夜明け前が一番暗い
夜明け前が一番暗い。人生の転機に於いて、良く語られる言葉だ。人生どん底と思う時が、実は転換のチャンスなのかも知れない。
還暦までカウントダウンの年齢にもなると、退職後の人生設計を考え始める人は多いだろうと思う。お金のこと家族のこと、そして今後の身の振り方など、時に悩み時に諦観を装う。僕も例外ではない。
若い頃、と言っても30代の頃の話なのだが、仕事に行き詰った時には、リュックを背負って山に登った。岩手に住んでいれば、登る山には事欠かない。奥羽山脈や北上高地の山々の頂上を目指した。
ひたすら歩き続ける山道の中で、静寂さがまとわりつく。まるで瞑想をしているかにような時間が訪れる。いや実は瞑想そのものだったのかも知れない。
自分の息遣いと心臓の鼓動を聞きながら、様々な映像や感情が湧いてくる。遠い昔の何気ない光景や、言葉、懐かしい人たちの顔、そういったものに決別するしかないような急斜面の壁が突然現れたり、そういった感情を後押しするかのようななだらかな道が続いたりする。
雑然とした日常から逃避することは出来ないけれど、雑然とした日常から自分を見つめ直すことは出来る。山登りはそういったアイテムの一つのように僕には思える。
40歳を過ぎて、痛風や腰痛に襲われ山登りから離脱してしまったけれど、あのころ感じた山の風や光は、山里のちょっとした散歩でも思い出すことが出来る。
今年度の塾屋の仕事ももうすぐ終焉を迎える。そしてまた新たな日々がやって来る。体力が間違いなく減退してきた自分を感じるけれど、心は幸いにもくじけてはいない。
このブログを書き始めた8年前、僕はふわふわしていた。そのふわふわ感を、言葉で埋めたかった。自分の想いを大地に定着させたかった。そのことが叶ったのかどうかは、定かではないけれど、駄文を書き続けることで、なんとなく自分というものがかすかに見えたきたような気がする。
30代の頃、山登りが僕の精神修業だったとするならば、40代後半から書き始めたこのブログも、同じく自分と向き合うための精神修行なのだろうと思っている。
今年度は人生で一番お金を必要とすることが多かった年だった。そういう年回りなのだろうと思う。仕事面、経済面ではここ10年で一番苦労した年でもあった。先日の記事でも書いたけれど、半年間一度も喫茶店にも居酒屋にも行かなかった、いや行けなかった。ある意味すごい1年間だった。
そんな僕が2月の旧正月に、駒形神社で引いたおみくじは、生まれて初めて見るような超大吉の内容のおみくじだった。夜明け前が一番暗い。そんなことをつぶやいて、僕は軽トラックのアクセルを踏んだ。
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