以下にキープしている。

大手に負けずとチラシを折り込んでいたら、とてもじゃないがいくらお金があっても足らない。また見栄えを気にして、ビルのテナントを借りたりしたら、それこそ生徒から頂く月謝がすべて飛んでいく。受験指導の結果をしっかりだしていけば、口コミの紹介という最良の宣伝効果を得ることが出来る。

大手と同じ土俵で頑張ろうとすると個人塾は長続きはしない。隠居生活のような塾経営がちょうどいいのかもしれない。

兎にも角にも生徒が納得する指導が塾の生命線だ。それぞれの塾が生き残りをかけてがんっばているわけで、僕も26年目の春をなんとか乗り切りたいと思っている。

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なんでだろう

小学生コース2名

中1コース  0名

中2コース  3名

中3コース 2名

高1コース 1名

高2コース 1名

高3コース 0名

僕の塾の今年度の学年ごとのとある数字だけれど、なんの数かわかるだろうか。

僕の塾に在籍する男子生徒の数である。この極端な傾向は、震災後ずっと続いている。つまり僕の塾に通ってきている児童・生徒のほとんどが女子なのである。

決して僕が男子生徒を入塾させていないわけではない(笑い)。男子が極端に入塾してこないのである。

ずっと理由を考えているのだけれど分からない。震災以後、男子生徒の数は1割にも満たない。

仮に女子が入って来ないというのならば、理由は十分過ぎるくらいわかる。髭面のむさ苦しいおやじの塾なのでということになるのだろうけれど、どうしたことか女子ばかりの塾になっている。

他の塾では我が塾のような傾向があるのだろうか。一般に女子生徒の方が塾を利用する割合が多いようだけれど、ちょっと気になるかねごんではある。

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2015年4月 4日 (土)

希望

希望と言うのはいいものだ。生きる元気を与えてくれる。

過去はどうでもいい。今を今をしっかり生きて行けば、未来は希望になる。

国籍も年齢も宗教も学歴も、なんも関係ない。

生きて行く希望は今を頑張ることで創造される。

たとえ明日命尽きる状況でも希望はある。

なにも恐れる必要はない。

この世界に生まれてきた理由は、それぞれだ。

他人の幸福をうらやむ暇があったなら自分の幸福を探すべきだ。

ここにも、あっちにも希望は落ちている。

気づけば見つけることは簡単だ。

仏頂面をしていないで、にこっと微笑んでみればいい。

仕事やお金のことで苦しむのはやめよう。

自分に出来ないことならやらなければいい。

そのかわり自分のできることを頑張ればいい。

勉強だって部活だって恋愛だってそうだ。

自分が出来ないことに悩まないで、出来ることをやろうよ。

等身大の自分でいい。

爪先立ちの人生なんて疲れるだけだ。

しっかり両足を大地にどかっとつけて、深く深呼吸。

なんも怖いことはない。

その不安は幻想だ。

社会が勝手にねつ造した幻想だ。

だからそんな幻想に負けるな。惑わされるな。

今日を生きれば、間違いなく明日がやって来る。ファイトだ!

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71歳の理事長兼校長が逮捕

 自宅で知人女性に乱暴し、けがをさせたなどとして、茨城県鹿嶋市の私立鹿島学園高校の余湖三千雄校長(71)が県警に強姦(ごうかん)致傷と逮捕監禁の疑いで逮捕されていたことが3日、分かった。容疑を認めているという。
 捜査関係者などによると、余湖容疑者は3月31日午後11時ごろ、自宅で成人の女性に乱暴して1カ月のけがをさせた上、女性が外に出ることを困難にして監禁した疑いが持たれている。2日、県警行方署に逮捕された。
 余湖容疑者は大学受験予備校の早慶外語ゼミ(相模原市)の設立者として知られ、1998年12月に鹿島学園高の運営母体である学校法人鹿島学園の経営権を取得。理事長兼校長に就任した。 (4月3日時事通信)

