退塾生の突然の訪問
子どもと言うものは、不用意に言葉を発する。大人もそうかも知れないが、大人の場合はその言葉の裏側に何かしらの意図を持っているので、まだ子どもと違って対処がしやすい。
昨日僕が自習室で愛妻弁当(笑い)を食べていると、昨年の秋に退会した男子生徒がやってきた。受験前の秋に退会する受験生というのも、僕の塾では珍しいものだから、彼の突然の登場に意表を突かれた。
高校に合格したことを報告に来てくれたのはとても嬉しかったのだけれど、途中でやめて行った意図がいまいち理解できなかったものだから、いろいろ話を振ってみた。
途中退会した生徒に発する言葉ではないと思ったけれども、部活の後輩や友人で塾を探している生徒がいたら、僕の塾を紹介してくれないかなと言ったところ、こんな言葉が返ってきた。
『誰もこんな塾なんて来ないですよ』
さすがの僕もちょっとムカついたので、春期講習の午後の部が近づいてきたので、その後無視していたら、彼も指導室についてきた。
昨日の午後はたまたま生徒がいっぱいで、次から次へとやって来る生徒にたじろいだのか、突然やってきたのと同様に突然帰って行った。
春期講習など閑古鳥が鳴いているのだろうと思って、冷やかしにきたのだろうか。それとも彼に対して何か大きな勘違いを僕はしていたのだろうか。
彼は僕の塾に来る前は、大手のフランチャイズ塾に通っていた。僕の塾をやめたのち、また別の塾に行ったのだろうか。あえて聞かなかった。
『誰もこんな塾なんて来ないですよ』という言葉の意味を、どう咀嚼したらよいのか昨日はずっと考えていたかねごんである。落ち込むことはなかったけれど、彼の意図が読めない自分の不甲斐なさにちょっと自分自身が戸惑っていた。
ちなみに昨日の彼は、僕の塾に通い始めた時は、前にいた塾を散々けなしていた。自分の不甲斐なさをいつも誰かのせいにして生きていくことは、ストレスがなくていいかも知れない。しかし、信頼とか信用という言葉とはかけ離れた人生になって行くことも確かだろうと思う。
昨日はいろいろと考えさせられた。
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