今日のこのニュースには驚いた。実は7年前に私立鹿島学園高校より、通信制高校の開校を打診されたことがあって、ちょっと触手が動いたことがあった。やらなくて正解だったわけだが、それにしてもである。

71歳の校長が強姦致傷で逮捕というショッキングさもさることながら、あの大学受験予備校の早慶外語ゼミの設立者だったというのだから、開いた口が塞がらない。前代未聞の逮捕劇である。

今回逮捕された余湖氏は斬新な経営方針を打ち立て、鹿島学園の再生に乗り込んできたわけだが、予備校界や教育界では型破りの経営戦略者として知られ、様々な軋轢も生じさせていたようだ。

教育を単なる金儲けのビジネスと考える輩は後を絶たない。僕も塾業界に33年ほどどっかりと居座ってきたけれど、教育界のトップにいる人間の様々な醜聞を耳にしてきた。

先生と呼ばれる職業人には、時に魔の手がすり寄ってくるのだろうか。権力志向の延長線には、必ずと言っていいほどスキャンダラスな汚点が浮上する。聖職者が生殖者ではシャレにもならない。

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2015年4月 3日 (金)

お金と教育のからくり

花粉症でちょっと意識が朦朧としているけれど、今日は教育とお金というテーマで、塾教師をやってきてずっとわだかまってきた想いを話してみたい。

高校に入るのも大学に入るのにもお金がかかる。いい学校に入るには当然のことながら学力が必要だ。その学力を身に着けさせるために、親御さんは一生懸命だ。

通信添削の教材を与えたり、塾に通わせたり、家庭教師をつけたり、世の中に出て困らないようにと、必死に学ぶ機会を与えていく。

一方そういったことに無頓着な親御さんもいる。その意識の境界線は何によって線引きされるかと言えば、親自身の体験や想いだろうと思う。

お金がないという状況で、教育は無理だとあきらめれば、あとは子どもの自主性に任される。「うちでお金がないから中学でたら働いてくれ」と言われれば、そうするしかない状況というのがある。昭和30年代の高度経済成長期ならまだしも、現在において中卒での働き口はほぼない。

最低高校を出なければという言葉を僕は軽々しく言えない。実際高校を中退したり退学した子どもたちを多く見てきたからだ。水商売等で働く根性がある若者はまだしも、半数以上が引きこもりになる。いかに高校時代の身の置き方が大切かを痛感する。

このブログをずっと読まれてきた方は気づいて頂いているかもしれないが、僕は基本的に金持ちは嫌いだ。それは自分が貧乏だから性格がゆがんでいるせいもあるのだろうけれど、お金持ちは嫌いだし苦手だ。

塾の利益は、塾に来てくれているご家庭に還元しようと、教室と家庭が維持できるギリギリの料金設定で塾を営んできた。ギャンブルはいっさいやめ、外で飲むこともなく、家族旅行はせず、山登りと読書、ギターを弾くことを趣味として慎ましく生きてきた。そんなわけで、震災をはさんで、僕を非常勤講師として雇ってくれた修紅高校及び修紅短大には心より感謝している。

この年で全く蓄えない人生というものなんだかな~と思うのだけれど、現実なのでしょうがない。とりあえず住む家があり、曲りなりにも仕事があることに感謝だ。

このブログを打ち込んでいる間に、郵便物が届いた。息子の短大の授業料の振込通知書と国民年金の振込用紙、そして固定資産税の振込用紙。う~くらくらしてくる。

一日500円の僕の小遣いも今年は厳しい状況だ。塾に通うのに、車をやめて自転車にしようかなどと考えるわけだけれど、往復3時間の自転車通勤というのも現実としては厳しいようだ。

東京などの塾では合格実績を前面に押し出した宣伝をやっているわけだけれど、僕の塾は大学や高校に全員が合格しても、しなくても生徒数には変化がないという不思議な塾である。

ただかつて中3~高1まで在籍していた生徒が、東京大学の後期で合格したときには、生徒がわんさかやってきた。「彼はどこの塾に通っていたんだ」という話題が持ち上がったようで、僕の塾に生徒が押し寄せてきた(笑い)。

2年前も塾生が東大にチャレンジしたのだけれど、残念ながらダメだった。3万円も5万円もする塾に通うのもスティタスならば、僕の塾のような5000円の月謝の塾に通うのもある意味ステイタスではないだろうかと思うのだけれど、世間の評価は違うようだ。どうも高い月謝=面倒見のいい塾という幻想があるようだ。

僕の塾も月謝を3倍にしようかな・・・・・・もちろん冗談ですよ。

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花粉症さえなければ本当にいい季節なのにな~

わが家の庭先のラッパ水仙が咲いた。そして梅の木も例年よりは早めの花をつけた。

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受験指導が終って、そのまま突入した春期勉強会が終り、塾教師である僕には、正月とお盆休みが一緒になったような暇が時間が訪れる。15年ほど前までは、入塾のピークはこの新学年が始まる4月だったけれど、今は1年間ピークがない状況だ(苦笑い)。

部活の中総体が完全にメインになっている中学生活に於いて、この時期の塾の存在は希薄なのかも知れない。

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この梅ノ木から毎年梅を収穫して梅干を作ってきたが、震災後は放射能が心配なので梅干作りはやめてる。

この梅ノ木の下には、震災前に老衰で亡くなった愛犬が眠っている。それ以来我が家では犬は飼っていない。15年も一緒に過ごしてきた愛犬との別れを経験すると、しばらくはいいかなと思う。

自宅周辺では、春の農作業が始まり、トラクターのエンジン音が山里に響きわたってる。塾では、一関一高の応援団の太鼓やエールの咆哮が聞こえてくる。きっと新入生の入学を前にして最後の調整に入っているのだろう。

春がやってきた。花粉症さえなければ本当にいい季節なのにな~。

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2015年4月 2日 (木)

ゲリー・ボーネル氏の予言

4月になった。下の写真の方が、今月4月12日伊豆沖にM9・2の巨大地震が来ることを予言している。

ゲリー・ボーネル氏は阪神淡路の大地震や、東日本大地震の起こる時期を言い当てているというのだが、彼の予知能力が本当ならば、後10日で、とんでもないカタストロフィが関東を襲うことになる。

ちなみに2018年には富士山の大噴火が生じると言っているらしい。

2月に始まった僕の胸の苦しみと頭痛について、周りの方々から地震の前触れではないですかというメールを幾つか頂戴した。実は3月から始まった花粉症のひどい苦痛で、身体のどこが痛いのか分からない状況になってしまっている。

確かに今の日本列島はどこに大地震がきてもおかしくない状況だ。予言を信じるか信じないかは別にして、飲み水や食料の確保は急務だと思う。東日本大震災の時は電気が1週間ストップした。ガソリンも10日間供給がストップした。

わが家では、ガスコンロだけは使えたので、煮炊きには困らなかったが、やはり飲み水の確保は大変だった。それにしても10リッターのガソリンを入れてもらうために徹夜をして並んだ4年前のことは忘れられない。1週間お風呂に入れなかった状況もさることながら、世の中の状況が情報として入ってこない不安は一番大きかった。

震災後乾電池はあっという間に店頭から消えた。手回し式の充電ラジオやライトを備えておくことをお勧めしたい。

震災後自家発電機を買った。幸いにも一度も使っていない。できれば発電機を回さずに今後の人生を送りたいと思っているのだけれど、緊急の時のシュミレーションはやっておいた方がいいだろうと思う。

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花粉症にも負けず、震災後の不況にも負けず

本日で春期勉強会が終了する。明日から通常の塾が始まる。

何度も書いてきたが、今年の花粉症は例年にないすさまじさで、目はまともに開けていることができないし、鼻炎の薬を飲んでも毎日ティッシュペーパーが物凄い勢いでなくなって行く。

鼻をかみ過ぎて、毎日鼻血が出るし、花粉症の薬のせいか、口のなかは口内炎で食事がままならない。おまけに持病の痔も悪化。アトピーが現れて背中がかゆい。お陰様というと変だけれど、体重が3キロほど落ちた。これぞまさにアレルギーダイエットという感じである。

明日から日中の時間ができるので、農作業に突入する。まずは、種まき用のハウスを作らなければならない。田んぼの代掻き等は、トラクターを持っていないので、近所の方に頼むことにしているのだが、今年もどうにか田植えだけは自分でやりたいと思っている。しかし、その田植え機が30年ものの骨董品で、これが動かなくなれば、僕の百姓生命も万事窮すというところである。

トラクターやら田植え機、そしてコンバイン、乾燥機械を仮に新品で購入するといくらかかるかご存じだろうか。平均的な小型のものでも2千万円はかかる。どう逆立ちしても宙返り3回転をしても無理な話である。0が一つ少なくても僕には購入などできない。

まあ朝からこんな愚痴めいた話をしても仕方がない。花粉症にも負けず、震災後の不況にも負けず、今日も塾に行ってくるか。

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2015年4月 1日 (水)

一関一高附属中学校の一期生の大学進学状況

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昨日の岩手日報に一関一高附属中学校の一期生の大学進学状況についての記事が大きく掲載されていた。

国立大の前期合格の発表のあたりから、仕事柄一関一高の合格状況を僕に尋ねてこられる方が多かった。世間の注目するところは、東京大学が何名決まったかというところのようだったが、一高に通う塾生から入る情報は、残念ながら0人ということだった。

新聞によると東大・京大は10名以上がチャレンジしたようだが、全体的な合格状況を見れば、今回の結果はまずまずというところではないだろうか。

僕は一高のOBではないが、四半世紀一関一高生に大学入試英語を教えてきた。一高のOBよりも先生方よりも、一関一高の変遷を眺めてきたと言えるかも知れない。

大学受験の準備段階として、一番の山場は2年生の過ごし方だ。学年の上位にいる生徒はいいとして、部活中心の生活のために、素晴らしい潜在能力を保持していながら、肉体的疲労のため、十分な勉強時間を確保できない生徒が多いように見受けられる。

もう一つの問題点は、国立大学への進学率を強化したいがために、学年の下位にいる生徒の進路がままならない状況になっていることだ。今年度一高の定員割れが生じたのは、まさにそのことに起因しているのではないかと思う。

この四半世紀でパソコンや印刷機のものすごい進化で、膨大な資料プリントや宿題ワークが生徒に配布される。それも毎日のように。高校生を見ていると、もはや自主的に自分にあった問題集をチョイスするとか、参考書を見定める余裕など全くないようだ。次から次へとワーク類が配布されて行く。

なんとなくベルトコンベヤーに乗かって、次から次へと部品を装着されて行くマシンのように見えてくるのは、僕の思い過ごしだろうか。

年間はあっと言う間に過ぎて行く。その3年間で大学受験の中身を詰め込むとなると、確かに現在の一高のような、宿題体制にならざるを得ないのかもしれない。かつての塾生には塾からの課題をこなす余裕があったが、今の一高生にはない。学校から出される課題の解説をするのが、僕の指導のメインになっている。

中高一貫の教育の長所・短所はそれぞれある。今年度医学部に現役で6名受かったという結果は、大いなる成果だろうと思う。今年一高から東北大学は22名の合格者を出した。その内附属中出身者は12名、10名は受験で一関一高に入った生徒だった。

附属に入らなくても、高校からでも十分間に合うという声も多い。いやいや中学から将来の大学入試を念頭に置いた指導は不可欠だという声もある。人生は長いようで短い。誰もが、幸福な人生を歩みたいと願っているはずだ。学歴や資格がないと生きづらい世の中であることは間違いない。

ただそうじゃない生き方もあって、それを否定する権利は誰にもない。大学受験に向けるエネルギーを違う方面に注ぎ込むことはもちろんありだ。学校の勉強が苦手であることは、個性だと僕は思っている。だから自分ん探しの旅は楽しいのではないだろうか。

今日は4月1日。新たな始まりの日だ。

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